「手の込んだイタズラ」


「ふわぁ……」

 霞がかった空の下。ナギサは窓から差し込む太陽の光で目を覚ます。
 少し気だるそうに身を起こすと、乱れた金髪を一旦整えようと手を伸ばした。
「…………あ」
 だが、彼女の指は呟きと共にぴたりと動きを止める。
(……またいきなりね)
 何の前触れもなく頭に浮かぶのは、何かの呪文。
 これは今に始まった事ではないので、さして珍しいわけでもない。
 もし戦闘中なら、色々と知恵を絞ってどうにか活かそうとするが、
(お休みなのに……それもこんな呪文、どうやって使うのよ)
 今日は特に必要が無いのである。そんな時、決まってナギサはいつもため息をつく。
「……とりあえず顔でも洗おうかしら」
 戻しかけた指で金髪を玩ぶと、彼女は冷えた部屋の空気に身体を震わせた。
「…………あ!」
 しかし、ナギサの頭にある考えが浮かぶ。この呪文を最も効果的に使う考えを。
「ふふふ……昨日飲ませた甲斐があったわね」
 そして、この上なく幸せそうな顔のまま、当初の目的である顔を洗いに浴室へと向かうのだった。



「リノ」
 朝食を終え、部屋に戻って剣の手入れをしようと考えていたリノを誰かが呼び止める。
「……トラッド?」
「おはよう」
 振り向いた先にあったのは、銀髪にトパーズ色の瞳を持った彼の爽やかな笑顔。
「ああ、おはよう……もう大丈夫なのか?」
「え?」
 とりあえず挨拶を返すリノだが、すぐに表情を曇らせる。
 だが、トラッドには身に覚えがないらしく、疑問符を浮かべながら彼女の前に立ち止まった。
「いや……昨日ナギサに飲まされたから、今日は寝てるって……」
 それで彼は朝食の席にはいなかった。
 だからリノは看病も兼ねて、部屋にいようと思っていたのだった。
「え? あ、ああ……それならもう大丈夫だ」
「ならいいけど……どうかしたのか?」
 何処となく不自然なトラッドに違和感を覚えたリノだが、いつもの無表情に戻ると呼び止めた理由を尋ねる。
「あ、いや……これから何かするつもりだったのか?」
「剣の手入れ」
「じゃあ、さ……」
「何?」
 きょとんとした顔で次の言葉を待つ彼女。
 トラッドは一呼吸を置いてから、少し恥ずかしそうにこう告げた。
「……これから散歩に行かないか?」
「え?」
 唐突な一言に驚いたのか、リノは不思議そうな表情で聞き返す。
「だから散歩。一緒に行かないか?」
「……何か買う物でもあるのか?」
「そういうわけじゃないけど……ただ」
「ただ?」
 リノは彼の意図を探ろうとするが、結局言葉を待つしか出来ずにいた。
 そんな迷いに気付く素振りも見せず、トラッドはこう告げる。

「リノと二人で散歩に行きたいな、って」

「……え」
 それが二人っきりという意味なのは、さすがのリノでもすぐに分かった。
 今までも幾度となくそういう事はあったが、全て買い物の時だけである。
「迷惑か?」
「あ、いや……そうじゃないけど」
 こんな風に目的もなく、彼から誘ってきた事は一度も無い。
 言われ慣れない言葉に、リノは早まる心臓を押さえながら首を縦に振る。
「じゃあ、早速行こう」
「…………うん」
 いつもより少し元気に見えるトラッドの笑顔に、リノはたった一言しか返す事が出来なかった。



 外に出ると、辺りの店から威勢の良い声が飛び交っており、町の人々は買い物を楽しんでいる。
 どうやらこの町は、活気に満ち溢れるのが早いらしい。
「何処か行きたい所ってあるか?」
 落ち着かない雰囲気の中、トラッドは宿屋を出てからすぐにそう問いかけた。
「……思いつかない」
 だが、リノの頭には何処の景色も浮かんでこない。
 普段からそうには違いないが、今はただでさえ緊張している。
 そんな状況なので、彼女に答えられるわけがなかった。
「じゃあ、適当に歩こうか? 散歩だから、目的もないしな」
「……任せる」
 だが、彼は全く気を悪くする様子も見せず、それどころか優しく微笑んですらいた。
(トラッドはいつも通りなのに……)
 ただそれだけの事だったが、リノには彼がまるで違う人間に見えてしまう。
(……どうしてだろ)
 しかし、少しも嫌な気はしない。むしろ、違う一面を見せるトラッドから目を離せない自分がいた。
「リノ?」
「あ……え、っと……何?」
「どうしたんだ、ボーっとして?」
「……べ、別に」
 リノは名残惜しさを感じる心に戸惑いながら、どうにか顔を逸らすと足早に歩き出す。
「…………」
 彼女の急な変わり様に、トラッドは一瞬妙な表情を浮かべるが、何事もなかったかのようについていった。


 そうして二人が辿り着いたのは町の中心で、より多くの人間が密集している所。
 互いに相手の姿を確認しながら、何とか隙間を縫って歩くものの、一向に前に進まない。
 その事に焦っているのか、トラッドはわずかに早口でリノに話しかけてきた。
「リノ……手袋外してもらっていいか?」
「え? あ……別にいいけど」
 リノにはその意図が分からなかったが、信頼している彼の言葉に素直に従うと、
「……え?」
 太陽の光に晒された彼女の右手が不意に掴まれた。
 その先にあったのは――――同じく手袋を外しているトラッドの左手。
「ト、トラッド……!?」
「ん? ああ、これなら大丈夫だろ?」
「そ、そうだけど……!」
 しかもそれだけでは物足りないのか、彼は自分の指をリノの指に絡めてくる。
「あ……」
 より一層伝わってくる温もりに、彼女は思わず声を洩らしていた。
 それを聞いたトラッドはくすりと笑うと、まるで独り言のようにこう呟く。
「リノって、思ったより指が細いんだな」
「そ……そう、かな……?」
 初めての感触に戸惑いながらも、リノは知らない間に彼の手を握り返していた。
 そのぎこちない仕草に応えるように、トラッドも更に力を込め、顔を逸らしながらこう口にする。
「それに……柔らかくて気持ち良いし……」
「…………っ!?」
 リノは自分の胸から広がり始める甘い痛みに激しく動揺した。
「と……とりあえず行こうか?」
「…………うん」
 幸いな事にそれ以上何かを言われる事はなかったが、彼女はすでに耳まで真っ赤になっている。
 身体が宙に浮いているような感覚の中、リノはただ引かれるままに歩き出していた。


 やがて2人は町外れの公園に行き着く。居心地の良さそうな空気だが、場所が悪いのか人の姿はまばらである。
 その真ん中には小さな噴水があり、リノはその近くに一人座り込んでいた。
(トラッド……どうしたんだろ)
 彼女はさっきからずっと冷める事の無い、自分の右掌を一心に見つめている。
(らしくない……らしくないけど……!)
 思い返す先に至る信じられない自分の感情を、リノは無理やり振り払った。
「アイス買ってきたぞ……って、どうした?」
 その時、不意に彼女の身体を影が覆い尽くすと、心配そうな声が頭の上から届けられた。
「あ……いや、何でも……ない」
「……それならいいけど。ほら」
 明らかに何かある、とは思ったものの、トラッドはそれ以上追求せずに左手のアイスを彼女に手渡す。
 そしてリノは、とりあえず思考を途切れさせようと一口だけ食べた。
「美味いか?」
「う……うん。でも……」
「ん?」
 彼女は恥ずかしそうに横目でトラッドを見てから、
「……じっと見られると、食べづらいんだけど……」
「…………それは悪かった」
 謝りながら顔を逸らした彼はようやく自分のアイスを食べ始める。
 その事にリノは安堵してから、何気なく空を眺めるのだった。


「リノのアイスってストロベリーだっけ?」
 しばらく経ってから、すでに食べ終えたトラッドがこちらを向いて尋ねてくる。
 穏やかに時が過ぎたおかげか、ようやく落ち着いた様子のリノは無言で頷いた。
「少し貰ってもいいか?」
「……うん」
 言われて彼女はすっと差し出すが、それよりも早くトラッドの左手に押さえつけられる。
「このままでいい」
「え……?」
 そして彼は身を乗り出し、陽光を受けて輝く銀髪を右手でかき上げながらアイスを口に入れた。
(……トラッドって綺麗な顔してる……)
 目を閉じて、自分の手にあるアイスを食べる彼の横顔。
 更に思ったよりも細い首筋に、リノはつい見惚れてしまっていた。
「……ん、これも結構美味いな」
 トラッドは唇についたアイスを手で取ると、まるで子供のような瞳で彼女の顔を覗き込む。
「あ」
「……ど、どうかしたのか?」
 トパーズ色の瞳の中に映る、自分の見た事の無い表情にリノは上擦った声で問い返した。
 しかし、彼はそれに答える代わりにそっと右手を伸ばし、彼女の頬に触れる。
「…………!?」
「アイスがついてた」
「……え?」
 トラッドの指が離されると同時に、ようやく理由が明らかになる。
(び、びっくりした……!)
 よく考えてみれば、彼はリノが女である事を知らない。
 だから、トラッドにしてみればただの親切心に過ぎないのだ。
 今更ながらその事に気付いた彼女は、少しだけ悲しい気持ちになった。
「リノ」
「……何?」
 急に呼びかけられて我に返ったリノが、何処か不機嫌そうに返事をした時。

 彼女の頬は、再びトラッドの掌に包み込まれていた。

「トラッド……?」
 呆然と呟くリノの背中には、いつの間にか彼の左手が回されている。
「リノ……」
「……あ」
 乾いた唇から自分の名前が零れ落ちると同時に、彼女は抱き寄せられていた。
 互いの息が二人の間で複雑に縺れ合う。
「…………」
 彼女自身の顔を映していたトパーズ色の瞳が音もなく閉じられると、リノも自然と瞳を閉じた。
 そして一度は静まりかけた胸の高鳴りが、息を吹き返そうとした時、
(………あれ?)
 彼女はトラッドの掌の心地良い温もりに異変を感じ取った。
 訝しげに思ったリノがおそるおそる目を開けると――――

 そこには満足げに微笑むナギサがいた。

「ナ、ナギサ……?」
「あら、呪文が解けちゃったみたいね」
「呪文……って」
 信じられない光景にまだ混乱しているのか、リノはぎこちない口調で質問をする。
「モシャスって言うんだけど……ほら、アーニーが使ってた呪文よ」
「…………」
 ナギサは親友の名前を出して、彼女に分かり易いように説明をした。
 しかし、当のリノは俯いたまま目を合わせようとしない。
「今朝、いきなり思い出したんだけど……折角だし、使わないともったいないじゃない?」
「……それで?」
「だから、トラッドに変身し……て……」
 そこまで言いかけた時、ナギサは自分に向けられる凄まじい殺気を側で感じ取った。
 今、近くにいるのは、目の前の少女――――リノだけである。
「あ、あのー…………リノ、ちゃん?」
「……何?」
 返ってくるのは、いつも以上に低くなった声。
「もしかして…………ものすっっっっっごく…………怒ってる?」
 ナギサの頬から凍りつきそうなぐらい冷たい汗が流れ落ちる。
「あ……」
「……あ?」

「……当たり前だ……っ!!」

 瞬間、叫びにも似た声が公園中にこだました。
 この後ナギサは、今まで味わった事の無い未知の恐怖を、リノから教わる羽目になった。


 その日の夕食が終わった頃。
 ようやく起きれるようになった本物のトラッドは、何の前触れもなくハリセンで叩かれた。

 その理由をリノに尋ねようとしたが、何故か避けられてしまい、今度は違う理由で寝込んでしまうのであった。




※後書き
 30000HIT感謝SS第4弾となる今回は……ナギサのはず(汗)
 ですが、思いついた呪文がモシャスなので、リノとトラッドなお話になりました(汗汗)

 姐さんのイタズラが過ぎるかな、と思って迷いましたが、
 勢い+なけなしの勇気に身を任せてアップしました。
 そう言いながら、まだ内心怯えておりますが……

 ちなみに、元々はリノに変身するお話だったというのは内緒です(苦笑)



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