「不思議な"耳"のお話」


 執拗なぐらい優しく、隅々まで気配りサービスの行き届いた陽光が冴え渡る、本当によく晴れた日のこと。その昼下がり。
「……あら?」
 大いに優雅に、少しばかり怠惰に紅茶を楽しんでいたナギサの耳に、澄んだ雰囲気全てをぶち壊す騒々しい足音が突き刺さってきた。
 何か問題でも起きたのだろうか。だとしても、自分には関係ない。一旦は近づくかもしれないが、どうせすぐ遠ざかるに決まってる。
 などと考えていたナギサは、ものの二秒で自らが作り上げた素敵な世界へと帰還を果たしたのだが――その三秒後。耳障りに迫り来る騒音は唐突に、だが、ある意味では予想通りのやかましさを残しつつ止んだかと思えば、
「ナギサぁ!」
 間髪入れずにそれを扉の悲鳴と、怒号を伴って自分の名前に変換した創造主ならぬ騒々主が、部屋に殴り込んできた。
 トラッドである。
 瞬間、ナギサはハリセンで叩きのめしたくなった。ついでに、地中深く埋めたくもなった。もしくは、顔だけ地上に残しておいて、心ゆくまで叩き続けたくなった。いささか――いや、かなり行き過ぎた行為かもしれないが、彼女は相応しい罰と信じて疑っていない。
 しかし、ナギサは殆どが恐慌で構成されたその凶行を実行に移す寸前で思い留まる――何故なら。
 一つはトラッドの稀有な怒声。
「トラッド……落ち着け!」
「ち、ちがうの! これは違うから!!」
 もう一つは、後に続く足音と、彼を諫める二人の声。
 そういった理由で何らかの異変を感じ取った彼女は、瞬時に冷静さを取り戻したのである。
 だが、誠に残念な事に。
「全く……まずは落ち着――」
「これが落ち着いていられ――」
 肝心の彼に、微塵も落ち着く気配がなかったため、
「まずは黙れッ!」

 すぱしゃぁんっ!!!

 結局は、神速一閃ハリセンの出番が訪れるのであった。


「……で、何があったの?」
 そうして、出入り口となる扉が半開き状態の中。
「ああまで取り乱すぐらいなんだから、よっぽどのことがあったんでしょうね?」
 気絶時と"同じ方法"で強引に意識を覚醒させられたトラッドと、若干遅れて入ってきたラザの二人に対し、ナギサは半眼で睨みつけながらの詰問に励んでいた。ちなみに、ラザは完全な被害者である。それでも文句一つ言わないのは、彼を止められなかった事に責任を感じているだけかもしれないが、さすがと評するより他にない。
「それは……その……」
「……本当にナギサは知らないのか?」
「もう一度闇に突き落とされたいのかしらね?」
 兎にも角にも、二人は何故か中々口を割らない。どころか、トラッドに至っては何かを疑っている始末。加えて、何よりも不思議な事に、
「あと、リノちゃん?」
 先ほど確かに声が聞こえ、
「な、なに?」
「どうして入ってこないの?」
 しかも、その時の言葉から鑑みるに、事情を一番把握していそうな彼女が一向に姿を現さない。
「えっ……と」
「何か知ってるんでしょ? それを説明して欲しいのはもちろん、何よりも可愛い顔を見せて欲しいんだけどなー?」
 そこでナギサは、極めて冗談っぽく本音を口にした。繰り返すが、冗談ではない。紛れもなく本気の本音である。
「じゃあ、あの……」
 しかし、リノは相変わらず躊躇いがちに前置いた後、
「わ……笑わ、ない?」
 何故かこんな確認を取る。それも十分に奇妙なのだが、そもそも部屋に入ってこない事自体が十二分に奇妙だった。ともあれ、その一言で内心密かにすくすくと好奇心を育てたナギサは、
「まぁ、よっぽどでない限りは大丈夫だと思うけど……見てみないことには何とも、ね」
 念のため、と控え目に発言した。
 それから十三秒後。
「……うん」
 覚悟を決めたらしいリノが部屋に足を踏み入れた――刹那。
「……キャー!!」
「え?」
 突然、貴重な黄色い声を上げたナギサは、
「がはぁッ!?」
 中間に正座させていたトラッドとラザの内、器用にトラッド"だけ"を蹴り飛ばして駆け寄ると、
「リノちゃんってば……!」
「え? えっ!? ナ、ナギ……ちょっと待っ――」
「もう……もう、可愛すぎよ!!」
 リノを渾身の力で抱き締め、頬ずりし始めていた。
 しかし、無理もない。
 何故なら、この時のリノは、
「まさかお揃いだなんて……私、どうしていいか分からない……!!」

 髪と同じ黒の――ウサギ耳を身につけていたのだから。



 その後、ナギサの過剰で、半ば異常な愛情表現からようやく解放されたリノは、
「……まったく」
 呼吸を整えながら服の乱れを適当に直し、やっとの思いで呆れ返る。
 だが、すぐに深刻な面持ちを伏せると、
「それで……ナギサ」
「なあに? 距離に関係なく可愛いけど?」
「そそ、そんなこと……って、そうじゃなくて!」
「どうしたの?」
 再度呆れつつ、こう切り出した。

「この耳……は……外れないん、だけど」
『……は?』

 その衝撃的な内容に、三人は疑問符を同時に浮かべる。そして、おもむろに立ち上がったラザが、試しにウサギ耳を軽く引っ張ってはみるものの、
「いっ……!? ラ、ラザ、痛いよ」
「……どういうことだ?」
 全く取れないようだった。もちろん、二人が事前に打ち合わせて芝居をしているようには見えないし、そんな事をする利点もなければ、そういう性格でもない。
 つまり――本当に取れないのだ。
 そんな中、いち早く我に返ったナギサはこう告げる。
「と、とれないものは仕方ないし……このままでもいいんじゃない?」
「分かったから、そのパタパタ動くウサギの耳と鼻血をどうにかしてくれ」
 とはいえ、それはラザが指摘した通りの、まるで説得力がない状況で。
 そして、更に続けられた主張も、
「でも可愛いし、何よりも私とお揃いだし」(害はなさそうだから良いと思うけど)
「……本音と建前が逆になってるぞ」
 全く以て、彼の指摘ツッコミ通りで。
「でも、可愛いは正義、って言うじゃない?」
「言わない」
「言うの!」
「……仮に言うとして……それが?」
「ほら、正義と言えば、勇者。勇者と言えば、リノちゃんでしょ?」
「まぁ、そうだな」
「だから、リノちゃんには可愛くなる使命があるのよ!」
「……ちなみに、それは誰のための使命だ?」
「主には私のための」
「…………不思議に思わないのか?」
「全然」
 最終的には、いついかなる時でも彼女は手に負えない、と再認識させられるだけであった。
 とはいえ、害はなさそうである。確かにそうなのだが、
「さすがに……困るんだけど」
 リノにしてみれば、やはりたまったものではない。きっと、ゆらゆらと風になびくウサギ耳に惹かれ、所構わず飛びついてくるナギサの姿でも想像したのだろう。その光景は、仲が良すぎるあまりに喧嘩もしないネコとネズミのようで、間違いなく恐ろしいものだった。
 と、状況が悪化の一途を着実に辿っている最中。
「……どうしてそうなったんだ?」
 今まで散々な目に遭っていったトラッドがそう呟いたのをキッカケに、リノは両手で恥ずかしそうにウサギ耳を隠しながら、ついに事情を話し始めた。


 遡る事、数十分前。
 珍しく散歩、日課の鍛錬を終え、リノが宿へ戻ってきた時のことだ。喉が渇いていた彼女は、食堂で机を拭いている女将に水を一杯貰おうとしたのだが、思いの外疲れていたのか足をもつれさせてしまった。幸いにも転びはしなかったものの、その流れで別の机に手をついてしまった際、横になっていた空のカップが床に落下した。木製だったおかげで割れる事はなかったが、その時、たまたま机の下でくつろいでいた白猫を驚かせてしまい、あろうことか更に別の机で食事中の青年目掛けて飛びかかる形となった。
 当然、青年は驚き、必死で追い払おうとする。しかし、今度はその青年の手が、カップと同じ木製のスプーンを弾き飛ばし、それがまた別の机で談笑していた老婦人の後頭部に軽く直撃。彼女はびっくりして立ち上がる。そして、衝撃で椅子が倒れたのだが、それがまたしても偶然通りすがった雌の三毛猫を驚かせてしまい、しかも彼女はカウンターの奥へ逃走。加えて、勢いを少しも殺さぬまま、けして広くはないカウンター内を縦横無尽に駆け回り、時に壁走った。
 そこへ、あっという間に膨らんだ騒ぎを聞きつけ、すわ何事か、と参上した料理長らしき男は、三毛猫、白猫を順に目の当たりにするや否や、ちょうど手に持っていたおたま(木製)を無我夢中で振り回す。ところが、すっぽ抜けてあらぬ方向へと旅立ったおたま(木製)は、食器棚の上で惰眠を貪っていた三匹目の――今度は宿で飼っている鍵尻尾がご自慢の黒い雄猫に襲いかかり、猫のはずの彼が脱兎の如く逃げ出した瞬間、何故かそこに放置されていたと思しき黒のウサギ耳が、くるくると、三回転半の軌跡を描きながら、その場で呆然となっていたリノの頭に着地を果たし――

 ――現在に至る、というわけなのだが。

「……えーと」
 酷い話だった。
「リノちゃん……冗談、よね?」
 時々、非現実を絵に描いたような面を見せるナギサにさえこう呟かせてしまうぐらい、本当に酷い話だった。
「…………」
 だが、無言で頬を朱に染め、俯いているリノを見る限り、おそらくは事実――否、真実と信じざるを得ない。三人は言葉もなく確信し、目配せもなく共通の見解を示した。
 ちなみに、話をしている途中、リノは何度も背中を気にしていた。奇跡的な出来事とはいえ、騒動の発端である自分が此処にいる事に罪悪感を覚えているのだろう。しかし、ラザにウサギ耳を指摘され、その時初めて自身の状況を理解した彼女に対し、あの場に留まれ、というのは、理由がどうあれ酷な話かもしれない。
「と、とりあえず……ラザ」
「……そうだな」
 それを察したナギサとラザは、いつの間にか座っていた身体を立ち上がらせ、
「リノちゃん、ちょっと片付けの手伝いをしてくるわね」
 何とも心強い笑顔で、そう言い放った。隣を見ると、ラザも頷いている。
「そ、それなら私も――」
「俺も――」
 当然、申し訳なさを感じたリノも、二人と同じ心境のトラッドも揃って立ち上がる――が。
「だーめっ」
 まずは、ナギサの柔らかい制止。
「ここは任せてくれていい。リノも、その格好だしな」
 継いで、ラザの苦笑いが混じった頼もしい制止。
 どちらも負けず劣らず、とびきりの優しい声だった。
 リノは素直に嬉しく思った。
「でも、俺は何も――」
 だが、トラッドはすぐさま反論する。無理もない。いつぞやのハロウィンを思い出させる奇怪な格好をしているのなら兎も角、今は何も問題がないはずなのだから。にも拘わらず、二人の告げた声は、リノだけでなく彼まで、この場に押し留めるような音色だった。
 しかし、ナギサは言う。
「あのねぇ……」
 一旦は呆れた声色で間を置いて、
「そんな状態のリノちゃんを放っておくわけにはいかないでしょ?」
 妙に小悪魔な、それでいて極上に過ぎる笑顔でそう呟いた後、
「だから、ここでリノちゃんの不安を和らげる努力をしなさい……それがトラッドの役目なんだから、ね」
 温かな微笑みと共に、そんな事を言い放った。

 果たして、それは"どちら"の想いを汲み取った言葉だったのだろうか。
 少女が彼に抱く恋心なのか。
 彼が少女に抱く恋心なのか。

 しばし呆然と。
 やがて、どちらからともなく見つめ合い。
 やがて、どちらからともなく顔を逸らす。
 そんな仲睦まじい二人は――リノとトラッドは気づかない。

 それが"どちら"の想いも汲み取った言葉であるとは、夢にも思っていなかった。



 程なくして、沈黙。
 幽かに熱を帯びた息遣いだけが淡々と広がっては消えゆく、限りなく無音に近い静寂。
 部屋に取り残された形の二人は、うっすらと頬を上気させたまま、相手も見ずに隣り合って床に座り、ベッドへともたれかかっていた。
 その距離は、ごくわずか。
 現在の関係上そうはならないが、掌を重ねるにはちょうどよい――もどかしい距離。
 もしくは、今の二人には精一杯の距離、かもしれない。
 だが、何を思ったのか。
「あ、あの……トラッ、ド」
 前触れもなく、ほうっ、と微熱混じりの音色で彼の名を呼んだリノは、
「えっと……」
 見えざる何者かの手に背中を押されるように、
「……えっと、ね」
 視えざる何者かの声に想いを押されたように、
「ウサギって……寂しいと死んじゃうんだって」
「……えっ」
 彼の身体へ、そっ、と寄り添い、

「だから、ね――……ぎゅっ、って温めて」

 自分でも信じられないほど大胆な告白を、桜色の唇から紡いだ。
「リノ……?」
 しかし、トラッドは少女の異変に疑問を覚える事すらできず、
「……ん」
 同じく、そっ、と。
 彼女の肩にぎこちなく手を回し、ぎゅっ、と優しく抱き寄せた――

 ――が、瞬間。

 しん、と。
 本当に何の音も、それこそ何一つ兆しもなく。
「あっ……」
 リノのウサギ耳は、言葉もなく別離を告げた。
 更に、不思議な事に。
『…………え?』
 二人が同時に気づき、床へ視線を向けた時には、もう。
 あの真っ黒だったはずのウサギの耳は。
 魔法に掛かったように。
 魔法が解けたみたいに。

 まるで雪を連想させる――真っ白いウサギの耳、だった。

 そして、二人も不意に我へと返る。
「え……わ、わわっ」
 最初に慌てふためいたのは、リノ。
「あ、えっと……その」
 続けて取り乱したのは、トラッド。
 当然、顔は真っ赤で、今にも互いの温もりを、酷く名残惜しそうに手放しかねない勢いだった。
 しかし――これもまた、不思議な事に。
「ト……トラッド」
 一体何があったのかは分からないが、
「も、もう少し……このままでも、いい?」
 リノが震えた声で"今"の状態を望むと、
「……うん」
 トラッドもまた、震えた声でそれに応えるのだった。

 そんな彼の温もりに触れながら、彼女はふと想う。

 もしかすると、あの黒かったウサギの耳は寂しかったのかもしれない、と。



 ちなみに、この後。
 リノは宿の女将にウサギ耳以外の事を説明し、手伝いもし、何度も何度も謝罪したのだが。
「へぇ、不思議なこともあるもんだねぇ。まぁ、後片付けも手伝ってくれたし……実を言うと、久々の大騒ぎで楽しかったから、あんまり気にするんじゃないよ」
 彼女があまりに逞しく、また清々しく、事も無げに呵々大笑するので。
 リノたち四人も、つられて笑顔を零すだけであった。



※後書き
 というわけで、1st気まぐれSS『不思議な"耳"のお話』をお送りしました。
 今回のSSはですね、

『リノ+ウサギ耳+鼻血+ピタゴラスイッチ』

 という組み合わせを書いたらこうなった、ただそれだけの話です(笑)
 ちなみに何故思いついたのかは未だに謎です。
 何となく雲に霞む月を見てたら思いついた、というだけなので。。。

 読んで下さった方々、ありがとうございました。




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