第12話 「顔を知らない顔見知り」


 夜が更け、誰もが安らかに眠り、人の気配のなくなったカザーブ。
 唯一の明かりである月は、雲にすっぽりと覆われている為、辺りは暗い。
「うー、寒い……」
 宿屋から出た人影が息を吐くと、真っ白な固まりが一瞬だけ浮かんで消える。
「夜にしか会えないっていうのも迷惑な話ね」
 愚痴るように呟いたその時、一際強い風が村に襲い掛かった。そして、雲が流され月が姿を現わして辺りを照らす。
 金髪に碧眼を持つ女性――――ナギサは黒いコートの袖にすっぽりと手を隠す。
「……早く行こ」
 諦めの感情が混じった声でそう言うと、彼女は小走りに村の入り口へと向かうのであった。

「失礼しまーす……」
 ドアが少し軋んだ音を立てながら開く。
「あなたは……旅の方ですね。こんな夜更けにどうかなさいましたか?」
 中にいたのは1人の神父。年齢は30を過ぎた辺りだろうか。
 時間が時間なだけに、顔に浮かぶ僅かな皺が形を変えて、心配そうに声をかけてきた。
「あ、ちょっとお墓参りに」
「こんな時間にありがとうございます」
 その言葉に感動したのか、神父は右手で胸の前に十字を描き、深々と頭を下げる。
「その前に……」
「はい?」
 ナギサは冷たくなった両手に、息を吐いてこすり合わせながらこう告げる。
「そこの暖炉に当たってもいいですか?」
 神父は、少しだけ間を置いてから、笑顔で頷くのであった。

 ここは村の入り口近くにある教会。一番前の机には、3本の蝋燭が灯っている。
 彼女は、暖炉で少し身体を暖めるだけのつもりだったのだが、神父が暖かいお茶を出してくれたので、その厚意に甘えて椅子に腰掛けながら飲み始めていた。
「あなたは前にも来た事がありますね……今と同じような時間に」
「ええ、まぁ……あ、お茶頂きます」
 そして、いい香りが漂うカップを持ち上げて一言。
「よく覚えてますね」
「こんな時間に来る方は珍しいですから」
「それもそうか……」
 ナギサは、微笑みながら納得する。
「誰かお知り合いの方でもいらっしゃるのですか?」
「一応……まぁ、顔見知り程度なんですけど」
 そう言ってお茶を一口飲むと、幸せそうに息を吐いた。
 ふと天井を見上げると、大きなステンドグラスが目に入る。
 彼女は目を細めて、小さく呟いた。
「実はあれ、好きなんですよね。変わってなくて嬉しいです」
「ありがとうございます。そうおっしゃって頂けると、私も大変嬉しく思います」
 優しい目と表情で神父はそう言うと、何か途中の仕事があったのか、
 前に置かれた机に戻り、1冊の本をめくりながら静かになる。
 ナギサは何気なくそれを眺めながら、カップを口元に近づけて少し傾けた。
 細く白い首がこくんと動くと、また天井に視線を移す。
 しばらくはそれを繰り返しながら、彼女は柔らかな笑みを浮かべるのであった。

「お茶、ごちそうさまでした」
 全て飲み終えて空になったカップを、ナギサは礼を言いながら静かにテーブルに置く。
「お代わりはよろしかったでしょうか?」
 その質問に残念そうな表情で、首を振った。
「あんまり遅くなってもいけないので……これで失礼します」
「そうですか。またいらして下さいませ。いつでもお待ちしております」
 彼女は短く、ありがとうと言って、入ってきた時とは違うドアから出る。
「さて……私も一杯頂きましょうかね」
 誰もいなくなった教会で神父はそう呟くと、新しいカップにお茶を注ぎ始めた。

「…………寒いから早く出てきて欲しいんだけど?」
 十分過ぎるほどに身体を温めたナギサは、十字架を模した墓標の前でそう呼びかけた。
 しかし、辺りにいるのは酔っ払って熟睡している旅の武闘家だけである。それ以外には何の気配もない。
「か弱い女性を待たせるなんて、男のする事じゃないわよ?」
 再び、誰もいない場所へ呼びかける彼女。その時、それに応えたかの様に辺りの空気の質が変わる。
「………………誰だ?」
 そう答えるのは声ではなく、頭に直接響いてくるもの。
「覚えてない? ……ほら」
 しかし、ナギサの様子は普段通りで、自分の胸元まである金髪を持ち上げて、頭の左右で括ったような髪型に見せた。
「おお、久しぶりだな…………ナギサ」
「やっと思い出したわね。久しぶり」
 今まで何もなかった墓標の横の空間が、一瞬奇妙に歪む。
 そしてゆっくりと、少しだけ色のついた何かが人の形を成していった。
 その出来上がった形から、体格のよい男だとかろうじて分かる。彼女はどうやらその『彼』と知り合いのようだ。
「髪を下ろしたのか? そちらの方がよく似合っているな」
「ありがと。でも、あなたは相変わらずいい男か分からないわね」
 褒められて機嫌が良いのか、ナギサはいつもより嬉しそうな様子で答える。
「その姿……今は何をしているのだ?」
「んー……遊び人」
 わずかな間。その後、曖昧な姿の彼は豪快に笑いながらこう言った。
「わっはっは。本当に何を考えているか分からないやつだ」
「ま、色々あったのよ」
「そうか……ところで」
 先ほどまでの楽しげな雰囲気が、一瞬にして緊張の帯びたものに変わる。
「ここへ何をしにきたのだ? ただ話をしにきただけではあるまい」
「あら、話が早いわね」
 ナギサはそう言うと、墓標の裏へと回り込んで座り込んだ。
 影になって分かりにくくなっている部分に埋められた後があり、黒く光る鋭い何かが飛び出している。
「これを返してもらおうと思って、ね」
「……もう使わないのではなかったのか?」
 それは疑問、と言うよりも心配が入り混じった声だった。
「あの時はそう思ったんだけど……もしかしたら必要になるかもしれないから」
 彼女はその周りの土を丁寧に掘り返しながら言葉を返す。
「そうか。なら何も言うまい」
「ありがと」
 納得した彼に、ナギサは小さな声で礼を言うのであった。

 宿屋を出る前は最も高い所にあったと思われる月が、夜空を泳ぐように傾き始めている。
「じゃ、そろそろ行くわね……いい加減寒いし」
 そう言ったナギサの手には、先ほど掘り出した物を入れた袋。
「寒い、か…………もう私には分からないな」
「ま……そんなにいいものじゃないわよ?」
 あまりに寂しげなその言葉に、彼女は真剣な眼差しで明るく言った。
 彼はその気遣いを察してか、少しだけ納得してから笑う。
「それでは私はまた眠る事にするよ……元気でな」
「あなたも……ってそんな心配は要らないか」
 ナギサのそのからかうような口調に彼は楽しげなまま、体らしき形を持っていた何かを辺りへ四散させる。
 そうしてゆっくりと別れの時が過ぎていった。
「……明日起きれるかしら」
 彼女が独り言を呟いてからくしゃみをすると、急に感覚が戻ってきたのを実感する。
 すっかり冷えてしまった身体を温めるために、ナギサは走って宿へと戻るのであった。

「リノ、おはよう」
 朝日はまだ昇ったばかり。かなり早い時間にある一室から朝にふさわしい爽やかな挨拶が響く。
 先に起きて顔を洗い終わったトラッドが、隣で起きたばかりの彼女に向けたものだ。
「おはよう……」
 瞼をこすりながら返す言葉は、少しだけ頼りない。彼の表情が僅かに曇る。
「大丈夫か?」
「何が?」
 彼の心配そうな声が何を意味しているのか分からず、リノはそう聞き返した。
「昨日も結構大変だったから、疲れてないかと思って」
「……何ともない」
「ならよかった――――じゃあ、何か食べに行くか」
 その答え方に、心配の色が残るトラッドであったが、一応は納得して朝食へ行こうと誘う。
「後から行く」
「わかった。 …………二度寝だけはするなよ?」
 彼は笑いながらそう言うと、よほどお腹が空いていたのか軽い足取りで部屋から出て行った。
(……いつものトラッドだな)
 1人部屋に残ったリノはふとそう思ってから、目を覚ます為に顔を洗いに行く。
 それから黙々と、念の為ドアの向こう側の気配に注意しながら着替えるのであった。

「待たせた」
 リノは食堂で暇そうにしているトラッドにそう一言かけてから、向かい側の席に座る。
「ああ。で、何食べる?」
 彼はそう言いながら、皮で出来た表紙のシックなメニューを手渡した。
「トーストでいい」
 彼女はとりあえず一番最初に目に入った物を、宿の主人に頼む。
 それを見たトラッドは、早いな、と一言呟いてまた宙に視線を飛ばした。
 運ばれてきた水を一口だけ飲んでから、リノはある事に気づいて質問をする。
「ナギサは?」
「いや、まだ見てないけど……珍しいな」
 今までに数回しか朝の様子を見た事がないのだが、ナギサは眠そうな顔をしているものの、
 思ったより寝起きが良く、他の誰よりも早く目を覚ます事が多い。
「今日はいつもより早い時間に出発するって言ったのにな」
 カザーブからシャンパーニの塔までは結構な距離がある。と、昨夜宿屋の主人に聞いたので、
 夜になる前にそこへ辿り着きたいと思い、3人は話し合ってそう決めた――――はずだった。
「リノ、起こしに行くか?」
 その時、ふと彼女の脳裏に昨日のロマリアの宿屋での出来事が蘇ってくる。
 リノの髪を櫛で梳かしていた時の事である。
(確かにいいとは言ったけど、やっぱり……)
 うかつに起こしに行けば、また椅子に座ってじっとしていなくてはならない。
 そう思ったリノは、無言で彼の顔を見た。
「…………え?」
 彼女の視線が何を意味するのか、瞬時に把握して表情を曇らせるトラッド。
 しかし、ナギサの思っている通り、リノには弱い彼が逆らえる訳もない。
「あいつが何か言って来ても、真に受けないようにな……いってくる」
 嫌な予感しかしないトラッドは、予めリノにそう釘を刺してから彼女の部屋へと向かった。

(・・・・・・よし)
 ナギサの部屋の前で立つ事数分。トラッドは覚悟を決めて、ドアをノックする。
 緊張か恐怖か、小刻みに震えた手で叩いた木製のドアは、ぎこちない音を立てた。
「起きてるか? もう朝だぞ……」
 そしてかけた声も段々小さくなっているせいか、中からは一向に返事はない。
(やっぱり入るしかないのか)
 そう思ったものの、最後の希望を込めて、再び数回ノックをする。しかし、やはり返事はなかった。
「…………入るぞ?」
 そう言いながら、おそるおそるノブを回して、ドアを開いて中へと入る。
 まず視界に入ってきたのは、いつも着ている黒いコート。そして次は静かに寝息を立てているナギサ。
「おい、ナギサ起きろ」
 トラッドはそっと忍び足で、彼女を呼びかけながらベッドへと近づいていく。
(絶対誤解されるよなぁ……)
 嫌な予感は膨れ上がるばかりで、一向に収まる気配はない。
 それでも勇気を振り絞って、彼は彼女の頭を何回か揺らしてみる。するとナギサは軽く寝返りを打った。
(にしても、髪の毛がさらさらだな・・・それにやっぱり美人、だよな)
 普段わざとそうされない限り意識する事はないのだが、世間一般的に見ても彼女は綺麗である。
「ううん……」
 いつもは全く見せない無防備なその表情と声に、トラッドが思わず見とれていると、
 彼女はわずかに影を帯びた声で寝言を洩らした。

「…………私には、向いてないから」

「ナギサ?」
 悲しげなその様子に、彼は自然と彼女の名前を呼ぶ。
「ん……?」
 それに反応したのか、ナギサの目がゆっくりと開いていき、そして――――
 朝早くからかなり良い音が部屋中に響き渡った。
 トラッドは何が起こったか分からないままに、とにかく衝撃の走った顔を押さえて距離を取る。
「私の寝込みを襲うなんて、いい度胸してるわね」
 彼女は枕元に置いてあったハリセンを、凄まじい速度で彼の顔面に叩きつけたのだ。
 わずかに痛みが治まったトラッドは、半眼で睨みながら文句を言う。
「あのなぁ……起こしに来たのに、いきなりそれか?」
「へ?」
 そう言われてナギサはすぐに窓の外を見る。太陽は適度な高さで気持ち良さそうに青空の中を泳いでいた。
「えーと……ほら、誰にでも間違いってあると思うんだけど……ね?」
「……分かったから早く準備しろ」
「はいはい〜」
 とりあえずその言葉で安心したのか、少し頭を下げて謝ってから準備しようとする。
 トラッドも出て行こうとしたのだが、ふと寝言の事が気になって振り返って呼びかけた。
「ナギサ」
「何? もしかして、まだ怒ってる?」
「いや、その……向いてないって何かと思って…………寝言で言ってたから」
 彼の言い難そうな様子のせいか、一瞬何の事か分からない顔をしたが、すぐに察しがついたようで逆に聞き返してくる。
「……そんな事言ってた?」
「ああ。でも、別に言いたくなかったら無理には聞かないけど・・・」
 そこでドアの方を向いて、一度息継ぎをしてからこう続けた。
「遊び人、結構向いてると思うけどな、俺は」
「………………」
 ナギサの返事はない。いつの間にか準備する手も止まっている。
(その事じゃないんだけど……まぁ)
 珍しく照れた様子で、短く小さな声で彼に告げた。
「一応、ありがと」
「じゃ、リノも待ってるから、早く来いよ」
 トラッドは安心したのか、いつもの調子で言いながら部屋を出る。
「今回だけは大目に見てあげようかしら」
 閉まったドアをぼんやりと見つめながら、ナギサは笑顔でそう呟くのであった。

 それからしばらくしてナギサが顔を見せる。
 リノは香ばしく焼けたトーストを、トラッドはサンドイッチをのんびり食べていた。
「ごめんごめん。で、私の食べる時間ある?」
 その問いかけに返事がなかったので、彼女は泣きそうな顔をしたのだが、
 トラッドが苦笑いをしながらメニューを差し出すと、すぐに笑顔に戻った。
 それを数秒眺めてから主人に頼んだ後、思い出したようにリノに尋ねる。
「そういえば、何でトラッドが起こしに来たの?」
「え……っと」
 当然その理由が言えるわけもなく、彼女は困ったように彼を見た。
 しかし、どうやらそれがナギサの誤解を招いたらしく、表情ががらりと変わる。
「そういう事……?」
 突然浮かび上がった殺気に、すぐに反応したトラッドであったが、その上をいく速さでハリセンは彼の頭を打っていた。
 ちょうどサンドイッチが喉を通る直前だったようで、いつも以上のダメージがあったらしい。
(トラッド、ごめん……)
 リノが珍しく申し訳ない気持ちで俯いていると、それを見たナギサは笑顔ですかさずフォローをした。
「あ、リノちゃんは全然悪くないからね」
 そして一度ため息をついてから、心の中でひっそりと呟く。
(少しは見直したんだけどな……)
 朝から何もかもが悪い方向へと進んでいくトラッドなのであった。

 いつもより早く、いつも通り騒々しい朝食を終えると、席を立ってから主人にお金を払う。
 入り口のドアを少し勢い良く開けると、いつもより眩しく見える太陽に3人とも目を細めた。


 次の行き先はカンダタがいる、シャンパーニの塔。




次の話へ

目次へ