「再会と再開の過ごし方」


 そして、五年の歳月が流れた。

 多種多彩で色とりどりの花がちらほらと蕾を結び、道往く人たちが思わず愛でるために、または見守るために立ち止まってしまう――そんな、近づく春の気配が密接に感じられる、よく晴れた日のこと。
「……ふぅ」
 暇潰しに自分が磨いたピカピカの鉄格子がはめられた四角い景色を眺めつつ、カンダタは今日の空模様に相応しくない溜め息を、先刻から幾度となく落としていた。
 退屈にはすっかり慣れた。時々は教会の雑務を手伝うので、適度な刺激もある。けれど、すっきりしない心境。
 理由は――分かっている。
 だが、彼がそれを胸裏で改めて呟こうとした刹那、
「浮かない顔ですね」
 いつものように兆しも気配もなく歩み寄ってきた神父に、現在の表情を的確に指摘された。
「……気のせいだろ」
 負けじと眉と眉の間に根を張って返事するカンダタ。しかし、声に力がないのは一目瞭然、いや、一聴瞭然で、
「ふむ……最近、手紙が来ないからですか?」
 しかも見抜いているらしい神父には、はっきりと告げられてしまう始末。
 そう、彼の言う通り。
 ここ数ヶ月、カンダタの元へ手紙が届いていないのだ。

 彼女からの手紙が。

 とはいえ、定期的に届いていたわけではない。むしろ、彼女の都合を考えれば不定期が当たり前で、更に言えば、全く途切れなかった事の方が驚愕すべき事実である。
 だが、どんなに遅くとも一週間に一度届いていたものが二週間も音沙汰がなくなれば、不思議に思うのも無理はなかった。
 いや、違う。
 もっとも不思議なのは、自分が何故こんなに落ち着かないのか、だ。
 最初に手紙が届いた時は、驚いた。彼女らしくないとも思えたし、彼女らしいとも思えた。
 そして、やはり罪悪感があったのか、彼は書いた事もない手紙で返事をした。
 すると、また手紙が来たので返事を書いた。
 そういった"会話"を繰り返し、気づけば五年経っている。
 いかに手紙を書く習慣がなかったとしても、それだけ続けば習慣と化すのも道理であった。
 仕事が忙しいのかもしれない。だが、商売が繁盛するのは善い事だ。それを喜ぶ事はあっても、責める事などありはしない。
 にも拘わらず、複雑に思ってしまうのは。
 少なくとも物足りなさを覚えるぐらいには、いつの間にか手紙を心待ちにしていた自分がいる。
 つまりは、そういう事なのだろう。
 それこそ手紙を書く以上に、ガラでもない話だ。
 けれど、それは――自覚なく、寂しさ、というものを感じているのは、揺らぎようのない事実で。
「……そんなんじゃねぇよ」
 かろうじて返した言葉は、必然的に沈んだ音色を帯びていた。

 一週間が過ぎても、まだ手紙は来ない。

 彼は、思う。
 本当に何かあったのではないか。
 不意に思う。
 もしかすると、また彼女を傷つけてしまったのか。
 更に、思う。
 だからだろうか。
 不安に思う。  それとも全く別の理由で、嫌気が差したのだろうか。
 そして。
 深く、想う。

 もう自分のことなど忘れてしまったのだろうか。

 寂しく、想う。

 その間、神父は何度も言った。
 心配ない、もし本当に何かあったのなら、あの少女が何も告げないはずがない。きっと止むを得ない事情がある、と自信と確信が充ち満ちた口調で、幾度となく告げた。
 カンダタも、その通りだとは思っている。
 彼女は――ヤヨイは、そういう性格だ。
 五年前に手紙が届いたのが、何よりの証拠である。
 だが、たとえ根拠があっても、それを確かめる術はない。
 つまり、本当に忘れてしまった可能性もない、とは決して断言できないのだ。

 ――けれど。

 それは他でもない自分が、かつて望んでいたはずの事。
 ゆえに遠ざけた、と言ってもいい。
 思ってもいない事を酷い言葉で突きつけて、少女の感情を突き放した。
 本来あるべきカタチに戻っただけの、ただそれだけの話。
 だから、これでよかった――はず、だった。
 にも拘わらず、現実は違う。
 こんなにも。
 そして、あまりにも食い違っている。
 強く願ったはずの結末を、無条件で受け入れられない自分が、いた。

 そうして、二週間。
 手紙が来なくなってから、ちょうど一ヶ月が経ち、誰の目にも明らかに、また平等に、心地よい春が花開いた日のこと。

 いつもと同じ時間、朝早くに目を覚まし、軽く身体をほぐしていたカンダタの元へ神父がやってきた。
 朝食には、まだ少し早い。となると、何か仕事だろうか、と思いながら振り向くと、彼は予想通りの言葉を呟いた後、鍵を開けた。
 ただし、いつもと違い、
「先に下へ降りてくれませんか?」
 という言葉が添えられる。
 しかし、珍しくはあっても、特に不自然はない。普段は一階にいる神父だが、二階に荷物を取りにくる事もしばしばあったからだ。
 ゆえに今回もそうなのだろうと考えたカンダタは、何ら疑問を抱かず、けれど俯きつつ、何処か力無い歩みで一階へと向かったのだが――そこには。

 小さな身体で大きな麻袋を抱えた、一人の女性が立っていた。

 黒い髪と瞳を持ち、紛れもなく美人と形容できる、整った顔立ち。
 しかし、耳まで真っ赤に染まった表情が、あどけない少女のようでもある女性。
 服装は袖と裾にささやかなフリルがあり、赤いラインが細く入った真っ白いブラウスに、桜色の長いスカートと真っ赤な靴。そして、顔、首、掌、足首、とわずかに露出した肌も白く、きっと"清楚"というのは彼女の事を言うのだろう、と彼は生まれて初めて思った。
 見覚えはない。確かにないのだが。
 彼女が誰であるかは。
 白いカチューシャと向日葵の髪飾りを身につけた少女が誰であるかは、わざわざ尋ねるまでもなく。
 だが、五年前との明らかな変化に戸惑った彼は、

「ヤヨイ……?」

 思わず確認するように、おそるおそる呟いてしまった。
「お久しぶり、です」
 彼女――ヤヨイが最初に紡いだのは、ぎこちなくも再会を懐かしむ言葉。
 続けて浮かんだのは、純粋に再会を喜んでいる無邪気な笑顔。
 しかし、それも一瞬。
「…………さい」
 すぐさま表情を曇らせ、
「ごめん、なさい」
 翳りを帯びた音色で謝罪をした彼女は――

 ――静かに、泣いて、いた。

 手紙を出さなかった事を、申し訳なく思っているのだろうか。
 それとも、突然姿を見せた事に対して、だろうか。
 だが、いずれにしても彼女が謝る必要はない。
 むしろ、謝らなければならないのは――と足を一歩踏み出しかけた刹那。
「五年前のこと、覚えてますか……?」
 まるでそれを遮るように、彼女はそう問いかけた。
 もちろん覚えている。
 どころか、一日たりとも忘れた事などない、とカンダタは頷く。
「私……わた、し」
 するとヤヨイは、ぽつぽつり、と。
「カンダタ、さん、に……ひどい、こと、言いました」
 嗚咽混じりの震えた声で話し始めた。
「カンダタさん、なのに……大好きな人、なのに……何も考えないで勝手な、ことを――……私が子供じゃなく、なったら、私に惚れて下さい、なんて約束を……勝手に、して」
「……」
「そんなの、私が決めることじゃ、ない、のに」
「…………」
「カンダタさんの、自由、なのに……なのに、わたしは、わたしが言い出したことに、堪えられなく、なって……だから、手紙を、出して――いえ、手紙を出すことで、逃げ出して……いっぱい……いっぱいいっぱい、困らせて」
 そこで彼は、ようやく理解する。
「返事を出してくれた、カンダタさんに、甘えて……それをいいことに、ずっと、目を、背けて」
 彼女は彼の言葉で傷ついたのではなく、
「……ずっと迷惑を、かけて、ました」
 自分の行動を責める事で傷つき続けてきたのだという事を。
 今更ながら、痛いほど思い知らされた。
「だから、わたしは、まだ子供なんです」
「……ヤヨイ」
 だから、カンダタは彼女の名前を呼ぶ。
「こんな、わたし……カンダタさんに優しくしてもらう資格、なんて――」
「ヤヨイ!」
 嬢ちゃん、ではなく、名前で。
 それも二度目は遮るように、強く"ヤヨイ"と呼んで。
 彼女が目を丸くした隙を突いて、ぷつぷつり、と話し始める。
「ヤヨイは何も……何も、悪くねぇよ」
「……え?」
「本当に悪いのは」
 本当に悪いのは。
「先に逃げ出したのは……」
 先に逃げ出したのは。
「……俺の方だ」

 他でもない、自分。

 それは彼女を癒すための言葉だったのだろうか。
 いや、違う。
 罪の告白であり、感情の吐露。
 けれど、彼女は気づかない。
 自身に罪を感じ、自身を責める人間には気づく事ができない。
 かつての自分がそうであったように。
 それは確かなこと。
 春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て。
 朝に陽光が降り注ぎ、夜に月光が舞い降りる――それぐらい確実なこと、だった。
 ゆえにカンダタは。
「……でも――」
「それに、だな」
 予想していたヤヨイの反論を再び遮って。
「優しくしてもらう資格とか……その、何だ……」
「はい?」
 とはいえ、こういった事に慣れていないのか。
 もしくは、こういった気持ちを向けられた記憶がないせいか。
「あー、つまり……あれだ」
「あれっていうのは?」
 何度も、何度も言葉に詰まり。
「……まぁ、その」
「はい」
 言葉に詰まっては、瞳に涙を浮かべたままの彼女に、きょとん、と無垢な面持ちで続きを促され。
「できれば察してもらいたいんだが……」
「そ、そう言われましても」
 やがては覚悟を決めたものの、やはり顔を逸らし、身体を背けつつ。
「……以前の約束のこと、だよ」
 巨躯に似つかわしくない上に極めて珍しい、ぼそり、とした小さな声で告げた。
「え? あ……はい」
 一瞬は目を丸くし、察するや否や、ぼっ、と頬を上気させたヤヨイだが、すぐさま翳りの火種を燻らせる。
 そんな兆しは一切なかったにも拘わらず、最悪の想像をしてしまい、はっきり言葉にされる事に恐怖を覚えたのだろう。
 だからこそ、カンダタは改めて彼女の方に向き直った後。
「そんな資格とか約束は……もう、いいんだ」
「……え?」
「その、つまり……だな」
 ほんの数瞬だけ間を置いてから。

「俺はもう、とっくに…………だからよ」

 掠れた声でそう呟いた。


 酷く聞き取りづらい、ともすれば傍にいても耳に届かないような音色。
 しかし、ヤヨイには唇の動きで――いや。

 大好きな人の紡いだ声だからこそ。

 他のどんな音よりも鮮明に、また何よりも特別に響いた。


 数秒は呆然と。
 次に理解、と同時に驚き、あまりの衝撃で胸元に抱えていた麻袋を落下させてしまう。
 中からごろごろと転がり飛び出したのは、数々の食材。
 だが、ヤヨイは構わず、それを飛び越えると。
 黒い髪を振り乱し。
 黒い瞳を潤ませて。
 けれど、今まで一番嬉しそうに。
 ちょうど向日葵を思わせる眩しい極上の笑顔で、彼に。

 どうしようもなく大好きな人に――


 ――力の限り勢いよく抱き着くのであった。


                       〜コイスル少女の日々・完〜



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