「幸運の女神を呼ぶ為に」


 宿屋では、どの部屋も夜遅くまで灯りがついていた。
 リノたちも例外ではなく、全員が一つの部屋に集まり、ある瞬間が来るのを心待ちにしている。

 そして――――

「あけましておめでとうございまーす!」

 時計の針が重なるのに合わせて、ヤヨイが大きな声で高らかに叫んだ。
「ああ、おめでとう」
 初めての時は何の事か分からなかったトラッドだったが、さすがに2回目ともなると余裕が見えた。
 ちなみにラザはこの挨拶を知っているらしく、特に驚かずに挨拶を返している。
「今年もよろしくね。それじゃあ……早速……」
 そんな賑やかな雰囲気の中、おもむろに立ち上がったナギサはグラスに注がれたワインを一気に飲み干した。

 そして気持ち良さそうに一息ついた後――――今年最初のハリセンをトラッドに炸裂させる。

「だから………っ!」
 何気にめでたい音が部屋中に広がった後、やはりトラッドは叫ぼうとした。
 彼も予想はしていたらしく、時折彼女の様子を盗み見ていたが、一瞬の隙を突かれてしまったのだ。
 トラッドの顔が悔しそうなのは、防げなかったに対してか、それとも先が思いやられているからなのか。
 それは当の本人にも分かっていなかった。
「うんうん、今年も景気が良いわね」
 一方ナギサは、自分の目論見が成功した事に、清々しい笑顔を見せるのだった。



 それから楽しい夜更かしと食事がしばらく続いた後。
「でも、今年はどうしようかしら?」
 ナギサは周囲を見回しながら、ひっそりと呟いた。
「今年は?」
 その言葉を、半ば眠りかけていたリノが繰り返す。
「去年は羽根つきしたでしょ?」
「…………」
 ナギサの何気ない想い出話に、リノとヤヨイの顔が凍りつく。
(確か……トラッドが)
(……ですよね)
 小声で囁き合う2人の脳裏に浮かぶのは、思い出すのも憚られるほどの悲惨な光景。
 だが、トラッドはあまりの衝撃に記憶を失ったらしく、平然とした様子で聞いている。
(……忘れてるみたいですね)
(うん…………でも、まだ油断は――――)
 あの光景を覚えている人間なら、普通は今年ぐらい平穏に過ごさせようと思うのが人情。
 しかし、不幸にも相手はあのナギサである。彼女なら、例えどうであろうと容赦するはずが無い。
「……そういえばトラッド」
 リノとヤヨイが安堵と不安の入り混じった言葉を呟き合っていると、遂に当の本人が彼を呼んだ。
 そして、昨年の大惨事を知らないラザもぴくりと眉を動かす。
 どうやらナギサの含みのある声に、何かを察したようだ。
「ん?」
 3人の心配をよそに、トラッドが至って平和そうな声で反応すると、彼女はポンと肩を叩いてからこう一言。

「去年は散々だったわね」

「……原因ははっきりし」
 彼は苦い表情でうかつな返事をし、今年2回目のハリセンを顔面に喰らう。
「何か言った?」
「……別に……それで?」
 旅で培われた素早い思考の切り替え、冷静な状況判断能力は、例え諦めであろうともリノには潔く見えた。
「それでね、お正月にはちょうどうってつけの物があるのよ」
 それを引き起こした張本人は、得意げな顔で話を続ける。
「…………ちなみに何て言うんだ?」
「凧揚げ」
「……タコアゲ?」
 相変わらずなナギサの博識ぶりに感心しながら、トラッドは目を丸くしながら聞き返した。
「タコってイカの親戚みたいなやつだろ? それを………揚げる?」
 彼の頭の中では赤い物体が香ばしい音を立てている風景が浮かんでいるに違いない。
「違いますよ、師匠」
 それが面白かったのか、ヤヨイはくすくす笑いながら説明を始める。
「凧揚げっていうのは……こーんな四角の紙を風に乗せて、空に飛ばす遊びなんです」
 彼女は可愛く指で適当な大きさの長方形を中空に描いた。
「へぇ……それもジパングの?」
「はいっ」
 ヤヨイが知っており、トラッドが知らない事は大抵ジパングに関係した物が多い。
 更に、それを話す時の彼女は決まって嬉しそうな顔をしている。
「でも、ナギサさん」
「なあに?」
 しかし、そんなヤヨイでも知らない事はある。そんな時、いつも説明をするのはナギサの役目だった。
「それが何でうってつけなんですか?」
「元々、凧揚げっていうのはその年の豊作を願ってするものなのよ」
「へぇ……」
「余談だけど形も色々あったりするし、烏賊揚げって言う人もいるわね」
 そこまで話を聞いた後、リノは心配そうな様子で問いかける。
「ナギサ……いつも思うけど、何処からそんな知識を……?」
 すると今まで聞き役に回っていたラザが、彼女の心境を察しておかしそうに話し出した。
「ナギサは昔からよく本を読んでいたからな。一日中、食事もせずに図書館にいたこともあるぐらいだ」
 昔からの知り合いなら、知っていてもおかしくは無い話。
 しかし、ナギサは少し恥ずかしそうに、横目でラザを睨みながらこう口にする。
「……何で知ってるのよ」
 その一言に彼はあっ、という顔になるが、
「…………たまたま見かけた事があるだけだ」
 と、長い沈黙の後で顔を逸らしながら返事をした。
(たまたま……?)
 よく考えればおかしい、とトラッドとヤヨイは思ったが、ラザの事を考えてか敢えて話さない。
「で、その問題の凧揚げは?」
 リノが1人きょとんとしている中、トラッドの一言によって話は振り出しに戻る。
 彼は話を聞いて害は無いと判断したのか、珍しく乗り気な姿勢を見せていた。
 ただ単に断った方が、酷い目にあうと悟っているからかもしれないが。
「実は……これがもう用意してあったりするのよね。ただ、ちょっと大きいから預かってもらってるけど」
 一方、トラッドのそんな反応が嬉しいのか、ナギサは満面の笑みを浮かべて返事をする。
「というわけで、明日はこれに決まりよ」
「…………」
 いくらナギサでも、これで危険な目に遭うとは考えにくい。
 そう思いながらも、トラッドは胸騒ぎを感じずにはいられなかった。


 そして、翌日の昼下がり。


 外に出た5人は、宿屋の壁に立て掛けられた凧の前に立っていた。
「…………大きいですね」
 というより、立ち尽くしているという方がしっくりくるかもしれない。

 ――――あまりの凧の大きさに。

 普通、凧というのは子供の身体よりも少し小さい。
 だが、目の前にあるものは一番長身であるラザよりも一回り大きかった。
「ふふふ、何せ特別品だから。どうせなら盛大にしたいじゃない?」
「……一体何処で」
 得意げなナギサに、リノはついつい訝しげな声で尋ねてしまう。
「……いい、リノちゃん? 綺麗なお姉さんには謎がつきものなのよ」
 トラッドはその一言に何か後ろめたい事をしたのだろう、と想像する。
「そう、なんだ……?」
 しかし、リノは意外にもその言葉に興味を示していた。
 その事にヤヨイとラザは驚いて、くすりと笑う。
「……明らかに必要の無い謎だけどな」
 一方、それを素直さからくるものだと思ったのか、トラッドは呆れたように呟いた。
 だが、すぐに自分の失言に気付き防御をとる。
「とにかく……」
「…………え?」
 間を置いて、彼の口から安堵の言葉が零れ落ちた。
 しかし、そんな些細な幸せを打ち砕くように、ハリセンは高らかに歌う。
 不意を突かれたせいか、あっさりと気絶するトラッド。
「始めるわよ」
 ナギサは細い腕で彼を軽々抱え上げると、スキップで凧の前に向かうのだった。


「ナギサさん……いくらなんでも……!」
「でも、豊作を願うならこれぐらい――――」
「トラッドは作物じゃないぞ……」
「大丈夫、原理は同じだから」
「……違うと思う」


「う……ん……?」
 トラッドは自分を取り巻く賑やかな喧騒で、緩やかに意識を取り戻していく。
(……身体が動かない……?)
 そこでようやく異常に気がついたものの、まだぼんやりとしており、目と耳を前に向けるだけで精一杯だった。
「……どうしても止めるの?」
「当たり前です!」
 最初に飛び込んできたのは、ナギサとヤヨイが珍しく言い争っている光景。
「じゃあ、しょうがないわね……」
 先に折れたのはナギサ――――かのように見えた。
「……ちょっとこれ見てもらえる?」
 だが、彼女は懐から紐をつけた1ゴールドを取り出すと、それをヤヨイとラザの前でゆらゆらさせる。
「…………眠くない?」
 どうやら催眠術らしいのだが、2人は不意を突かれたせいか、すぐ眠りに落ちた。
「ナギサ……?」
 しかし、リノだけはそれにかかる事無く立っている。
 困った顔を浮かべたナギサだったが、少し考えた後でこう話し始める。
「リノちゃん……私も好きでこうしてるわけじゃないの」
「え?」
 それから彼女は深呼吸をした後、真剣な表情で更に言葉を紡いだ。

「トラッドはね……病気なの」

「え…………?」
 ハッとなったリノは表情を曇らせる。
「だから……それを治してあげたいの……分かってね」
「……うん」
 彼女は瞳にわずかな戸惑いを浮かべながら、首を縦に振った。
(まぁ、あそこまで運が悪いんだし、病気と言えなくも無いわね)
 ナギサは表情を変えず、心の中だけでひっそり呟く。
 どうやら自分に殆どの原因があるとは、夢にも思っていないらしい。
(……一体、何の話だ……?)
 その時、本格的に身体を動かそうとしたトラッドは、初めて自分の状況を理解する。

 彼の身体は――――大きな凧にしっかりと括りつけられていた。

「こ、これは……!?」
「あら、お目覚め?」
 はっきりと開かれたトパーズ色の瞳。
 前にいたのは期待に満ちた眼差しを向けるナギサだった。
 口元は心の底から楽しそうな笑みを形作っている。
「というわけで……早速始めるわよ」
「まさか……!」
 凧は風に乗って空を飛ぶ物。今トラッドは、その凧にしっかり固定されている。
 つまり――――これから彼は、果てしなく広がる空に飛ばされるのだ。
「そうよ。相変わらず察しが良いわね」
「褒められても嬉しくない!」
 叫ぶトラッドに、ナギサは諭すような口調でそっとこう囁く。

「これぐらいやらないと、幸運の女神は舞い降りてこないわよ?」

「その前に、なけなしの運が全部逃げ…………え?」
 怒りながら反論しようとした矢先、背筋が凍りそうな浮遊感がトラッドを襲った。
 それはキメラの翼を放り投げた時にも似た、彼にとってはあまり味わいたくない感覚。
「まだまだー!」
 いつの間にか凧に繋がった紐を解いていたナギサは全力で走っている。
「ちょ……ちょっと待てー!?」
 遠ざかっていく地面。速度を上げていく自分の身体。
(大体……何でヒールで走れるんだよ……!)
 そんな状況にも関わらず、トラッドは本当にどうでもいい事を考えていた。
 しかし、それで事態が変わるわけでもなく、むしろ更に悪い方向へ加速していく。
「………よしっ!」
 そこでナギサは何か手応えを感じ取ったのか、突然動きを止め、後ろを振り返った。
「……い」
 トラッドは呆気に取られた表情のまま――――青空へと吸い込まれていく。

「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ…………!!」

 そして悲痛な叫び声が世界に響き渡った。
「うんうん、風向きは上々ね」
 対称的に、ナギサは口笛を吹きながら器用に紐を操っている。
「やぁぁぁめ……ろぉぉ…………!」
 くるくる回る凧とトラッド。
 人は空を飛ぶ事に強い憧れを持つという話もあるが、今の彼を見れば、自らの手でその憧れを打ち砕くのかもしれない。
 それほどまでに、あんまりな光景であった。


 それから飛び続ける事、約数十分。


 ぷつ、という不吉な音が地上にいる2人の耳に入ってくる。
「……あ」
「どうかしたのか?」
 リノの問いかけに、ナギサは冷たい汗を額から流し、乾いた笑い声を上げながらこう返事した。

「あははは…………糸、切れちゃったみたい」

「……え?」
 つまり今、トラッドと凧は完全に風の吹くままに飛んでいる、という事になる。
 遠目から見る限り、まだ彼は幸いにもその事に気がついていない。
「このままだと……」
 呟くナギサの見据える先にあったのは、
「……海に落ちる……?」
 空とは違う青を持ち、同じく果てしない大海原。
「とりあえず追うわよ……!」
 さすがに焦りを隠しきれないナギサと、不安を抱きっぱなしのリノは大慌てで駆け出すのだった。


「……あれ?」
 その頃の上空。
「凧って確か……」
 糸がついていたはずだ、とトラッドは当たり前の事を改めて考える。
(……なのに)
 その肝心の糸に引っ張られる感じがしない。
 つい先ほどまでは、嫌というほど感じざるをえなかった糸が、である。
(…………まさか)
 そこで彼は、ある結論に辿り着いた。
(……え……っと……?)
 唯一の命綱が切れたのではないか、という最悪の結論に。
 トパーズ色の瞳に映っているのは、寒々しい青を身に纏った海。
 風向きから考えると、このまま落ちるのは目に見えていた。
「……どうしろと?」
 今、彼は凧に括りつけられているが、無理をすれば脱出できない事も無い。
(でも……)
 そうすれば、この高さから地面に叩きつけられる事になる。
 しかも彼はキメラの翼が苦手な為、普段から持ち歩いていなかった。
「わ……!?」
 絶体絶命の状況を後押しするかのように、一際強い風が吹く。
 その時、トラッドは凧がぐらりと傾くのを、身体中で感じ取った。


「……良い方法を思いついたわ」
 凧が海へと落ち始めた時、ナギサはそう口にしながら呪文の準備を始める。
「要は……墜落する前に安全な場所に運べばいいのよ」
「え……でも、どうやって?」
「……こうするのよ!」
 彼女はリノの疑問に答えつつ、両の掌をトラッドに向けると、

「……バシルーラ!!」

 凛々しい声で思い出したばかりの呪文を唱えた。
「っ……!」
 瞬間、ナギサの周囲から生まれた力ある風が、見事トラッドに直撃する。

 その結果、彼は海に落ちる事無く――――遥か彼方まで吹き飛ばされていった。

 ……………………

「ふぅ……何とか成功したわね」
「……それで、トラッドは?」
 リノの当然の問いかけに、ナギサはわずかに考えた後、明後日の方向を見つめながらこう呟く。
「まぁ……海に落ちるより生存確率は高いから大丈夫よ」
「…………それは大丈夫って言わない」
 何も打つ手が無くなったリノは彼の消えた方角を不安げな瞳に映しながら、大きなため息をつくのだった。



 一方、ナギサの呪文によって、見知らぬ場所へ飛ばされたトラッド。
「……生きてる、か……」
 彼は幸いにも緑豊かな大木へ、凧と共に打ちつけられていた。
 周りから聞こえてくるのは、沢山の子供たちの笑い声。
 あまり目立つ事を好まない彼だが、今は何処かの村でしっかり注目を集めてしまっている。

(これで……今年の運は全部使い果たし……た……な……)

 それでも一応、助かった事に安堵して気が抜けたのか、トラッドはあっさりと意識を手放すのだった。


 その夜、ナギサはリノとヤヨイ、そしてラザにまでこっぴどく怒られる羽目になり…………
 彼女はトラッドをハリセンで叩こうと決意するのだが――――それは、また別のお話。



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