第14話 「それぞれの場所、それぞれの決意」


 落とし穴――ナギサはわずかに早く気づいた為、罠が作動する直前で床を反射的に蹴っていた。
「しまっ……!?」
 トラッドとリノが違和感を覚えた時には、すでに足元は消え失せており、なす術もなく暗闇に吸い込まれていく。
「…………くっ」
 彼は鉤爪のついたロープで穴の淵を捉えようとしたが、それを阻止するように床は素早く元の姿へ戻る。
「肝心な時にあの盗賊は役に立たないわね……リノちゃん、大丈夫かしら」
 1人取り残されたナギサは彼には呆れ、リノの事を心配していた。いつもの彼女からすれば、当然の事である。
「お前ら、本当に仲間か?」
「当然よ」
 が、それを見ていた子分の1人は、2人が落ちていった床に同情の目を向けていた。
 その眼差しのほとんどは、きっとトラッドに向けられているに違いない。
「これで4対1だな」
 妙な空気を断ち切るように、カンダタは現実を彼女に突きつけた。
 ナギサはそれを聞いて、ようやく今の自分が置かれた状況を理解して、心中で冷や汗を流す。
(……一緒に落ちた方が良かったわね)
 なるべく表情には出さないように、細心の注意を払いながらハリセンを握り直した。
 しかし顔には出さない分、掌から冷たい汗となり、嫌でもそれを実感してしまう。
 子分3人は、これから自分たちがするであろう行為を想像し、汚れた笑みでにじり寄って来る。
(そもそもトラッドがもっと早く気づいてれば……大切な時にだけ鈍いんだから)
 いつの間にか彼女が思い浮かべていたのは、先ほどよりもより一層恨みがましい彼への思い。
 少しも解決策を考えようとしない辺り、彼女にはまだ余裕があるらしい。
 何はともあれ、これで無事帰りつけた日には、きっと彼には恐ろしいお仕置きが待っている事だろう。
(ん……?)
 その時であった。ナギサの頭に何かが思い浮かぶ――――それは今までに見た断片的な記憶。
 彼女はふと我に返り、今の状況を冷静に確認した。
 子分たちとの距離は、徐々にだが確実に詰まっている。後ろに下がるにも限界がある。
(……トラッドは)
 不意に胸に現われたのは彼の名前。そしていつも手に持っているブーメラン。
 これまでに何度も見たのは、その何の変哲もないものが一度に何匹ものモンスターを攻撃する景色。
「あ……」
 ナギサの中で不確かだったものが、一本の線になる。彼女は柔らかな笑みで子分たちに話しかけ始めた。
「ねぇ」
「ん?」
 その問いかけに無精ひげの男が疑問の声を上げる。
「聞きたいことがあるんだけど」
「……言ってみな」
 少し間があったのは、おそらく彼の迷った時間。そのせいか出てきた言葉は案外優しい。

「……爆発する呪文って何て言ったっけ?」

「あ? 何だそりゃ……確かイオとかいったヤツだと思うが……」
 ナギサの問いかけは余りに色気がなかった為、男は一瞬脱力したものの、答えてすぐに歩を進め始めたのだが、
 後ろでそのやり取りを見ていたカンダタだけハッと息を呑む。彼女の中から生まれ出す異様な威圧感に。
「そう、ありがと」
 どこかぼんやりとした口調でナギサは礼を言いつつ、碧眼を閉じて何かをこの空間に作り始める。
「命乞いか?」
 その行動の意味が分からない子分たちは的の外れた言葉を投げかけるが、当然今の彼女の耳には届かない。
(こいつ…………!?)
 カンダタの長年かけて養われてきた本能だけが、危険を脳に訴えていた。
 それに絶対的な信頼を寄せている彼は、後ろへと下がって身構える。
 次の瞬間、今まで閉じられていたナギサの目が開いた。

「―――――イオラ!」

 しばしの静寂の後、彼女の力強い声に呼応するように、彼らの中心から全てを吹き飛ばさんとする光が弾ける。
 その直後、膨大な魔力が爆発となって辺りを支配する。
「……!? …………!!」
 全く予期せぬ出来事に、子分たちはそれぞれ声にならない叫び声を上げるのであった。


 その時、トラッドとリノは恐怖をかきたてるような落下感に襲われていた。
 思ったよりも高さはない。が、今はそれが逆に2人を追い込んでいる。
 一番後ろにいたリノは、着地には不十分な体勢だったのだ。
 それを立て直すには、時間は余りに短すぎる。
(間に合うか……?)
 比較的、安定している彼は隣にいる彼女を見て自然とそう考えていた。
 地面はすぐ側まで近づいてきている。一刻の猶予もない。
(しまっ…………え?)
 リノが半ば諦めかけていた時、いつの間にか慣れつつある空気を側に感じる。
 その正体がはっきりしないまま、2人は床へと叩きつけられた――――はずであった。

「……っ」
 最初にに辺りへと響いたのは、苦痛を訴える声にならない音。
「トラッド……?」
 リノはその声の主である彼の名前を呼んだ。しかし、しばらく返事はなく呻き声が聞こえるだけ。
「大丈夫みたいだな……良かった」
 痛みをこらえて紡ぎだした言葉は、彼女の真下から響いた。
「どうして……」
 それからようやくリノは今の状況を理解して、呆然とした声でぽつりと呟く。
「…………仲間だから」
 トラッドは照れているのか、視線を逸らしながら彼女に聞こえない様にそう洩らした。
 彼はあの状態から、リノの下へとかなり強引に身体を滑り込ませた。
 クッション、と言うには程遠い姿勢ではあったが、幸いにも彼女はほぼ無傷で済んだようだ。
「でも、やっぱり軽いん……」
 何とかリノを励まそうと、いつものような感じで冗談を言いかけて、すぐに口を噤む。
「足が…………!」
 ゆっくりと下を向くと、彼女の身体の大部分を支えているのが彼の足だと気づく。
 形は変わってなかったので骨に異常はなさそうだが、歩く事はおそらく難しい。
 リノは深刻さに口を閉じてしまい、トラッドも痛みをこらえるのが精一杯で、
 しばらく静かな、そして重く暗い何かが2人に圧し掛かっていたその時。
「!?」
 先ほどまで自分たちがいた場所で、激しい爆音が響き渡った。
 一瞬、痛みも忘れて顔を上げたトラッドはすぐに察しが着く。
「本当にいざという時が来るなんてな……」
 それは立ち込めた暗雲に一筋の光が差し込むような出来事であった。
「よし、俺たちもい……」
「トラッド!?」
 明るい表情で立ち上がろうとしたものの、やはり足の痛みには勝てず、その場にうずくまる。
 一足先に立ち上がったリノは、その様子を見てすぐに肩を貸そうとしたが、彼は厳しい目でそれを拒否する。
「……先に行っててくれ」
「え……」
 彼女はその意味を理解できず、自然と声を出す。彼は更に言葉を重ねた。
「俺はいいから…………早く!」
「け、けど……」
 旅に出てから初めて聞いたトラッドの強い口調。
 しかし、ここに動けない彼を1人残せば、モンスターに襲われる可能性もある。
 そう考えれば、当然置いていくわけにはいかない。
「俺は、大丈夫だから」
 迷っているリノに告げられた言葉は何の根拠もない。けれど、口調はいつものように穏やかで優しかった。
「それよりもナギサが……」
「え? ……でも、さっきの爆発なら」
「カンダタはあの程度じゃ終わらない」
 彼女が最後まで言う前に、それを遮って彼ははっきりと明言する。
 何処か憎しみを含んだ声で。
「…………分かった。でも、先に治療する」
 納得はしていない。が、リノなりの妥協案であった。
 すぐさま袋から薬草を取り出し、反論する間を与えないほど早く彼の足を治療し始める。
 その行動に何かを感じたトラッドはため息をついて、それでも微笑みながら大人しくなるのであった。


「………………」
 その頃、ナギサは辺りに立ち込める粉塵を、目を細めながら見つめていた。
「ま、こんな姿だしね」
 彼女は自分を観察しながら、わずかに自嘲の感情を込めて呟く。
 ウサギの耳にハリセン、しかも彼ら曰く綺麗との事。
 そんな彼女を初めて見た人間が、この破壊力を想像する事は容易くない。
 しかし、気にかかる点が一つだけあった。
(……さすがは親分って所かしら)
 イオラが発動する瞬間、カンダタだけは唯一後ろへと下がり、自分でも分からない何かに対して備えていたのを思い出す。
 そして視界が悪くなっている今も、何かを仕掛けてくる気配はない。おそらくは逃げられた、と彼女は推測した。
(でもトラッドの言う事も、たまにだけど役に立つじゃない)
 珍しく彼の事を見直しながら、来た道を引き返そうと振り向きかける。
「ん?」
 その時、煙が充満している所にきらりと光る何かが目に入ってきた。
(……殺気!?)
 考えるよりも早くナギサはわずかに身体を右にずらし、右手のハリセンを強く握り締める。
「ちっ……」
 わずかな舌打ちと共に突如現われたのは鋭利な1本の剣。
(生きてた!?)
 彼女は心中で驚きながらもそれを見せず、左の腰の辺りから斜め上にハリセンを振り抜いた。
 それは彼女の狙い通りだったのか、剣の平らな部分に当たってその軌道をわずかに修正する。
 だが完璧に避ける事は出来ず、柔らかな金色の髪の毛が散って、風に揺られながら消えた。

「避けやがったか……」
 煙の中から忌々しげに出てきたのは、鎧に身を包まれたカンダタの子分。
 顔つきは一切分からないが、表情だけは簡単に想像がつく。
 彼が再びナギサを襲う為に顔を上げようとすると、聞き慣れない音が衝撃と共に頭部に襲いかかった。
「避けやがったか……じゃない!」
 次に子分の耳に突き刺さったのは、彼女の荒々しい怒りの声。
 その後目に入ったのは、使う人間を数えるほどしか見た事が無かったハリセン。
 どうやらそれで叩かれた、と彼は理解してから情けなく感じていた。
「髪って女の命なのよ? それぐらい盗賊でも知ってるでしょ!?」
「それは……悪かった」
 ナギサの怒りはいつの間にか説教に変わっており、雰囲気に流されて子分は謝罪する。
(あ、でもトラッドは知らなさそうねぇ……)
 心中でそんなことを付け足しながらも、更に話は続いた。
「もし知らなかったんだったら、いい勉強になったと肝に銘じる事」
「はい……」
「返事が小さい!」
「あっ、はいっ!!」
「……これからはもうしないように。繰り返すほどバカでもないでしょ? 分かった?」
 もう口を開く気力も失せたのか、子分はうなだれるように頷いた。
「じゃあ、もう帰っていいわよー」
 彼は彼女の明るい口調にようやく安堵し、反省をしているのか疲れきったように歩き始める。
 盗賊とはいうものの、案外根は悪くないのかもしれない。

「…………待てよ」

 ここでようやく今の状況に気づく。何故、自分が怒られているのかという事に。
「何? まだ何か……って、きゃっ!?」
 ナギサは彼の持つ剣の先が一瞬消失したのを見て、可愛い悲鳴を上げながら咄嗟に後ろへ跳んだ。
「やるな、女……危うく騙される所だったぜ」
 普通は騙される所ではないのだが、子分の声はかなりの悔しさが滲み出ている。
 凶刃は彼女の鼻先に触れるか触れないかの所でわずかに届いていなかった。
「押しがあと一歩足らなかったわね……」
 そういう問題かどうかは微妙だが、ナギサも悔しそうにそう言いながら笑顔を見せる。
 しかし、それは無理やり作った仮初の笑み。
(でも、ちょっとピンチかも……)
 彼女のハリセンは確かに常軌を逸している。が、この鎧の男の剣も、先ほどの動きからしてかなりの実力なのは明白。
 まともに戦えば互角か自分が多少不利とあっさり予想できる。
「でも、よくあの状況で生きてたわね……敵ながら感心するわ」
 次に彼女の口から生まれたのは世間話のような雰囲気を持つ言葉。目的は時間稼ぎ。
「俺は親分の右腕だからな」
「……どうせ他の2人も同じ事言って」
「黙れ!」
 今のはどうやら図星だったらしく、男は彼女の言葉を遮って怒りの感情を吐き出した。これ以上猶予はない。
(・・・・・・いきなり必要になるなんてね)
 心中から生まれたのは諦め。しかし、それは戦う事に対してではなく、もっと別の物へ向けられた気持ち。
 ナギサはハリセンを背中に直し、腰から提げていた丈夫な皮袋に手を入れる。そこにあるのは、無機質な冷たい感触。
(これを最後に使ったのはいつ……?)
 不安に思いながら自分に問いかけてみるものの、すでに記憶は失われていた。
 が、身体は覚えているようで、しっくりと右手に馴染むのだが、まだ違和感を拭い去る事は出来ない。
 袋の中で小さくかちり、と何かがはまる音がする。
(迷っている場合じゃないわね……)
 夢から醒めたような表情で正面を見ると、子分の剣は空気を切り裂いて彼女へと迫っていた。
 その時、頭をすっぽりと覆う彼の兜の隙間から見えたのは、勝利を確信した目。
 だが、次の瞬間それは驚愕の色へと変化をする。

 直後、辺りに鳴り響いたのは金属と金属が衝突する澄んだ音。

「この女っ……!?」
 何処か尋ねるような口調。彼の刃はナギサの顔よりも前に出された両手によって防がれていた。
 彼女は言葉で答える代わりに、流れるような仕草で剣を振り払う。


 かつて伝説の武闘家が人知れず愛用していたという―――――鉄の爪で。
 



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