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その日のナギサは、ご機嫌だった。それはもう、この上なく。 一体、どのくらい機嫌が良かったのか。少し例を挙げてみると。 例えば、天気。太陽を包み隠す雲もない青天の晴天。 溜まりに溜まった洗濯物の乾きが早く、予想外にも一日で片付いてしまった。 そのおかげで余った時間は、愛しい人と有意義に過ごす事ができた。 というぐらいに。 例えば、犬の散歩中。急に走り出す愛犬。 慌てて後を追いかけてみると、ワンちゃんは何故か地面を掘っていた。飼い主は、身体を洗うのが大変、という理由で止めたのだが、何とこの忠犬。幼い頃に主人が埋めて忘れたままの宝物を掘り当てたのだ。 そうして、在りし日の思い出に浸り、幸せな一日を過ごす事ができた。 というぐらいに。 兎にも角にも、ナギサは普段以上に機嫌が良かった。 しかし、自分でもピンとこない例えが浮かんだトラッドは、こうも思う。 洗濯物は量に違いがあっても、毎日必ず出てくる物。 在りし日の思い出は、きっかけがなければ日々に忙殺され、何日も浸れない物。 つまり、気まぐれな彼女の機嫌も、保って一日が限界ではないか、と。 考えてみると、存外的を射た例えかもしれないが、それはもはや些末事である。 (…………うん。今日は大切に過ごそう) とにかく、平和の尊さを痛感したトラッドが、そう心に強く誓った時。 「トラッドー、紅茶淹れたわよー……はいっ」 鼻歌混じりでヒールを鳴らすナギサが、丸テーブルに湯気が昇るカップを二つ置いた。 「えっと……うん、ありがとう」 彼は今、リノとナギサが泊まる部屋にいる。眼前の彼女に誘われたのだ。 よかったら紅茶でも一緒にどうか、と。 (……どういう風の吹き回しだ?) が、トラッドは訝しんでいた。何せ、夕食後に全員で付き合った事はあっても、改めて誘われたのは初めてなのだ。無理もない。 「さささ、どうぞどーぞっ。ここのは凄く美味しいんだから」 「えっと……それじゃあ」 とりあえず、彼は勧められるままに一口飲んでみた。 一抹の胸騒ぎと、片隅で山積みとなっている紅茶袋への疑問を押し隠したまま。 「……美味しい」 しかし、直後。不安も疑問も忘れて、思わず舌鼓を打ってしまった。 芳醇な香りを一切損なう事なく内包した味、とでも言うのだろうか。とにかく絶品だったのだ。 「でしょ?」 自慢げに問う彼女の声。トラッドは頷き、察する。この場において、警戒心を抱くのは無粋である、と。 「……何かいいことでもあったのか?」 そこで、すっかり緊張の解けたトラッドは尋ねた。いつもなら顔を合わせれば、容赦なくハリセンを振るうはずなのに、と胸中で苦笑しながら。 「あら、どうして?」 「その……珍しいから」 「あ、そっか。こうしてトラッドと紅茶を飲むなんて、初めてよね」 一方のナギサは、幸いにも彼の本心に気づかないまま、 「うん、実はね――」 やはり嬉しそうに今日の出来事を話し始めた。間違いなく誰もが見惚れるであろう、極上の笑顔で。 ところで本日、リノたちはダーマに滞在していたのだが。 一人、早めの朝食を済ませたナギサは、キメラの翼でロマリアに飛んでいた。 というのも、ロマリアの城下町には、彼女が足繁く通う場所があるのだ。 「いらっしゃ……おっ、ナギサ姐さんじゃないですか!」 「久しぶりね。元気だった?」 「そりゃあもう……と、言いたいところなんですが……」 「何かあったの?」 「いえいえ。しばらく姐さんの顔を見てなかったもんで、ガラにもなく寂しがってたところです」 「あら、それは悪いことしたわね」 「なんのなんの! 今、姐さんのお顔を拝見した瞬間、そんな気持ちも何処かへ旅立ってしまいましたよ!」 「ふふふ……相変わらず、お上手なのね」 「ありがとうございます!」 威勢の良い声で話す、お調子者の男店主。 「さて、どうしましょうか?」 「えっと……」 明度を抑えた木目が、シックに彩る内装。 メイド服を身に纏い、シックに佇む女性。 「もちろん、いつもの――」 芳醇豊かな香り漂う、居心地の良い世界。 「――いつもの紅茶もご用意してますよ?」 そう。ここは紅茶を専門に取り扱う店であり。 「じゃあ、一つ貰おうかしら」 全てが全て、ナギサの最も気に入っている空間であった。 「旅は順調ですか?」 棚整理に勤しむメイド――店主の奥さん。それも、落ち着きのある美人――と会話を弾ませつつ、 「ええ。それに最近は、紅茶に付き合ってくれるヤツもいるしね」 店内をぐるぐるりと、巡りに巡るナギサ。 「あらあら、恋人さんですか?」 「まさか。単に付き合いが長いだけの仲間よ。な・か・ま」 「でも、お嫌いではなさそうですね?」 「……………………まぁね。いきなり薪は飛ばしてくるし、無愛想で何考えてるか分かんないし、髪を括る条件は未だに不明だし、実は悪戯好きなとこがあるし……その上、鈍感で女の子を見る目もないんだけど……一応、悪いヤツじゃないし」 そんな酷い返答に物静かなメイドが、ふふっ、と意味ありげな笑顔を浮かべた瞬間。 「ナギサ姐さん」 ゆるりと歩み寄ってきた店主が、不意に呼びかけた。ただし、普段の打てば響く元気の良さがない。 「悩みごとでもあるの?」 一早く察したナギサは、半ば確信した言葉を持って尋ねる。 彼はしばし驚き、束の間躊躇うものの、 「悩みとは違うんですが、もし……もし、よかったらなんですけど」 やがて、おもむろに話し始めた。 「一度、うちで働いてみませんか?」 「…………へ?」 ナギサですらきょとんとしてしまう、予想外の申し出を。 そして、数十分後。 「えーっと……おかしく、ない?」 店の中には、メイド姿の女性が一人増えていた。しかも、右手にハリセン、頭にウサギ耳を装備したメイド。世界広しと言えど、こんな奇妙な組み合わせを好む上に、メイド服が似合う女性は唯一無二。 もちろん、ナギサである。 ただ、初めて袖を通した類の服であるらしく、表情には不安を滲ませている。 しかし、依頼した張本人と、その妻にとっては、それこそ吹けば飛ぶような心配だったらしい。 「……いえいえ! 間違いなく似合うとは思ってたんですが……!」 「このまま……いっそ、このまま永住して頂きたいぐらい、似合い過ぎですっ!」 現に、先ほどから拍手の大嵐と落涙の豪雨を交え、感激に浸り切っている。言うまでもなく、呼吸はぴったり。一見すると対照的な二人だが、やはり結婚に至るほどの共通点はあるようだ。 「と、とにかく、店先で売るのよね?」 その状況下。困惑と動揺を隠せないナギサは、早々に話を進めようとした。 「あ、はい」 答えたのは、瞬時に平静を取り戻した妻。 驚くべき、切り替えの早さだが、 「そうですね……一刻も早く、この素敵なお姿を皆様に披露しなければいけませんし」 情熱もちゃっかり残っている。今も末も恐ろしい女性だ、とナギサでも思わずにいられなかった。 ちなみに、ナギサも最初は断ろうとした。 いつもお世話になっている。とはいえ、だからこそ万が一にでも迷惑はかけられない。 と、謙虚に考えた上で、結論を下した――のだが。 「お礼と言っては何ですが、好きな紅茶を一袋差し上げますから」 「……え?」 「売れ行きが良ければ……うーん……最大で七袋! これでどうですか!?」 「大船に乗ったつもりで、私に任せて下さい」 そんな経緯を経て、店前に小さな長方形テーブルと紅茶の袋を並べる三人だが、 「でも……本当に私の自由でいいの?」 ナギサにはまだ不安の種があった。 「はい、全て姐さんにお任せします!」 それは、説明と制約がない、という事。 色々と希有な経験を積んだ彼女だが、商売に手を出した過去はない。 しかも、お金の受け渡し程度では済まず、ある意味では店を任されたとも捉えられる現状。 「私たちにとっても、初めての試みだから気軽に、ね?」 一応、二人はこう言ってくれたものの、荷が重い事に変わりはなかった。 しかし、それも些事に過ぎない。 例え、初めてだろうと。 例え、荷が重かろうと。 決して、不可能と同意ではないのだから。 もう一つ、付け加えると。 いつもお世話になりっぱなしの、他ならぬ二人からの依頼。 理由はどうあれ、引き受けた以上は少しでも恩返しがしたい。 とも思っていた。 よくよく考えてみれば、絶好の機会なのだ。 ならば、ここで不安に支配されるという選択肢は、まず有り得ない。おまけに、らしくもない。 「とりあえず……始めましょうか」 などと、ナギサが気持ちを確認する内に、準備が終わり、二人が店へ戻った頃。 ふと呟いた彼女は、適当にウサギ耳を整え、決意を改めたが、 (やっぱり簡単じゃないわよね) 店先に立っただけでは、そうそう注目を集められない。数人の目は引いていたが、あくまで数人。ごく少数。目標の達成には、どうにも心許ない。 「……こほん」 が、思案にも暮れないナギサは咳払いを一つ落とし、右手を振り上げた後。 すぱぁん――と、手首を効かせて。 ハリセンとテーブルを、賑やかに合唱させた。 初瞬、紅茶袋が浮いた。 終瞬、紅茶袋が落ちた。 更には間隙を縫って、まばらに歩く人たちの視線が、すわ何事かっ、と一斉に集約した刹那。 「あ、さて! お天道様のお膝元、町往く紳士淑女の皆々様……寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」 流暢に怪しい言葉遣いで、ここぞとばかりにナギサも切り出したが、 「……とまぁ、堅苦しい挨拶はさておいて、っと」 続きまでは浮かばなかったらしく、すぐさま常の口調に戻る。 しかし、そんな胸中は微塵も明かさずに。 「たった今、私の前には紅茶がたっくさんあるわけだけど……はい、そこの貴女!」 びしぃ、と一人の女性通行人を、指ではなく、ハリセンで指し示し。 「は、はいっ!?」 「ええ。紅茶について、何か思うところはないかしら?」 愛くるしいウインクを交えて、いきなりな質問を丸投げた。 「ケ、ケーキに合う、のみも、の……?」 「ふむふむ……じゃあ、次は貴方」 「ぇえ!? えっと……なんとなく敷居の高い感じがする飲み物、かなぁ……?」 惑う人々にお構いなく、彼女は問いかけを続ける。 「ほうほう……じゃあ、次は――」 何もかもにお構いなく、自分のペースに巻き込んでいく。 そして、一回り。また一回り、と。 合わせて二回りほど、群衆の規模とざわめきが大きくなった頃。 再び、ぱしぃん、と。今度は伸びやかに清々しい音色が、空に吸い込まれていく。 伴って、善良なロマリアの方々は、あっという間に静まり返った。意識はナギサに注がれたままで。 「まずは皆様。お忙しい中、不躾な質問にお答え頂き、誠にありがとうございます」 それを素早く確認した彼女は、深々とお辞儀をしたが、 「でも、紅茶の効能は、それだけってわけでもないの」 何の前触れもなく一変すると、不敵でありながらも艶のある声で語り始めた。 「まずは、疲れが取れるという点ね」 だが、既に聞き入っている民衆は、誰一人として口を挟まない。 「確かに睡眠と同じくらいじゃないけど……例えば、お仕事を円滑に進めるには、丁度いいわね」 話は続く。 「そして、美容と健康。この二つにも効果があるわよ。私も紅茶を飲むようになってからは、風邪一つ引いてないしね」 「え?」 「ホントに!?」 「そういえば、このお姉さん……細くて、綺麗」 黄色い声が幾つか上がった。主に、美容、の部分に反応して。 「ふふっ、ありがと。まぁ、私はともかくとしても……美の女神として広く知られるイシスの女王様さえ、毎日紅茶は欠かせないそうだから……確かな話には違いないでしょ?」 実際のところ、ナギサも見た事はない。しかし、庭園には紅茶を楽しむセットがあり、ほのかな香りも漂っていた。その記憶から、密かに確信を得ていたのだ。鋭い観察眼もさることながら、咄嗟に生かせるというのも、恐ろしい才能である。 「ええーっ!?」 「わ、わたし、買います!」 「私も私もー!」 ともあれ、黄色い声を半ば叫びに変えて、女性客が殺到した。 その騒ぎを聞きつけた店主と妻は、大慌てで手伝い――間髪入れず、紅茶は残り半分となった。 更に驚くべきは、まだ終わっていない、という事。 誰も彼もが、今か今かと待ち侘びているのだ。ナギサの話を。 「え、えっと……じゃあ、最後にもう一つだけ……といっても、これは私の感想なんだけど」 予想外の反響に戸惑いつつも、彼女は更に続けた。 「紅茶って、不思議な飲み物だと思うの」 まるで時間が止まったかのように、町は静寂に身を委ねている。 「ミルクや砂糖、レモンを加えて味が変わるだけじゃなく…………食事と同じで誰かが一緒だと、いつもより美味しく感じたり」 ふと、赤い髪を持つ彼の顔が思い浮かんだ。 「それに、何となく穏やかな気持ちになれるような気もする、から……その……」 動揺したナギサは、振り払おうとするあまり、思わず言葉を詰まらせる。 しかし、一度だけ深呼吸をした後、彼女ははっきりと呟いた。 「ケンカした時は、仲直りのきっかけになるかもしれないし……そうやって過ごした時間は、きっと――素敵な想い出になるかな、って……私は思うの」 珍しく、両の頬をほんのりと。初々しい桜色に染めて。 だから、部屋に紅茶が沢山あるのか、と。 「なるほど……で、結局どれくらい売れたんだ?」 ようやく理解したトラッドは、とりあえず結果を尋ねてみる。 「完売よ。お店の紅茶も、殆ど残らなかったわね」 「……凄いな」 そして、素直に感心もするのだが。 「後、握手まで求められたわよ。それも老若男女問わず」 「…………そうか」 何とも彼女らしい顛末に、苦笑いもしていた。 一方、終始楽しげな様子で話していたナギサだが。 (よし……気づかれて、ない……?) 最後の部分に関しては、つい早口で、事実のみを伝える簡潔な物言いになってしまった。 性格上、言えるはずもない。無論、悟らせたくもないはずなのだ。 一緒に紅茶を飲む機会が増えたとはいえ、何故か彼の顔が浮かんでしまった、などとは。 それでも念のため、と。ナギサが表情を窺ったところ、 「……でも、最後のは、何となく分かる気がする」 トラッドは察しているのかいないのか、よく分からない感想を返した。 「なに、が?」 上擦った声を上げ、思わず碧眼を見開いてしまうナギサ。 「ほら、誰かと一緒だと紅茶が美味しくなる、ってとこ……俺も似たような感じだから」 だが、続けられた言葉からすると、どうやら気づいていないらしい。 トラッドはつくづく鈍い。救われたのが事実だとしても、呆れてしまうほどに。 「そうなの?」 ともあれ安堵し、瞬く間に冷静さを取り戻したナギサは問いかけた。 「一人で旅してた頃は……そういうの、忘れてた気がするんだ」 「何を?」 「誰かと食事するのは、楽しくて美味しい、って気持ち」 「……もしかして」 そこで一旦、トラッドは言葉を切ると、 「ああ。リノと旅を始めてからだな……また食事が楽しくて美味しくなったのも。色々な料理に挑戦したくなったのも」 少し照れた表情で、心から嬉しそうに呟いた。 「……そっか」 その時、ナギサは不意に席を立ち、紅茶が置いてある部屋の片隅へ向かう。 「ナギサ?」 当然、意図が掴めない彼は首を傾げた。 しかし、微塵も気にせず、紅茶を拾い上げた彼女は、 「はい」 ただ呆然と座り尽くしている彼の前へ、それを置いた。 「えっ、と?」 「トラッドのことだから、紅茶も淹れられるんでしょ?」 「……まぁ、一応は」 「だから、幸せのお裾分け。早速、リノちゃんと一緒に飲んできたら?」 「あ……」 「リノちゃんも喜ぶと思うし、ねっ?」 本当に珍しい――そんな一言すら思う事もできず。 「……ありがとう」 代わりに、真っ直ぐナギサを見据え、密やかな声で礼を告げた。 「じゃあ、紅茶も飲み終わってるみたいだし……いってらっしゃい」 「え? だったらナギサも――」 「私はいいわよ。それに、実はお昼寝しようと思ってたから」 少し残念そうな顔をするトラッド。だが、彼女は一仕事終えたばかり。疲れているのも、頷ける話だ。 「あ、そっか……うん。じゃあ、おやすみ」 納得した彼は、ナギサが見送る中、紅茶を持って部屋を出た。 「うん、おやすみ。誘ってくれて、ありがと」 そして、一人残された彼女はというと。 「……今は、ちょっと理由が違うと思うけど」 呆れたように呟いた後、紅茶のお代わりを準備し始めた。 ちなみに、以降。この紅茶専門店が大繁盛したのは、言うまでもなく。 それどころか。 ここロマリアに『ひとときのティータイム』を楽しむ習慣が根付いたのであった。 ※後書き 三周年感謝リクエストSS第四弾を、無事にお送りしました。 長々と掛かってしまい、申し訳ございません……(涙) リクエスト頂いた内容は『1st。トラッドとナギサでハリセンが飛ばない話』との事でしたので、 珍しくトラッドが無傷です。むしろ、奇跡です。リクエストして下さった方に、感謝の気持ちで一杯です! ただ……書き上がってから、気づいたのですが(汗) もしや、ハリセン自体が皆無、という話をお求めだったのでしょうか(汗汗) 間違ってたら、誠に申し訳ないです……!! さて。今回のSSについてですが……ハリセンから連想した『叩き売り』に挑戦してもらいました♪ 店主と妻も含めて、楽しく書かせて頂きました。 後、メイド服に関してですが……これは完全に勢いで。 何となく浮かんでしまったので、ついつい書いてしまったのです。 姐さんなら何でも似合う、と溺愛しているのも大きな理由ですが(笑) ちなみに私的コンセプトは『普段と違う話なので、普段と違うテイストで書いてみよう』です。 ただ……実際できているかは、難しいところなんですけど(汗) リクエストを下さった方、本当にありがとうございました! ※ブラウザバックでお戻り下さい |