第2話 「強張った再会」


 アリアハン。
 かつて一人の勇者が旅立ち――――帰ることのなかった場所。

「…………」
 白いカーテンの隙間からこぼれる太陽の光で目を覚ます。
 街はまだ静かで、外を歩いている人はあまりいない。
 その時、部屋のドアがノックされ、次の瞬間に軋んだ音とともに開かれた。

「あら、もう起きていたのね」
 ベッドの上で、瞼を重そうにする少年が小さく頷き、ふと自分の小さな掌を見つめる。
「どうしたの――――リノ?」
「……何でもない」
 話しかけているのは、リノの母、メリル。昨日は眠れなかったのか、少しだけ目が赤かった。
 いつもと同じようで、違う朝がそこにあった。
「リノ……誕生日おめでとう」
 メリルは少し複雑そうな笑顔で、お祝いの言葉を述べた。
 今日はリノの16歳の誕生日であり、そして――彼がアリアハンから旅立つ日でもあった。

「今日は王様に旅立ちの許可をもらいに行く大切な日でしょ。早く準備なさい」
 メリルは、優しさと厳しさが満ちた声でそう言うと、部屋を出た。
 リノは旅装束に着替え始める。細く、白い腕と指。小さな身体。肌も荒れておらず、綺麗だった。
 とても旅をするには向いているとは思えない。
 しかし、黒い瞳には迷いも不安の色もなかった。
 やがて準備を終えると、彼は静かに部屋を出るのであった。

 開けたドアの前には、メリル、と彼の祖父が立っていた。
「旅の目的は果たせなくてもいい。必ず……帰ってくるんじゃぞ」
 小さな頃から剣を教えてくれた祖父の瞳は、彼が見る限り初めて潤んでいた。
 リノは小さく頷いて一言、いってきます、とだけ呟いた。
「それじゃあ、行きましょうか。ついてらっしゃい」
 母のその言葉を合図に手を引かれて、リノは城へと向かう。
 背中からでは彼女の表情は見えない、がまだ迷っているような空気があった。

 平和を愛し、温厚な性格のこの母は、芯が強い。
 勇者であり、彼女の夫―――オルテガが旅立った時も優しい笑顔で見送ったらしい。
 しかし彼が旅に出る、と告げた時に彼女は子供の前で初めて涙を流した。
 リノがその事を告げたのは8歳の頃、それから2年経つまでは毎日のように止めていたのだが、
 決意の強さを感じたのか、それ以降は何も言わず、静かに見守るようになった。

 外はまだ人通りはそれほど多くなく、静かな街を2人は歩いていく。
 数分後には城の前に着いていた。
「それじゃあ、王様に挨拶してらっしゃい。失礼のないようにね」
 リノは城の門へと歩き始める。
 メリルは自然と彼に手が伸びるが、慌ててその手を抑えた。
(これは、あの子が決めた事……笑顔で見送らなくちゃ)
 彼が少しだけ振り向いた時、彼女は何かをこらえるような笑顔で手を振ったのであった。


 城へ入ると、門番の兵士が敬礼する。
 一人一人に小さく礼をしながら、リノは大きな階段を上った。
 そして赤い絨毯の上を歩いて、その先にある玉座の所へと歩いていく。
 王様と一瞬目が合うと、彼はすぐにその場へとひざまづいた。
「よくぞ来た。勇敢なオルテガの息子よ……顔を上げよ」
 その言葉に従い、彼は顔を上げる。
(そういえば、王様は知らなかったな)
 後ろにいた兵士の1人がそう小声で言うのが聞こえ、リノは少しだけ目を細める。
 しかし、どうやらリノにしか聞こえなかったようで、王様は話を続けた。
「そなたが6歳の頃、父は激しい戦いの末、火山へと落ちたことは知っておるな?」
 彼は小さく頷く。
「物心がついた時、そなたは旅に出たいと願った。その言葉、確かに聞き届けた。」
 王様はそこで一息つき、遠い目で天井を見た。
「敵は、魔王バラモス……過酷な旅になるが、その想いは今も変わらぬか?」
 リノはまた小さく頷いた。瞳の色を少しも変える事無く。
「そうか。しかし、このまま一人で旅に出ては以前のオルテガと同じようになるかも知れぬ」
 そして王様は、彼の後ろにいた兵士に一声かけた。
 命令を受けた兵士は、準備されていた袋を手に彼の側へ行く。
「ルイーダの酒場には、そなたが旅立つことを知り、同行を願う冒険者が集まっておる。
そこで仲間を見つけ、その袋の中にあるもので準備を整えるが良い」
「王のお心遣い、深く感謝いたします」
 若き勇者は、その言葉とともに袋を受け取る。
「では、よい報告を期待しておるぞ。そして――」
 王様はそこまで言って、言葉を飲み込んでからこう言った。
「必ず生きて帰ってくるようにな」
 彼は一礼をして、静かにその場を後にするのであった。


 リノが城で王様と話をしていた時の事。
「おい、兄ちゃん大丈夫か?」
「……へ?」
 ここはアリアハンの城下町。店を開けようとした武器屋の主人は、
 目の前で眠っている青年を見つけ、ぶっきらぼうに起こしていた。
「おっ、起きたみてぇだな」
「……えっと」
 気持ちよさそうに眠っていたのは、銀髪にトパーズの瞳を持つ青年、トラッドであった。
 彼は昨日、珍しく浴びるように酒を飲み、そのまま宿にも帰らず道端で眠っていたのだ。
「ほれ、水飲むか?」
「あ……いただき、ます」
 まだ芯に残る心地よい眠気を覚ますのは惜しかったが、折角の好意を有難く受け取ることにする。
「そういえば、兄ちゃん」
 水を一気に飲み干し、身体を精一杯伸ばしていると武器屋の主人が思い当たったかのように話しかけてきた。
「確か、ロマリアへ戻るっていってなかったか?」
「方法がなくてね」
 トラッドは以前、情報収集の時にも親切にしてくれたのを思い出す。
「それで、飲んだくれてたわけか」
(また、別なんだけど)
 そんな気持ちも知らず、武器屋の主人はニヤリとしている。
「でも、もしかすると帰れるかもしれねぇな」
「え?」
 そのトラッドの表情を見て、武器屋の主人は西の方を指す。
「誰かから聞いてないか? 今日のこと」
「あ」
 確か、あのオルテガの子供が旅立つ日――――勇者として。
「どうするかは知らないが、アリアハンからは脱出するだろ」
「……そうか」
 彼がそう呟いたのは、この言葉に納得してではない。
(だから、しばらくすれば戻れるって言ったんだな)
 リノの言葉の意味がようやく分かったので、少しだけすっきりした表情になった。

 その時、西の方で何かが視界に映った。
「あ……」
「どうした?」
 なんて事はない、ただ西の方へと歩いていく人間がいるだけである。
「……俺、行きます!」
「あ、ああ」
 トラッドは勢いよく走り出す――と、思いきやすぐに振り返った。
「水、ありがとうございました!!」
 そしてその一言だけ告げると、今度は本当に走り出す。
「……さて、と」
 武器屋の主人は静かに苦笑いしながら、開店の準備へと取り掛かるのであった。


「あら、リノじゃない。珍しい」
 彼が城を出て、真っ直ぐに向かったのはルイーダの酒場。
「そっか。今日が旅立ちの日だったわね」
 最初は普段見ない姿に少しだけ驚いたルイーダであったが、すぐにその理由を察する。
「で、どうするの? 結構たくさん集まってるけど」
 ここへ来た目的、それは仲間を探すこと。
 ルイーダはリノもそうなのだと思っていたのだが、彼の口からは予想外の言葉が出た。
「挨拶に寄っただけだから」
「え?」
 ルイーダがその言葉の意味を考えていると、彼はもう出ようとする。
「……いってきます」
 彼女はその挨拶を聞いて、ようやく彼の真意を理解した。
「まさか、一人で旅に出るつもり!?」
 リノは小さく頷く。
「どうして? ただでさえ外は危ないのに……ましてや相手は」
「それならそれで構わないから」
 ルイーダはハッとなり、おそるおそる尋ねた。
「まだ……怖いの?」
 しかし、彼はその質問には答えず店を出ようとした瞬間。入口のドアが激しい音を立てて開いた。
「ちょっと静かに……って、あ」
 ルイーダは入ってきた人物に注意を試みるのだが、すぐに言葉を切る。
「リノ、だよな?」
「え?」
 入り口に立っていたのは、もう二度と逢う事はないと思っていた人物――トラッドだった。
 リノは何も答えず、構わず店を出ようとする。
 その時、ルイーダは少し声を大きくして、こう言った。
「彼、リノの知り合いだったんだー?」
 リノが後ろを振り向くと、彼女は悪戯をした子供のように笑っている。
「やっぱり……今、見間違えかと思って焦った」
 彼は彼で、本当に嬉しそうに笑っていた。
「で、またどうして酒場なんかに?」
 トラッドは意外に思ったのでリノに近づきながら、疑問を投げかけた。
 代わりに答えたのは、ルイーダであった。
「ほら、今日は勇者……リノの旅立つ日なのよ」
「えっ? そっか。だから、あの時帰れるって、教えてくれたんだな」
 少しだけ驚いた顔をしたが、彼はまだ嬉しそうな表情のままだ。
(もしかすると……彼なら)
 ルイーダはその時、ふと思いついた事を口にした

「リノ、彼と一緒に行ったらどう?」
「何故そうなる……?」
「知らない仲じゃないんでしょ?」
「それとこれとは関係ない」
 何だかんだと再び立ち去ろうとするリノを捕まえて、ルイーダは耳元でこう囁く。

「昨日、誰かさんに会えなくなる、って彼浴びるようにお酒を飲んでいたわよ? 愛されてるのねぇ」

 リノの頬が一瞬で赤くなる。
 その時トラッドはというと、不思議な表情で2人のやり取りを見ていた。
「それでも……関係ないからっ」
 いつも淡々としているリノが、少しだけ声を荒げてそう言うと、
 走って酒場から出て行ってしまった。
「……ふぅ、やっぱりダメか。あっ、さっきはごめんね」
 ルイーダはすぐ側にトラッドがいることに気づき、今の非礼を詫びた。
「いや、それより……どうしてあんなことを?」
「うん……あなたならリノも連れて行くかなって」
「俺なら?」
 ルイーダはこくりと頷いた。
「誰とも関わろうとしなかったリノが、心を開きかけてるように思ったから」
「…………」
 トラッドは静かに俯いている。
「これから、どうするの?」
 彼女の質問への答えは決まっていた。
「……どうせロマリアへ戻るんなら、1人より2人の方が良いし」
 そう一言答えてから彼は顔を上げる。
「それに……放っておけない、から」

「だから、今からいってきます」

「ありがとう」
 その答えにルイーダは心から彼にお礼を言った。
「別に、自分のためだから」
 トラッドは頭を掻きながら違う方を向いている。
 彼女はそれを見て、意地悪く笑いながらこう言った。
「リノのこと、よろしくね」
 彼はやはり視線を合わせない代わりに、小さく頷いた。

「それじゃ、色々とありがと」
 トラッドはそのまま酒場を出ようとするが、一度振り返った。
「どうかした?」
「まるでリノの姉みたいだな、と思って」
 彼女は何かを思い出すようにゆっくりとこう言った。
「そういう時もあったわね」
 トラッドはいつになく優しい目で見てこう告げる。
「……戻れるといいな」
 ルイーダは、そうね、と短く答えるだけであった。

 周りの同行を願っていた冒険者たちが呆然とする中、
 トラッドは元気よく酒場を出て、リノの後を追うのであった。



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