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「…………」 トラッドは辺りの様子に気を配りながら、ただじっとしている。 彼の足元では、リノが黙々と手当てを施していた。 「痛みは?」 「さっきより楽になった」 「そうか」 2人は少し前から3回ほど同じ会話を繰り返している。 短時間で治る様な怪我ではないが、彼はその度にこう返事をしていた。 リノもそれ以上何か言うわけでもなく、ただ頷いてそう言うだけだ。 それから彼女が薬を染み込ませた布を、そっとトラッドの足に当てると、彼は小さな呻き声を上げた。 どうやらよほど沁みたらしく、こらえきれなかったようだ。 それに反応してリノの手の動きがわずかにぎこちなくなるが、我慢しろ、と言わんばかりに治療を続ける。 「トラッド」 皆無ではないがあまり呼ばれた事が無いせいか、彼は普通以上に素早く顔を上げた。 その様子に話しかけた本人であるリノの方が驚きを見せたが、 それもわずかの間で、すぐにいつもの感情が読み取りにくい表情になると、躊躇いながら問いかける。 「知ってるのか……カンダタの事」 「え……」 トラッドが表情に出さない様に思った時には、すでに唇から音が洩れていた。 その後、俯きながらしばらくは何も言おうとしない。 「ここに来るまでの間、何だか辛そうだった」 「……顔に出てたか?」 リノはゆっくりと頷いた。それを見て彼は自嘲気味にこう呟く。 「…………ダメだな、俺は」 「助けようと思ってる本人に、心配させるなんて」 「え?」 彼女は一瞬意味が分からなかったが、すぐに察しが着くと少しだけ頬を染めて俯いた。 「…………悪い、今の忘れてくれ」 顔は見えないが、トラッドはそれを困らせたと感じたのか、やはり沈んだ様子で寂しげにそう告げると、 リノは言葉を失い、忘れようとするかのように止まっていた足の治療を再開する。が、手は思うように動こうとしない。 (助けるって……私を?) きっと幼い頃はまだあったはずの気持ち。 しかし、それが何なのか把握するには、余りにも色々な感情が混じり過ぎていた。 (あんなに冷たい態度を取っているのに……) 彼女は知らず知らずの間に旅立った頃の事を思い出す。 ついてくるな、と言った事。彼に黙ってナジミの塔へ行った事。 それでも彼は嫌な顔一つせず助けてくれて、かける言葉はいつも優しい。 今でも1人で旅をしたい、という気持ちは変わらない―――――はずだった。 しかし以前ほどずっと考えていなければ、それほど強く願っていない自分に気づく。 (……私にそんな資格はないけど……けど) 例えこう言った所で、きっと彼はついてくるのだろう。少しだけ苦笑いを浮かべながら。 「……そんなに頼りないか?」 「え? いや、そういうわけじゃ……!!」 リノの口から驚くほど自然に言葉が紡がれた。トラッドは首を横に振って、慌ててそれを否定する。 「…………なら、もう少し頼ってくれ」 言い終る少し前に、彼女はいつの間にか包帯を巻き始めていたのを終えて、立ち上がっていた。 すぐに背中を向けてしまったので表情を窺う事は出来ないが、彼にはそれだけで十分だった。 「……ありがとう、リノ」 聞こえているはずだが反応はせず、彼女はこちらを見ずにそのままの状態で言葉を続ける。 「手当ては終わったから行くけど……大丈夫か?」 「ん? ああ、これならどうにかなると思う……あ」 「何だ?」 リノは前に一歩踏み出した足をそこで止めて問い返した。 「これは俺の勘だけど、下に行った方が良いかもな」 「下?」 カンダタがいたのは上の階。だが、彼の推測は今までも鋭く、そして正しい。 「あの部屋の後ろは壁が無かった。もしかすると、ナギサの呪文をそこから飛び降りて避けたかもしれない」 「……分かった」 よく見ればこの階にも2箇所、壁が無い部分があった。言われてみれば、逃走の為のものだと考えれる。 彼女はすぐにトラッドの言葉に従って、下へ飛び降りようとした。 「リノ……死ぬなよ」 いつにもまして真剣味を帯びた声。やはり彼はカンダタを知っている。 だが、今それを聞いている暇はない。それに辛い表情を浮かべるトラッドから聞くつもりもなかった。 「……必ず迎えに来る」 リノはただ強く、自分の思った事全てを込めてそう言ってから飛び降りるのだった。 「この……!!」 力任せながらも、鋭く踊る刃がナギサに次々と襲い掛かる。 彼女はそれを瞬き一つせずに最小限の動きで避けながら、相手の隙が出来るまでひたすら耐えていた。 (やっぱり鈍っている……) これまでも隙はあり、ナギサはその度に攻撃を繰り出している。が、後一歩何かが足りない。 (一年も経っているんだし、当然ね) 納得するものの、それで状況が好転するわけではない。彼女は一度後ろへ大きく跳んで、間合いを取った。 「女……武闘家か?」 「見ての通りだけど?」 分からないのだから聞かれているのだが、どうやらナギサに答える意思はなく、それが余計に男の感情を昂らせる。 しかし兜の下の顔はにやりと笑っている、ような気がした。 再び剣と鉄の爪が交わろうとする、が彼女はそれを嫌って左右へと身体を振って、相手に的を絞らせようとしない。 (さすがに力では勝てないわね……けど) そう思いながら、自分に分がある素早さで勝負しようと試みた。 だが、相手はそれに気づいているようで、いつも寸前の所で後ろへと下がる。 それを数度繰り返している内に、ナギサの呼吸がわずかに荒くなっていた。 (なるほど、ね) 薄々感づいてはいたが、この男の狙い――――それは彼女の体力を消耗させる事。 攻撃をしている間にナギサに当たればそれでいい。しかも、鎧を着込んでいる為、簡単には致命傷にならない。 「気づいたか……そうなれば、呪文も使えねぇな」 男は彼女の思考を読み、得意げに言葉を吐き捨てる。 そう、一番注意しなければならないのは、先ほどナギサが見せた呪文。さすがに鎧でも防ぐ事は出来ない。 しかし、今の所はその隙を与えていない。そうなれば、いよいよ彼女に打つ手は無くなってくる。 (…………あ) ナギサは額から流れ落ちる汗を空いた左手で拭った時、何かを閃いた。 「それなら安心していいわよ」 「何?」 彼女は呼吸を整えようとしつつ、微笑みながらそう告げる。 当然、男はそれを怪しく思った。 「……メラ」 一瞬だけ目を閉じて、先ほどのような仕草を見せた後、簡単な炎の呪文を呟く。 だが、その言葉は当然虚しく響くだけで、何も生まれる事は無い。 「ほらね? 私って1日1回しか使えないのよねぇ……」 「……わざわざ自分の弱点を教えるとは…………なっ!!」 彼は笑い出したくなるのをこらえながら、先ほどよりも強気に踏み込み、強靭な刃を走らせた。 いつの間にか落ち着いていたナギサは、それを左に避けながら姿勢を低くする。 右手に装備された鉄の爪は、鎧を貫こうと真っ直ぐに突き出されようとしていた。 が、その動きを読んでいたのか、彼は深追いしようとせずに半歩だけ後ろへ下がる。 「そんな手に引っかか――!?」 次の瞬間、彼は予想外のナギサの動きに絶句した。 勢い良く繰り出されたはずの彼女の右手は、伸びきる事無くすぐに止まっていた。 更にその場所から、空いた左手を背中に回しつつ、驚異的な速さで間合いを詰める。 「くっ……!」 兜越しの瞳がわずかに捉えたのは、赤い宝石が先端に付いた魔道士の杖。 男は嫌な予感を打ち消すように、剣でそれを振り払おうとした。が、ナギサは笑みを浮かべている。 「っ…………!?」 急に彼の目の前が激しい赤に覆われる。それはメラの炎。 微弱ながらも、不意を突くように現われた炎は、彼の思考を断ち切るには十分であった。 視界が晴れると、すでに彼女の美しい金髪は彼の懐で風になびいている。 それを認識した瞬間、兜の顎の部分に鉄の爪が引っかかっていた。 ナギサは勢い良く右手を振り上げ、兜を天井まで弾き飛ばすと、中から出てきたのは目を見開いた男の顔。 「何故呪文が……!」 今となっては全てが手遅れである疑問を呟きかけた時、彼女は鉄の爪の甲で左頬を殴り倒す。 そのまま彼の意識は、時間の流れを狂わせながらゆっくりと水底へと沈んでいった。 「……私好みのいい男だったら良かったのにね」 ナギサは動きが完全に止まったのを確認してから、風に消え入りそうなか細い声でそう呟く。 左手に持っていた杖を背中に直し、鉄の爪は取り外して皮袋の中へ。 「ま、目が覚めたら反省する事ね」 そして来た方向へ歩き出しながら振り向きもせずにそう言うと、足早に階段を下りるのであった。 今まで地に着いていたはずの足が宙へと投げ出され、目の前の景色が急激な速度で上へと流れていく。 リノは膝を微妙な角度に曲げ、それほど遠くない地面への衝撃に備えていた。 鼓動が早くなる心臓を落ち着けるように、左手で胸を押さえつける。それからほどなくして、地面へと着地した。 「カンダタ」 彼女は少し離れた所に感じた右側の気配に呼びかけると、そこにいた覆面の男はこちらを振り向いていた。 「……よく気づいたな」 感心の声を上げているその言葉には耳を貸さず、代わりに剣を抜いてその場所へと歩き出す。 「それが答えってわけか……おもしれぇ」 カンダタは背中に担いでいた大きな戦斧を右手に持ち、リノの方へと走り出していた。 彼女は剣を両手で握り直し、頭の上にそれを構えながら足を交互に踏み出して、慎重に間合いを詰める。 迫り来る斧を掻い潜って、リノは剣を振るおうとした、が突如視界よりカンダタの姿が消えた。 「っ!? 上……!」 ハッと顔を跳ね上げると、そこには空中より斧を振り下ろそうとしている相手の姿。 (まだ……大丈夫) 彼女はそれを最小の動きでかわそうと身構え、斧の軌道を予測した。そこを剣で薙ぎ払う――つもりだった。 (っ……!?) だが、予想に反して斧は彼の手元から投げ出され、唸り声を上げながらリノの方へ飛び掛ってくる。 そして―――――ずしん、と地面が衝撃に悲鳴を上げた。 「ちっ……大抵の奴はこれで真っ二つなんだがな」 「………………」 彼女は紙一重で避けており、固い地面に深々と刺さった斧を見て額から流れ落ちる汗を拭う。 カンダタは悠然と、まるでコップでも持ち上げるようにそれを引き抜くと、一度ぐるんと振り回した。 (あの身体つきで、ここまで動けるのか) 自分の体温が急激に下がったような気がして、剣を持つ両手だけが異様な熱を放っているような錯覚に陥る。 我に返ると、すでにカンダタは次の動作に移っており、リノに一撃を加えようとしていた。 (受け止めれば……剣が折れる) 彼女が咄嗟に左へと身体を踊らせた直後、目の前の空気が激しく振動する。 「くっ……!?」 すぐさま剣を縦に構え、太い足から繰り出された蹴りを受け止めたが、小さな身体は軽々と弾き飛ばされた。 「跳んだか」 衝撃を和らげる為に寸前で地を蹴っていたが、尚もカンダタはそこに走り込んでいく。 (……っ……!) どうにか地面に降り立った彼女は、逃げずに懐へ飛び込みながら剣を真横に振るった。 固い音が響く。目の前にあったのは斧の柄の部分。渾身の一撃はそれで防がれていた。 「そら」 一度にやりと笑ったような間の後、その軽い声と同時にリノの身体は再び宙を舞う。 そして今度は着地できずに背中から地面に落ち、わずかに呼吸が止まって咳き込んだ。 (強い……戦いをよく知っている……) 生まれながらの才能もあるだろうが、何よりも脅威なのはこれまで培ってきたであろう経験。 武器の扱いや身のこなしも凄いが、それらを実力以上に活かしている。 どう足掻こうとも決して埋められない差。 「…………もう終わりか?」 カンダタは絶望の色が見え始めた彼女に、心から残念そうに呟いた。 「……リノ?」 1人残されたトラッドは、胸騒ぎに自然と彼女を呼ぶ。当然、返答はない。 (……くそっ! この足が動けば……) 彼は拳を握りしめて足を叩きかけたが、何とかそれに耐えてやり場の無い怒りに胸を痛ませる。 その時、不意に階段から気配を感じ、すぐにそちらを向いた。 「何やってんの?」 「……ナギサ」 目の前にいたのは金髪にウサギの耳をつけた彼女。 一瞬、今の状況について考え込んだ後、ハリセンを手にとってつかつかと歩き出していた。 「悪い」 トラッドは逃げる素振りを見せず、ただ一言だけ小さな声で謝る。 「……なるほどね」 彼女の視線は足に向いていた。その事から大体の予想がついたのか納得した声を上げる。 それからすぐに横へしゃがみこむと、彼の腕を自分の首に回し、持ち上げようとした。 「え?」 「行くんでしょ」 「あ、ああ……でも」 「だったら歩く努力ぐらいしなさい…………手助けぐらいするし」 ナギサはそう言うと、顔を逸らしてしまった。 「……怒ってないのか?」 「その足見たら、リノちゃんを助けた事ぐらい分かるわよ……ほら、さっさと立つ!」 そう言われても動こうとしないトラッドに、今度こそハリセンで叩こうかと考えていたその時。 「……ありがとう」 という声が耳に届いたので、ナギサは黙って彼を支える事にした。 (たまーにいい男になるんだから……全く) 心密かにそう呟きながら。 トラッドは彼女の支えに助けられて何とか立ち上がり、痛む足に顔を歪ませながらも、 リノの元へと懸命に向かうのであった。 次の話へ
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