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青空が果てまで冴え渡る、正しく快晴と呼ぶに相応しい、ある日の午後。 ベッドに陣取ったトラッドが、半ば趣味と化している道具整理に勤しんでいると。 「ん?」 こんこん、と短く。木製のドアが唐突に囁いた。 「はーい、どーぞー」 誰か来た。宿の人間だろうか。一旦は首を傾げるものの、それ以上に疑問は覚えず。 ともあれ平和を謳歌していた彼は、暢気に間延びした声で入室を許可した。 その直後。わずかに開いたドアから、ひょっこり顔を覗かせたのは―― 「リノ?」 「……う……うん」 よく見慣れた一人の少女だった。 (……あれ?) ただ、いつもと違う。どこがどうとは言えないが、何となく。 「どうかしたのか?」 まるでリスかハムスターみたいな動きだ、などと思いつつ、トラッドはここへ来た用件を尋ねた。 「えっと……今、忙しい?」 「いや、特には」 「で、でも道具整理……は?」 「え? ああ、時間を潰してただけで、もう終わってる」 しかし、彼女は忙しなげに瞳を動かしたり、問いかけを繰り返すだけで、何故か部屋に入ってこない。 やっぱりおかしい。 「……とりあえず、中に入るか? 立ち話もなんだし」 もしかすると、何か悩み事を抱えており、それで相談しに来たのだろうか。 段々心配になってきたトラッドは、手早く道具を片付け始め、彼女を招き入れようとした。 「あ、あの……」 だが、リノは部屋に入ってこない。 「ん?」 「…………笑わない?」 どころか、今まで以上に妙な質問まで投げかけてきた。 トラッドは数秒ほど考え込んでみるが、やはり意図が掴めない。 「えっと……努力する」 それでも分からないなりに、精一杯の回答を口にした。何もかもが曖昧な状況で。 一方、彼の真っ直ぐな返答を受けたリノが、諦めたように。 「ん……じゃあ」 もしくは、どこか心待ちにしていたように、姿を見せた瞬間。 「……え?」 部屋の中に天使が舞い降りた――気がした。 「どう、かな?」 艶やかに流れる黒髪。少し潤んだ黒の瞳。透き通った白い肌。 しかし、頬はうっすら桜色に上気させている少女。 そんな彼女が身に纏っている服は――――真っ白い、積もりたての粉雪にも似た、純白のワンピースだった。 彼女にしては珍しいものの、形自体は有り触れたもの。一応、肩紐と裾にフリルも付いているが、ほんの少しだけ。何とも控え目な服である。 とはいえ、だからこそ。この上なくリノに似合っていると言える。 「トラッド?」 返事はない。 「あの……おかしい?」 「へ?」 目を見開いた彼の、ひっくり返った声が響いた。 「……ううん。私がこんなの、やっぱり――」 その後、トラッドはようやく我に返り、 「違――これは……っ!」 雑音が混じる思考の中、強引に言葉を遮った。 だが、こんな状態で説得力などあるはずもない。現にリノの表情も沈んだままだ。 そう気づいた彼は、すぐさま続けた。 「い、今のは……何て言うか……」 「…………うん」 たどたどしく、途切れ途切れに。付け加えると、真っ赤な面持ちを下に向けて。 「その、驚いただけで」 「どう……して?」 「……凄く…………似合ってる、から」 「えっ……」 すると、今度はリノが俯いた。先ほど以上に朱が濃くなった顔で。 更には小走りでトラッドに近づくと、 「……嬉しい」 弾んだ声を紡ぎながら、ふんわり身体を寄り添わせた。 「すごく……すごく…………うれしい」 彼女が繰り返し囁く度に、熱い吐息が零れ落ち、彼の首周りを温める。 「リ、リノ?」 伴って、とくん。とくんどくん、と。彼の鼓動が激しく、早くなっていく。 自分が自分じゃない錯覚。かろうじて余力のあった思考は、敢えなく漂白の一途を辿る。 が同時に、強く芽吹いた気持ちも、たった一つだけあった。 それは――この少女を想う、名前も知らない感情。心地良くもあり、切なくもある。矛盾した心。 「……リノ」 トラッドは熱っぽく呟いた。衝動に突き動かされるように。 そして、ゆっくり両腕を伸ばしたのだが、 「ご……ごめん……!」 身体が包み込まれる前に、彼女は慌てて遠のいた。 「あ、いや……うん」 刹那、今度こそ現実へ帰ってきた彼は、戸惑った様子で首肯する。 「でも、急にどうしたんだ?」 更に動揺を隠すように、ふとよぎった疑問を口にした。 彼女は何故、旅装束以外の服を着たのだろうか、と。 例えばの話。ナギサなら分かる。漠然とだが。何せ好奇心が旺盛で、誰か――主にはトラッド――を困らせて楽しむような性格だ。ドレスでも着た日には、嬉々として姿を現すだろう。 が、リノは違う。決して無関心ではないものの、ナギサほど顕著ではなく。しかも、恥ずかしがり屋だ。確かに女の子らしい服に憧れている節はあったが、自ら袖を通すとは考えにくい。 それでも、良い傾向ではある。と、彼は胸中で喜びつつ、現状に至るきっかけを尋ねた――つもりだったのだが。 「見て欲しかった、から……トラッドに」 「……へ?」 少女の返答は、推測など到底叶わない、自分が知る世界の外側に位置していた。 「俺に……見せるため、に……?」 不意を突かれた彼は、念のための確認を試みるが、リノはこくんと頷くだけ。 「それは嬉しいけど……どうして?」 「…………」 しかし、核心を突く質問を前に、彼女はまた俯いた。かと思えば、顔を少し上げて、 「……言わなきゃ、ダメ……?」 頼りなげな音色で、おずおずと呟いた。 正直、可愛い。 わずかに潤んだ上目遣いが。相変わらずの赤い顔が。熱を帯びた声が。 どうしようもなく、可愛い。 「無理にとは、うん」 その気持ちを押し隠して、トラッドは首を横に振る。 「じゃあ……ナイショ」 対して、ウインクで返すリノ。 (……あれ?) 見慣れない仕草に、彼は違和感を覚えたが、 (いや、気のせいか) すぐに忘れてしまう。この愛らしさの前では、些末事に過ぎなかったのだ――あくまで、今は。 トラッドはリノに手を引かれ、外へ出る事にした。 「今日は……涼しい」 「ああ、風が気持ちいい。絶好の散歩日和だな」 目的はない。町の喧噪に漠然と身を投じるだけの、つまりは散歩である。 「う、うん。でも、散歩っていうより……その」 「ん?」 ただ、そう思っているのは彼だけで。彼女の捉え方は少し違う。 「な、何でもない」 もちろん、口にはできないが――これが、デート、などとは。 だが、際限なく込み上げ、抑えられそうにない嬉しさは。 「……トラッドっ」 「え? わ……」 柔らかに折れた腕を絡ませる、という大胆な行動を、リノに踏み切らせた。 それでも決心に至るまで、一時間の時を要したが。 ともあれ、トラッドは動揺した。 服を着ていても分かる、素肌の感触。おもむろに浸透していく温もり。そして、ほのかに鼻腔をくすぐる甘い香り。 彼女が普段、旅装束によって覆い隠している全ての要素に。成す術もなく。 (……でも) しかし、彼は冷静さも損なっていなかった。少女の涙に我を忘れ、幾度となく抱き寄せてしまった過去があるというのに、だ。 (これは……なんだ?) そう。先刻も覚えた違和感が、未だに脳裏の片隅で残響しているのだ。 いくらトラッドが女性を苦手とし、リノが女の子と知ったばかりとはいえ。 確かに時々は緊張するものの、こういった感覚に陥る事は、まず皆無と言ってもよかった。 じゃあ、何故――などと、彼が思い悩んでいると。 「……迷惑、だった?」 彼女は顔を曇らせ、恐る恐る問いかけてきた。どうも思考が表に出ていたらしい。 「えっと……そういうわけじゃ、なくて」 かといって、何と言えばいいのか。悩みがカタチを変える。 胸中に向こう側を見通せない霧がくすぶり始めた。いや、一層濃くなったというべきかもしれない。 当然、悪意はなかった。むしろ、彼女をいつも大切に想い、注意を払っているからこそ、芽生えた疑問なのである。 「少し……休もうか?」 が、リノに気を悪くした様子はなく。どころか、気遣うように前方を指差す。 彼が顔を上げると、先には小さな公園があった。陽光を受け、とりどりに変化する草木が美しい。そんな公園。更に観察すると、木々たちの長と呼べそうな大木の下。明瞭な木色の長椅子が、のんびり誰かを待ちぼうけしていた。 場所としては申し分ない。加えて言えば、外へ出て一時間が過ぎた辺り。どちらの点においても、休息にはちょうどの頃合いだろう。 「……そうだな」 罪悪感を覚えながらも、トラッドが頷くと、 「うんっ」 リノは素早く身体を離し、無邪気に駆け始めた。 「あれ……?」 実用性重視の蒼い旅装束を纏う、黒髪の少女が一人。 見慣れた銀糸にふと気づき、こちらを見つめていた、とは気づかずに。 ささやかに積もった落葉を払い落とし、長椅子へ座った二人は。 より優しくなった風と、豊饒な緑の合唱に心身を委ね、 「落ち着いた?」 「……ああ」 ぽつぽつりと音色を交わし合っていた。 二人の間隔は、ごくわずか。無造作に置いた掌三つ分と言ったところ。 初々しさともどかしさ、一抹の寂しさが同居したような距離。 「ホントに?」 リノの唇は、言葉を変えて同じ質問を繰り返す。 「ああ、もう大丈夫」 一方のトラッドは、言葉を足して同じ返事をする。確かに彼の言う通り、声は普段の落ち着きを取り戻していた。 察したリノは、ゆっくり近づいていく。気づかれないよう、慎重に。 そして、掌一つ分ぐらいまで距離が縮まった後、 「……よかった」 彼の右肩に、ころんと頭を預けた。 伴って、真っ直ぐな黒髪が頬を撫でた――刹那。 (ああ、そうか) トラッドは今更ながら気づく。彼女が部屋を訪れ時に覚えた違和感。その正体を。 大抵は適当に整えられている黒髪が、丁寧で滑らかに梳かれているのである。 だから、いつもと違う印象を受けたのだ。そう理解した彼は、細い双肩に両掌を置き、 「……リノ」 冷静な声と共に少女を遠ざけ、深刻な面持ちで続けた。 「やっぱり、何か悩んでいるのか?」 「……悩み? それにやっぱりって……?」 「うん……今日のリノ、いつもと違うから」 すると彼女は、驚きを露わにする。というより、酷く焦燥しているようだった。 例え、トラッドの言葉が予想外としても、不自然なほどに。 「えっと、これは……その……」 その指摘に、リノが困惑に瞳を揺らしていると。 「トラッド?」 「え?」 今、正に聞いている声がもう一つ、背中からも響いてきた。 慌てたトラッドが、間髪入れず振り返った先には、 「リ……ノ……?」 まさか、と思いながらも、間違えるはずのない。見慣れたリノの顔があった。 いや。素っ気ない旅装束姿や梳かれていない黒髪、比べれば分かる雰囲気の違いからすると、突然現れた少女の方が少女らしい。ならば、眼前のワンピースを着ている彼女は誰なのか。 と、警戒心と安堵をない混ぜに、彼は戸惑っていたのだが、 「こんなところで何を…………え?」 「……全く」 答えはすぐに示された。 前触れもなく、今まで一緒にいたリノが、ポン、と煙に包まれたかと思えば。 「いつから気づいてたのよ?」 金髪に碧眼、お馴染みのウサギ耳を携えた美女、ナギサが姿を現したのだ。 「え、わ……っ!?」 完全なる不意打ちに、後退り過ぎたトラッドは、長椅子から転がり落ちた。 常ならリノも、すぐさま彼を起こそうとするだろうが、驚きに固まったままである。 「モシャスよ。ほら、よくアーニーが使ってるでしょ?」 そこでナギサは悪びれる様子もなく、あっけらかんとタネを明かした。 「ああ、なるほ――って、違う!」 しかし、我を取り戻したトラッドは、一瞬流されそうになりつつも怒声を返す。 その答えは違うのだ。彼が知りたい事とは。 「俺が聞きたいのは……だな」 「なによ?」 「その……」 とはいえ、結果も分かり切っていた。 彼の聞きたい事――どうしてリノの姿で、それもあんなに可愛らしい格好で表れたのか――と問えば。 「面白そうだから」 と返すに決まっているのだ。この悪戯をこよなく愛する彼女は。 おまけに今は本物のリノもいる。先ほどは思わず勢いで口走りそうになったが、 (さすがにちょっと……うん) もし口にすれば、彼女と気まずくなってしまうだろう。 要するに初めからナギサを反省させるなど、不可能だったのだ。 「ほーらほらー、早く言ったらー?」 「ナギサ……本当は分かって……!」 「あーら、何のことかしら?」 「っ……!!」 それを理解しているからこそ、ナギサは極めて楽しそうに、彼を掌で踊らせる。 が、それも束の間。彼女は急に真顔になると、 「で……いつから気づいたの?」 再び最初の質問を投げかけた。さも面白くなさそうに。 「一応……部屋を出る直前……」 「そんなに早く?」 「……何となくだけどな」 「ふぅん……さすがね」 そして何故か感心。さっぱり理由が分からない。 しかし、ナギサは満足げにリノへ微笑みかけた後、トラッドの耳元に顔を寄せ、こう囁いた。 「その鋭さに免じて、さっきまでのことはナイショにしておいてあげる」 妙な寒気を促す、含みしかない音色で。艶っぽく。 「いきなり何を、って……ナギサ!」 真っ赤な顔で反論を試みるトラッド。 「あ、折角だし、二人でゆっくりしてきたら?」 「……は?」 「うんうん、それがいいわね。私はもう十分に楽しませてもらったし」 「ちょっと待て! 話はまだ――」 「ふふふ。それじゃあ、ねっ」 だが、ナギサはまるで取り合わず、ウインク混じりに神速で去っていった。 「…………」 残された彼は頭を抱える。 まずは、リノにどう説明すべきか、という差し迫った現実と。 (また……また弱みを握られた気がする……) 苦難に満ちていそうな、正直考えたくもない未来について、切実に。 「……トラッド?」 同じく取り残されたリノは、事情が飲み込めずにきょとんとするだけであった。 そんなこんなで 「とまぁ……そういうわけで……うん」 落ち着くまで数十分の時を要したものの、トラッドは何とか無事に説明を終えた。 「トラッドも……騙されたんだ」 対して、リノの反応は驚きでも怒りでもなく。意外にも呆れだった。 「ということはリノ、も?」 「う、うん」 つまり、ナギサがモシャスで誰かを騙すのは、これが二回目。ならば、巧妙で手慣れているのも。また、リノが珍しく呆れているのも、頷ける話である。 「全くアイツは……」 現に彼の声も、ため息で埋め尽くされていた――のだが。 「……ん?」 「なに?」 その時、はたと疑問が浮かぶ。それは。 「リノの時は誰の姿だったんだ?」 という事。警戒心の強い彼女が、簡単に騙されるところが想像できないのだ。 半面、ナギサなら可能にしかねない、とも思ってはいるが。 「それ、は……えっと……」 「リノ?」 「…………」 それでも、彼女に言えるはずがない。何故なら、答えの人物は――今、リノの正面にいるのだから。 「……分かった。聞かないことにする」 結局、複雑な心境だけは察したトラッドの一言で、この話はそれっきりとなった。 が、次の瞬間。 「えっと……リノ」 彼は立ち上がると同時に顔を逸らした後、ゆっくり右手を差し出す。 「トラッド?」 「その……ナギサに言われたからじゃない、けど」 「けど?」 そして、数秒の間を置いた後、意を決し告白した。 「もし、リノがよければ……一緒に散歩、しようか……?」 今想っている、ありのままの気持ちを。耳まで真っ赤に染めながら。 つられて、頬に朱を走らせたリノは、突然の申し出に俯き惑う。しかし、すぐさま顔を上げると、 「私でよければ………うん」 指をぎこちなく絡ませ、嬉しそうに立ち上がった。 こうして二人は散歩を始めたのだが。 あまりに居心地が良かったからなのか。それとも、互いが自然に思っていたのか。 ずっと手を繋いだまま――すっかり離すのを忘れていた。 と、気がついたのは。陽が落ちて、宿に戻ってからの事であった。 ※後書き というわけで、3周年感謝リクエストSS第三弾をお送りしました。 リクエストして下さった方、ありがとうございました! 今回の内容は、 『ナギサのモシャス話リノVer。13章後。白いワンピースを着てトラッドに会いに行ってほしいです』 というもので……驚きました。 まさか、モシャス話(30000HIT感謝SS)のリノVerを、リクエスト頂けるとは思ってもいなかったので。 しかも白いワンピースまで……! も、もしや、後書きやら日記で呟いている私の趣味を考慮して下さったのでしょうか?(汗汗) 本編の都合上、白いワンピースは中々書けないので……本当にありがとうございました。 で、ですが……上手くお応えできたでしょうか……?(汗) 時期的には、ランシールでヤヨイと別れたぐらいです。 地名は出してませんが、公園の描写は、一応私のランシール像を意識しております。 ちなみにタイトル「雪色の罠」は、まんま白いワンピースとモシャスからです。 もしくは雪=リノ、罠=ナギサっぽいかなぁ、と。 後、これは余談ですが、前回の「イタズラ」から「罠」に変えたのは、 文中の「モシャスで騙すのは二回目だから、巧妙で手慣れてる」的な部分を意識してのものだったりします。 トラッドには気づかれかけてますが、確実にイタズラ以上のレベルと思うので(笑) ともあれ、素敵なリクエストをありがとうございました! ※ブラウザバックでお戻り下さい |