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春めかしい陽気。窓から差し込む柔らかな光は、どんな人間にも温かく優しい。 「…………」 そんな中、リノたちはいつものように朝食を取っていた。 出発の予定はなかったので、少し遅い時間なのだが、宿屋の食堂にはあまり人がいない。 特に会話も無いままに進む食事。 ナギサは紅茶を飲みながら、自分の真向かいに座るラザを半眼で睨んでいる。 (……本当に物静かっていうか、無愛想っていうか……変化が少ないのよねぇ) 赤く長い髪は食事の邪魔になるせいか、何の飾り気も無い紐で後ろに束ねられていた。 そして同じく赤い瞳に映るクリームシチューを行儀良く、黙々と食べている。 (にしても……どういうつもりなのかしら?) わずかに視線を外し、彼を真似るようにシチューを飲むナギサだが、思考は相変わらず別の場所にあった。 というのも、ラザが今みたいに髪を括るのは、非常に稀だからである。 彼女は単にメニューによって、と思っていたのだが、どうもそうではないらしい。 (……って、何を気にしてるのよ……!) 一緒に旅をし始めた時からしっかり見ていれば、何らかの法則が分かったのかもしれないが―――― (ふぅ……私、どうしちゃったんだろ) 昔知らなかった癖を知ったり、何気ない仕草が気に掛かり始めたのはごくごく最近の事であった。 知ろうともしなかった、という表現の方が正しいのかもしれない。 (大体……ラザがあんな風になるなんて思ってもみなかったし……) 理由は、以前オーブを求めて立ち寄ったテドンの村での出来事。 あの時、ナギサは窮地を脱する為、自分の限界を超えた呪文の使い方をし、一歩たりとも動けなくなってしまった。 次第に薄れゆく意識を目覚めさせたのは――――必死に呼びかけるラザの声と安堵から生まれた涙。 普段の彼からは想像出来ない心の動きに、ナギサは驚いたと同時に何処か甘酸っぱく感じた事をよく覚えている。 しかもその後。 (……確かに動けなかったけど……あんな事までしなくてもいいじゃない……!) ラザは何を思ったのか、起き上がる事すらままならない彼女の身体をお姫様抱っこしたのだ。 確かに昔、自分にとっては気の遠くなるような過去に憧れた事もあるかもしれない。 だが、今はほんの少しもそんな気持ちを抱いていないはずだった。 (まぁ……自業自得といえば、そうかもしれないけど……) そもそものきっかけは、ノアニールの洞窟での出来事。 夢見るルビーの力によって気を失ったリノを運ぶ際、トラッドに女だと気づかれないように考えた手段である。 勿論、面白そうという理由の方が大きかったのは、言うまでもないのだが。 (だからって……あんな顔しなくても……) 抱きかかえられた姿勢から見えたラザの顔は、まるで悪戯が成功した少年のような笑顔だった。 いつもはナギサの独壇場だけに、その悔しさも一塩なはずなのだが、 (たまには……悪くない、けど……) 不思議とそう感じる事は無く、逆に――――何故か目を離すのが惜しいなどと思ってしまった。 正直な所、彼の顔はよく整っており、一般的に見ても綺麗な部類に入る。 ただ、ナギサがあまり意識していないだけで。 「……えっと、ナギサ?」 「ふぇっ!?」 自分との戦いに没頭していたナギサは、今考えていた当の本人からの呼びかけに愉快な声を上げて驚く。 「あ、いや……何よ?」 だが、すぐに我を取り戻すと、彼女は何事も無かったかのように問い返した。 「ナギサこそ、さっきから睨んでいたが……怒ってるのか?」 「……へ?」 どうやらナギサ自身、いつの間にか彼の顔を見つめてしまっていたらしい。それもあまり穏やかでない表情で。 「後、鼻にポテトサラダが付いてる」 「え……あ」 更にラザが至って落ち着いた様子で事実だけを述べると、彼女は珍しく真っ赤になって慌てて鼻の頭を人差し指で拭う。 「……ホントね」 「嘘を吐く理由がない」 ナギサは指先に付いた真っ白なポテトサラダと、感情の読めない彼の顔を見比べると、 「……ごちそうさまっ」 不機嫌な声でそう言い放ち、乱暴に席を立って部屋へと戻っていった。 ちなみに朝食には半分ほどしか手が付けられていない。 「……何かあったのか?」 「うーん……ナギサの事だからなぁ……」 一体、今の何処に怒る要素があったのか。 リノとトラッドはほぼ同時に首を傾げ、釈然としない表情のまま食事を再開するのであった。 「…………ふぅ」 一足先に部屋に戻ったナギサは、数えるのも躊躇われる何度目かのため息を落とす。 頭に思い描くのは、ずっと忘れようとしているラザの事。 しかも、いつもの落ち着いた様子と、あまり見た事が無い慌てた表情が入り乱れていた。 (あーもう、どうして離れてくれないのよ……!) 彼女はとにかく気を鎮めようと、碧眼を閉じてベッドに飛び込む。 すると枕から落下の勢いを和らげようと、ぼふっという音が生まれ、部屋の中に溶けていった。 あまり大きな音では無かったが、彼女はそれすらも気に入らない様子で枕をぎゅっと抱き締める。 (本当に……らしくない……) そして騒々しくベッドの上をごろごろ転がっていると、 「何をしてるんだ?」 「……入る時はノックぐらいしなさいよ」 いつの間にか目の前には、今一番会いたくないラザが呆れた顔で立ち尽くしていた。 ナギサは突き刺さるような視線を気にしながら、とりあえず身を起こし、枕をぱんぱんと叩きながら半眼で睨みつける。 「で? 黙って乙女の部屋に入ってきたからには、それなりの用があるんでしょうね?」 「その前に一つ。ノックなら3回ほど、それも2度続けてしたのだが?」 「聞いてないわよ」 「……それは悪かった」 今朝と同じように彼が嘘を吐く理由はない。それに礼儀も弁えている。 つまりノックが聞こえなかったのは、自分の不注意からだとナギサ自身気がついていた。 「まぁ……もう怒ってないからいいけど……それで?」 だが、それを素直に認めるのは癪だったらしく、彼女は出来る限り自然に話を変えようとする。 「あ、いや……朝食の時、様子がおかしかったから、どうかしたのかと思って」 本来ならそれで流されるラザではないのだが、既に観念しているせいか、素早く本題を切り出した。 「……そう?」 「朝食を半分以上残すなんて珍しいだろ」 しかし、一番避けたかった相手から尋ねられたのは、同じく触れられたくなかった話題。 そこでナギサは、人差し指を唇に当てた後、 「別に。ところで、リノちゃんとトラッドは?」 自分が思いついた最も効果的な言葉で、再び話を逸らそうと試みる。 「2人なら買い物に行った。何でも時間がかかりそうだから、昼食は先に食べてていいそうだ」 それに対して、ラザは予想通りの答えを返したので、彼女は胸中で密かに安堵の息を吐いた。 だが、ホッとしたのも束の間で、 「それで……何故怒ってるんだ?」 すぐに質問を切り返されて、こっそり部屋から出て行こうとしたナギサは、彼に聞こえないよう舌打ちをして動きを止める。 (私の心境がそんなに重要なのかしら……?) それから訝しげに、彼女はまた人差し指を唇に当てると、ラザの思惑を見抜こうとした。 「…………」 眼前にあるのは、燃えるようでありながら、酷く澄んだ赤い瞳。 動揺を悟られないよう抑え込んでいるナギサと違い、そこには一点の曇りも無い。 元々、彼の言動全てが本心から生まれたものなので、見抜くも何も無いのだが。 「ナギサ?」 一向に返って来ない答えに胸騒ぎを感じたのか、ラザはほんの少し緊張を帯びた音色で彼女の名前を呼ぶ。 「……あのねぇ……大体誰のせいで――――あ」 「何だ?」 「……え、っと、その……」 ナギサも最初は勢いに任せて、彼の名前を出すつもりだった。 しかし、その直前で根本的な問題に気づく。 (誰のせい……って、ラザには違いないけど……テドンを出てから、もう1ヶ月……) それは今の怒りの出所をすぐに説明できないという事と、 (……弱味を握らせるわけにはっ……!!) 何より彼女らしくない不安定な状態を、彼に知られたくないという事だった。 「本当に……大丈夫なのか?」 一方、まさかナギサが自分の事で複雑な心境になっているなどと、夢にも思わないラザ。 だからこそ、彼の言葉は皮肉なまでに純粋であった。 自業自得と言えなくもない、身動きが封じられた状況下で、ナギサが閃いた一言はこうだった。 「その、ちょっと……わ、忘れられない人がいるのよ……!」 ナギサが思いついたのは、単に今の状況を話すという、珍しく何の変哲も無い方法だった。 下手に隠そうとすれば、つい口を滑らせるかもしれないが、最初から正直に話してしまえば問題は無い。 勿論、一番重要な部分である彼の名前は伏せているが。 「……それでね、何とか忘れようとし――――って、ラザ?」 更に彼女は言葉を続けようとしたが、 ……………… ふと我に返った時、目の前のラザが文字通り固まっている事に気がついた。 「どうしたの、ボーっとしちゃって……?」 ナギサがきょとんとなったまま、手をパタパタ振ると、 「え? あ、その……1ついいか?」 ようやく正気を取り戻した彼が、まるで病人のように真っ青になりながら問いかける。 「何よ、改まって」 「忘れられない人って――――やっぱり男、なのか……?」 「…………へ?」 彼女は全く予想していなかった質問に間の抜けた声を上げた後、自分の言葉を頭の中で再び繰り返した。 (あー……確かにそうとも取れるわね……) よく目にする光景とは言い難いが、忘れられない人という響きは、元恋人や片想いの類を連想してもおかしくない。 その時、すぐに否定すれば、この話は終わっていただろう。 「……うん」 だが、好奇心を抑え切れなかったナギサは、微塵も迷わずに憂いを帯びた表情で返事をし、 「私って……そんなに魅力ないのかなぁ?」 まるで時間が止まったのではと錯覚してしまうぐらいに、ゆっくり彼へ歩み寄った。 「……は?」 一方、ラザはというと、彼女の予想外の行動に驚き、落ち着かない様子で長い髪をくしゃくしゃしている。 (へぇ……こんな顔もするんだ) 当初は彼の企みを看破するのが狙いだったはずのナギサ。 しかし、意外な一面を見てしまったせいか、彼女の興味は無意識の内に違う方向へ傾いてしまった。 「ねぇ……ラザはどう思う……?」 「な、何が?」 「だから……私のこと」 甘い囁きと熱を帯びた吐息。普段のナギサからは想像出来ない、艶っぽい顔がそこにあった。 「いきなり……そう、言われても……!」 「……ふうん」 「なっ!?」 理由も分からない突然の彼女の変貌に取り乱したまま、ひたすら答える事を拒否し続けるラザ。 その様子に痺れを切らしたナギサは、気配を殺して寄り添うと、 「じゃあ……今考えて」 彼の頬骨を右手の指先でなぞりながら、そっと耳元で呟いた。 次の瞬間、ラザの白い顔は髪や瞳とは比べ物にならないほど真っ赤になった。 今朝の冷静沈着な彼と同一人物とは思えない反応に、 (わー……こんな顔見るのって、初めてかもしれ――――へ?) 原因を作ったナギサは嬉しそうな声を胸中で口にする。 だが、その直後――――突然肩を誰かに掴まれた。 周囲に気配は無い。自分と目の前で顔を赤くしている男以外には。 つまり、今彼女に触れる事が可能なのは、唯1人だけという事になる。 「ラ、ラザ……?」 おそるおそる顔を上げたナギサの前にあるのは――――これも初めて目にしたであろう真剣な赤い眼差し。 彼女は自分の頬と思考が、この上なく熱に浮かされているという事を一瞬で理解した。 (な、なな……何で意識してるのよ……私は……!?) だからこそ、今すぐ離れなければならない。 しかし、頭では分かっていても、身体を動かすどころか碧眼を逸らす事さえままならなかった。 「えっと、だな……」 「……な、によ」 ほんの少しナギサが爪先を伸ばせば、額同士がくっついてしまうほど近い距離。 互いの唇は震えた音色を奏でながら緩やかに上下する。 「ナギサは……普通に綺麗で……た、確かにちょっと無茶な所があると思う、けど」 「……うん……」 その時、ラザが静かに顔を右に向けた為、赤く長い髪が彼女の視界を柔らかく覆い尽くした。 動きに伴ったばさりという音は、決して大きいものでは無かったが、 (っ……!) ナギサの意識を覚醒させるには、十分過ぎるほどの力を持っていた。 ふと我に返った彼女は、すぐさまこの状況から抜け出そうと試みたが―――― 「けど……俺はそんな性格も含めて、悪くないと思う」 彼の唇が紡いだ予想外の言葉によって、再び意識を手放してしまった。 「……散歩にでも行って来る」 不意に微かな痛みを訴えていた肩が軽くなると、今度こそナギサは現実へと帰ってくる。 どうやらラザは彼女の身体を少しだけ押して、更に自分自身も遠ざかったらしい。 「え? あ、うん……いってらっしゃい」 戸惑いながらも状況を把握し、引きつった笑顔で見送るナギサ。 2つの碧眼が最後に捉えたのは、かきあげた髪の隙間から一瞬だけ見えた――――真っ赤な左耳だった。 少し耳障りな音を立てて閉じられた木製の扉。 「……何なのよ」 1人部屋に取り残されたナギサは、支えを失ったようにぺたんとその場に座り込んでしまうと同時に、 (慌てふためいて、案外可愛い所もあるかと思えば……) ラザの真剣そのものな表情と、耳を塞ぎたくなるぐらい恥ずかしい言葉を思い出した。 「どうして……どうして私は……」 例え一瞬でも――――心を奪われてしまったのだろう。 「違……っ! そんなの……有り得ない……!」 しかし、ナギサは自分の中に生まれた気持ちが声として紡がれる前に、激しく首を横に振って必死で否定する。 まるで一度でも口に出してしまえば、自分の負けだと言い聞かせるように。 「……あぁ、もう!」 彼女は零れ落ちそうな想いを抑えようと、乱暴にベッドへ潜り込むと、 「絶対……認めないんだから……!」 熱っぽい自分の身体を抱き締めながら、無理やり意識を闇の中へ放り投げるのであった。 ※後書き 2周年感謝SS第4弾です。 リクエストして下った方、ありがとうございました。 今回は「姐さんがラザをかっこいい、と思う話」という事でしたが……果たして彼はいい目を見れたのでしょうか(汗汗) 書き始めた当初は、あっさり進めれそうに思えたのですが、もう姐さんが勝手に動いて暴れて……(涙) 上手くリクエストにお応え出来ていれば良いのですが…… リノとトラッドは、基本的に分かり易くなります様に、と(祈るような気持ちで)意識して書いてるつもりですが、 姐さんはというと……多分、存在からして謎に包まれております(苦笑) それでは、リクエスト下さった方と読んで下さった方々と…… こっそりアドバイスを下さった某様(活かせなくて申し訳ないです……) 本当にありがとうございましたー♪ 目次へ
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