3『手品、あるいは魔法』



 前触れなく予感が走る。それはいつも唐突で、こちらの事情もおかまいなし。
 何ともはた迷惑な――戦いの予感。
 戦いに身を投じてからしばらくは、随分と振り回された。
 けれど、それはあくまでしばらく≠フ話。
 戦い始めて一年が経った今となっては、いついかなる状況であろうとすぐに対応できる。
 日常から異常へと、瞬時に気持ちを切り替えられるようになった。
 慣れ。
 すなわち、習慣、とは実に素晴らしく、誠に恐ろしいものである。
 とはいえ、だ。
「いくら明日が日曜でも……さすがに睡眠中は見逃してほしいわね」
 黒いワンピースと黒いロングコート、黒いカチューシャに身を包む銀髪の黒い少女は、眠気とは無縁なぐらい開かれたトパーズの目を、眠そうにこすりながら呟いた。
 場所は月見里市内の高層ビルの屋上。街どころか低い山の向こう側まで一望できるほど高いにも拘わらず、吹く風はほんの微かで、それは生温いはずなのに、空気は酷く寒々しい。
 そんな、相変わらずのイビツな世界で、黒い少女は不機嫌そうに様子を窺っていた。

 この時間――あくまで白い少女とキッカケの人物≠フ言葉を借りれば、だが――魔法少女≠ニして存在している時間は、元の世界と完全に切り離されている。現に目が覚めた時と、戦いを終えて戻ってきた時とでは、時計の針は秒針に至るまで微動足りしていない。
 そして魔法少女≠ナある自分は、こちら側の世界でしか存在できない。

 つまり、この力はここでの戦闘以外、何の役にも立たないのである。
「全く……何もかもがはた迷惑ね」
 しかも記憶だけは、ちゃっかり残っている。例えばの話、試験中に呼び出されたりすると、間に戦闘が挟まるため、勉強してきた事が頭から抜け落ちる可能性もあるのだ。幸いにも試験中に呼び出された事はないが、想像するだけで頭の痛くなる話には違いなかった。
「……とりあえず」
 安眠を妨害された黒い少女は、はぁ、と小さくため息を吐き、軽くコートをはたきながら周囲を観察し始める。けして焦ってはいないが、呼び出されてしまったからには一刻も早く終わらせたい、と考えたがゆえの行動であった。
 集中。変化はない。
 集中。不審はない。
 集中。気配はない、と神経を尖らせてから、しばらくが経った頃。
 動きが、あった。
 位置は屋上へと通じるドアの辺り。黒い少女からは死角となる、コンクリート製の立方体の反対側だ。
(一撃で、きめる)
 彼女は杖を持っていない右手を翳し、そこから飛び出してくるであろう毒々しい色の物体を待ち構えた――が。
 ひょこ、と。
 プレーリードッグのように物陰から顔を見せたのは、あの白い少女だった。
「……ふぇ?」
 条件反射で攻撃しかけていた彼女は、からん、と杖を落とし、その空いた右手で左腕を押さえながら、力の発動を抑えようとする。
「くっ……!」
 鋭い痛みが走る。腕が張り裂けそうな錯覚を覚える。しかし、何としてでも抑え込まなければならない。
 危害を加えるつもりなど、けしてないのだから。
「っ…………はぁ」
 その甲斐あって、無事に止める事はできた。だが、無理をした反動から、彼女はがくりと膝をついてしまう。
「だ、だいじょうぶ!?」
 一方、状況こそ理解していなかったが、ただならぬ気配だけを察した白い少女は、絵の具まみれの白衣を忙しなくはためかせて駆け寄ってくる。
「なんでも、ない」
「いやいやいや! 何でもないわけが……ほら、汗だってすごいし!」
 黒い少女は露骨に顔を逸らし、手を振って遠ざけようとしたが、
「いいから、じっとして」
 まるで気にも留めない白い少女は、深いポケットから取り出したハンカチで、額の汗を拭い始めた。
 柔らかい布の感触。
 落ち着かない。酷く落ち着かない。けれど、嫌悪や不快といった感情は沸き上がってこない。むしろ、内側から滲んでくるのは――
「もう、いい」
 ――それを振り払うように、少し体力を取り戻した黒い少女は立ち上がってみせた。そして、微かに潤んだトパーズ色の目で、きっ、と白い少女を弱々しく睨みつけた後、
「……大体、誰のせいだと思っているの?」
 非難に満ちた眼差しで、はっきりと告げた。だが、駆けつけたばかりの白い少女には当然覚えがなく、きょろきょろと辺りを見回すばかり。どうやら、別の犯人がいると考えているらしい。
 鈍感。本当に鈍感だ。
「…………まぁ、いいわ」
「え? 敵がいたんじゃないの?」
「まだ遭ってない――今はまだ、ね」
 早々に諦めた黒い彼女は、これみよがしに大きくため息を吐いて、また観察を再開させた。
「えっと、じゃあ、さっきのは……うーん……どういう、こと?」
 白い彼女はまだ先ほどの事を気にしているようだが、これ以上構うつもりはない、と周囲に張り巡らされた鉄柵に視線を移した瞬間、
「……もう少し早く出てきて欲しかったわね」
 柵の向こう側で、明らかに何か≠ェ蠢いた。
 言うまでもない。探していた敵だ。
 相変わらずウサギやネコの形をし、呼吸と同じ間隔で点滅する紫色の物体。それらがスライムのように形状を変化させて、器用に柵をよじ登ってくる。
 やがて、べちゃ、と。
 身を投げ打つように屋上へ着地した何か≠ヘ、瞬時に元の形に戻って、じぃ、とこちらを見据える。この前逃げ出した相手と同じだろうか。いや、そんな事はどうでもいい。
 どうだって、いい。
 誰であろうと何であろうとただ消し去るだけ、と黒い少女は転がっていた杖を拾い上げて構えを取ったのだが、
「ちょっと待った!」
「は?」
 その間に白い少女が割って入ってきた。
「……何のつもり?」
「え? 代わりに戦うつもり、だけど?」
「そういうことを訊いてるんじゃない」
「だって、疲れてるみたいだし……ここは元気なボクが――」
「必要ない」
「それにほら、この前助けてもらったから」
「……別に恩を売ったつもりもない」
 疲れている。元はと言えば彼女が原因だが、確かに事実だ。だからといって、その好意に甘えようとは思わない。
「まぁまぁ、いいからいいから」
「少しは話を――」
「あ、ちょっと待ってね」
 しかし、白い少女に引き下がる様子はなく、さっと目を閉じて意識を集中し始めた。こうなってしまっては、止める術はない。あるにはあるのだが、無理に遮れば先ほどの自分と同じ状態に陥ってしまう。
「っ……全く」
 またしても諦めた黒い少女は、忌々しげに舌打ちをしてから不満げに呟いた――とはいえ。
(魔法少女、ね)
 堂々とそう名乗るバカげた少女の行動に興味がなかったわけでもない。そう気持ちを切り替えた彼女は、ひとまず大人しく見守る事にした。
 程なくして、白い少女の立っている場所から淡い虹色の光が芽吹く。急速に広がったその光は、吸い上げられるように彼女の身体を上り、絵の具混じりの白衣をより鮮やかに染め上げ、頭上で渦巻いたかと思えば、右手に持つ杖へと収束し始める。
 これは、なに。
 かろうじて声には出さなかったものの、驚きのあまり目を見開いた黒い少女は、瞬きすらできずにいた。
「んー……」
 しかし、気づく余裕もないらしい彼女は、ほんの少し眉根を寄せ、逆巻く風圧に茶色のツインテールと黄色いリボン、カラフルな白衣をはためかせながら、真っ白い額に汗を浮かべる。より一層神経を研ぎ澄ました、といったところだろうか。
 そんな彼女の意志に呼応するように、杖の辺りを漂っていた虹色は、やがて一本の長い槍へと姿を変えていく。けして早くはないが、遅くもないはずなのに、黒い少女の目には何故かスローモーションのように映る。だが、それをいつまでも待っているのは彼女だけで、相手には待ち構える理由などない。気持ち悪い紫色の群れは、べちゃべちゃ、と粘着的な動きで白い少女へ迫る。
「危な――」
 近づく危険に黒い少女はつい声を上げてしまった。しかし、ほぼ同時に瞼を持ち上げた彼女は、きっ、と前方を見据え、野球投手のように大きく振りかぶった後、
「いっ……けぇぇぇっ!」

 杖はしっかりと握りしめたまま――虹色の槍だけ≠投擲した。

 高層ビルの屋上という世界の片隅で爆ぜる、一瞬の閃光。槍は更に枝分かれし、まるで蛇――否、竜のように伸びて、世界には傷一つつけずに得体の知れない生き物だけを焼き払った。
 美しい軌跡からは想像もできない、圧倒的で暴力的な破壊力。その影響で、ごぅ、と吹いた突風に、黒い少女はようやく瞬きを思い出した。
「……ふぅ」
 一方、左手で額の汗を拭った白い少女は、くるり、と小さく跳ねつつ振り返る。その可憐な動きに伴って、ふわっ、とワンピースの裾が風に舞い、真っ白な太股が少し露わになった。
「わっわわっ」
 気づくや否や慌てて手で押さえた彼女は、えへへ、と微かに頬を上気させながら恥ずかしそうにはにかむ。その少女らしい仕草からは、あんな常軌を逸した魔法≠放つ雰囲気は皆無と言っても良い。
 黒い少女は、銀色の髪と黒いワンピースを手で払う。特に埃が付着していたわけでもなかったが、
「……今のはなに?」
 滲む動揺を紛らわせ、冷静を装いつつ訊ねるためだった。実のところ、意図的にそうせざるを得ないほど、彼女は驚愕していたのだ。
「なにって……この前言ったよ?」
 対して唇に指を当てた白い少女は、さほど気を悪くもせずに、回答のような質問を返す。
 魔法――言葉にするのは、容易い。
 きっと彼女が言いたい事もそうに違いない。
 加えて、先ほどのような光景を目の当たりにした今となっては、疑うよりも信じる方が遙かに簡単だ。
 ただ、いくら頭で理解していても、感情が中々ついてこない。あまりの現実に、思考が目の前にある回答を拒絶しているのである。
 とはいえ、そこで留まっていては何も始まらない。
「……まほう、ね」
「うん、魔法。だって、ボクは魔法少女なんだから」
 ひとまずは認めた黒い少女は渋々と呟き、白い少女は誇らしげにささやかな胸を反らして断言する。
 とはいえ、実はそこまで魔法に懐疑的なわけでもない。今の自分になるキッカケの際にも魔法少女≠ニ言われてはいるし、この切り離された世界の存在や、自分が扱う力も不思議≠ニいう観点で言えば、確かに魔法ではあるからだ。にも拘わらず、彼女の脳裏に否定が根を張っているのは――それは。
 自分と彼女。
 その力の在り方が、まるで異なっていたからである。

『貴方が使うのは本当の魔法かもしれない。だけど、私が使ったのは単なる手品。言い方を換えれば、どちらもマジック≠ナはあるけれど、そんなものは単なる言葉のマジックに過ぎないわ』

 初めて遭った日、黒い少女はこう言った。皮肉ではあったが、事実でもあったし、きっと白い少女も同じだろうという確信もあった。
 そう、あくまで自分の力は手品=\―単なる技術。
 たとえこの世界でしか使えなくとも。
 たとえ本当に魔法であったとしても。
 黒い少女の扱う力は、高度に発展した科学の延長線上にしか過ぎない。現に彼女が魔法を使う時は、ちょうど数式を解くような、極めて理論的な手順を踏んでいる。
 しかし、白い少女の操る力は違う。
 あんな虹色の槍――あんな幻想的な科学≠ヘ存在しない。少なくとも自分にはできないし、仮に可能だとしても創り出す労力と効果が釣り合っていない。全くの無駄である。
 それをあっさりとやってのけた彼女は、
「でも、別に不思議じゃないよね」
 本物の魔法少女。
「ボクもキミも同じ魔法少女なんだから」
 そしてあっさりと言ってのける彼女。
(同じ……魔法、少女?)
 違う。
 黒い少女は繰り返して否定する。
 違う。違う。
 きゅっ、と自分自身を抱き締めて、力一杯に否定する。
 違う。違う。違う。
 何度も何度も、それしか知らないように否定する。
「そ、それでね……えっと、その」
 もう彼女の声は耳に入らない。代わりに首をもたげてくるのは、恐怖。
 いつの間にか既知となった世界で突きつけられた、未知の恐怖。
「この前も言おうと思ったんだけど……あの、ね。もしよかったらボクと……え?」
 気がつけば黒い少女は――逃げ出していた。
 力の限り、自宅とは全く別の方向に、疲れた身体に鞭を打って、ただただひたすらに逃げ出していた。
「す、少しは話ぐらい聞――」
 遠ざかる背後では、白い少女の叫ぶ声が聞こえてきたが、彼女には怖くて振り返る事などできなかった。

 そして。
「……誰にも見つかりませんように」
 自分の取った短絡的な行動を後悔しながら、パジャマ姿で帰路へ着くのであった。



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