「懐かしい記憶」


 更けゆく夜。それは身体を休める為に、または夢を見る為に眠る時間。
 同時にモンスターが活発に動き始める時間でもある。
 その事を考えると、夜に町の外へ出るというのは、決して賢明な判断ではない。
 だから旅をする人間は基本的に朝起きて、夜に眠るという規則正しい生活を送っている。
 しかし、必ずしもそうだとは限らない。むしろ、逆の方が多いぐらいで、野宿をせずに次の町まで辿り着けるのは稀だった。

「……囲まれたな」
「うん……」

 この日、リノたちは野宿をする事になった。
 しかも場所は森の中なので、視界も足場も悪い事だらけである。
 ただ不幸中の幸いというべきか、あまり深くはなかった為、月明かりは十分に届いていた。
 いつ雲に隠れてしまうかもしれない頼りない光。
 木々の隙間から夜空を見上げたトラッドは、雲が少ない内にと考え、リノと一緒に焚き木を集める事にした。
 だが、その帰り道――――2人は森を住処とするモンスターたちに囲まれてしまったのである。
 逃げ場は何処にも無い。出来るとすれば、それはモンスターを全滅させた時だけだろう。
 リノは足場を確かめるように軽く大地を踏み慣らすと、愛用の鋼の剣を静かに抜いた。
 トラッドも背中でそれを察すると、右手にナイフを3本、左手に鋼の鞭を取って身構える。
 そうして2人は、何の合図も無く互いに背中を預け合った。
 呼吸音をかき消す、無数のモンスターの蠢き。
 胸騒ぎと不快感が立ち込める森の中、
(……っ!)
 先に動いたのは、リノの正面にいた腐臭を放つ赤い狼――――デスジャッカルだった。
 彼女は咄嗟に間合いを測り、左足を一歩前に踏み出す。
 だが、デスジャッカルは警戒するどころか、返り討ちにしようと逆に勢いよく跳ねた。
(……来る……!)
 リノはまるでその動きを予測していたかのように、溜めていた右足で強く大地を蹴り、空中に身を躍らせる。

 瞬間、2つの影が交錯し、銀光が閃くと――――異形の姿をした狼は、胴体から半分に斬り裂かれていた。

 迷いも戸惑いも感じられない、彼女のあまりに美しい洗練された一撃。
(…………)
 横目で見ていたトラッドは、戦闘中にも関わらず、つい見惚れてしまった。
 胸中ですら、何一つ言葉を紡げないほどに。
 しかし、それは同時に――――彼らしからぬ隙が生まれるきっかけでもあった。
(何をして……!)
 眼前にあったのは、尻尾についた針でトラッドを貫こうとする毒々しい紫色の蜂、ハンターフライの姿。
 彼はリノを動揺させないよう、心の中で自分を叱責しながらも咄嗟に左手の鞭を振るった。
 もしこの時、手に持っていたのが剣やナイフなら、尻尾を斬る事が出来たのかもしれない。
 確かに鋼の鞭は、トラッドのイメージ通りにハンターフライの身体を絡め取ったのだが――――その勢いまで殺せなかった。
「くっ……!」

 何故、投げナイフとはいえ3本一緒に取り出してしまったのか。
 何故、反射的に振るってしまったのが、鋼の鞭だったのか。

 そして何より――――どうして戦闘の最中に、リノの姿に心を奪われてしまったのか。

 一つ一つを見れば些細な事でも、それが次々と連鎖すれば、結果的に致命的なミスへと繋がってしまう。
 迫り来る凶刃をトパーズ色の瞳で見据えながら、トラッドは今が正にそうなのだと気がついた。
 彼も鞭を振るった後の不十分な体勢から、可能な限りの力を込めて右足で強く大地を蹴りだす。
 だが、当然身体は思うように動いてくれず、
「……ぐ……っ……!」
 かろうじて直撃を避け、ハンターフライを倒す事は出来たものの、右肩が上がらなくなるほどの一撃を受けてしまった。
 最初にこうしていれば何も問題は無かったかもしれない、とトラッドは後悔する。
「トラッド……!」
 背中越しに異変を感じ取ったリノは彼の名前を叫ぶと、数匹のモンスターを剣のみで遠ざけ、すぐに駆け寄った。
 そしてすぐさま回復の呪文を唱えようと試みるが、好機と見て立て続けに襲い掛かってくるモンスターの群れを捌くのが精一杯で、とてもそんな余裕が生まれない。
(……どうする……?)
 苦しそうなトラッドの声を耳にしながら、リノはひたすら剣を振るう。
 だが、迷いを伴ったままでは、モンスターを倒すには至らない。
 そこで、彼女はわずかな間隙を縫って、深く深呼吸をすると、

「トラッド……私の事、信じてくれるか?」

 乱れていた構えを正しながら、そう問いかけた。
 不安げに揺れていたはずの黒い瞳は、もうはっきりと強い意思が宿っている。
 それを目の当たりにしたトラッドは、一瞬呆然となるが、

「……俺はいつだって――――リノの事、信じてる」

 怪我に苦しみながらも、普段と変わらぬ穏やかな笑顔でそう返事をした。
「じゃあ……少しだけ待ってて」
 モンスターの群れに囲まれている上に、ナギサとラザの助けも期待出来ない絶望的な状況。
 にも関わらず、リノは嬉しそうな笑顔で彼の言葉に答える。
(……何だか懐かしいな)
 肩の痛みも忘れ、トラッドはふと旅立つ前の事を思い出していた。
 それは、アリアハンの丘で初めて彼女と出会い、ナジミの塔でナギサと出会うまでのごく短い間の事である。
 結局、旅立ちの前夜まで会話は無く、その後も返ってくるのは素っ気無い言葉だけだったが、トラッドにとっては大切な想い出だった。
(でも……)
 あの時とは明らかに違う事もある。

 それはナギサやラザ、そして今は町作りに携わっているヤヨイという仲間が出来たという事。
 ずっと男だと思い込んでいたリノが、実は女の子だったという事。

 何より違うのは――――先ほどのように彼女が、時折笑顔を見せてくれるという事。

(最初は……驚いて眠れなかったっけ)
 俯いたまま、リノには見えないように苦笑する彼。頭に思い浮かぶのは、初めて笑顔を見たアッサラームの夜だった。
 どうにかトラッドが気持ちを抑えて、少しだけ顔を上げると、今も尚戦っている彼女の凛々しい横顔が、2つのトパーズ色の瞳に映る。

 まるで身体の一部だと勘違いしてしまうぐらい、鮮やかな軌跡を残す幾筋もの剣閃。
 ありとあらゆる角度から襲い掛かってくるモンスターの攻撃は、時に力強く受け止め、時に柔らかく身体を沈めて受け流していた。
 そして彼女はメラ系やギラ系といった、主に炎を伴う呪文を使うのだが、余波で森が燃えてしまわないよう、モンスターの至近距離で唱えている。
 視界も足場も良くない森の中でも、リノの一挙一動は普段と何ら変わりない、理に適ったものであった。

 だからこそ美しい、とトラッドは今更ながらに気がつき、ふとこう思う。

 それは、彼女のそんな動きを見るようになったのは最近――――正確にはランシールで再会を果たした後だという事だ。
 今までも決して不恰好というわけではなかったが、迷いや戸惑いといったぎこちなさが垣間見える事が多かった。
 おそらくリノが1人で旅をして、また出会えた時に何かがあった、と推測は出来るのだが――――彼は気づいていない。

 彼女が変わったのは、他ならぬトラッドに自分の罪を打ち明けたからだという事に。

「ベホイミ」
 その時、不意に柔らかな音色と光が彼に向けられた。
「……怪我、大丈夫?」
 続けて紡がれる、何処か申し訳なそうな声。
 驚いたトラッドが顔を上げると、そこには少しだけ呼吸を乱したリノの、心配そうな赤い瞳があった。
 どうやらモンスターの数が減った為、呪文を唱える余裕が出来たのだろう。
「ん……ああ、ちょっと他の事考えてたから、思ったより気にならなかったな」
「……他の……事?」
 それが何か分からず、不思議そうに尋ねてくる声に、彼はハッと我に返るが、
「あ、いや……そんな、大した事じゃないんだけど……」
 まさかリノの戦う姿に見惚れていたなどと言えるわけもなく、頬を赤くしながら、たどたどしい口調で誤魔化そうとした。
「でも……無事なら良かった」
 明らかにトラッドの態度は不自然だったが、彼女はあまり気にした様子も見せず、そう呟く。
 辺りが暗かった為、リノには彼がどんな顔をしていたのか分からなかった事と、不謹慎だが怪我をしていた事が幸いしたのである。
「……ありがとな」
 胸中に後ろめたさを残しながら、トラッドは彼女に礼を言うと、治ったばかりの右肩を軽く回しながら立ち上がった。
「……よし。早く帰って、食事の準備をしなきゃな」
 そうして回復具合を確かめた後、彼は地面に落としていた鞭とナイフを拾い、リノの強さに攻めあぐねていたモンスターの方を向く。
「……うん」
 彼女はまだ心配そうだったが、元気そうなトラッドの声に安心したのか、一度首を縦に振ると、すぐに剣を構えて走り出すのだった。


 ………………


 程なくして、戦闘は終わりを告げた。
 元々、リノだけでも十分圧倒していた上に冷静さを取り戻したトラッドが加わったのだから、当然の結果とも言える。
 彼女は赤くなった瞳に微かな疲労を滲ませながら、いつの間にか雲が多くなった空を眺めていた。
 そして彼はというと、少し霞んで見える月を、ただ静かにトパーズ色の瞳に映している。
「……焚き木は大丈夫みたいだな」
 その時、ようやくリノと2人でいる理由を思い出したトラッドは、自分の足元にある焚き木の山を見て安堵すると、せっせと拾い始めた。
 あの激しい戦闘中に何とも無かったのは奇跡のように思えたが、最初の一撃で彼が膝をつき、リノはそんな彼を守るように戦っていたのだから、そう考えてみれば有り得ない話ではない。
「……そういえば、トラッド」
 同じく焚き木を集めていた彼女は、ふと何かを思い出したような口調で話しかけた。
「ん? ああ、怪我なら大丈夫だけど?」
 それが肩の事だと思ったトラッドは、咄嗟にそう答えるが、
「それもだけど……そうじゃなくて」
 リノが尋ねたかったのは、その事じゃなかったらしく、少し間を置いてから、続きの言葉を紡ぐ。
「……さっきは何を考えてたの?」
「え?」
「他の事を考えてた、って言ってたから……何だろうと思って」
「……あ」
 それは戦闘中に自分が呟いた事だったのだが、当の本人は今の今まで忘れていたらしい。
 トラッドは瞬時に思い出すと同時に、頬を少し赤くすると、
「……えっと、だな……」
 照れの混じっている困った表情で、言葉を詰まらせた。

 ………………

 互いに何も言い出せないという、気まずい沈黙に緊張する2人。
 しかし、自分の言った何気ない言葉をリノが気にしているという事に、彼は責任を感じたのか、
「その……ちょっと昔の事を思い出してたんだ」
 相変わらず頬に朱を走らせたまま、意を決したように告白した。
「昔の事……?」
「ほら、リノと初めて会って……ナギサと一緒に旅をするようになるまでの事」
「……どうして?」
 彼女はトラッドがどうしてそういう考えに至ったのか、また何故照れているのか分からずに問いかける。
 すると彼は所在無げに視線を泳がせると、やはり恥ずかしそうにこう呟いた。

「珍しく2人だけでモンスターと戦ったっていうのもあるけど――――さっきのリノがかっこよかったから、かな」

「……えっ」
 緊張が伝わったのか、聞き慣れない言葉に戸惑ったのか。あるいはその両方か。
 リノは戸惑った声を紡ぎながら、きょとんとしていた。
「俺には剣や呪文の事はよく分からないけど……それでもリノの動きって、凄く綺麗だって思ってた」
「……綺麗?」
「ああ。時々――――」
 しかし、トラッドはそこで口を噤んで、口元に掌を当てる。
「時々?」
「……あ、いや、何でもない」
「…………そうなの?」
 先ほどとは少し異なった疑問の色。
 彼は取り乱しながら言葉も無く、ただこくこくと頷いた。
(……さすがに見惚れてたって言ったら、さっきの事気にするよな……)
 例えトラッドに非があっても、心優しい彼女は自分を責めてしまう。
 そう考えた彼は、咄嗟に話題を変えようと、何処かぎこちない笑顔で口を開く。
「でも、最初は大変だったな」
「え?」
「どれだけ話しかけても、素っ気無い返事しか返ってこなかったから……嫌われてるのかと思ってたぐらいだし」
「そんな事――――」
 慌てて否定しようとするリノだったが、その言葉を遮ってトラッドは話を続けた。
 驚くほど幼く見える、悪戯っ子のような笑顔で。
「まぁ、あれはあれで結構楽しかったけどな」
「え……」
 彼女は普段あまり見せないトラッドの無邪気な顔に、不意を突かれて言葉を失ってしまう。
「よし……これで全部か」
 そうして丁度焚き木を集め終わり、彼が立ち上がった時――――

「……今、は?」

 俯いたままのリノが、震えた声で唐突にそう呟いた。
「え?」
 何の事か分からず、トラッドが問い返すと彼女はようやくわずかに顔を上げて、はっきりと問いかける。
「……今は、どう……思ってるの……?」
「…………え、っと」
 一見すると何と言おうか迷っているような間だったが、彼の頭にはすぐ閃いた言葉があった。
 それはとても短く、今までにも何度か呟いた事がある単語。
 だが、その時の彼はまだリノの事を男だと思っていた。

 つまり、女の子だと知った後に告げるという事は、少し特別な意味を持つ――――そんな響きの言葉だった。

「……特に何とも思ってない?」
「い、いや……そういうわけじゃ、ないんだけど……その……」
 気づけばいつもの深い黒に戻っていた彼女の瞳は、この上なく不安げに揺れている。
 その事を察したトラッドは、慌てながら否定しながらも、今度こそどう言おうか迷っていた。
 ふと気づくと、リノは上目遣いで一心に彼の瞳を見つめている。
 トラッドの足は、自然と一歩、また一歩と彼女へ歩み寄っていた。
 そうして互いに手を伸ばせば、背中に回せそうなぐらい距離が近づいた時。
「……リノ」
「う、うん……」
「俺は……リノの事……」
「………………うん」
「可愛――――」

 と、彼が素直な気持ちを告げようとした瞬間――――

「えいっ」

 弾んだ声と共に、何処からともなく飛んできたハリセンが見事頭にヒットした。

 森中に響き渡るのは、悲しくも耳に馴染んでしまった音。
 綺麗に真横へ倒れたトラッドは、頭をさすりながらハリセンを投げ返そうと試みたが、
「探し物はここよ」
 不思議な事に、ハリセンは今投げつけた声の主、ナギサの手元に戻っていた。
「どうだった? 新しく考えたハリセンブーメランの破壊力は?」
「…………」
 しかし、彼からは何の返事も無い。
「あら、あまりに斬新過ぎて言葉も出ないの?」
 それを前向きに解釈したナギサは、ぱあっと顔を輝かせるが、
「……言いたい事が多すぎて、混乱してるだけじゃないのか?」
 後ろからついてきていたラザに、そう言われてしまった。
 だが、ナギサは人差し指を唇に当てて考え込んだ後、
「つまり……それだけ凄いって事よね、うんうん」
 やはり深くは考えようとせず、1人で納得する。
「……それで、どうしてここに?」
 ようやく我に返ったリノは、森の奥から現れたナギサとラザにそう問いかけた。
「どうしても何も……2人の帰りが遅いから、面白そ……じゃなくて、心配で駆けつけてきたの」
「…………そう、なんだ」
 今、彼女が言いかけた事が気になったのか、それとも別の理由があるのか、リノは頬を膨らませながら返事をする。
「でも……物騒な事になってたみたいね。リノちゃん、怪我は無い?」
 ナギサは辺りを見回した後、彼女の頬に付いた返り血を手の甲で拭いながら優しく尋ねた。
「え? あ……私は大丈夫だけどトラッドが――――」
「まぁ、トラッドなら心配しなくても大丈夫よね」
 対してリノは、彼が傷を負った事を告げようとしたが、彼女は笑ってパタパタと手を振ると、言葉を遮る。
「……大丈夫だったか?」
「…………たった今、心が傷ついた以外は」
 そんなやり取りを聞いていたラザが、不憫そうに彼の肩を叩くが、返ってきた言葉は憔悴しきっていた。
「さて……何はともあれ食事に……と言いたい所だけど」
 トラッドの反応に満足したナギサは、そう呟いて歩き出そうとしたが、何を思ったのかリノの耳元に唇を寄せると、
「……さっき、2人で何を話してたの?」
 そっと囁くように声を潜めて、悪戯っぽい口調でそう尋ねた。
「……な……何でもない」
「そう? にしては顔が赤いけど?」
 すると、リノはますます頬を赤くして、珍しく乱暴に彼女を振り払うと、
「ほ、本当に何でもないから……!」
 酷く取り乱した様子でそう言って、足早に歩き始める。
 そんな彼女の背中を、意味ありげな笑顔で見つめながら、後ろについていくナギサ。
 トラッドは不思議そうな顔だったが、ラザには何の会話か想像がついたらしく、ため息を吐いていた。


 食事の準備の為に、元いた所へ歩き出す4人。その先頭を歩くリノは――――


(……トラッド、何て言おうとしたんだろ……?)


 靄のかかったような気持ちを抱き、熱くなった自分の顔を手で扇ぎながら、忙しなく足を動かすのであった。



※後書き
 2周年感謝SS第10弾です。
 リクエストして下ったくるみ様、ありがとうございました。

 今回は『リノがかっこいい盗勇バナシ』という事でしたが、いかがだったでしょうか?
 なるべく可愛く書いてあげようと普段から意識しているせいか、かっこいいリノというのが戦闘シーンしか出て来ませんでした(汗)
 そして最後は……やっぱりこんな風に……申し訳ないです(汗汗)

 実はトラッド、剣にちょっと憧れてるっぽいです(笑)
 なので、いつもはそうでもないですが、いざリノ1人が戦ってる姿を見ると、こうなってしまうわけで……
 多分、それ以外にも理由はあると思うんですけど、本人はそうだと信じ込んでいます(笑)
 本当に……彼は何処まで鈍いんでしょうねぇ(何)

 それではリクエスト下さったくるみ様、読んで下さった皆様、ありがとうございました!



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