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ここは宿屋のとある一室。 寝起きの良いトラッドは静かに目を覚ます。 そして隣のベッドで眠る人物の様子を見た。 「ぐっすり眠ってるな……」 規則正しく上下する胸元、普段の何処かはりつめたような空気は全くなく、 穏やかで安心しきった表情で眠っている。 (にしても……こうしてみると、本当に女の子みたいだな) 実際そうなのだが、彼は初対面の時に男と思い、 その後も、宿屋では同じ部屋で寝たり、それらしい所を見ていないので全く気づいていない。 (でも、そろそろ起こさなきゃな) 少し罪悪感はあるが、トラッドはいつもの軽い調子で声をかけた。 「リノ、朝だぞー」 「……ん」 しかし、当の本人は起きる事を拒否し、反対側を向く。 しばらく身体を揺り動かしてみるものの、起きようとする気配は微塵もない。 それどころか、余計に気持ち良さそうな寝息を立てるだけである。 「じゃあ、先にご飯食べてるからな」 果たして聞こえているのかどうか疑問ではあるが、仕方なく彼は部屋を後にするのであった。 「ナギサ早いな。おはよう」 「おはよー……リノちゃんは?」 下へ降りると、すでにナギサが起きていた。とは言っても目には眠気が残っている。 髪はしっかり整っているが、トレードマークのウサギの耳はまだつけていない。 「一応起こしたんだけどな……」 トラッドは笑顔で、頭を掻きながらそう言った。 「昨日は結構ハードだったしね……」 彼女が言うのはいざないの洞窟の事だ。夕暮れにロマリアの宿屋へ着いたのだが、 リノはトラッドが部屋を出て、5分ほどで戻った時にはすでに眠っていた。 「よっぽど疲れたんだろうな」 彼はその時の様子を思い出しながら、手を口元に当てそう呟く。 「お城に行くのって、それほど急ぎじゃないんでしょ?」 「ああ」 特に約束しているわけでもないので、論外な時間でなければおそらく問題はない。 「じゃあ、ゆっくり寝かせてあげればいいじゃない」 なので、彼女の言葉にトラッドは同意し、自分も朝食を注文した。 「で、これからどうするの?」 ナギサはテーブルの上にあるサンドイッチを食べながら、トラッドにそう尋ねる。 「まずはリノが寝てる間に旅の準備……それから王様へ会いに行って」 「で、闘技場?」 「そう…………って違う」 トラッドは同意しそうになったが、慌てて否定する。 ちなみに闘技場とはロマリアの名物である。モンスター同士の戦いを扱った賭け事なのだが、 ここに来た旅人は大抵笑顔で立ち寄り、熱狂的にはまったかと思えば泣く、という人間も少なくない。 「もしかして好きなのか?」 いきなりその名前が出た事で、彼は一抹の不安を覚えながら尋ねる。 確かにはまっている姿から、落ち込む姿まで彼女には似合いそうであるが、 「別に。トラッドが好きなのか知りたかっただけだし」 興味は全くないらしく、あっさりとそう言ってのける。 どうやら彼が不安に思った事はことごとく外され、何でもない時に不意を受ける傾向があるようだ。 「お互い向いてないだろうしな」 「……本当にね」 その後も、真面目なトラッドと珍しく真面目なナギサは、ゆっくり今後の事を話し合いながら、つつがなく時間は過ぎるのであった。 下の階では2人が今日の事について話している時。 「…………う」 先ほどまでトラッドがいた部屋で、ゆっくり眠っていた少女がうなされている。 穏やかだったはずの表情は、知らぬ間に苦痛を訴え、眉間に皺が寄っていた。 「……トラッ……ド」 彼の名前を途切れ途切れに呼ぶと同時に、リノは目を覚まし、 額にじんわりと浮かぶ冷たい汗をゆっくりと拭い去る。 そして少し荒い呼吸を整えて、隣のベッドを見た。 「トラッド?」 隣に眠っていたはずの人物の名前を呼ぶが、当然返事はない。 (そういえば声をかけられたような気が……) ふと思い出した記憶を遡ってみるが、何も思い出せない。 「まさか……!」 リノは珍しくハッとなると、慌てて部屋を出て下へ降りた。 食堂に着いて辺りを見渡すと、すぐに目立つ銀髪と金髪が目に映る。 トラッドもその騒々しい音ですぐに気がついて、きょとんとした目で話しかけてきた。 「……リノ、慌ててどうした? まだ寝ててもいいのに」 その言葉を聞いて、彼女は身体から力が抜けるのを感じる。 「後、寝癖ついてる」 「それはどうでもいい」 ようやく呼吸が整ってきたのか、リノはいつもの調子で返事をした。 ナギサはそのやり取りを見て、サンドイッチを片手に身体を震わせている。 「どこか面白い所があったか?」 「トラッドには一生分からないわよ」 「別にいいけどな……で、リノ。もう少し休んでもいいから」 不思議そうな表情を浮かべながらも、悔しそうなトラッドは優しくリノにそう言った。 「……ごめん」 彼女はそう一言だけ謝ると、また自分の泊まっている部屋へと帰る。 2人が心配そうな表情を見せている事にも気づかずに。 そして部屋へ戻ると、乱れたベッドを軽く直してから横になった。 「…………」 無言のまま、自分の胸の僅かな膨らみに手を乗せて、少しだけ力を加える。 そしてわずかな違和感を内に秘め、彼女はまた眠り始めた。 「リ・ノ・ちゃん」 ふと耳元の艶っぽい声に反応して、目を覚ます。 「もうそんな時間……わっ!?」 起こされるという事は出発の時間、と思ったリノが尋ねようとした瞬間、何かが覆いかぶさってきた。 「やっぱり寝顔も寝起きも可愛い〜」 ナギサのその言動から、しばらくは起こさずに彼女を見ていたという事が分かる。 それからとうとう耐え切れなくなったのか、満面の笑みで強く抱きしめてしまったらしい。 「いいから離れてくれ……」 「まぁ、今のは軽い冗談だから」 とてもそうは見えない。彼女でなくてもそう思うほどの勢いだ。 リノは、今の一騒ぎで乱れた服を直す。 「とにかく、まずは顔を洗ってきてね……それから髪を整えるから」 「別に適当にやるから自分でする」 ナギサは櫛を片手に張り切っているようだが、当の本人は冷たく返しながら洗面台へと向かう。 (可愛いって何を……) 心なしか温度の上がった顔を冷ます様に、リノは顔に水をかける。 そして髪の毛を少し濡らすと、無造作に髪の乱れた部分をマシな程度にして、振り返ると…… 「そんな手抜きじゃ、この部屋からは出せないわね」 「え――――」 いつの間にか背後に忍び寄っていたナギサは、何かを言う余裕も与えずに近くの椅子へとリノを座らせる。 「じっとしててね」 先ほどの元気のある声から一転して優しい声でそう呟くと、そっと彼女の髪を櫛で梳かし始めた。 「あの……」 「終わるまで動いちゃダメ」 どう言っても逃がすつもりはないらしい。リノは諦めて大人しくなり、しばらく黙ってなすがままになっていたが、 身体は正直なもので、足が退屈を訴えるようにゆらゆらし始める。 「リノちゃん、こういうの嫌い?」 「落ち着かない」 「しょうがないか……」 消え入りそうな声だったので、もう止めるのかと思い、少しホッとしたのも束の間。 「これを機に慣れてもらうしかないわね」 どうも今の言葉は逆効果だったらしく、ますますナギサはやる気になっていた。 「まさか毎日するのか?」 「そうね」 「………………年頃の可愛い女の子なんだから」 いつもと違う穏やかな声。それでいて何かを思い出しながら言っているような遠い声。 「……ナギサ?」 気になって名前を呼んでみるが、集中しているのか聞こえていないようだ。 それからはお互いに話しかける事なく、ゆっくりと時間は流れていくのであった。 「はい、終わり」 「あ……」 随分長い間座っていたような気もするが、時計の針はそれほど動いていない。 ナギサは何処からともなく手鏡を取り出すと、不意を突くようにリノの顔を映して見せる。 「どう? 結構印象変わるでしょ?」 答えはない、が彼女の驚いた表情を見れば一目瞭然であった。 しかし、特に何かを言うわけでもなくゆっくりと振り向くと、ナギサはとても嬉しそうにを微笑んでいる。 「どうしてそんなに嬉しそうに……」 「え? まぁ、女の子のおしゃれってするのも見るのも嬉しいものなのよ」 「……よく分からない」 その時、ふと今までリノの髪を梳いていた櫛が目に入った。何の変哲もないただの櫛なのだが、随分と使い込まれている。 彼女の視線に理由を察したのか、ナギサはこう言った。 「あ、これ? 結構古いでしょ」 「長い事使ってるのか?」 「そうね……初めて買ったものなんだけど、愛着があってね」 愛しそうに櫛を眺める彼女の瞳は、少しだけ寂しげに揺れているようでもあった。 「……時々なら髪を梳かしてもいい」 リノの口から、自然とその言葉が出る。そして言った後に自分で驚いた顔をした。 「ホント!?」 訂正しようと思ったのだが、ナギサが余りに嬉しそうな表情で言うので、ただ頷く事しか出来ない。 「じゃあ、これからは毎日するから……あ、トラッドがいない時だけになるけど」 彼女の中ではすでに話がいつものように変わっていた事で、 自分の早まった言動に激しく後悔しながら、リノは彼の姿が見えない事にようやく気づく。 ただ単に、ナギサが気づく暇を与えなかっただけなのだが。 「そういえばトラッドは?」 「今、旅の準備を整えに行ってる。そろそろ帰ってくると思うけど……」 リノの問いかけに彼女が答えた時、ちょうどドアをノックする音がした。 「あ、帰ってきたわね」 そう言いながら、櫛と鏡を素早く隠すナギサ。 ドアが少し控えめな音を立てて開くと、予想通りトラッドの姿があった。 「ただいま」 「おかえりー、準備は?」 「ああ、大体終わった」 その証拠か、彼愛用の道具袋は大きく膨らんでいる。 「じゃあ、お城に行きましょうか」 「そうだな。リノも大丈夫みたいだし」 安心したように言いながら、彼女を見るトラッド。その時、一瞬だけ瞳が疑問の色に変わる。 「どうした?」 「……何でもない」 彼女はそれに気づいて問いかけるものの、少しためらったような返事が返ってくるだけであった。 (やっぱりまだまだね) 様子を見ていたナギサは、そう思いながら苦笑いをしている。 「まぁ……とにかく行くか」 彼は彼で少しだけ考え込む素振りを見せるのだが、すぐにいつもの調子へ戻り、戸惑いながらこう言った。 それを合図に3人は部屋を出て、宿屋を後にするのであった。 太陽は随分高くまで昇っている。 リノはつい先ほどトラッドが外で買ってきたパンを食べていた。 「私にはお土産ないの?」 美味しそうなパンを見て、ナギサは拗ねた様に言う。 「さっき食べただろ?」 「……まぁ、そういうことにしておこうかしら」 「何がだ」 相変わらずの2人の様子を、リノは何気なく眺めていた。 (まだしばらくは一緒かな) そう思ってホッとしそうになる自分に気づくと、それを払いのけるようにまたパンを口に含む。 今の気持ちのせいか、パンの味は最初より少しだけ違っていた。 (らしくない……) リノは霧がかかったようなはっきりしない心を押し殺すように、下を向いて歩く。 彼らの目指すロマリアの城はもう目の前であった。 次の話へ 目次へ |