「求めれば遠ざかるもの」


「・・・・・・うーん」
 ナギサの時間は、ほぼ夜明けと同時刻に始まる。
 大きな欠伸をすると、隣のベッドではヤヨイが気持ち良さそうな寝息を立てているのが目に映った。
 彼女は珍しく優しい目で寝顔を見つめると、寝起きにも関わらずしっかりとした足取りで洗面台へと向かう。
 そして鏡の前で、愛用の少し古めの櫛でゆっくり髪の毛を梳かしている時だった。
(・・・・・・)
 鏡に映る自分の顔が、少しだけ微笑んでいるように見えた。
 彼女のことをよく知るトラッドならともかく、大抵の男は見惚れてしまいそうな、ごく自然な笑み。
(・・・たまには、穏やかに過ごしてみようかしら)
 この時ナギサは、それがどれほど大変な事なのか、全く知る由もなかった。

 そして朝食の時間。最初に気付いたのはリノだった。
「ナギサ」
「何?」
「その・・・食欲が無いのか?」
「どうして?」
「何だか、いつもよりゆっくりというか・・・」
 他の3人は食事が終わりそうなのだが、まだ彼女は半分も手をつけていない。
「そんな事無いわよ」
 返事をするナギサは、今朝と同じく柔らかい笑みを浮かべていた。
「じゃあ、悩み事ですか?」
 次に口を開いたのはヤヨイ。
「え? 別に何も無いけど?」
「でも、時々じっと考え込んでいるように見えるんですけど・・・」
「ここの紅茶が美味しいって思って、ゆっくり味わってたのよ」
 そう言うとナギサはわずかにカップを傾けて、小さく喉を鳴らし、うっとりとした表情を見せる。
「ところで・・・さっきから窓の方を見てるけど、何かあるのか?」
 今度は一番早く食べ終えたトラッドが、心配そうな表情で尋ねてきた。
 それは彼女に向けてというより、これから何かが起きそうな自分に対してであるが。
「ああ、特に何も変わったものは無いけど・・・いい天気だなぁ、って思ったから」
「・・・それだけ?」
「そうねぇ・・・強いて言うなら、雲一つ無い空が清々しい、って思ったぐらいかしら?」
 そしてまたのんびりした様子で、静かに食事を再開するナギサ。
 この時、3人は目を合わせて同時に頷き、こう考えた。

『何処か変だ』と。

 しかし、そんな3人の気持ちなど露知らず、ナギサはやはり微笑んでいる。
 いつもの彼女とは全く違うのだが、それはそれで絵になる光景であった。

(ナギサさん、どうしたんでしょうか・・・?)
(・・・トラッド、心当たりは?)
(いや、全く・・・というか、リノ。何で俺に聞く)
(今までの経緯から考えて)
(・・・どちらかというと俺は被害者じゃないか?)
(師匠がそう思っていても、ナギサさんからすると加害者なんですよ、きっと)
(・・・・・・なるほど)

「どうかした?」
 内緒話をしていた3人は、いつの間にか食事を終えたナギサの声に、過剰な反応を示す。
「え、っと・・・別に・・・あっ、ナギサは今日どうするんだ?」
「そうねぇ・・・」
 上手く話を逸らせた事にホッとするトラッド。
 珍しくその不自然さに気づかないナギサは、人差し指を唇に当てながら眉間に少し皺を寄せた。
「ちょっと町を歩いてみようかしら」
 出てきた答えは、予想以上に普通であった。
「・・・一人でか?」
「ええ、そうだけど? ・・・もしかして一緒に行きたい?」
「い、いや・・・俺は別に用事があるから」
 彼はつい気になって尋ねてみるが、自分にわずかでも矛先が向きそうになると、必死な笑顔で無理やり断る。
「あら、残念ね」
 しかし、それで怒るわけでもなく、彼女は本当に残念そうに呟いた。
「じゃあ、早速行って来るわね」
 そう言ってから残った紅茶を飲み干すと、ナギサは立ち上がってから軽い足取りで宿を出ようとする。
 そこで、一度振り返ってからひらひらと手を振る彼女に対して、3人はぎこちなく見送るのであった。


 宿屋の窓から見た通り、外はこれ以上ないほど良い天気だった。
 絶好の外出日和というのだろうか、町は太陽の輝きと同じ様に明るく賑わっている。
(んー・・・・たまにはこういうのも悪くないわね)
 ナギサは、うん、と背伸びをしてから、柔らかい笑みで空を見上げた。
 そして日差しの明るさに、思わず目を細める。
 ごく当たり前の日常。それが彼女をより穏やかに、より澄んだ気持ちにさせてくれた。
 しかしそれは、心地良い風を切り裂くかのような叫び声で、あっさりと消失する事になる。
「ど、どろぼうー!!」
「・・・へっ?」
 声が上がったのは、自分の右斜め前方から。人ごみの隙間から手を首元に当てている女性の姿が見えた。
 賑やかだった町の音は、一転して騒がしいという感じの音へと変わる。
 それから人の波が、まるで神話に出てくる場面のように、次々と道を生み出していた。
(・・・なるほどね)
 彼女の碧眼に人相の悪い男が走る姿が映る。左胸にはごてごてしたうるさい装飾の悪趣味な鞄が抱き込まれていた。
 スリ、というほど鮮やかではなく、どちらかというと強盗に近い。
「怪我したくねぇ奴はどきやがれ!」
 右手にはキラリと輝く聖なるナイフがあった。ヤヨイがこの使われ方を見れば、たくさんの事に激しく怒るだろう。
(小悪党って何でこう・・・)
 言葉に個性が感じられないのかしら、とナギサは心中で呟く前に打ち消した。
 何故なら、その男が自分に向かって走ってきたからである。
「おい、女! そこをどかねぇと――――うおっ!?」
 正にナイフがナギサの胸に刺さろうとする寸前だった。骨が軋む音共に男の見えていた世界が急激に回転した。
 いつの間にか握られていたハリセンが、驚異的な速さで彼の足を薙ぎ払っていたのだ。
 しかも音からすると、当たった場所にかなりの激痛が走ったのは容易に想像出来る。
「・・・せーのっ」
 次の瞬間、町中から青空に響き渡るのはお馴染みの音。男は呻き声を上げる事すら許されなかった。
 しかもその音は、毎回犠牲になっているトラッドの時よりも遥かに鋭いだけでなく、間を置かず何度も何度もこだまする。
「・・・・・・・・・」
 時間にして約5分。音が止んだと同時に、様子を見ていた周囲の人間が悪夢から生還した。
 しかし、まるで綿菓子の様に膨れ上がった男の顔を見た瞬間、また全員が言葉を失う。
「えっと・・・ちょっといい?」
「ははは、はいっ!?」
 ナギサは引きつった笑みを浮かべながらも、穏やかに見えるよう心がけたのだ。
 だが、話し掛けられた善良な町の男には、逆に恐怖の対象として映ったらしく、全身から冷たい汗が噴出している。
「あの・・・私行く所があるから、この男の事をお願いしてもいいかしら?」
「わ、私がですか・・・仰せのままに尽力を尽くさせて頂きます・・・!」
 怪しい言葉遣いから相当動揺している事が見て取れた彼女は、訝しげな顔をしながらも立ち去った。
「一体何が・・・?」
 恐怖とも尊敬とも取れる複雑な感情を、見物客の中に置き去りにしたままで。


 それからだった――――ナギサの身の周りで事件が発生し始めたのは。


 闘技場のモンスターが逃げ出した所に出くわして襲われたり、
 急に立てかけてあった大量の木材が倒れてきたり、
 風船が木に引っかかって泣いている子供の為に木登りをしたり・・・などなど。
 数え上げればキリがなかった。

「はぁ・・・」
 近くの店で紅茶を飲んで大きくため息をつくナギサ。
(どうしてこういう時に限って・・・!)
 最初はまだ余裕があったせいか、笑顔も消える事はなかったのだが、今はその面影すらない。
 いくら彼女が美人といっても、不機嫌な顔で紅茶を飲んでいるというのは、かなり怖い風景である。
 空はいつの間にかオレンジ色に染まっていた。それでも変わらず雲はない。
(あーあ・・・明日もきっといい天気ね)
 出発の日なので喜ぶべき所のはずなのだが、彼女にとってはそんな呑気な空も苛々させるだけであった。
「・・・となると」
 ナギサは何を思いついたのか、やけに嬉しそうな顔を浮かべて席を立つ。
 だが、それすらも周囲の人間に恐怖を与えていたのは言うまでもない事だった。


「おう、おかえりー」
 宿に戻ると食堂には、いつもと同じく屈託のない笑顔のトラッドが出迎えた。
「・・・ただいま」
「ん? どうかしたのか?」
 しかし、彼女の口からは何かを押し殺したような声しか出ない。
 その分かりやすい様子に、当然彼は疑問を抱く。
「・・・・・・」
「・・・ナギサ?」
 彼の中で急激に膨れ上がるのは悪い予感。そして彼女の中から膨れ上がるのは殺気にも似た何か。
「・・・・・・・・・」
 そんな対照的な2人の距離が縮まったのは一瞬の出来事であった。
 彼からしてみれば急に消えたように見えたほどの速さ。
「え?」
 トラッドは思わず疑問を声にする。しかし、次の瞬間――――

 乾いたハリセンの音が、宿にいた人間全ての耳に突き刺さった。

「な・・・なにが・・・あっ、た・・・?」
 会心の一撃をまともに受けた彼は、途切れ途切れにそう問いかけるが、
「ああ・・・すっきりした」
 彼女の返事は、いつもの彼女『らしい』ものだった。
「・・・・・・・・」
 トラッドはそのまま言葉と意識を失って、テーブルの上に倒れるのであった。

 翌日、意識を取り戻した彼は、朝食の席でナギサに叩かれた理由を聞いてみた。
「ああ、昨日物凄く運が悪かったのよね」
「・・・それで?」
「で、トラッドの笑顔を思い出すと、何だか無性に右手が疼いちゃって」
「・・・・・・俺は何かしたのか?」
 まだ頭が痛むのか、左手で殴られた所を押さえながら彼女を睨む。
 しかし、彼女の返事はこうだった。

「いい? 人生ってね・・・とっても理不尽なの」

「・・・理不尽にした張本人がそれを言うな・・・!!」


 それから彼は、ナギサが機嫌の良い時も悪い時も、しばらく近づこうとしなくなるのであった。



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こちらは「ナギサの一日」です。
まぁ、普段あれだけの事をやってる人ですから、
その反動だと、よく分からない解釈をしてみました(何)

・・・まぁ、炸裂する人はいつも通りなのですが。

リクエスト、ありがとうございました♪





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