「――そして、あなたのために」




 三年の月日が流れた――



 ここ数日続いた雨、時折の豪雨が虚構か夢幻と思えるぐらいに澄み切った、雲一つない青空。
「暑い……」
 その只中を我が物顔の悠々自適といった面持ちで闊歩する太陽を睨みつけながら、トラッドはつい呟いてしまった。とはいえ、三年前にはない贅沢な悩みではあるため、本気で恨みがましく思っているわけではない。
 これが当たり前。
 風になびくカーテンの隙間から侵入し、強制的に目覚めを促す光も。額に汗が浮かぶ容赦のない日射しも。生きていく上で必要な作物に実りをもたらす優しい恵みも。冷えた身体に活力を与える、柔らかな温かさも。
 全て太陽が存在するからこその現象。
 夜明けが途絶えた夜よりも深い闇の世界、という状況が異常だっただけで、これが世界の、引いては其処で生きる人間の、本来在るべき姿なのだ。
 だからこそ、どんな陽光も愛おしい。
(……暑いことには変わりないけど)
 もちろん限度はあるが、それはご愛嬌。全く別の問題。
 在るべきはずの太陽が無い事に比べれば、些末事なのである。


 あの日――自分の"使命"に気づいた後。


 彼が最初にした事は、休息。
 本当はすぐにでも出発したかったのだが、
「焦る気持ちは分かるけど、それでトラッドが倒れたら意味がないでしょう?」
 というナギサのもっともな意見に従った結果、費やした時間は約二日。ナギサやラザ、ヤヨイはこれでも短すぎると言ったが、最終的にはトラッドの想いを汲んで、快く頷いてくれた。
 それから、初めに向かったのはラダトーム城。
 "彼女"自身を捜し、見つからなくても何かしらの手掛かりを探す、という目的もあったが、王にこれまでの非礼を詫び、これからの事を――戦いの中ではぐれてしまった"彼女"を捜す旨を伝えるためでもあった。
 そこで王は少し眉根を寄せる。おそらくは三日前、ナギサとラザが二人だけで城を訪れた意味を、漠然と察したのだろう。
 しかし、何も言わなかった――代わりに。
「では、わしらにも協力させてくれんかの?」
 殆ど間を置かず、こう申し出てくれた。
 対して四人が是非とお願いすると、王は可能な限りの兵を集め、すぐにキメラの翼で各地へ派遣する手筈を整えてくれた。
 正直、予想外だった。
 たとえ四人が"彼女"の無事を信じていても、客観的に見た状況は明らかに絶望的だったからだ。それにもし信じてもらえたとしても、ゾーマの支配で疲弊したアレフガルドの復興を差し置いてまで協力してもらおうとは思ってもいなかった。
 更に、これだけでも十分に、いや、十二分にありがたいというのに、
「すまんのう……これが今の精一杯なんじゃ」
 と王は、数人の兵士たちと共に頭を下げた。
 大慌てで首を横に振ったトラッドは、とんでもない、とその場にいる全員に感謝の気持ちを告げ、
「ですが、けして無理はしないで下さい。皆さんに倒れられては困りますから」
 最後にこう添えた――のだが。
「一番無理して倒れそうなトラッドが言ってもねぇ……」
 付け加えられたナギサの的確な指摘により、彼にとっての"彼女"が、また"彼女"にとっての彼がどういった存在なのかが瞬く間に知れ渡ってしまい、城内は希望の満ちた笑い声に包まれるのであった。

 そういった経緯を経て、次に四人が訪れたのはリムルダール。正確には、ゾーマの城へ向かう前に立ち寄っただけだが、かといって"彼女"を捜さない理由はない。

 "彼女"は見つからない。

 捜している途中、虹の橋は残っているのだろうか、と気づいたのだが――二日後。不安に苛まされながらも足を運んだ西の岬には、橋が架かったままだった。
 それは希望のように思えた。
 何故なら、この架け橋は"彼女"の生み出した希望みちだからだ。
 もしかすると残滓なのかもしれないが、"彼女"の無事を信じる四人の瞳と心には希望としか映らなかった。

 そうして辿り着いた――かつてのゾーマ城。

 外観は、あの全てを飲み込む邪な印象こそ消え失せていたものの、まるで崩壊などなかったかのように綺麗だった。しかし、内部はやはり生々しい傷痕が残っており、とても"彼女"を見つけ出せる状態ではなかった。
 それでも四人は、人の限界に挑み、果ては限界を超えるまで懸命に、束の間の休息を惜しんでまで捜し続けた。

 "彼女"は見つからない。

 そんな中、"彼女"の荷物だけが見つかった。寿命のある食料はさすがに腐敗が始まっていたが、それ以外の物――例えば、白いワンピース――は奇跡的に無傷だった。
 トラッドはしばし、その真っ白な想い出をトパーズで見つめ、ぎゅっ、と抱き締めてから、自分の道具袋にしまう。

 この服を持っていれば。
 いつでも"彼女"の笑顔を思い出せる。
 いつでも"彼女"を近くに感じられる。

 そして。

 いつか"彼女"に出逢える日が来ることを信じられる。

 ゆえに彼は、丁寧に折り畳んだ服を大事にしまったのであった。


 ゾーマの城を出た後。
 トラッドは三人に、手分けしよう、と提案した。
 その方が効率がいいと考えたから――というのは、本心ではあるが建前。
 本当の理由は二つある。
 一つは、ナギサとラザのこと。
 道中、隙を見て二人に現在の関係についてを訊ねた際、返ってきた答えは否定だった。それはきっと事実で、彼も特に疑ってはいない。だが、全く何もない、と思わなかったのも、また事実。
 そこでトラッドは、ふと思った。
 今、二人に必要なのは時間ではないか、と。
 それも単なる時間とは違う――二人だけの、時間。
 ただ、正直に話したところで断られるに違いないので、敢えて効率という言葉を選んだのだ。
 もう一つは、ヤヨイのこと。
 彼女に関しては、根拠や確信があったわけではない。
 しかし、ずっと何かを――いや、誰かのことを気にかけている風ではあった。
 それにヤヨイは、まだ両親と再会を果たしたばかりなのだから、その時間を大切にして欲しいとも思った。
 一緒にいられるのは、傍にいてくれるのは嬉しいし、何よりも心強い。
 こんな状況でも、そうでなくても、だ。
 言えば、三人とも間違いなく拒否する。もっと頼れ、と怒るかもしれない。
 それは分かる。分かっている。
 自分だって、そう。
 もし同じ事を言われたら、同じ行動を取るに決まっている。
 けれど。
 だからこそ、他でもない自分自身のことを大事にして欲しい。
 誰かのために、何かをする。

 たとえ、その"誰か"が、大事な人であっても。
 たとえ、それ以外の方法がなかったとしても。

 自分を犠牲にはしないで欲しい――"彼女"のように。

 大切な仲間だからこそ、そう願わずにはいられなかった。

 願うがゆえの、決断。
 想うがゆえの、決意。

 きっと――否。
 確実に見抜かれている、とは思う。
 だが、それゆえに、だろうか。


 優しい別離を経て――トラッドの一人旅が、始まった。



 リムルダール、マイラ、ラダトーム、ドムドーラ、メルキド。
 ラダトーム北西の洞窟、ドムドーラ北の洞窟、ルビスの幽閉されていた塔。
 トラッドはアレフガルドを巡る。

 "彼女"は見つからない。

 移動は徒歩と船。町へ戻る時でもキメラの翼は一切使わなかった。
 岩山の陰や森の中、豊潤な緑の芽吹く平野、などなど。
 ありとあらゆる可能性を想定したからだった。

 "彼女"は見つからない。

 雨が降り、風が荒れ、雪が積もる日もあった。
 また、太陽が出ていても陽炎が発生するぐらい暑い日もあった。
 こういう時は、大人しくしているべきなのかもしれない。三人が言った通り、無理して倒れては意味がないからだ。
 しかし、雨が降り、風が荒れ、雪が積もり、陽炎が揺らめいているからこそ、"彼女"の安否がより一層心配になり、積極的に外へ捜しに行った。

 "彼女"は見つからない。

 春、夏、秋、冬、と。
 季節と共に、彼は世界を巡る。

 "彼女"は見つからない。

 ひっそりと、もしくは華やかに咲き誇る花や瑞々しく芽吹く新緑、温かくも柔らかな陽光、精一杯に命を謳歌する動物たちに、心が癒される刻もあった。

 "彼女"は見つからない。

 枯れて、朽ち果てていく木々や体力と気力を奪う日射し、何かの理由で生を全うし、土へと還っていく動物たちに、心が蝕まれる刻もあった。

 "彼女"は見つからない。


 何処にいるのだろうか。
 何処にもいないのだろうか。
 今も待っているのだろうか。
 もう忘れてしまっていないだろうか。

 時々、そんなことを考えてしまう。

 それでも彼は諦めなかった。
 心が折れてしまいそうでも。
 想い焦がれるあまり、眠れぬ夜が続いても。
 自分が最も怖れる悪夢に魘されても。

 "彼女"の笑顔を。
 "彼女"の音色を。
 "彼女"の体温を思い出し、何度も。
 何度も何度も、幾度となく立ち上がっては、愛しい人を追い求めた。

 そうして"彼女"が見つからない――まま。


 三度目の春を迎えた現在に至る。


 トラッドは今日も"彼女"を捜し、広い世界の片隅を歩いていた。今はガライの家を出て、一日が過ぎたところである。
 ガライなら――目的は違うが、自分と同じように世界を旅する吟遊詩人の彼なら、何か知っているかもしれない、と考えた結果だ。とはいえ、初めてというわけではない。これまでも何度か家を訪ねているし、旅先で会った事もあり、もちろんその度に話を聞いてはいる。
 ただ、今までは何もなくとも、次は何かあるかもしれない、と思っているので、近くを通る際は必ず立ち寄っているのである。
 不在の多いガライに今回は会えたものの、特に手掛かりはなかった。が、過剰に期待していたわけでもない。
 いつ、どこで有益な情報を得られるか分からないからこそ、闇雲に探しているだけのこと。
 あくまでそれだけの、それだけでしかないことだ。

 それから、更に一日が経ち。

 トラッドのトパーズに、ある場所が飛び込んできた。
 過去に"勇者の盾"を見つけ、ゾーマ城で地割れに飲み込まれた時に放り出された洞窟だった。
 元々、ラダトームに向かっていたのだから、側を通りかかるのも必然ではあるし、当然、既に何度か足を運んだ場所でもある。
 そのはずなのだが、一体何を思ったのか。
(…………よし)
 食料の残りと自身の状態を確認し、大丈夫だと判断した彼は、洞窟へと歩を進めた。


 闇、と呼べるほど深くはないが、光の加護が遠のいた仄暗い空間。トラッドはまず、松明に火を灯す。
 やがて、朱と青が混じり合って揺らめく炎を中心に、明かりが広がった直後。
 彼は微かな驚きに、目を少し見開いた。
 さすがに構造の変化といった大規模なものではないが、何処から紛れ込んだのか、ところどころに名前も知らない植物の蔦が生えていたのである。
 風に吹かれた種子が迷い込んだか、ゾーマがいなくなり太陽が昇るようになったからか。加えて、以前に自分が足を踏み入れたのはいつだったか、といった疑問はいくつか浮かんだが、トラッドはその力強い生命の有り様に感動を覚えた。
 それからも彼は、松明で植物が燃えないよう注意しながら、奥へ進む。
 何かがあるような、また誰かがいるような気配はない。
 にも拘わらず、彼は何故か緊張を覚えていた。
 もしかすると予感だったのかもしれない。
 しかし、知る由もない彼が洞窟の最奥――崩壊によって先が埋もれてしまった場所に辿り着いた瞬間。

「…………え?」

 突如、光が――否。
 正確には、最も複雑に絡み合った蔦が、淡くも眩しい光を放った刹那。
 まるで太陽のような輝きに、思わずトパーズを閉じてしまった彼が、おそるおそる開くと。

 そこには。


 ずっと捜し求めていた人が。
 愛しくて、かけがえのない存在が。

 すなわち――"彼女"が。

 植物たちに守られるように、生まれたままの姿で眠っていた。


「…………」
 声が、出ない。
 すぐにでも名前を呼びたいのに。
(…………)
 身体が、動かない。
 すぐにでも、抱き締めたいのに。
 驚きと喜びが、ありとあらゆる感情が堰を切って溢れ出し、彼の時間を停止させる。
 しかし、そんな神聖なる静謐を、最初に破ったのは。

「……ん」

 ゆっくりと。だが、確実に瞳を開け、

「ここ、は……?」

 酷く緩慢な動作で、辺りを見渡した後。

「………………トラ……ッド?」

 ぼんやりと名前を呼んだ"彼女"の――リノの声、だった。

「リノ……」

 すると、先ほどまでの停止が嘘のように、声が少女の名前を紡ぐ。
 一歩、また一歩と、身体が動く。
 動いた身体から手が伸び、伸ばした手が彼女を抱き締める。
「ト、トラッド……?」
「…………やっと、逢えた」

 温かい、少し熱いぐらいの身体。

「え?」
「ずっと……捜してた」

 そう、これが――これこそが、求めていた温もり。
 大切な、愛しい人の感触。

「ずっと心配してた」
「……ごめん」
「ずっと……ずっと、想ってた」
「…………うん」

 一方のリノは、まだ状況を把握していない――けれど。

 ここに、彼が、いる。
 ずっと想っていた彼が。
 ずっと想ってくれていたトラッドが、自分を抱き締めてくれている。

「…………ただいま」

 それが、全て。
 今はそれだけが全てなのだから――と思ったのも、束の間。

「ご、ごめん!」
「え?」
 トラッドが急に離れ、背中を向けてしまったため、夢から覚めたような表情のリノはきょとんとなった。
「いや、あの……えっと」
 だが、顔を見なくても分かるぐらい困惑したトラッドの声を聞いて、
「…………え?」
 リノは今の自分がどんな姿なのかを知り、
「き……きゃあああああああああああああああああっ!?」
 今更ながら、しかも珍しい悲鳴を上げ、大慌てで身体を隠すのであった。



「……本当にごめん」
「ま、まぁ、しょうがない、し……トラッドだから、いい、けど」
 程なくして、二人は外へ出た。
 ちなみにリノは、あの白いワンピースを身に纏っている。こういった状況を想定していたわけではなかったが、常に持ち歩き、時々は洗濯していたおかげである。
 ともあれ、しばらく歩いた後。
「でも、今までどうしてたんだ? 前にもあの洞窟に行ったけど、その時は見つからなかったし……」
 ようやく冷静さを取り戻したトラッドは、そう訊ねた。
 しかし、一方の彼女は首を横に振り、
「よく、わからない……眠ってる時みたいな感じだったから」
 ありのままを伝えた――ものの。
「……でも」
 不意に何かを思い出したらしい彼女は、

「ルビス様の"これが今の私にできる精一杯の恩返しです"って声が聞こえてきて……目が覚めたら、トラッドがいたの」

 と少し瞳を潤ませながら言った。

 そして、トラッドは納得する。
 奇跡だった。
 本当は絶望的で、精霊神ルビスの力を持ってしても、人にとっては長い時を要した――そんな奇跡なのだ、と。
 もしかすると、完全に回復していなかったからかもしれないが、いずれにしても、リノとトラッドの心は感謝の気持ちで一杯だった。


 二人は今、マイラへ向かっている。
 ほぼ確実に会えるヤヨイにリノの無事を報せるためだ。また、現在も旅をしているナギサとラザが帰ってきた時、自分がいなければ代わりに伝えてもらうためでもある。
 その後はもちろん、ラダトーム。
 当初は先に行くべきと考えていたのだが、リノを捜す旅の途中、何度目かの謁見の際、
「もし見つかったら、先に仲間へ報せるんじゃぞ? わしらは後で構わんからの」
 こう言ってもらえたからだった。
 とその時。
「……パーティー、またあるかな」
 トラッドは、不意にそう呟いた。
「パーティー?」
 当然、事情を知らないリノが首を傾げたので、彼は三年前の事を説明し、
「…………リノのドレス姿がまた見たいな、って」
 その発想に至る動機も口にした。
「ドレス、って…………バ、バカ」
 対してリノは、最初は呆れと照れの混じった声で反論するが、
「でも、アリアハンの時のリノも…………きれい、だったし」
 彼の素直な感想に、ぼっ、と耳まで真っ赤になって俯いてしまう。

 しかし、数分の沈黙を経た後。

「ト、トラッドにそう言ってもらえるのは、その、やっぱり嬉しい、し……ドレスも、きれい、だと思う、けど」

 ぽつぽつり、と。

「けど……この服の方が、好き――……トラッドがくれた服、だから」

 リノがそう告げたため、今度はトラッドが頬を上気させた。

 だが、それもほんの数秒。
 まずは横目で互いの様子を窺い、視線の衝突をキッカケに見つめ合い、どちらからともなく笑顔を零し合った後――


 ――空を、仰ぎ見る。


 雲一つない、澄み切った青空。
 気持ちよさそうに泳ぐ、太陽。



 その優しい光は、今。

 世界と。

 そして、二人のために――



 ――降り注いでいた。



トップへ