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ちょうど昼食を終えた頃、空には太陽が誰にも気兼ねする事無く輝いている。 だが、日が昇る前は雨が降っていたようで、まだ町にはその名残らしい水たまりがいくつも出来ていた。 光を受けて太陽とはまた違った輝きを放つ水たまりを、ナギサが紅茶を飲みながら眺めていると、不意に扉が遠慮がちな声を上げた。 「はい?」 振り向いた彼女の声から、遅れる事1秒。扉はわずかに軋んだ音と共に開かれる。 その隙間から顔を出したのは、 「あら、リノちゃん。どうしたの?」 黒い髪と瞳を持つ、一緒に旅をしている少女であった。 「今……忙しくないか?」 「え? うん、むしろ退屈してたぐらいだし……そうでなくても、リノちゃんならいつでも大歓迎よ」 「……じゃあ」 ナギサの言葉に、彼女は少し考える素振りを見せた後、妙に慎重な足取りで部屋へと足を踏み入れる。 そして背中に回した手で静かに扉を閉めると、自分の眠っているベッドに座った。 「………………」 しかし、用がありそうな発言をした割に、リノは何も話そうとせず、戸惑った様子で所在無げに自分の指と指を絡ませている。 「何か悩み事?」 あまりに分かり易く、可愛らしい仕草に微笑みながら、ナギサは紅茶を淹れたカップを彼女の前に差し出した。 受け取ったリノは無言で頷くと、それを両手で受け取ってほんの少しだけ飲む。 「その……わ、笑わないで欲しいんだけど……」 こくんと喉を鳴らして、わずかに落ち着いたらしい彼女は頬を染め、普段より固い口調で話を切り出した。 (多分、トラッド……の事よね……) ナギサは無言で頷きながらも、胸中でため息混じりの推測を口にする。 おそらく本人には自覚がないのだろうが、今のような表情でリノが悩む原因といえば、心当たりは彼しかない。 なのでこれは誰にでも分かる限りなく正解に近い想像であって、それは彼女が言葉にするだけで完成するものであった。 (……でも、何でアイツは分からないのかしら?) すると今度はトラッドに向けて、ナギサは怒りの混じった言葉をやはり胸の内だけで零す。 そうしてしばらく間を置いた後、そんな彼女の複雑な心に気づかないリノは、絞り出すような声でこう告げた。 「どうしたら――――ナギサみたいになれる……?」 ……………… 頭の中が真っ白になり、沈黙がその場を支配する事数秒。 「…………へ?」 ナギサは普段より3つほど上の音階で、素っ頓狂な声を上げた。 「だ、だから笑わないでくれって――――」 「え、あ、今のはそうじゃなくて……その……」 拗ねたようなリノの声を耳にしながら、彼女は珍しくしどろもどろで自分の気持ちを伝えようとする。 予想と違う問いかけに、ただ驚いただけなのだと。 だが、一向にその事を口に出せないまま、ナギサはついある姿を想像してしまう。 (えっと……リノちゃんが私みたいに……という事は……) それは自分と同じ服を身に纏い、ウサギの耳を頭に乗せ、ハリセンでトラッドを叩くリノの姿だった。 (……確かに可愛いわね……) そして、すぐさま自分の中でそれも悪くないという結論に至ると、ナギサはうんうんと無言のまま2度首を縦に振る。 「ナギサ……?」 その時、リノの呼ぶ声で、不意に意識が現実へと引き戻された。 目の前にあるのは微かに怯えた表情で、じっとこちらを見つめているリノ。 どうやらナギサが急に黙ってしまった為、彼女は怒らせてしまったと勘違いし、不安を感じたようであった。 「ごめんごめん……ちょっとリノちゃんのアブナイ魅力に気づいちゃっただけだから」 「……え?」 「ううん、こっちの話よ」 「…………………」 自分の失言らしからぬ失言に、ナギサは視線を宙に逸らした後、パタパタと顔を仰ぐ。 不思議そうな顔のリノだったが、安心したのか余裕が無いのか、それ以上深くは追求してこない。 それから2人揃って紅茶を一口飲むと、再びリノが話しかけてきた。 「……さっきの事なんだけど……」 彼女は一旦言葉を切り、ナギサが頷くのを確認してから続ける。 「ナギサみたいに、というより……どうしたら女らしくなれるのかな……?」 「……え?」 唐突な、予期せぬ言葉にナギサは思わず耳を疑ったが、、 (やっぱりトラッド絡みなのね……!) まだはっきり口にしていないとはいえ、おそらく自分の予想通りで、しかも可愛らしい相談に胸中で拳をぐっと握り締めた。 しかし、その喜びを悟られてしまえば、色々な意味でリノの勇気を出した告白が無駄になってしまう。 ふとそう思ったナギサは、逸る気持ちを抑えて何食わぬ顔で紅茶を飲み干してから小さな声で問いかける。 「……じゃあ、お化粧してみる?」 「え?」 聞き慣れない言葉だったのか、リノは一瞬きょとんとすると、妙に複雑な表情で考え込んだ。 「お化粧って……顔に何か塗ったりする事?」 だが、何か思い当たったらしく、微かな不安をよぎらせながら尋ね返す。 「まぁ、それだけじゃないけどね」 「それって髪を梳くより時間が掛かったりするのか?」 更に返ってきた言葉は、表情と同じくあまり明るいものではなかった。 今までにも何度か髪を梳く機会はあったが、その時の彼女は確かにあまり嬉しそうではない。 「……やっぱりイヤ?」 「うん、ちょっと……出来れば違う方法が良い」 答えを聞くまでも無かったが、リノの一言にナギサは唸り声を上げて、次の手段を考え始める。 「それじゃあ……服を変えてみるのは?」 「服?」 しばらくして思いついたのは、鈍いトラッドでも一目で分かるであろう服装の事だった。 だが、これまで考えた事が無いのか、リノはやはり不思議そうな顔で問い返してくる。 「私的にはいつもの旅装束も可愛いと思うけど……たまには違う格好も見てみたいわね」 「違う格好……?」 再び深い思考の中に身を躍らせる彼女。 いくらリノでも旅装束しか持っていないという事はない。 ただそれが、今話に出ている服とは意味合いが異なっているというだけであって。 「そうねぇ……例えば、白いワンピースとか。きっと似合うわよ?」 悩んでいる彼女の頭に浮かぶ物を見抜いたらしいナギサは、苦笑いを浮かべながらそう口にする。 更にそれだけでは足りないのか、身振り手振りを加えて細かな形まで楽しげに説明し始めた。 「えっ、と……?」 しかし、リノにはそれがワンピースであるという事だけしか伝わっていないらしい。 それでも彼女は何の飾り気も無い一般的な形の物を、自分が身に纏っている姿を想像してみた。 「そそ、そんなの似合うわけ……!」 だが、すぐに顔を真っ赤にすると、慌てた様子で両手を激しく振って必死に否定する。 「あら? でも、着てみないと分からないでしょ?」 当然、ナギサはその隙を見逃さず、今度は何かを企んでいるような笑みで追い討ちをかけてきた。 「でも、その……出来れば他の方法が……」 「どうして?」 「だ、だって、おかしいし……凄く恥ずかしい……」 冷静さを失ったリノは訳が分からないまま、曖昧な言葉でとにかく反対する。 「……じゃあ、他の方法ね」 それに対し、ナギサは彼女の可愛い格好を見たいという好奇心を抑え、表向き素直に従った。 本来ならいくらでも言い包める方法は思いつくはずだが、 (まぁ……こういうのはトラッドの役目よね) などと考えての判断である。ちなみにリノはまだ一言も彼の名前を出していない。 「でも、そうなると……難しいわね」 その後、ナギサはいつの間にか空になっていたカップに紅茶を注ぎ、次なる作戦を考え始めるのであった。 しばらく互いに何も話せぬまま、緩やかに時が過ぎ去っていく。 リノもナギサも一生懸命考えてはいるものの、何も思いつかなかったからである。 その沈黙が、そろそろ重苦しいものに変わろうとしていた矢先、 「まぁ、でも……」 紅茶を一口飲んだナギサが不意に呟く。 「何?」 「リノちゃんって、元々女の子らしいから……そのままでも十分かな、って」 「えっ……」 言われたリノは驚いた表情で、彼女の顔を見た。 すると、ナギサは普段はあまり見せない笑顔を浮かべている。 その事から彼女は至って真剣にそう思っているという事が、真っ直ぐに伝わってきた。 「どうして女らしくなりたいって思ったの?」 返す言葉もなく、リノが何となく紅茶を飲んだ時、ナギサは静かにカップを置いてから問いかけてきた。 「え?」 「やっぱり理由があるんでしょ?」 「…………うん」 彼女は少し迷った素振りを見せた後、頬をさっと赤くしてから頷くと、 「……ナギサみたいに……トラッドと普通に話したかったから……」 意を決した顔で――――今日初めて彼の名前を口にした。 「……私みたいに?」 一方ナギサはというと、半分予想は当たっていたものの、そこで自分の名前が出た事に驚きを隠さず呟く。 だが、呆然となっていたのも束の間で、普段の2人の様子を思い出すと納得した顔を見せた。 (……なるほどね……) 彼女がちょっと悪戯をすれば顔を真っ赤にするトラッドだが、それ以外の時は至って普通である。 しかし、リノと話す時は少し様子がおかしい。 何でもない時に酷く緊張するかと思えば、突然これまでと変わらない態度を見せる。 おそらく彼自身、自分の接し方が不自然だと気づくからこそ、それを慌てて直そうとするのだろう。 何故そうなってしまうのかも、リノが悩んでいる事も知らずに。 「でも……それがどうして女らしくに繋がるの?」 そこまで推測した後、ナギサはふと気になった事を尋ねてみる。 「……何となく、だけど」 するとリノは自信が無さそうに顔を伏せながら、心配の混じった小さな声でこう答えた。 「私が今まで隠してたから……どう話せばいいのか分からないのかな、って」 つまり、彼女はこう考えている。 男と偽っていた自分が女だったから、彼はどちらを意識して接すればいいのか迷っている、と。 「だから、少しでも女らしくなれば、トラッドも迷わないで普通に話してくれるかも、っていう事?」 「……うん」 「………………」 自分よりも相手の事を想っての相談。 ナギサは目の前の少女の優しさに感動しながらも、 (もしかしたら……リノちゃんも気づいてないのかしら?) 話の内容とは全く違う視点から、物事を捉えていた。 そして彼女は、少し冷めてしまった紅茶を飲み干すと、 「……だったら、良い方法があるわよ」 得意げな笑みを浮かべながら、リノにそう告げる。 「…………ホント?」 その一言に、彼女の表情に差し込んでいた翳りが音も無く消え去っていった。 「……あのね……」 ナギサはそんな心の動きを確認してから、リノの耳元に唇を寄せて内緒話を始める。 ………………………… それから彼女が2、3回首を縦に振った後、 「……それだけでいいのか?」 パッと顔を離して、不思議そうに問いかける。 「ええ、騙されたつもりでやってみて」 だが、不安そうなリノと違い、彼女は自信に満ち溢れた笑顔で返事を返した。 「……じゃあ、早速行って来る」 居ても立ってもいられなくなったのか、リノは半分以上残っていた紅茶を一気に飲み干してから席を立つと、一度頭を下げてから足早に扉へと歩き出す。 「うん、頑張ってね」 一方ナギサは、微笑みながら右手をひらひら振って―――― 1人の女の子として見て欲しい、と自分が思っている事に気づいていない少女を見送るのだった。 そうしてリノが部屋を出た直後。 「ふわぁぁぁ……」 ちょうど隣の部屋から、盛大な欠伸をしながらトラッドが出てくる。 いつの間にか外はすっかりオレンジ色に染まっていたので、これから夕食に向かうのだろう。 「……え?」 「あ……」 あまりに唐突だったせいか、リノが思わず声を洩らすと、気づいた彼はわずかに顔を赤くしながら歩み寄ってくる。 おそらく昼寝していた事を知られた恥ずかしさだろうが、今の彼女にはそれを気にかける余裕も無い。 「えっと……リ、リノもこれから夕食か?」 2人の距離はちょうど1歩分。そんなリノの想いも知らずに、トラッドは照れた様子で瞳を逸らしながら問いかけてきた。 「う、うん……そう、だけど……」 その時、彼女の頭に先ほどナギサから聞いた良い方法が浮かんでくる。 (えっと……) 『まず、トラッドのすぐ側まで近づいて……』 脳裏に響く凛とした声に従い、リノは右足を一歩前に踏み出した。 すると2人の距離は、後少しで吐息が絡まりそうなほど近くなる。 『次は目を合わすの。あ、恥ずかしくても逸らしちゃダメよ?』 ここには居ないナギサの声に頷いた彼女は、自分より背が高いトラッドの瞳を一心に見つめた。 だが、いくら身構えても恥ずかしいものは恥ずかしいようで、リノの白い顔はほんのり赤く染まっている。 「リ、リノ……?」 一方トラッドは、不意に向けられた上目遣いに疑問を感じ、とりあえず名前を呼んでみたが、集中しているらしい彼女からの返事は無い。 『多分、その時はリノちゃんも緊張してると思うけど……それを隠さないで、素直に名前を呼んでみて』 「……トラッド……」 吐息混じりの震えた声が、リノの小さな桜色の唇から零れ落ちる。 「え、あ……いや……その……」 だが、この上なく彼女を女の子として意識しているトラッドは、その行動の理由を尋ねるどころか考える事すら出来なかった。 『それで、最後は――――』 (ゆっくり目を閉じる……!) 鮮明に響いていていたはずの声が聞こえなくなる瞬間。 リノは眠る時よりも遥かに遅い速度で、静かに瞼を落とす。 「…………!?」 その一連の動作を瞬きもせずに全て見ていたトラッドは、最後の仕草で声にならない叫びを上げた。 しかし、さすがと言うべきか素早く思考を切り替えると、 「リ、リノ……何を……!?」 酷く取り乱しながらも、つい先ほど問いかけようとした言葉をようやく口にする。 「何……って……?」 「いや、だから……!」 「……だから?」 「その……こ、こういう事は人目のある場所より、2人っきりの時とか……じゃなくて、相手を選んで……」 「トラッドだから、こうしてるんだけど……?」 「…………へ? そ、それは……嬉しい、けど……」 「けど?」 「……まだお互いの事をよく知らない、っていうか……え、っと……」 「でも、これまでずっと一緒に旅してきたし……」 「それはまぁ……そう、だけど……」 自分のしている事の意味も知らず、目を閉じたまま正しいと信じて待ち続けるリノ。 それに対して、彼女の行動の意味を理解し、激しく動揺しているトラッド。 (……トラッド、何慌ててるんだろ……?) (リノは……可愛い、けど……) 絶妙にすれ違った会話を交わす2人の間には、同じようで異なる不可思議な緊張があった。 (でも、まだ……何も言葉にしてないのに……いいのか?) トラッドは自然と彼女を抱き締めようと手を伸ばしたが、それは果たされる事無くその場で固まっている。 永遠に続くと錯覚しそうな、一瞬の沈黙の末。 「やっぱり……!」 彼はくるりと背を向けて、何者をも振り払うように全力で駆け出していた。 (互いに気持ちも分からないのに……そんな事出来ない……!) そうして宿の入口の扉が乱暴に閉まる音がした直後、 「……トラッド?」 ようやく何が起こったかを理解したリノは目を開けてきょとんとする。 「何処行っ――――あ」 同時に今まで考えようともしなかった疑問が脳裏を掠めていった。 「あの後、ナギサはどうなるって思ってたんだろ……?」 それは――――相談された彼女が敢えて話さなかった、もう1つの結末について。 自分で考えても一向に答えへ辿り着けなかったリノは、残念そうに夕食に向かうのだった。 一方、トラッドは町中を疾走する内に冷静さを取り戻し、すぐにナギサの仕業と確信して抗議に向かったものの、 「……何処まで鈍けりゃ気が済むのよ……!」 彼女の怒りが伴ったハリセンで一撃されて、翌朝まで気絶して夕食を食べ損ねる羽目になる。 そしてリノは、これまで以上にぎこちなくなった彼を見て、ますます悩みを大きくするのであった。 ※後書き 2周年感謝SS第2弾です。 リクエストして下った方、ありがとうございました。 今回の内容は「リノが少しでも女の子らしくなりたいためにナギサに相談」という事でしたが、 何だか相談というより、姐さんの悪戯になってしまったような……申し訳ございません(汗汗) 当初は2人で服を買いに行き、見た目も女の子らしくなったリノにトラッドが見惚れてしまうものの、 おかしく思われていると誤解した彼女が逃げ出してしまう、という風な内容で書き進めていたのですが、 リノが女の子らしい服を着る決意をするのは、まだ早いのでは……と思ってこうなりました。 そういったお話は、もう少し先で書く……かもしれません(苦笑) ちなみに「姐さんの青空教室」は、1stだけでなく2ndや3rdのキャラクターも登場させて、シリーズ化する予定です。 アップは遊び人SSのページになるかと思われます。 おかげさまで、新しい試みを思いつく事が出来ました。本当にありがとうございます♪ 目次へ
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