※注意※
 このお話は現時点(9章その1)よりも先のお話となります。
 時間や場所の設定が曖昧だったり、敢えて伏せている部分もあります。
 特にネタバレなどはございませんが、読まれる方は一応お気をつけ下さいませ。
 ……何に気をつければいいのかは、よく分からないんですけど(笑)


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 その日は久しぶりの休息日だった。

「人、多いな……」
 そう呟くトラッドの横にいるのはリノ。
「ああ」
「はぐれないように気をつけないとな」
 他愛も無い会話を交わした後、2人は大勢の人で溢れかえっている街へと歩き始めた。

 こうしてリノとトラッドが並んで買い物に行くのも、2人にとってはすっかり慣れ親しんだ光景。
 ただ、この日は今までとは大きく違っている事がある。それは――――

(女……なんだよな)

 今まで疑うどころか考えもしなかった事実。
 思えば、しばらくバタバタしていたので休息も取っていない。
 つまり今日は――――彼がリノを女だと知ってから初めて2人で出かける日なのである。
(どうして今まで気付かなかったんだか……)
 細い四肢に白い肌。太陽の光を受けて輝く艶やかな黒髪。
 起伏はあまり無いが、丸みを帯びた身体つきや時折見せる仕草は、どう見ても少女のものである。
 そして、以前からずっと思っていた事。
(やっぱり……可愛いよな)
 男だと思っていた時は、たまに綺麗だと思うだけだったが、最近はつい見惚れてしまう事がある。
 その度にナギサから、やましい事を考えるな、とハリセンで叩かれるのだが。
 ふと、自分の過去の行動を思い返すと、返す言葉も無かった。
「……トラッド?」
「え?」
 ふと気付くとリノがこちらを向いていた。
 少し見ていたはずだったのだが、どうやら知らない内にまた見惚れていたらしい。
「どうかしたのか?」
 まさか自分がそんな風に見られているとは思わない彼女は、ただ心配そうな表情を浮かべる。
「……リノの事考えてた」
 トラッドは思考に気を回しすぎていたせいか、思った事をそのまま口にした。
「私の……事?」
「あ……っ!? えっと、いや別にそういう意味じゃなくて……!!」
「そういう意味って?」
「だから……その……疲れてないか、とか……」
「……別に大丈夫だけど」
 あまりに不自然な流れだったが、幸いな事に彼女はそれ以上追及してこない。
 心の中では安堵しながらも、トラッドは再び考え込んでしまうのであった。

(……まだ一緒に旅が出来るんだ)
 一方、リノの方はというとずっと内に秘めていた想いが明るみに出たせいか、相変わらず無口なものの空気が柔らかくなっていた。
 自分の事を知った後でもトラッドは離れる事無く、こうして買い物に行ってくれる。
(でも……やっぱり怒ってるのかな)
 ただ、時折今までと違う視線を向けられると、まだ不安な気持ちは拭い去れない。
 心配そうな顔はよく見るが、怒った顔は本当に見た事が無い。
 口に出さないだけなのかも知れない、とリノはふと思う。
(…………私の事、どう思ってるんだろ)
 ふと沸き起こった疑問に、彼女はハッとなって赤くなった顔をあからさまに逸らした。
 それは最近、自分が今までより意識している事。
(やっぱり……仲間なのかな)
 決して不満なわけではない。それでも曖昧な感情が心の中で声を上げている。
(私は…………どう思われたいんだろ)
 昔感じた痛みとは違うもの。リノはまだその気持ちが何なのかは知らなかった。



「リノ、大丈夫か?」
「うん、何とか……」
 目的の道具屋は街の中心にあるのだが、そこに近づくにつれて人の数は増えていく。
 トラッドは先ほどからしきりに彼女の場所を確認しながら歩いていた。
(でも何でこんなに……あ)
 人が多いのに疑問を感じ始めた時、リノは街の中央に真っ赤な大きいテントが張ってあるのを発見する。
「トラッド……もしかして」
「みたいだな」
 人ごみを掻き分けて彼の隣に並ぶと、そびえ立つテントを立ち止まってまま見つめた。
 そこにはカラフルな文字で『パノン大サーカス』と書かれてある。
「……なるほど」
「知ってるのか?」
 口元に右手を添え、彼は納得したような素振りをした。
「何でも世界を旅する凄い集団で、観た人はあまりのおかしさに忘れられないとか……」
「そうなんだ」
 更に彼が言うには、パノンというのは創始者の名前らしく、今はその志を受け継ぐという意味で一座の名前になっているらしい。
 噂というものは何かと大きくなりがちな上、元々の評判が良いのであれば人が多いのも頷ける話だ。
 それほど大きくない街のはずが急に広くなったように感じ、トラッドはため息をつきながら歩き出そうとする。
「あ、それなら……」
 その時、慌てて後に続こうとしたリノが何かを思いついたような声を零した。
 同時にトラッドの右手に柔らかくて温かい感触がすっぽりと収まる。
「え……?」
 それが彼女の左手だとすぐに理解した彼は、反射的にその手を離してしまった。
「あ……」
 曇った声が耳に突き刺さると、トラッドはすぐに振り返って彼女を見た。
 俯いた顔に浮かぶ表情は見えなくても想像がつく。
「ごめん……」
 彼はすぐに謝ろうとしたが、リノが先に謝ったので言葉を失ってしまった。
「……リノ」
 それでも精一杯、彼女の名前を呼ぶ。しかし続きは出てこず、結果的に彼女が何か言うのを待ってしまう。
「本当は……ずっと黙っていた事、怒ってる……?」
「そんな事――――」
「トラッドが何も言わないから……甘えてた」
「…………違う」
 彼の声は小さかった。それは、最近のぎこちない自分の態度を後ろめたく思っていたから。
「本当に…………ごめん」
 聞き取れなかった上に彼の顔を見れなかったリノは怒っているのだと勘違いし、その場から逃げるように駆け出していた。
「リノ……!」
 誰かにぶつかろうともおかまいなしに走る彼女を呼ぶが、声はかき消されて届かない。
 そうして間もなく、リノの姿は見えなくなった。
(俺は……何をして……!!)
 今日の彼女は手袋をしていなかった。
 思い返せばそれは初めての事で、もしかすると今までは隠そうとしていたからかもしれない。
 だから、ただでさえ意識しているリノの柔らかい掌の感触に驚いてしまったのだ。
(……リノの何を見てたんだ……?)
 ずっと気付かなかったせいで、彼女は偽りの姿を演じ続けていた。
 今までも不安にさせていたのに、知った後の自分の曖昧な態度が更に拍車をかける。
 そんな状況で例えわざとじゃなくても、手を振り払えば傷つくのは当然だった。
(本当に……最低だ)
 トラッドは自分への怒りから両拳を固く握り締める。
 そしてすぐに彼にとっていつの間にか大事な存在になっていた――――リノを探し出すのであった。



「はぁ……はぁ……っ」
 それからしばらく時間が経った頃、リノは街外れの大木に座り込んでいた。
 何も考えず、ただ全力で走ってきたせいですっかり息が切れてしまっている。
(……トラッドは何も悪くないのに)
 自分が逃げ出してしまった、その事が激しく彼女を責めていた。
 落ち着こうにもかき乱された心がそれを許さない。
 そこにあったのは、胸の痛みと息苦しさと――――他に例えようの無い悲しみだけ。
(どうして……?)
 ずっと女だという事を隠していた時は知らず知らずの内に壁を作っていた、と最近気が付いた。
 だからそれが明らかになれば、自然に彼と接する事が出来る、と思っていたのだ。
 しかし、実際は不自然でぎこちなくなっていくばかり。
 むしろトラッドに気づかれていない時の方が、上手くいっていたような気がした。
(あのままの方が……良かったのかな……)
 リノの黒い瞳から涙が溢れてくる。必死に抑えようと幾度も手で拭い去るが、一向に止まる気配は無い。
(知ってもらえて……嬉しかったのに……ずっと知って欲しかったのに……!)
 いつ頃からそう思い始めていたのかは分からない。
 ただ、その気持ちが強くなっていく事だけ確かだった。
(もう……一緒にいられない)
 ついさっき、自分がそれを壊してしまったから。
 そして彼女はようやく胸の痛む理由を知った。だが、過ぎた時間は戻らず、また涙が零れ落ちてくる。
「やっと……見つけた……!」
 その時、不意に聞こえてきたのは、慣れ親しんだ――――自分の好きな声。
「トラ……ッド……?」
 震えた声で途切れ途切れに呟くリノ。
 彼はそれに答えず、呼吸を整えながらゆっくりと歩み寄ってくる。
 そして、目の前に座り込んで――――彼女の柔らかな左手を握った。
「えっ……」
 リノは驚いて手を離した。まるでさっきのトラッドの様に。
「俺も……そんな感じだった」
「あ……」
「きっとはぐれないように、だと思うけど……いきなりだったから」
 彼はそう言いながら照れたような笑みを浮かべる。先ほどまではもう見れないと思っていた表情だった。
「ごめ――――」
「リノは悪くない」
「でも…………あ」
 頬に感じる温もり。それは瞳から流れる雫を拭う彼の手。
「ごめん……」
 まるでガラス細工に触れるように丁寧で優しい指の動きに、リノは一瞬身を固くするが、その心地良さにすぐ落ち着いた。
「怒って……ない……?」
「怒ってない」
「……本当に?」
「ああ……どちらかというとリノが怒っていいと思うけど」
「……そうなのかな」
 彼女は嬉しそうに泣きながら小さく微笑むと、更にこう呟いた。

「でも……良かった……」

(リノ……)
 その笑顔にトラッドは自然と両手を彼女の方へと差し出した。
「トラッ――――わ」
 彼女はそれが何を意味するのか分からず、きょとんとしていたが、いきなり頭が引き寄せられる。
 驚いてからまず視界に入ってきたのは、彼の着ている服の黒。
「……泣き止んだら言うんだぞ?」
「え……あ…………うん」
 次に感じたのは、早くなっている彼の心臓。
 そこでようやくトラッドが自分を抱きしめている事に気が付いた。
「その……リノには笑ってて欲しいから」
「……うん」
 本当はもう泣いていない。
 それでもリノは敢えて離れようとせず、背中に手を回してから彼の温もりに身を預けていた。



 高い場所にあった太陽は、すっかり西にそびえる山の近くまで傾いている。
「トラッド……そろそろ行こうか?」
「もう大丈夫か?」
「…………うん」
 本当はもっとこうしていたい。きっとリノがそう言えば、彼はそうしてくれる。
「あんまり遅くなると……ナギサが」
「……そうだな」
 宿屋で待っている彼女は、おそらくトラッドに、遅い、と言いながら問答無用でハリセンを振るうに違いない。
 それが不憫に思えたリノは、名残惜しそうに身体を離れさせた。
 急に今までの事が恥ずかしく思えて、彼女は背中を向ける。
「…………」
「……あ」
 その仕草にトラッドはくすりと笑うと――――リノの左手を軽く握った。
「…………はぐれてる時間なんて無いからな」
「……そっか」
 言葉の裏にある想いを読み取れない彼女は残念そうに呟きながら、彼の手をそっと握り返す。
 トラッドの手は震えていたが、それはリノも同じだった為、互いに気付く事は無い。
 何も話さないまま、静かに立ち上がって歩き出す。
 不器用な2人は互いの気持ちが分からない。けれど、今流れる優しい空気の中に言葉は必要なかった。
 リノとトラッドは手を繋いだまま、オレンジ色に染まりゆく街並をゆっくりと歩いていく。

 少しでも長くそうしていられるように――――


 ちなみに彼は、この後やっぱりナギサに叩かれたのだが、何かを感じ取った彼女もまた笑顔であった。




※後書き※
 というわけで「リノとトラッドの進展した話」というリクエストSSです。
 リクエストして下さったT様、ありがとうございましたー♪

 ただ私の考えつく限り、2人のこういう話はほとんど本編に組み込まれてしまっているので、これが精一杯・・・
 要は私の力不足なんですけど・・・・誠に申し訳ないです(涙)
 少しでも楽しんで頂ければ、とても嬉しく思います(汗)

 それでは本当にありがとうございました!
 



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