第1話 「別れの夜」


 アリアハンの町を一望出来る丘の上。
 眺めの良い場所だが、モンスターが増えたため、今ではあまり訪れる人間もいない。
「……今日もいるんだな」
「…………」
 柔らかな太陽の光が降り注ぎ、温かな風が吹く午後、トラッドは一人で座っている黒髪の少年に声をかける。
 だが、彼は少しこちらを見るだけで返事はしなかった。
「また休ませてもらうけど……いいか?」
「…………」
 やはり反応はなかったが、トラッドは勝手にしろとでも解釈したのか、そのまま隣で横になるのだった。


 二人が出会ってから、ちょうど一週間が過ぎる。
 トラッドはその時からロマリアへ戻る方法を探し、昼食を終えてしばらくしてからここに来るのが日課になっていた。
(でも……本当に喋らないな……)
 しかし、こうして毎日顔を合わしてはいるものの、まだ話したことがない。
 時々、思いついたように彼の方から少年に話しかけるが、いつも答えは返ってこなかった。
 その度にトラッドは苦笑いを浮かべているのだが、不思議と怒りは沸いてこない。
 それどころか、慣れない土地で唯一落ち着ける場所となっている。
(にしても……)
 トラッドは何気なく左隣に座り込んでいる少年を見た。
 いまだ彼には男と言い切る自信がないぐらい綺麗な横顔。澄んだ黒の瞳は、一心に町を眺めている。
(……もう少し話せばいいのにな)
 少年に対する興味なのか、余りに無口過ぎるからなのか。
 もしかしたら両方なのかは分からなかったが、トラッドはふとそう思うのであった。


 トラッドがいつものように寝転がって、数時間が過ぎた頃だった。
「……へ戻る方法」
「へ?」
 不意に隣の少年が、低く押し殺した声で何かを呟いた。
 最初に剣と殺気を向けられた時以外、聞いたことのない音色にトラッドは驚きを露わにする。
「ロマリアへ戻る方法」
 だが、そんな彼の様子に少年は一向に気にせず、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「あ、ああ……まだ見つからないけど……」
 ようやく意味を理解したトラッドは、わずかな戸惑いを覚えながらも返事をした。
 確かにここ六日間、いくつか気になる情報はあったものの、どれも決定的なものではない。
 しかし、少年は続けてこう呟いた。今度は会話らしい言葉遣いで。
「……もうしばらくすれば戻れるようになる」
「え……っと……根拠は?」
「…………」
 少年からは何も返事はなかったが、単に勘だと言い切るには、口調がはっきりしている。
 相変わらずの彼の様子に、トラッドは苦笑いを浮かべていたが、
「でも、ありがと」
 すぐに屈託のない笑顔で、感謝の言葉を紡ぐ。
 何も情報がなくても、根拠もなくても、そう言ってだけで嬉しかったからだった。
 少年は一瞬だけ彼のトパーズ色の瞳を見据えたが、すぐに顔を逸らす。
「……別に」
 そして微かな疑問を黒い瞳に残しながら、やはり押し殺した声で返事をした。
(もしかして……照れてるのか?)
 トラッドは何となくそう思い、少年に気付かれないよう少しだけ笑うと、
「じゃあ、のんびり待つことにするか……いつもここにいるんだよな?」
 と、更に弾んだ声で問いかける。
 だが、彼は少し考え込むような素振りを見せた後、小さく首を振った。
「え……? でも、毎日ここで会ってるけど?」
 出会った日から、少年はずっとここにいる。おそらく出会う前からずっと。
 だから、トラッドはこうして出会い、言葉を交わすことが出来た。

「もう……ここには来れない」

 しかし、少年は微かではあったが、初めて抑揚のある声で告げる。
「……そうか」
 トラッドは自分でも理由が分からないまま、落ち込んだ声で呟いた。
「しょうがないか。事情もあるんだろうし……」
「…………」
 その言葉を少年はどう受け止めたのか、無言で頭を下げる。
「あ、いや謝らなくてもいいって。俺が好きで……勝手に来てるんだし……な?」
 いつの間にか日が沈みかけていく空、トラッドには彼の瞳がほんの少しだけ揺れたように見えた。


 ほどなくして、夜が訪れる。
 二人はまるで言葉を失ったかのように、何も会話をしなかった。
「……ん」
 トラッドは寝転がったまま、星の輝く夜を眺めていたのだが、ふと視線を感じて身体を起こす。
 するとどうやらこちらを見ていたらしい少年と目が合った。
「どうした?」
 何か言いたそうな顔だ、と思ったトラッドが尋ねる。
 だが、少年の答えを聞く前に、彼はその言葉が何なのかを悟って、寂しげに呟いた。
「……ああ、もうそんな時間なんだな」
 はっきりと決めているわけではないが、いつもなら宿屋に帰って明日の準備をする時間。
 しかし、トラッドはまた草の上に横になると、くすりと笑ってこう告げる。
「たまには、いいだろ?」

 ――――会えなくなる前の日ぐらい。

 その言葉は音となって唇から紡がれることはなかった。それが彼に出来る精一杯の気遣い。
 今までずっと一人旅だったので、そんな風に考えたこともない。
 にも関わらず、少年と過ごす時間を、まだ終わらせたくないと思う自分がいる。
(また……元に戻るだけなのにな)
 トラッドは理由の分からない気持ちを誤魔化すように、前から気になっていたことを問いかけた。
「そういえば、いつもはどれくらいまでここにいるんだ?」
 これまでは当然一緒に帰ったことも、彼が先に帰るところも見たことがない。
 つまり、自分より随分遅くに町へ戻っているということになる。
「……静かになるまで」
 少年は少し瞳を閉じた後、あまり明るくない口調で返事をする。
「えっと……町が?」
「…………うん」
「もしかして、一人でいる方が好きなのか?」
「……嫌いじゃない」
 その言葉から察すると、トラッドは彼の落ち着ける時間を邪魔しているということになる。
「……何だか悪いことしたな」
 だから、彼は素直に謝ったのだが、少年は珍しく慌てた様子で首を横に振った。
「い、いや……大勢の人に見られるのが好きじゃないだけだから……」
「見られる? ……ああ、なるほど」
 最初は言葉の意味を理解出来なかったトラッドだったが、すぐにその理由に思い至る。
(確かに……綺麗な顔してるからな)
 ただ、それだけではないような悲しさが口調に滲み出ていたが、彼はあえて触れようとしなかった。



 更に時間が過ぎ、夜の帳が一層深みを増していく頃。
 ぼんやりと満月を眺めていると、不意に草の揺れる音がした。
「帰るのか?」
 静かな気配で立ち上がった少年は、答える代わりにこくりと頷き、町へ向かって歩き始める。
 トラッドが軽く手を振って見送ろうした矢先、彼は急に振り返って短く一言呟いた。

「……リノ」

「え?」
 聞き慣れない単語だったが、何故か耳に残る心地良い響きに呆然となったまま聞き返す。
「名前」
「……あ、ああ……俺はトラッドだから」
 何処か間の抜けた声を出した後、彼は突然笑い声を上げる。
 リノと名乗った少年はきょとんとした顔で、再び歩み寄ろうとしたが、
「あ、いや……最後に自己紹介なんて、お互いに変わってる、って思って……」
 トラッドは右手を前に出しながら、まだおかしそうにそう言った。
 だが、リノにはその面白さが分からないらしく、相変わらず不思議そうだったが、

 わずかに目を細め、少しだけ微笑んだ――――ように見えた。

 一瞬、まるで魔法にでもかかったようにトラッドは見惚れてしまったが、
「……それじゃあ、な」
 と、止まっていた手を再度振りながら、そう口にする。
 そうしてリノを見送った後、彼もアリアハンへと戻るのであった。



「いらっしゃ……あら」
「……一杯欲しいんですけど」
 トラッドは町に帰ってくるや否や、唯一灯りのついていたルイーダの酒場を訪れていた。
 そしてカウンターに座ると、少し機嫌が悪そうにお酒を注文する。
「はい、どうぞ」
 すぐに彼の目の前にごとりとジョッキが置かれた。
 トラッドは躊躇いもせず、一口目で半分ほど飲み干してしまった。
「何かあったの?」
 数日前の面影のない飲み方と苛立った口調、寂しげに揺れるトパーズ色の瞳。
 明らかにおかしいと感じたルイーダは、少し真面目な瞳で彼を見据えながら尋ねた。
「……別に」
 しかし、トラッドは素っ気なく短い返事を返すと、またジョッキを持ち上げて飲み始める。
 話したくないのか、それとも見抜かれたのが悔しいのか、彼は口を尖らせていた。
 穏やかな性格と思っていたトラッドが、ここまで不機嫌になる理由。
 興味を持ったルイーダは、人差し指で唇をなぞりながら質問を始めた。
「何も無い所で転んじゃって、子供に笑われた?」
「……違います」
「それじゃあ、財布を落とした?」
「だったら飲みに来ません」
「帰る方法がまだ見つからないから?」
「……違う」
 そこで彼女は視線を宙に彷徨わせた後、
「もしかして……女の子に嫌われちゃった?」
 声を高くして、何処か楽しげにそう尋ねる。
「そういうのじゃ……大体、あいつは男……!」
 瞬間、リノの顔が浮かんだトラッドはそう口走ってから、自分の失言に気付き、慌てて口を押さえた。
 だが、すでに言ってしまったようなもので、ルイーダはにっこり微笑んでいる。
「あらあら……修行が足りないわね?」
「……おかわり」
 トラッドはからかうような口調の彼女に、押し殺した声でジョッキを差し出した。
「はいはい、ちょっと待ってね」
「…………これだから苦手なのに」
「何が?」
「……何でもないです」
 聞こえないように言ったつもりだったが、ルイーダはその一言を聞き逃さない。
 完全な敗北感を味あわされたトラッドは、注文するつもりも無いままにメニューを取るのであった。


 しばらく間を置いた後、再びジョッキが重い音共にカウンターに置かれる。
 慣れていないのか、少し気分が悪そうなトラッドだったが、すぐに飲み始めた。
 だが、一杯目と違い、量はあまり減っていない状態で、彼は一息つく。
「……出会いがあれば、必ず別れもあるわ」
 その隙を見計らって、ルイーダはぽつりとそう呟いた。
 冒険者の集まる酒場で何度もその光景を見てきた彼女だからこそ言える、複雑な想いが織り混ぜられた言葉。
 何気にジョッキを手に取ったトラッドに、ルイーダはふと入口を見つめながら更に想いを重ねる。
「だから……一つ一つの出会いって、本当に大切なのよ」
「…………」
「でも、その人も幸せね」
「……何で?」
 そこでトラッドは今日初めて彼女と視線を合わせ、不思議そうな顔で問いかけた。
「だって、こんなに寂しがってくれる人がいるんだもの。よっぽど愛されてる証拠よ」
 その言葉に彼はジョッキを傾けて、喉をこくんと鳴らした後、
「……そんな趣味はないんですけどね」
 ようやく初めてここを訪れた時の笑顔を見せるのだった。


「そういえばロマリアへは戻れそう?」
 しばらく無言で飲み続けていたトラッドは、すでに四杯目に突入していた。
 やはり強いわけではないらしく、顔はすっかり赤くなっていた。
「ん……一応。根拠はないけど」
 先ほどリノに言われたこと。彼は理由も分からずに、何故か信じている。
「ふぅん……どうやって?」
「しばらくすれば、としか聞いてないから方法までは……」
「……さっきの彼?」
「まぁ……」
 トラッドは少し照れたように返事をした。
 そんな彼が面白いのか、ルイーダは艶っぽい笑みを浮かべ、
「随分、仲が良いのね?」
 再びからかうような口調でそう告げる。
「……別に」
 だが、トラッドは間近に迫ったルイーダの顔から目を逸らしてから答えた。
 彼自身は気の許せる相手と思っているが、リノが同じ気持ちだとは限らない。
(まぁ……嫌われてはないと思うけど)
 その想いは、どちらかというと希望のようでもあった。
「それじゃあ、今の内に登録してもらおうかしらね」
「え? ……ああ、そうか」
 何の事かと問い返したトラッドだったが、すぐに理解して頷く。
 アリアハンでは、旅をする人間全てが名簿に登録をしなければ決まりがあった。
 そうすることで、よりパーティが組みやすくなるようにという配慮から生まれた法律らしい。
「えっと、名前はトラッド君で……職業は?」
「……盗賊です」
「年齢は」
「十八」
 早速ルイーダはその名簿を片手に、彼へ質問を始める。
 酒が入っている上に、余り形式ばったものでもない。
(……いいのか、こんなので)
 漠然とそう思いながらも、トラッドはただ答え続けるのであった。



「……ふぅ」
 それから随分遅くに、トラッドは酒場を後にした。
 一人なら長く居座ることは少ないのだが、ルイーダが落ち込んでる彼を元気づけようとして酒に付き合ってくれたからである。
 後はこのまま宿に戻って眠るだけなのだが、トラッドは熱くなった身体を冷ますために、夜風に吹かれながら町を歩くことにした。
(こんなに飲んだのって……初めてだ)
 ふらふらする頼りない足取り、微かに揺れる世界。
 それでもまだ飲めそうであったが、さすがにルイーダに止められてしまった。
 色々な人間に出会っているせいか、相手が何処まで飲めるのかも、すぐ分かってしまうらしい。
「……らしくない、な」
 トラッドが呟きながら思い出すのは、今日初めて会話を交わした少年、リノのこと。
 きっと会えなくなるのが寂しい、と頭では理解している。
 しかし、これまで一人で旅をしてきた自分が、何故そう思うのかが理解出来ない。
 アリアハンに来て、彼と出会うことがなければ、ずっと知らないでいた気持ちかもしれない。

 会っていきなり剣と殺気を向けられ、その後何も話そうとしない少年。
 こちらから話しかけても返事も返ってこない。
 一緒に過ごした時間は一週間であっても、会話をした時間はきっと一時間にも満たないだろう。
 けれど――――なぜか嫌いになれず、それどころか居心地の良さを感じてしまう。

「本当に……変わった奴だったな」
 それは当のリノと、懲りずに側にいた自分のこと。
 出来ればもう一度会って、もっと話がしてみたいと思ったが、それはささやかでも叶わない願い。
 トラッドはとりあえず宿屋へ戻ろうと、名残惜しそうにゆっくり歩き始めたが、
「あー……もう」
 銀髪を右手でくしゃくしゃとすると、路外れの草の上に寝転がった。
 一面に広がる星の海と、その中を漂う満月がトパーズ色の瞳に映る。
「……明日も晴れ、か……」
 自分の心に何一つ気兼ねすることなく。
 未だ火照ったままの身体の上を、良い加減に冷たくなった風が撫でつける。
 彼はその心地良さに数分身を預けただけで、すぐに意識を手放した。


 それは――――勇者が旅立つちょうど前夜のことであった。



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