「信じる者は救われて、信じぬ者は掬われる」


 天空は極限まで澄み渡り、空気は極限まで透き通り、遠くの景色までつまびらかに見える。
 そんな心地良い早朝のこと。

「んー……」

 起き抜けに愛用のハリセンを愛おしげに眺めつつも、一旦は何事もなかったように朝食の席に着いたナギサだが。
「えっと……ラザ?」
「なんだ?」
 食事を終え、紅茶を楽しむ最中。
 唐突に、何の兆しもなく。

「今日だけでいいんだけど――ハリセンを預かってもらえない?」

 信じられない言葉を口にした。


 それが――信じられない一日の始まり、だった。


 兎にも角にも。
「……は?」
「聞こえなかった? なら、もう一度言うけど――」
「いや、そうじゃなくてだな」
「なによ?」
 完全に虚を突かれ、一瞬は赤い双眸を大きく見開いたラザだが、
「……なにが、あったんだ?」
 頭で理解していても心が追随していない、といった表情と声色で、おそるおそる問いかけた。
 当然であり、無理もない。
 いついかなる時も――例え、就寝中であっても決してハリセンを手放さないナギサが、一時的にとはいえ誰かに預ける。そんな展開を一体誰が想像できるというのか。現に彼以外の二人は、呆然と状況を見守るのが精一杯のようだった。
 それでもラザが疑問を口にできた理由は――言うまでもない。
 平常心が研ぎ澄まされているのも、その一つ。
「なにがって……何が?」
 だが、それよりも何よりも。
「……調子でも悪いのかと思ってな」
 加えて、誰よりも彼女の身を案じている――ただ、それだけなのだから。
 しかし、誰よりも彼に想われている当のナギサはといえば、
「調子……って」
 数秒ほど丸くなった碧眼をぱちくりさせた後、
「ハリセンの?」
 明らかに方向性の違う解釈を、そのまま疑問の声に乗せる始末。二人の、主には彼の事情を知っていようといまいと、傍から見るだけで"酷い"と思わざるを得ない光景である。
「ナギサの、だ」
 だが、ラザは動じない。確かに、その瞬間は微塵も動じなかった――ものの。
「ふぅん……」
 一旦は感情の見えない音を零したナギサが、
「……心配、してくれるんだ?」
 ぽつり、と。
 様々な感情が交錯した不明瞭で不鮮明な音色で、そう尋ねるや否や、
「え? あ、いや――」
 彼女と向き合う時、必ずと言っていいほど憑き纏う"緊張"を不意に思い出した彼は、さっ、と顔を逸らしてしまった。
 極めて不自然な、彼にしては極めて珍しい挙動。にも拘わらず、ナギサは特別な反応を示さない――それも当然である。
 何故なら、ラザが顔を逸らした直後。
(な、なに言ってるのよ……わたし、は)
 ナギサもまた、極めて不自然に顔を逸らしていたのだから。
 つまり、互いに相手を見ないまま、自らの内だけを視ている状況。それゆえに、相手の変化には気づきようがないのである。
 だが、程なくして。やはり視線は宙を彷徨ったままではあったが、
「……心配ぐらい、する」
 なけなしの勇気を振り絞って、ラザがそう呟くと、
「そ、そう」
 一度は曖昧に頷いたナギサだが、
「でで、でもっ! ハ、ハリセンの心配はしてくれないんだ?」
 間髪入れずに、最初の結論へ戻ってしまう。
 しかし、一体何がどう転がったのか。
「……どう心配しろと?」
「えっとえと……ほら! 例えば、最近キレがないな、とか!」
 不可解で不可思議な話題の転換は、二人にとって絶好の機会となったらしく。
「言いたいことはいくつかあるが、とにかく……ハリセンについては、ナギサが一番よく分かってるんじゃないのか?」
「そ、それもそうよねー……あはは――というわけで、はいっ」
「……一日だけなら、まぁ」
 結果的に彼女の目的は、ぎこちなくも無事達成された。
 ちなみに、この時。言葉を交わすだけで精一杯の二人は、まるで気づいていなかったが。
(トラッド……あれって)
(……やっぱり気のせいじゃないよな)
(うん……まぁ、解りやすくはあるけど)
(たしかに)
 ナギサのウサギ耳は、ぱたぱたわたわた、慌ただしく動いていた。



 そして、出発から数時間後。
「……本当のところ、理由はなんだったんだ?」
 四人は立ちはだかったモンスターの群れを、リノとラザが剣で、トラッドが鞭とナイフで、ナギサが二本の杖と鉄の爪に加え、徒手空拳やハイヒールまでも駆使して、幾度か撃退した頃。
 ラザは言い知れぬ不安から芽吹いた質問を、今更ながら再び投げかけた。
 忘れていたわけでも、余裕がなかったわけでも、ない。むしろ、最初に尋ねた時からずっと気に掛け、機を窺ってたぐらいで、先延ばしになっていたのは聞くに聞けなかっただけの事――とはいえ、この"今"というタイミングに理由がないわけでもない。
 そのキッカケとなった光景は、勇ましくも麗しく戦場を駆け抜ける彼女。
「見たところ、調子は悪くなさそうだが」
 ハリセンの有無という違いはあるが、まるで"戦女神ワルキューレ"の"勝利のルーンに通じる者ブリュンヒルデ"を連想させる姿で、そこには不安や不穏に起因する翳りは一切感じ取れなかったのである。
 ちなみに、普段の"ハリセンを持つ姿"を戦女神に当て嵌めるとすれば。

"騒がしき者ゲル"

 もしくは、

"轟かす者フリスト"

 辺りが適切かもしれない。
 もっとも、ハリセンを持つ戦女神など存在するはずもないのだが。

 さて、それはさておき。
 常に全力全開で戦場を疾走していながらも"息一つ切らしていない"という少々非現実的な様相のナギサは、
「あら? 調子が悪い、なんて一言も言ってないわよ?」
 やはり非現実的に乱れのない音色で、あっけらかんと返事をする。
 確かに、事実。同時に、底知れぬ不安が的外れな杞憂へと変わる、頼もしい一言でもあった。
 ただ、それは決して"理解"と同意ではない。
「言い辛いなら無理には聞かないが……できれば教えてもらいたいな」
 そこでラザは、興味や好奇心の類が漂う上向いた声ではあるものの、何処か控え目な口調で尋ねる。
 そう――彼は無理強いをしない。
 その代わり、無理する事は由としない。今回の出来事は、言ってしまえば"それだけ"のことで。
 実際のところ、彼女に異常がないのであれば、それでいい、と考えていた。
「……そんなに大した理由でもないんだけどね」
 だが、ナギサは右人差し指で唇をなぞりつつ、ぽつり、と切り出す。本人にとっては大した事ではなくとも、話さない事に罪悪感を覚えたらしい。
 つまり、それは――換言すると、口にするのも恥ずかしい理由だから言い辛い、とも受け取れるのだが、
「解りやすく言えば"鍛錬"かしら」
 紡がれた言葉の普通さと真面目さに、トラッドは拍子抜けしてしまう。彼女の事だから、尋常ならざるどうでもよさ、が過剰に含まれているとばかり思い込んでいたのだ。
「鍛錬?」
「そっ、鍛錬。リノちゃんや……その、ラザだって、よく剣を振ってるでしょ?」
 しかし、その説明で彼はふと気づく――が、
(……いや、まさかな)
 それはほんの一瞬で、結局はすぐさま打ち消される。
 どちらにしても推測には違いないが、やはり考えにくかったのである。
 リノはともかく、ラザと同じ行動に思い至ったという事実を――

 ――ラザを意識するがゆえに"特別な意味"でもイシキしている、などとは。

「鍛錬は分かるが……ハリセンを手放す必要があったのか?」
 思考を飛躍させたトラッドをよそに、話は更に続く。
「それは分からないわね」
「……は?」
「だって、答えのない問いだもの。文字通り、答えようがないわ」
 だが、ラザのもっともな問いに対し、相手を煙に巻くような返事をするナギサ。目的が理解できても過程が理解できない辺り、何とも彼女らしくはある。
 とはいっても、それはそれ、これはこれ。
 例え推測であっても、出された問題には何かしらの回答を示す、という点においては、何処か彼女らしくない。
 などと、明確に思ったわけでもなかったものの、トラッドが頭を軽く抱えた――直後。
「あのな――」
「でも」
 ラザの呆れた声を、鋭く遮ったナギサは、
「ハリセンに頼りっきりかな、って思ったのは事実よ」
 随分と遠回りをした後に、ようやく動機を明らかにした。
 最初に不鮮明な言葉で答えたのは、
『必要かは分からない。けれど、理由なら在る』
 と言いたかったのかもしれない。
 案外楽しんでいただけ、という理由も、彼女なら十分に有り得る話だが。
「魔道士の杖、いかづちの杖、鉄の爪、ハイヒール、ウサギ耳……必要に応じて使い分けはするけど、一番多いのはハリセンでしょ?」
「最後のはともかく……確かにそうだな」
「あと、ラザには話したと思うけど……私のハリセンって特別製じゃない?」
 間を置かずに首肯する、ラザ。


 そう。彼女のハリセンは普通ネタではない。
 ハリセン作りの名匠が、持てる技と燃える魂を全て注ぎ込んだ至高の一振りであり――また、世界に一つしか存在しない至宝の一振りでもある。
 外見は、ハリセン。
 音色も、ハリセン。
 何処をどう見ても、普通ネタとしか思えない白き物体。

 しかし、彼女が手に取る事によって――そんな印象は豹変する。

 確かに普通ネタの時も、ある。
 だが、彼女が"気"を持って振るえば、その破壊力は周囲の想像をいとも容易く凌駕する。
 まるで水を得た魚のように、ハリセンは生き生きと彼女の"意志"に従うのである。

 トラッドを叩きつける時も、トラッドを宙に舞わせる時も、トラッドを気絶させる時も。
 あと、モンスターを倒す時も。

 使い手を選ぶ"伝説の武器"のように――応えてくれるのだ。


 何はともあれ。
「だから、ハリセンを手放してみたの。うっかり使わないよう、ラザに預けるって形でね」
 ナギサは現在に至る過程を、そう纏めるのだった。
 とその時。
「……ナギサ」
 話に一区切りついたからか、真相が解明されたからか。それとも戦闘を終えて、周囲からは魔物の気配も感じられないからなのか。
「なあに?」
「ハリセンに頼らないようにって言うなら……まず、俺を叩かないことから始めればよかったんじゃ?」
 いずれにせよ、気が緩んだらしいトラッドは、とつとつ、と勇気ある希望的願望を口にした――
「……ふぅん」
 ――刹那。
 にっこり、と太陽を思わせる眩しい笑顔を浮かべたナギサは、
「……え?」
 誰の目にも捉えられない速度で間合いを詰める――が。
(あ、でも)
 対するトラッドは、かろうじて見えた挙動に安堵もしていた。
 何故なら、彼女はハリセンを持っていないにも拘わらず、ハリセンを持っているかのように動いていたからだ。それは洗練されているがゆえの高度な錯覚で、しかも彼女自身に気づいている節はなかった。
 つまり――当たらない。
 在るはずのモノが無い状態で、在ると想定して動いているのだから、当たるはずもない。
 だからこそ、トラッドは安心し、また楽しみにもしていた。
 会心の勢いで叩き損ねた時、彼女は一体どんな反応をするのだろうか、と。

 ――だが。

「てぇぇぇぇいっ!」
 と力強く吼えたナギサが、全身全霊で右手を下方より振り上げられた瞬間。

 すぱぁん、というお馴染みの音はなかったが。

「くはぁっ!?」

 衝撃はしっかりと存在し――その結果、掬い上げられて宙を舞ったトラッドの身体は、成す術もなく地面に叩きつけられた。
 悲しくも、いつも通りに。

 また、そんな光景が眼前で繰り広げられたせいか。
 傍観していたリノとラザの耳には、しっかりといつもの"音"が響き渡り、
「えっと……あれ?」
「……ああ」
 二人は困惑したように顔を見合わせていた。

「ふふっ……油断したわね」
 そして、ナギサは胸を張って宣言する。
「確かに普段よりも威力は劣るけど……」
 誇らしげに、声高らかに。
「ただ"叩く"だけなら"気の持ちよう"でどうにかなるのよっ!」
 非常識な事を、さも常識であるかのように。
「ラザ……そうなの?」
 一方、その言葉を聞いたリノは、きょとん、と彼女らしく尋ねてくるが、
「……ナギサの中ではな」
 いくらラザでも、それ以外には答えようもなく。
 また、気絶しているトラッドにとっては、

 無いはずのモノが在る一撃――"虚構の神速一閃エア・ハリセン"

 という新しい悩みの種が、すくすくと芽吹き始めるのであった。



※後書き
 というわけで、姐さんの新必殺技SSをお送りしました。
 本編がそろそろシリアスで、しかも長く続くので、このタイミングで書かせて頂いたのですが……
 何故か、コメディコメディしてない感じで着陸となってます(汗)
 最後のシーンに至るまでの導入に問題があったと思いますし……や、いつものことですけど。

 今回はハリセンが「面白かっこよく」見えるように心懸けてみました。
 ここまでくると、もう"伝説の武器"でいいと思ってます(笑)

 少しでも楽しんで頂ければ、幸いです。
 DQ3プレイ時に『遊び人にハリセンを装備』して頂ければ、もっと幸いです(笑)

 それでは読んで下さった方々、ありがとうございます&お疲れ様でした。




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