「混乱が招く困惑」


「ラザりん、というのはどうでしょうか?」

 ことこと流れる、平和な夕食のひととき。
「……は?」
 だが、久々に再会したヤヨイの唐突な提案に、世界はあっさり静止した。
「ラザ、りん?」
「はい!」
「ラザりん……」
「他にも候補はあったんですけど、これが一番だと思ったんです」
「それでも、ラザりんって……ぷ……あははははははは!!」
 真っ先に我へ返ったナギサは、盛大な笑い声を上げる。
「……ナギサ、あまり笑うな」
「だって、ラザりんよ? ラザりん!」
「後、繰り返すな」
「照れなくてもいいじゃない! ね、ラーザーりん?」
「っ……!」
 珍しく頬を朱に染め、咳き込んでいるのは、当の本人。
 いくら冷静沈着な彼でも、この呼び名はかなり恥ずかしいのだろう。
 しかも、からかっているのは、密かに想いを寄せる相手。尚更に違いない。
「そ、そもそもヤヨイ」
「はい?」
「どうして、その……だな」
 取り乱しながらも、問い質そうとするラザだが、どうしても肝心の一言が紡げなかった。
「何ですか?」
 一方でヤヨイは、きょとんとしているものの、決して確信犯ではない。それは誰もが理解している。
 だからこそ、誰よりも恐ろしい。とだけ、トラッドは胸中で呟いた。
「どうして、ラザりん……でしょ?」
 代わりに抵抗のないナギサが、弾んだ音色で捕捉すると、
「あ、そういえば理由がまだでしたね」
 ヤヨイはポンと手を叩き、ようやく納得した素振りを見せた。
 リノやトラッド、ナギサとは異なる鈍さだ。
「私、思ったんですけど……」
 紆余曲折を経て。やっと説明を始めたヤヨイに、四人が注目し始めたが、
「ラザさんって、あまり笑わないですよね?」
 再び時は止まった。清らかな笑顔が告げる、容赦ない真実に。
「ま、まぁ……確かに」
「いつも微笑んでいるラザって」
「……想像、できない」
 絶句する本人に構わず、ナギサとトラッド、リノまでもがぱらぱらと酷い感想を口にする。
「でも、皆さんもご存じの通り、本当は凄く優しいじゃないですか」
「……どうも」
 今度はラザ。伴って、うっすら桜色の頬が、より赤みを帯びていく。
「けど、町の人に誤解されちゃったら、突然襲撃されるかもしれな――」
「それはない」
 が、一瞬。たちまち平常心を取り戻した彼は、にべもなく否定した。
「というわけで、まずは可愛い名前で安心させようという作戦なんですよ」
 しかし、ヤヨイは微塵も意に介さず、魂胆を述べた。いや、本人にとっては、精一杯の思い遣りだが。
「ヤヨイちゃん……それで」
「はい! ラザり――」
「頼む! それ以上、言わないでくれ……頼む、から」
 結局、この日。
 リノとトラッドには、気まずく視線を逸らされっぱなしで。
 ナギサとヤヨイには、多分可愛いらしい名前を繰り返されっぱなしで。
 止める術を知らないラザは、病魔にも似た熱に、うなされ続けるのであった。



 それから、数日後。
 束の間の休息を経て、旅を再開させたリノたちは今――戦闘に身を投じていた。
 襲いかかってきたモンスターは、二種類の群れ。
 一種は紫の体毛と、人を遙かに凌駕する巨躯を持つ大猿、キラーエイプ。
 もう一種は、弛みくすんだ黄緑の袋に似た身体と、歪な木の杖を持つ魔法使い、幻術師。
 既にキラーエイプはいない。仲間の一匹が倒された時に力の差を感じ取ったらしく、すぐ逃げ出したからだ。
 とはいえ、追うつもりはなかった。むしろ、好都合。体力を消耗しなくて済む。
 だが、逃亡するキラーエイプの陰。巻き起こる粉塵の中。
「ナギサ……!」
「え?」
 まるで皺のような相貌でにたり、と。幻術師は彼女を見据えていた。
 すかさずラザは、事が起こる前に一撃を見舞おうと考える。
「メダパニ」
 が、その行動――想いは届かない。
 彼よりも一足早く、幻術師は杖を掲げ、最も得意とする混乱の呪文を唱えた。
 その直後。ナギサは不自然に硬直し、目と身体をぐるぐる回したかと思えば、
「……はにゃ〜?」
 微妙に愛らしい奇声を上げつつ、地へ伏してしまった。
「リノ! トラッド!」
 珍しく、ラザが叫ぶ。モンスターは任せる、という意図を込めて。
 瞬時に察し、頷いたリノとトラッドは、それぞれの武器を手に幻術師へ向かっていった。
 そして、駆け寄ったラザはナギサの身体を揺り動かす。
「ナギサ! ナギサ……!」
 通常、メダパニを受けた人間に近づく行為は危険極まりない。
 例えどのような間柄であっても、襲われる可能性が高いからだ。
「ナギサ……しっかりしろ!」
 当然、彼もその事は分かっていたのだが――心配が生む動揺に、すっかり失念していた。
「う……」
「ナギ、サ?」
 やがて、瞼に隠れていた碧眼が、少しずつ露わになっていく。
「……よかった」
 今が戦闘中である事も。彼女がメダパニにかかっている事も。
 全てを忘れ、ただ安堵の息を落とすラザ。
 様々な感情に揺れる赤い瞳は、想いの深さを証明するように、果てしなく優しかった。

 だが、次の瞬間。状況は一変した。

「……ラーザーりんっ」
 忘れかけていた、あの恥ずかしい呼び名を口ずさむナギサが、
「は?」
 突如、抱き着いてきた事によって。

「ナ、ナギサッ!?」
「ふにゃー……」
「いや、その……と、とにかく……は、離れてくれ、ない、か?」
 半ば押し倒された形で、先ほどとは違う戸惑いを覚えるラザ。
 それでも双肩を掴み、何とか彼女を引き剥がそうと試みた。
「だ〜めっ」
 しかし、相手の力が強いのか、単に力が入らないだけなのか。
 彼女は離れる事なく、ラザの顔をしなやかな指先でつついたりしている。
「お、おい……!?」
「ラーザりんったら、ラ・ザ・りんっと……うにゃん」
 更にナギサは、背中へ手を回すと、
「っ!?」
 夕焼けよりも色濃い彼の頬へ、自身の頬を擦り寄せ始めた。

 柔らかい身体。瑞々しい唇。甘く零れる吐息。
 幾度も奏でられる音色は、無邪気なようで艶っぽい。

 正直、可愛い。
 伝わってくる体温が、どうしようもなく愛おしい。
 本当は手放したくない。ほんの一時すらも。

 どくんどくん、と。激しく脈打つ鼓動が、耳に絡みついてくる。
 まるで、全身の血液が沸騰しているような錯覚の中。ラザは強く、一途に彼女を想った。

「ラーザーりんー……だいすきっ」
 だからこそ、改めて気づかされた。
 今のナギサは混乱しているだけで、本心で行動しているわけではないのだと。
「……ああ、俺も――」
 ラザは呟きかける。普段なら、決して口にできない気持ちを。
 だが、それも束の間。
「……いや……何でもない」
 小さく首を横へ振った彼は、ゆっくりナギサを遠ざけつつ、自らの言葉を遮る。
 そして、すっと手を伸ばして、細く白い首の後ろを、とん、と叩くと、
「本当に……世話が焼ける」
 崩れ落ちる彼女を優しく抱きとめ、何とも幸せそうに淡く微笑んだ。
「……ラザのあんな顔、初めて見た」
「ああ」
「それに、その……恋人同士、みたい」
「……いつもはそんな風に見えないけどな」
 一方、戦闘を終えたリノとトラッドは。
 互いにぎこちなく、隣を意識しながらも、二人の姿を温かく見守るのであった。



 ちなみに、その後。
 程なくして、ナギサが目を覚ます。当然、混乱中の記憶を失ったままで。
「…………」
 だが、持ち前の直感で、仲間の誰かに叩かれた事だけを察すると、
「……そこへ、なおれぇっ!!」
 相変わらずの神速で、ハリセンを閃かせた。


 例によって、何の罪もないはずの――――トラッドに。



※後書き
 というわけで、今度こそ1st戦遊の気まぐれSSです。
 本編へ戻るためのリハビリだけでなく、自分の書きたい事も詰め込みました♪
 正しく、一石二鳥という事で(笑)

 姐さんとラザで、こういったお話を書きたいと常日頃思っていましたが、一筋縄ではいきません。
 かといって、ラザが積極的になるとも思えないので……やはり、姐さんの出番となりました。
 毎度の事ながら反則技で、オチはもはやお約束ですけど(苦笑)

 にしても、無意識でもナギサとヤヨイが組むと、間違いなく男性陣が苦労するような。
 そう考えると、リノが色々な意味で貴重な存在に思えます。

 だからこそ、ナギサとヤヨイのコンビを書くのは、好きなんですけどね(笑)



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