「お互い様な三人」


 東の空には、どんよりとした灰色の雲が広がっている。
 今の所はまだ太陽が出たり隠れたりしているが、いつ雨が降り出してもおかしくない。

 そんな不安定な天気だった。

 ここはバハラタの宿屋。
 ダーマに滞在していたリノたちだったが、旅の準備の為に昨夜から泊まっていた。
「あのねぇ……言いたい事があるなら、はっきり言ったらどう?」
 食堂が昼食の準備に追われている頃、とある一室から苛立った声が響く。
「…………別に何もない」
 少し間を置いた後、返事をしたのは長い赤髪を持つラザ。
 彼の目の前には、眉間に皺を寄せているナギサがいた。
「何もないんだったら、どうしてそんな顔してるのよ」
「生まれつきだ」
「…………もういいわよ!」
 先ほどから幾度となく形を変えて繰り返される質問と返事。
 だが、少しも話が進まない事に痺れを切らしたナギサは、きつい口調でそう言って部屋を出た。
「……本当に何もないんだが」
 呟いたラザは、自分の言葉の過ちに気付く。
(いや……何も言えないだけ、か)
 誰もいなくなった部屋には、ラザのため息だけが虚しく零れ落ちるのであった。


 原因は朝食の席での事。


 ふとナギサが顔を上げた瞬間、ラザが目を逸らしたのが始まりだった。
(……私、何かしたかしら?)
 彼女も最初から怒っていたわけではなく、ただほんの少し気になった程度である。
(それとも……)
 しかし、身に覚えがない事と、これまでの自分の態度から次第に疑問が大きくなっていく。
 その時、ふと彼の普段の行動を思い出した。
(そういえば昔から、ラザってあまり私と目を合わせないわね……)
 一度も、というわけではないが、そういう時は大抵余裕のない時だ。
 それはナギサにとって、一度と数えることができない。
(……後で話してみようかしら……)
 彼女は紅茶を口に含みながら、密かにそう決意したのだった。


 一方、その時のラザはこんな事を考えていた。
(やっぱり……まだ緊張する、か……)
 買い物に同行したいと言ったのは彼自身。自分でもよく言えたと思う。
(多分、ナギサは気付いてるんだろうな)
 そこで初めて分かった事だが、彼女の洞察力はかなりのものである。
 目を合わせれば、自分が心に秘めている感情を知られてしまう、もしくはすでに知っているのかもしれない。
 そう思うと、どうしても目を合わせることが出来なかった。
(でも……さすがに聞けないな)
 周りに悟られぬよう、ラザは胸中でため息をつくと、食事を再開するのであった。


 朝食を終えた後、リノとトラッドは買い物に出かけた。
 いつもより早く出かけるのは、ここの所ダーマにずっといた為、必要な物が沢山あるかららしい。
 それを良い機会だと思ったナギサは、思い切ってラザの部屋を訪ね、現在に至るというわけである。



 ラザは落胆の色を浮かべながら、紅茶を飲みに食堂への階段を下りる。
(えっと……)
 それから空いている席を探す為に視線を巡らせると、見慣れた人物がケーキを食べていた。
「あ、ラザさんだー」
「……ヤヨイ?」
 何をしているのだろう、という感じに、彼は白いバンダナを巻いた少女の名前を呼ぶ。
 それを受けてヤヨイはわずかに顔を上気させながら、嬉しそうにフォークを持った右手を振っていた。
「………ついさっき食べたばかりじゃないのか?」
「甘い物は別腹なんです」
 少し呆れたラザの口調に対し、彼女は何故か得意そうな顔で断言する。
「ラザさんも食べません? 凄く美味しいですよー?」
「……遠慮しておく」
 ヤヨイの屈託の無い笑顔に、彼は罪悪感を覚えながらも断り、席へ着いてからウェイトレスに紅茶を注文した。
「リノとトラッドは?」
「今、買い物に行ってます。何でも遅くなるそうですよ」
 言われてラザは、今朝そう聞いたのを思い出した。
 それを今まで忘れていたのは、それどころじゃなかったからかもしれない。
「……ナギサは?」
 次に彼は、少し間を置いてから問いかける。
 少なくとも宿屋の中では見ていないので、外に行ったのだと推測出来るのだが、行き先までは分からない。
 だが、返事はすぐになかった。代わりに聞こえてきたのは、ヤヨイの小さなため息。
「……どうかしたのか?」
「あ、いえ……ナギサさんは外に行ったと思うんですけどー……」
「けど?」
 答え辛そうな表情だったが、ヤヨイは深呼吸をしてからこう答えた。
「多分……二人の様子を見に行ったんじゃないかな、って」
「……それが?」
 ラザはヤヨイとナギサのどちらの思考も読めずに首を捻る。
 だが、すぐに何かが一本の線で繋がり、納得した声を上げる。
「…………なるほどな」
「そうなんですよー……って、ラザさん……もしかして気づいてますー?」
 その問いかけに、彼は神妙な面持ちでこくりと頷いた。
 口にはしていないが、彼女が言っているのはリノの性別とトラッドが知らないという事だろう。
 だからナギサは、そんな二人の様子を嬉々として見に行ったに違いない、というのも考えられた。
 そう確信した上で、ラザは昨日リノに聞いて教えてもらった事も話す。
「……どうして気づかないんでしょうねー……」
「信頼してるからこそ、考えもしない……悪いことではないと思うが」
 ケーキと紅茶を目の前に、二人して唸り声を上げる姿は何と奇妙であった。
 その時、ふとラザはヤヨイの顔を見て、察する。

(……そんなに暑いか? それにこんな話し方ではなかった気が……)

 今までははっきりと見ていなかったので気付かなかったが、彼女の顔は少し火照っているようだった。
 例えば酒を飲んでいたり、大声で叫ぶほど話が盛り上がっているのなら、おかしくはない。
 しかし、これまでに交わした会話は興味深い内容ではあるものの、そこまでではないはずだった。
 気にかかったラザは、ヤヨイにバンダナを取ってもらってから、一礼した後で額に掌を当てる。
「わー……ラザさんの手、冷たくて気持ちいいですねー……」
 彼女の声と顔は、妙に熱っぽかった。
 訝しげな顔のまま、彼は自分の額にも掌を当て、こう呟く。
「……熱があるんじゃないか?」
「…………へ?」
 遅れたテンポで問い返すヤヨイ。
 そこでラザは、彼女の口調もおかしかった事も納得する。
(……間違いないな)
 出会ってそれほど時間が経つわけではないが、今の話し方と自分の印象が全く違うのは分かった。
 ラザはまだ湯気を立てている紅茶をそのままに席を立ち、ヤヨイの細い腕を掴む。
「……ラザさん?」
「少し横になった方がいい」
 その一言で彼女も体調がおかしい事を自覚したらしく、首を縦に振ってから素直に従った。
「でも、ラザさんって凄いですー。私、全然分からなかったですよ?」
「……今度からは気づくようにな」
 呑気な質問に彼は呆れた口調で答えながら、ヤヨイを背中に乗せて部屋まで運ぶのであった。



「ほら」
 ラザはヤヨイをベッドに寝かせ、水で濡らした布を彼女の額に置く。
 一瞬、彼女はその冷たさに顔が強張らせるが、すぐに気持ち良さそうな表情を浮かべた。
「……ごめんなさい。折角のお休みなのに……」
「気にするな。それにちょうど暇を持て余してたから」
「でも……」
「それよりも早く治るよう、ゆっくり休め」
 自覚したせいか、それとも申し訳ない気持ちからなのか、ヤヨイはいつもの口調に戻っている。
 ラザには特に何かをする様子はなく、時折布を交換するぐらいだった。

 やがて窓の外にあった太陽が頂点に昇り、すっかり見えなくなった頃。

「あ、あの……」
 何かを言いかけたヤヨイが少しだけ咳き込んだ。
「……薬でも飲むか?」
「…………苦いのは好きじゃないんですけど」
 ラザがテーブルに置いた瓶の蓋を開けると、彼女は本当に嫌そうな顔を浮かべている。
 先ほどケーキを食べていた事からも、ヤヨイは女の子らしく甘いものが好きなのだろう、と思った。
「そう言うと思って、甘いのを選んでおいた」
「ホントですか!?」
「ああ、ほら」
 身を乗り出してきたヤヨイに、彼はスプーンに乗せた薬を差し出す。
「蜂蜜から作られた薬だ。これなら飲めるか?」
「はい!」
 彼女はその香りを楽しんだ後、キラキラした瞳で喉をこくんと鳴らして飲む。
「凄く美味しいです……もう一杯飲んでもいいですか?」
「一応、薬だからな。今ので止めた方がいい」
 ラザはコップに水を注いで、残念そうな様子のヤヨイに手渡す。
 彼女は横になったまま、器用に飲み干した後、あっと声を上げて急に飛び起きた。
「そういえば……」
 そしてテーブルに置いてあった道具袋の中をがさごそといじり始める。
「どうした?」
「はい、確かマスクが……ありました!」
 心持ち元気な声と共に取り出されたのは、金色に輝く鳥のくちばし。
「これを付けると、何でも運が良くなるらしいんです」
「それは分かったが……本当にマスクなのか?」
 ラザの疑問には答えず、背中を向けて、いそいそと身につけるヤヨイ。
「……できました!」

 そう言って彼女が振り返った時、幸運のくちばしは――――頭上から伸びていた。

「ヤヨイ……付ける場所が違うぞ」
「…………あれ?」
 鳥のくちばしもマスクも普通は口にある物だ。
 にも関わらず、ヤヨイは帽子のように被ったまま、きょとんとしていた。
(熱のせい……なのか?)
 ラザは胸中でそう呟くが、今一つ自信が持てなかったが、どちらでも良いのですぐに忘れる事にした。


 それからもしばらく、ヤヨイは袋の中から色々な道具を出しては何かをする。
 ラザは、その度に彼女を寝かせて毛布をかけていたが、愉快な空気に次第に笑顔を見せ始めていた。
「後、これはですね……」
 何度目かのお披露目。これ以上は、と思ったラザはさすがに彼女を止める。
「ヤヨイ……そろそろ休んだ方がいい。薬を飲んだからといって、すぐに治るわけじゃないからな」
「……でも」
 彼女は道具袋を枕元に置くが、中々横になろうとせず、浮かない表情を見せていた。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
 心配になった彼は、空いたグラスに水を注ぎながら尋ねる。
 するとヤヨイは弾かれたように顔を上げ、真剣な眼差しで言葉を紡いだ。

「ラザさんは……大丈夫なんですか?」

「え?」
 看病しているはずの相手に言われ、不意を突かれた彼はグラスを渡すのも忘れて問い返す。
「気のせいだったらいいんですけど……元気がないように見えて」
「…………」
「それにさっき、ナギサさんのことを訊く時も……」
 ラザは平静を装っていたつもりだった。
 例え顔に出ていたとしても、ほんの少し――――そう思っていた。
 だが、彼はこれまでのヤヨイの行動を思い返してハッとなる。
「もしかして……励まそうとしてくれたのか?」
 よく考えてみれば、熱があるのを分かっていながら、元気に振舞おうとするのはおかしい。
 しかし、彼女が気付いていたのなら、辻褄が合う。
 ラザの胸中を察したのか、ヤヨイは何処か申し訳無さそうに頷いた。
「……気づかなくて悪かった」
「そんな……謝らないで下さい。私が……そうしたかったんですから」
 だが、励ませなかった事が悲しいのか、彼女は暗い表情で俯いてしまう。
(……本当に、良い娘なんだな)
 彼は、この純粋で心優しい少女の頭をそっと撫でた。
「……ありがとう」
「え? 私、何もしてませんよ……?」
「いや……」
 気難しそうなラザの顔がふっと笑顔になる。
「おかげで、こうして……また笑えるようになったからな」
「……元気、出ました?」
「ああ」
「…………良かったです」
 顔を上げたヤヨイの表情には――――太陽のような笑顔が戻っていた。



 それからラザは、大人しく横になったヤヨイと互いの旅の話をしていたが、 「よし……ケーキでも買ってくるか」
 区切りの良い所で会話が途切れると、そう言いながら立ち上がった。
「ホントですか!?」
「何か食べたい物はあるか?」
 その問いかけに、ヤヨイは真剣な顔で考え始める。
 おそらく頭の中には様々なケーキが浮かんでいるのだろう。
「えっと……チョコレー……でも、苺も……うーん……どうしよ」
「じゃあ、その二つを買ってくる」
 悩んでいる彼女が面白いのか、ラザは笑いながらそう告げた。
「わー……ありがとうございます!」
 心から幸せそうなヤヨイの声を背に受けながら、彼は部屋を後にした。


「さて、と……」
 部屋を出て、ケーキ屋の場所を宿屋の主人に尋ねようと歩き始めた時。
「……良いとこあるじゃない」
「ナギサ……」
 正面には、今朝喧嘩をした金髪の彼女が立っており、相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべている。
「ついてきてもらっていい?」
「え?」
「ケーキ。買いに行くんでしょ?」
「……聞いてたのか」
 ナギサは顔を逸らしてから、こう返事をした。
「…………入るに入れなかったのよ」
「それは悪いことをしたな」
 いつもの彼女なら怒鳴り返してもおかしくない。だが、次に紡がれたのは逆の言葉だった。

「……私こそ、さっきはごめん」

「…………え?」
 喧嘩の事、というのは分かる。しかし、ラザには謝られる理由が分からない。
「本当はラザが、私とあまり目を合わせないのが気になっただけだったの」
「あ……」
「それで尋ねようと思ったのに……あんな風に言っちゃったから」
 謝るには勇気がいる。過去にそういう想いをしたラザには、それがよく分かった。
 それに今の話からすると、やはり原因は自分の曖昧な態度にある。
「ナギサが謝る事じゃない。悪いのは……俺だから」
 その言葉を聞いた瞬間、ナギサは顔と口調をがらりと変えて振り返った。
 当然、そこに先ほどまでのしおらしさは微塵も無い。
「……じゃあ、お互い様?」
「まぁ……そういうことになるな」
 逆にラザは呆れた口調で、返事をした。
 本心には違いないが、こういう時の彼女には逆らわない方が良い、という気持ちもあったからだ。
「上手く纏まった所で……行こっか?」
「……ああ」
 仲直り、というには以前よりも柔らかくなった雰囲気。
 二人は心なしか弾んだ様子で、止めていた足を動かし始める。


「ところで……」
「ん?」
 宿を出て、しばらく歩いてからの事。
「ヤヨイちゃんに変な気起こさなかったでしょうね?」
「……病人だぞ」
 すっかりいつもの調子に戻ったナギサに、ラザはついため息を零す。
 そもそも、先ほどの様子の方が珍しいのだから、悪い事ではないのだが。
「もし、病人じゃなかったら?」
「……それでも同じだな」
 うんざりしたような一言に、ナギサは何故か眉を顰める。
「ヤヨイちゃん、可愛くないの?」
「そうは言ってない」
「……じゃあ、何よ?」
 一向に緩みそうにないナギサの追求。
 ラザは高度の下がり始めた太陽を見ながら呟いた。

「……他に気になる奴がいるからな」

「…………え?」
 しかし、声があまりに小さかったせいか彼女には聞こえなかったらしい。
「それより行くぞ。ヤヨイも楽しみにしてるだろうから」
「ちょっと、今何て――――」
 聞こえない振りをしながら駆け出すラザと追いかけるナギサ。
 そんな2人の頬を、冷気を帯びた風がすり抜けていく。


 ラザはその時初めて、空が晴れ渡っている事に気が付くのだった。




※後書き
 30000HIT感謝SS第2弾です。
 時間的にはまだラザが仲間になる前で、ダーマ滞在中の頃のお話のつもりです。
 多分、矛盾は無いはずなのですが、もしあっても見逃して下さい(汗)
 初の組み合わせだと思われる、ヤヨイとラザの2人ですが、
 実は結構お気に入りだったりします。仲の良い兄妹という感じで。
 でも、最近ヤヨイがやけに鋭くなってきているような気が……

 ちなみに友人の「ヤヨイがうっかり金のくちばしを頭に乗せる」という一言から出来上がりました(笑)
 本当に感謝ですー♪



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