「変拍子のバラッド」


 それは、何とも不思議な光だった。
 とはいえ、正体が不明というわけではない。むしろ、見慣れているとすら言える。
 ただ、当たり前すぎて、あまりに口にすることがないという事。

 何故なら、その光は太陽が発しているものなのだから。

「ん……」
 カーテンの隙間から差し込む光を目覚まし代わりに、ラザはゆっくりと瞼を開いていく。
 そして、すぐさま顔を覆う赤い髪を左右へ流すと、緩慢な動作で身体を起こした。
 ここは宿屋の一室。殺風景ではないが、華やかとも言えない、至って普通の部屋である。
 唯一、心に潤いを与えそうな物といえば、簡素なテーブルに置かれた一輪の薔薇ぐらいだが、不満があるわけではない。
 野宿とは比べものにならないのだから、これ以上求めるのは贅沢というものだ。
(確か……休息日、か)
 ぼんやりと辺りを見回しながら、ラザは胸中で今日の予定を呟く。
 最初は半信半疑であったが、時間が経つにつれ、それは確信へと変わっていった。
(身体が、重い……?)
 しかし、いつもと違う事が一つある。それは、旅慣れたはずの身体から、疲れが抜けきっていないという事。
(昨夜、何かあったか?)
 再びベッドへ横になり、原因を探ろうと試みるラザだが、
(……俺は何をしていた?)
 不思議な事に何も思い出せなかった。食事や会話の内容はおろか、自分がどういう道のりを辿ったのかさえも。
 その時、何の前触れもなく、木製の扉が悲鳴を上げた。
 少なからず動揺する彼だったが、相手が誰なのか分かっているため、起き上がりはしない。
(…………寝たふりをしていれば大丈夫か)
 相手の性格を知り尽くしているからこそ浮かんだ、最善の策。
 ラザはその方法に従って、目を閉じたままやり過ごそうと考えたのだが、

「ラザ……ラザ……」

 意外にも彼女は、耳元で自分の名前を囁き始めたのである。それも幾度となく。
(なっ……!?)
 完全に不意を突かれた彼の心臓が、一際大きく跳ね上がった。
(い、いや……これは気紛れか、何かの間違いだ)
 しかし、長い年月によって培われたラザの心は、平常心を保ち続けている。
 これがトラッドだったなら、すぐ引っ掛かっていたに違いない。
「ねぇ、ラザ」
「…………」
「ラザってば……朝よ?」
「………………」
「早く起きて、一緒にごはん食べよ?」
「……すー……」
 彼女が居座り続けてから、数分の時が過ぎる。
 居たたまれなくなった彼は、ついわざとらしく寝息を零してしまった。一縷の望みを託して。
「もう……!」
 すると、彼女は何を思ったのか、右手でラザの左頬に触れる。
「これで起きなかったら……本気で怒るから……」
 そして、寂しげな声で物騒な事を口にすると、もう片方の頬に顔を寄せ、

「……ん」

 甘い香りを伴った柔らかい"何か"を、強く押し当てた。

「…………っ!?」
 一体、彼女は自分に何をしたのか。
 瞬時に悟ったラザは、早く脈打つ心臓を右手で押さえながら、珍しく慌てた様子でベッドの端へと逃げ込んだ。
「やっと起きたわね……おはよ、ラザ」
 目の前にいる女性。それは、子供のように顔を綻ばせている金髪碧眼の女性――ナギサだった。
 トレードマークのウサギの耳は、彼女の動きに合わせて楽しげに揺れている。
「……今、何をした?」
「へ? もしかして……起きてたの?」
 挨拶も忘れて尋ねたラザだが、うかつにも墓穴を掘ってしまったらしい。
 瞬間、彼女を取り巻く空気が、殺気に近いものへと変貌していく。
「あ、いや……ちょうど目を覚ましたところ、だから……」
 不穏な気配にすぐさま気がついた彼は、咄嗟に言い訳をした。
 何も悪い事はしていないはず、と理不尽な思いをひた隠しながら、だ。
「ふぅん……それより、早くごはん食べない?」
「え?」
「凄くお腹が空いてたの。なのに、ラザったら中々起きてくれないから」
「……悪いことをした」
 ナギサなら先に食べていてもおかしくはない、と思ったのは事実だが、何故か彼女は自分を待っていてくれたらしい。
 それが分かったからこそ、ラザは素直に謝罪したのだが、
「あ、別に怒ってるわけじゃないの。ただ、久しぶりにラザより早く起きたから、からかってみたくなって、ね」
 彼女は言葉通りの楽しげな表情で、うーんと背伸びをした。
「そう、か……じゃあ、すぐに準備するが……」
「何?」
 心に違和感を残しながらも、彼はベッドから降りて、ナギサに問いかける。
「その……さっきは何をしたんだ?」
「へ?」
「何って言われても……いつものことじゃない」
「え?」
「もしかして、まだ寝惚けてる?」
 だが、答えを返すナギサの様子は、少し明るい以外は普段と変わりない。
「そ、そうみたいだな……ちょっと顔を洗ってくる」
「だったら、ここで待ってるわね」
「……ああ」
 追求を諦めたラザは、足早に水がある場所へと歩を進め始めた。
(少なくとも俺にとっては、いつものことじゃない……!)

 寝ている自分の頬に唇を落とすなんて――

 その途中、彼はあの柔らかな感触を思い出してしまい、顔を真っ赤にした。


 
「今日はどうしよっか?」
「…………」
 他愛もない会話に弾む朝食を終え、二人は外を歩いていた。
 しかし、ラザの気持ちは晴れ渡る空や彼女と違って、曇天模様である。
「ラザはどこに行きたい?」
「………………」
 理由は言うまでもなく、ナギサにあった。
 確かに好きな相手と一緒に過ごすのは、至福の時以外の何者でもない。
 現に朝起こしに来た事も、頬にキスをされた事も、驚きはしたものの、純粋に嬉しいと思う。
(今日に限って、どうしてこんなに可愛らしい――いや、いつも可愛いといえば、可愛いんだが……)
 彼は首を横に振って、消えない違和感の正体を突き止めようとするが、浮かれた発想は、より浮かれた方向へしか進もうとしない。


 朝食の時、まだ冷静だった彼は、助けを求めようとリノやトラッドを探したのだが、二人の姿はどこにも見当たらなかった。
 疑問を感じたラザは、意を決してナギサに行方を尋ねてみたものの、

「リノちゃんたちなら、この前会ったじゃない。相変わらず元気そうだったでしょ?」

 分かったのは二人がここにいない――つまり、自分はナギサと二人で旅をしているという事だけだった。
 そこで彼は、この信じられない状況を打破しようと、とりあえず外に出ることを提案したのである。


 しかし、宿の外にあったのは見知らぬ町並と、どこまでも澄み切った青空だけ。
 だからこそ、彼はますます混乱してしまい、思考の渦に迷い込んでしまったのだ。
 愛しい相手の声も聞こえないぐらいに深く。
「えいっ」
「……え?」
 その時、不意に左腕が温もりに包み込まれ、ラザはようやく我に返る。
 彼はわずかに目を見開いて、隣を見ると、
「ナ、ナギサ……?」
 彼女は不機嫌そうな様子で、抱き締めるように強く、腕を絡ませていた。
「だって……さっきから何も言ってくれないから」
「あ、いや……少し考え事を――」
「考え事、って?」
 動揺に支配され、つい口走ってしまった言葉に、ナギサはますます機嫌を悪くする。
「……その……」
「何?」
 ラザは忙しなく辺りを見渡した後、
「……これからの、ことを」
 どう受け取られても差し障りのない答えを呟いた。
 直後、彼女の腕がするりと解かれる。それによって冷静さを取り戻した彼は、ふとここにはない現実を思い出した。

(そうだ……俺は、ナギサとこんな関係じゃ……)

 もちろん、こうなればいい、という夢はあった。
 だが現実は、自分の想いを告げるどころか、やっと仲間として認めてもらえた程度。
 正直、目を合わせるだけでも、互いに緊張するぐらいだ。
「……そっか。昨日の言ってくれたこと、考えててくれたんだ」
 そんな想いを知らない彼女は、今にも消え入りそうな声でそう呟く。が、昨日も今も現実味を感じられないラザには、じっと待つことしかできなかった。
「私は……いい、けど」
「え?」
 過酷な旅を続けながらも尚、美しさを損なわない彼女の肌が、ほんのり赤く染まる。
 いつの間にか彼の心臓は、今にも飛び出しそうなほど暴れ出していた。
「だから……!」
「…………」

「私は……ラザと結婚――――」

 しかし、ナギサが言い終えるよりも早く、世界は純粋な白に塗り潰され――跡形もなく、消滅してしまった。


 ………………………
 ………………
 …………


 気がついたラザが弾けるように身を起こした場所は、宿屋の一室にあるベッドの上だった。
「……夢、か……」
 彼は額に浮かぶ汗を拭うと、未だ暴れ回っている心臓の上を掌で押さえ付けようとするが、それで静かになるわけがない。
 何故なら夢で見た彼女の笑顔や肌の温もりが、今も彼の中に残っていたからだ。
「本当に、どうかしてる……」
 徐々に薄れてゆく、幸せと言い換えてもいい感触。その後に残るのは、深い罪悪感。
 それでも、果てしなく落ち込むことがなかったのは、
(でも……綺麗、だった)
 ナギサの笑顔のおかげでもあった。つい思い出してしまった彼は、また頬にさっと朱を走らせる。
「今日は……まともに顔も見れそうにない、か」
 そして、ラザが大きなため息を一つ吐いた時。
「誰の?」
 ベッドの下から、ちょうど脳裏に思い描いていた人物の声が聞こえてきた。
「え、あ……ナギ、サ……?」
「やっと起きたわね……おはよ、ラザ」
 夢と同じ挨拶をするナギサに対し、彼は夢と同じくベッドの端へと逃げ込んだ。
「な……そこで一体何を……?」
 だが、さすがに理由までは違うだろう、と一応尋ねてみたのだが、
「んー、何となくラザをからかってみようと思ったんだけど?」
 言葉遣いは多少違えど、中身は予知夢かと思えるぐらい同じであった。
 逆に、それだけ彼女のことをよく見ている、と言えるのだが、慌てている彼と何も知らないナギサが気づくわけもない。
「……で」
「何だ?」
「結局のところ、誰なのよ?」
「あ……」
 そうして話は振り出しに戻るのだが、ラザは答えない。いや、答える事など出来ない。
「もし、悪い夢でも見たんだったら……話ぐらいは聞くけど」
 寝起きで顔を見たくない、と呟く理由。よく考えれば、夢見が良くなかったのだと分かる。
 しかし、瞬時に結論を導き出したナギサの鋭い観察眼に、彼は思わず感心してしまった。
「……いや」
 それからラザは、彼女の不安げな視線を感じながら、首を小さく横へ振ると、

「今までに見たどんな夢よりも……良い夢だった」

 穏やかな笑顔で、誰よりも嬉しそうに呟いた。
「……へ? じゃあ、なんで」
「いいから、朝ご飯に行こうか。お腹も減ってるだろ?」
「それは、まぁ……うん」
「すぐ準備するから、少し待っていてくれ」
 返事も待たずに準備を始めるラザは、ナギサの頬がほのかな桜色に染まっている事には気づいてなかったが、


 ――彼の心は、ささやかながらも確かな幸せを感じていた。



 


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