「記念日」


「お昼ご飯、出来ましたよー!」

 その日は真っ白な雲が多かった。
 だから、太陽は比較的隠れがちで、あまり強くない風でさえも涼しく感じられる。
 洗濯するには向かないかもしれないが、身体を動かすには最適かもしれない。

 丁度、太陽が頂点まで昇った頃だった。
 ヤヨイはまるで陽光のように明るい声でそう言いながら、元気よく走ってくる。
 艶やかな黒髪と大きな黒い瞳。
 頭には白いバンダナ、服は白と赤で、何処かジパングの巫女を思わせるものの、それにしてはラフ過ぎる造りのもの。
 その姿はリノたちと出会った頃と同じであった。

 しかし、今は共に旅をしておらず、ヤヨイはトバリというスーの村の老人と一緒に町を作ろうとしている。

 そんな彼女の両手にあるのは、黄色い布を被った木製のトレイ。
 おそらく中身は、言葉通り昼食なのだろうが、走っている所からするとシチューの類では無いようだ。
「お、嬢ちゃん、もうそんな時間か?」
「はい、フラックさん」
 振り向いたのは、薄茶色の髪と灰色の瞳を持つ、フラックという名の無骨な顔の男。年齢は大体30歳を過ぎた辺りだろうか。
 一見すると親子と思えなくもないが、それにしては話す言葉がよそよそしい。
 そして何よりも髪や瞳の色から、顔の造りまで、少しでも似ていると思える点が全くといっていいほど無い。
 後、もう1人は切り株に座り、羊皮紙と睨めっこをしているトバリ。
 彼は特に何も言わなかったが、何とも嬉しそうな笑みを浮かべている。
「お二人とも頑張るのはいいんですけど……少しは身体の事も気遣って下さいね」
 ヤヨイは何処か大人っぽく振舞いながら、仕方無さそうな笑顔でそう呟いた。
 とはいうものの、彼女もまだまだ子供っぽいので、可愛らしいという印象しか受けないのだが。
「というわけで、今日のお昼ご飯です!」
 彼女的には最後の一言で満足したのか、それとも話が上手く纏まったと思ったのか、勢い良くトレイを覆っていた布を取り去った。
「……あのなぁ、嬢ちゃん……健康を考えてくれるのは分かるんだが……」
「はい?」
 一方、本日の昼食と称された物体を目にしたフラックは、眉間に皺を寄せながら渋い表情で言葉を紡ぐ。

「その……酸っぱいのだけはどうにかならねぇか?」

 彼の灰色の瞳に映ったのは、丁度拳ぐらいの大きさの熱々おにぎり。
 以前、ジパングを発つ前に幼馴染みのモミジから貰ったもので、ヤヨイはリノたちと離れる時に分けてもらったのである。
 更にその後、彼女は週に一度キメラの翼でジパングへ行き、一日中仕事を手伝う報酬として米を貰っていた。
「ダメですよ。梅干は凄く身体に良いんですから。それに――――」
「それに?」
 ヤヨイは美味しそうにおにぎりを食べ始めているトバリを横目に、得意げな表情でこう断言する。

「最初は確かに慣れないかもしれませんけど、フラックさんもその内梅干無しでは生きられない身体になりますよ」

 ………………

 無邪気な少女は、その純粋さゆえに時として返答しようが無い言葉を口するものだ。
 例え、まだ短い間とはいえ、その事を十分に理解しているフラックは、おにぎりを手にとってしばし見つめた後、
「……いただきます」
 観念したようにそう呟き、勇気を振り絞って思いっきり頬張った。
 その後すぐ、再び渋い顔をしたのは――――言うまでもない。



 フラックは、元々旅の商人の護衛を生業としていた。
 だが、この場所でトバリと出会った彼は、自分が大工をしていた時の経験が役立つのではと思い、手伝いを申し出たのである。
 勿論、トバリの夢に感動したのは嘘ではない。しかし、彼は一つだけ条件を出した。
 その条件とは――――誰か協力者がもう1人見つかるという事。
 というのも、いくら腕っ節に自信があっても、それ以外は力になれないと思ったからである。
 だから、フラックは暇があればキメラの翼でここを訪れ、協力者が見つかったかどうかをトバリに尋ねていた。
 そうして先日、ついに協力者――――つまり、ヤヨイが現れた為、彼はここで暮らしながら町作りの手伝いを始めたのである。
「今は何を作ってるんですか?」
「まぁ、とりあえずは店だな」
「わー……あ、でも誰がお店番なんですか?」
「その前に商品も仕入れなきゃいけないから、まだまだ先の話だが……しばらくは嬢ちゃんにお願いしようと思ってる」
「分かりました!」
 仲睦まじくも真剣な2人の会話に耳を傾けながら、トバリはうんうんと頷きながらおにぎりを食べている。
 どうやら彼はフラックと違って、梅干は問題ないらしい。
「でも……」
「何だ、浮かない顔して?」
 その時、今までずっと楽しそうだったヤヨイの顔がパッと曇った。
「情けない話なんですけど……私、お金の計算って苦手なんですよ……」
「ふむ……これまではどうしてたんだ?」
「幸いにも親切な方ばかりで、お金を数える時は手伝って頂きました」
「……なるほど」
 ヤヨイは確かに道具に関する知識はあるのだが、さすが見習いというべきなのか、至らない点の方が多い。
 しかし、その点を含めても、フラックは彼女の事を気に入っていた。
「今のところ、解決策は思いつかないが、その時になれば他の方法も見つかるだろ」
 本音を言えば、彼も少し甘いと思っているのだが、それよりも大切に思う事がある。
「そう、ですか……?」
「ああ」
「……じゃあ、せめて他の事で頑張りますね!」
 すぐに満面の笑みに戻り、元気よくそう答えた後、おにぎりを頬張るヤヨイ。

 この裏表の無い純粋な心こそ、フラックが彼女を気に入っている一番の理由であった。

 知識やお金の計算は、自分の努力である程度までは補う事が出来る。
 だが、人柄はそうもいかない――――と、彼は考えていた。
 その点で言えば、ヤヨイほどの人材はいないだろう、とも。
「おう、頑張れ」
 フラックは彼女の頭を撫でながら、穏やかな笑みでそう告げる。
「わ……は、はい……」
 するとヤヨイは――――何故か頬を少し赤くしながら、震えた声で返事をした。
 まるで他の誰かを思い出すように、晴れ渡った空を困惑した瞳で見つめながら。


 数日後。いつものように昼食を取る3人。


「ヤヨイ、何かあった?」
 唐突にトバリは、妙にそわそわしている彼女に問いかける。
「……え? な、何も無いですよ?」
 対して、ヤヨイは黒い瞳に動揺を滲ませながら答えた。
「…………悩み事があるなら、相談に乗るぞ?」
 どう見ても、何かあるとしか思えない彼女の仕草に、フラックも心配そうに尋ねる。
 しかし、今度は何も言葉を紡がず、ヤヨイは慌てながら首を大げさに横へ振った。
 ここ数日の事――――彼女は空いた時間、何処かへ出かけては何かをしているようだった。
 気づいていながらもヤヨイを信頼する2人は、これまでは特に尋ねようともしなかったのだが、
「ほ、本当に何でもないんです。ご心配掛けて、すみません」
 ふと口にしたトバリの一言をきっかけに、その理由が知りたくなったのである。
「……何かあった時は早く言うんだぞ?」
「あ、はい」
 だが、当の彼女にそう言われてしまっては、無理に尋ねる理由も無い。
 そうして気まずい沈黙が流れる中、昼食が終わりかけた頃。
「あ、あの……お二人とも、明日はお時間ありますか?」
 今まで静かに、それでいてぎこちない仕草でおにぎりを食べていたヤヨイが、突然そう口にする。
「明日? 何だったら今でも大丈夫だぞ?」
 一瞬訝しげな表情を浮かべたフラックだが、すぐに言葉の意味を理解して、そう言った。
 もし相談事なら早い方が良い、という彼なりの親切心だろう。
「い、いえ! まだ出来てないので明日の方が……!!」
「……出来てない?」
「あ」
 彼女はトバリの疑問に、しまったという顔でわたわたと慌て始める。
 こういう所は本当に素直だと思いながら、フラックはただ言葉を待った。
「と、とにかく明日は大丈夫なんですか……?」
 取り乱しているヤヨイは不自然な口調で、話を無理やり元に戻す。
 きっと本人にしてみれば上手く誤魔化したつもりだろうが、残念ながらその効果は望めそうに無い。
「……まぁ、大丈夫だが……トバリ爺は?」
「問題ない」
 2人はそんな彼女に苦笑いを浮かべながらも、とりあえず本音を口にする。
「じゃあ……明日の昼食後でも良いですか?」
 そして間髪入れず時間の指定をしてくるヤヨイに対し、2人は疑問符を飛ばしながらも首を縦に振った。
「ありがとうございます! あ、私片付けしてきますね」
 何はともあれ、その答えに満足したらしい彼女はにっこり笑うと、バンダナの位置を少し直してから空になった食器を集め始め、危なっかしい足取りでその場を後にする。
「……何でしょうね?」
「わし、ヤヨイと同じ年頃の娘、いない。だから、分からない」
「それを言ったら、俺も同じですよ」
 取り残された2人は、遠くなっていくヤヨイの背中を見つめながら首を傾げるばかりだった。


 そして問題の日――――つまり、次の日はやってきた。


「で、何処に行くんだ?」
「着いてからのお楽しみです」
 トバリとフラックは、ヤヨイに手を引っ張られながら歩いている。
 先ほどから2度ほど行き先を尋ねてみたものの、彼女の返事は今と同じだった。
(……この方向はちょうど町の入口辺り、だな)
 やがて尋ねる事を諦めた2人は、繋がれた手を見つめながら、あれこれ考えるのを止めて大人しくついていく。
「……ん?」
 その時、フラックは町の入口である浜辺に見慣れない物が立っている事に気づいた。
 砂浜に深く突き刺さった木の棒。その上には同じく木製の四角い物体が、不恰好に取り付けられている。
「トバリ爺、あれは?」
「初めて見た」
 彼はすぐさま隣を歩く老人に問いかけるが、どうやら彼も知らないらしい。
 不思議そうな2人のやり取りを耳にしていたヤヨイは、くすりと小さく笑うと同時に手を振り解き、その場所へと駆け出した。
「実は……これなんです!」
 そうして辿り着いた彼女は、木で出来た何かを左手でそっと触れながら、空いた右手をぶんぶん振り回して2人が来るのを待つ。
「やっぱり町には、これが必要かと思って……でも、あんまり上手く作れなかったんですけど……」

 心なし足早になっていた2人の目の前にあったのは――――『町』と可愛らしい文字で描かれた看板であった。

「なるほど」
 トバリとフラックは一度目を丸くして驚いた後で納得する。
「でも、どうして内緒に?」
 しかし、フラックはすぐに感じた疑問をヤヨイに投げかけた。
「えっと……お話すれば、手伝わせてしまうんじゃないかと思ったのもあるんですけど……」
 彼女はそこで一旦言葉を切った後、恥ずかしそうにこう呟いた。
「……私も何か作ってみたかったんです」
 一瞬の間を置いた後、零れ落ちる笑い声。
 きっと今まで大工仕事などした事がないであろう出来栄えの看板。
 だが、それ以上にヤヨイの真っ直ぐな心が表れた魅力的な仕上がりだった。

 その時、いつの間にか近づいてきたらしい船から、1人の男が降りてくる。

「どうかしましたか?」
 気づいた3人の下へ走ってきたのは、深い青色の旅装束に身を包んだ、金の髪と緑色の瞳を持つ細身の青年。
 きょとんと尋ねるヤヨイに、彼は呼吸を整えながらも弾んだ口調でこう尋ねた。

「あ、あの……ここって町なんですか?」

 予期せぬ質問に呆然となってしまった彼女だったが、
「は、はい! 今はまだ作ってる途中なんですけど……ここは町ですよ!」
 初めての来訪者に満面の笑みを浮かべながら返事をする。
 すると青年は不安そうな表情のまま、
「……実は私、まだ独り立ちしたばかりの商人なのですが、ずっと落ち着ける町を探していたんです」
 突然、自分の置かれている状況を話し始める。
「ですが、まだまだ駆け出しの自分を受け入れてくれる町が中々無くて……それでよかったら――――」
「大歓迎です! こちらからも是非お願いします!!」
 先の言葉を読んだのか、それとも喜びが抑え切れなかったのか。
 ヤヨイは彼の言葉を遮るように、自分の想いを空中に響き渡りそうな大きな声で音にした。
 その後、ほんの少し驚いた青年だったが、すぐにその意味を理解して彼女の手をぐっと握り締める。

 これからもお願いします、という想いを込めて。

「嬢ちゃんの日頃の行いの賜物だな」
「うんうん。ヤヨイ、いい娘」
 2人の商人を微笑ましい眼差しで見つめるトバリとフラック。
 その時、ふとフラックは看板の奇妙な空白に気づくと、
「……町の名前ものんびり考えましょうか」
 澄み切った青空を仰ぎ見ながら、そう呟いた。
 するとトバリも彼と同じ行動を取り、嬉しそうに2度首を縦に振る。


 こうして、町に初めての住人が訪れたこの日は――――3人にとってかけがえの無い記念日となるのであった。



※後書き
 2周年感謝SS第8弾です。
 リクエストして下ったD(J)様、ありがとうございました。

 今回は『ヤヨイの町作りについてのお話』という事だったのですが、
 ラストのシーンのアイデアをD様より頂き、話がどんどこ膨らんでいきました。
 本当にありがとうございます!
 私にとってもそうなのですが、D様にとってもヤヨイは良い娘らしく、本当に嬉しく思います。

 一番悩んだのは、おにぎりと梅干です。どこから材料を調達しようかなぁ、と(笑)
 梅干自体は、本編終了後の話としてネタがあったんですけど、お米は……という感じでした。
 ヤヨイの梅干にかける情熱は、密かにお気に入りだったりします(笑)

 それではリクエストして下さったD様、読んで下さった皆様、本当にありがとうございました♪



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