第15話 「彼の気持ち」


「…………」
 トラッドは辺りの様子に気を配りながら、ただじっとしている。
 彼の足元では、リノが黙々と手当てを施していた。
「痛みは?」
「さっきより楽になった」
「そうか」
 2人は少し前から3回ほど同じ会話を繰り返している。
 短時間で治る様な怪我ではないが、彼はその度にこう返事をしていた。
 リノもそれ以上何か言うわけでもなく、ただ頷いてそう言うだけだ。
 それから彼女が薬を染み込ませた布を、そっとトラッドの足に当てると、彼は小さな呻き声を上げた。
 どうやらよほど沁みたらしく、こらえきれなかったようだ。
 それに反応してリノの手の動きがわずかにぎこちなくなるが、我慢しろ、と言わんばかりに治療を続ける。

「トラッド」
 皆無ではないがあまり呼ばれた事が無いせいか、彼は普通以上に素早く顔を上げた。
 その様子に話しかけた本人であるリノの方が驚きを見せたが、
 それもわずかの間で、すぐにいつもの感情が読み取りにくい表情になると、躊躇いながら問いかける。
「知ってるのか……カンダタの事」
「え……」
 トラッドが表情に出さない様に思った時には、すでに唇から音が洩れていた。
 その後、俯きながらしばらくは何も言おうとしない。
「ここに来るまでの間、何だか辛そうだった」
「……顔に出てたか?」
 リノはゆっくりと頷いた。それを見て彼は自嘲気味にこう呟く。
「…………ダメだな、俺は」

「助けようと思ってる本人に、心配させるなんて」

「え?」
 彼女は一瞬意味が分からなかったが、すぐに察しが着くと少しだけ頬を染めて俯いた。
「…………悪い、今の忘れてくれ」
 顔は見えないが、トラッドはそれを困らせたと感じたのか、やはり沈んだ様子で寂しげにそう告げると、
 リノは言葉を失い、忘れようとするかのように止まっていた足の治療を再開する。が、手は思うように動こうとしない。
(助けるって……私を?)
 きっと幼い頃はまだあったはずの気持ち。
 しかし、それが何なのか把握するには、余りにも色々な感情が混じり過ぎていた。
(あんなに冷たい態度を取っているのに……)
 彼女は知らず知らずの間に旅立った頃の事を思い出す。
 ついてくるな、と言った事。彼に黙ってナジミの塔へ行った事。
 それでも彼は嫌な顔一つせず助けてくれて、かける言葉はいつも優しい。

 今でも1人で旅をしたい、という気持ちは変わらない―――――はずだった。
 しかし以前ほどずっと考えていなければ、それほど強く願っていない自分に気づく。
(……私にそんな資格はないけど……けど)
 例えこう言った所で、きっと彼はついてくるのだろう。少しだけ苦笑いを浮かべながら。
「……そんなに頼りないか?」
「え? いや、そういうわけじゃ……!!」
 リノの口から驚くほど自然に言葉が紡がれた。トラッドは首を横に振って、慌ててそれを否定する。
「…………なら、もう少し頼ってくれ」
 言い終る少し前に、彼女はいつの間にか包帯を巻き始めていたのを終えて、立ち上がっていた。
 すぐに背中を向けてしまったので表情を窺う事は出来ないが、彼にはそれだけで十分だった。
「……ありがとう、リノ」
 聞こえているはずだが反応はせず、彼女はこちらを見ずにそのままの状態で言葉を続ける。
「手当ては終わったから行くけど……大丈夫か?」
「ん? ああ、これならどうにかなると思う……あ」
「何だ?」
 リノは前に一歩踏み出した足をそこで止めて問い返した。
「これは俺の勘だけど、下に行った方が良いかもな」
「下?」
 カンダタがいたのは上の階。だが、彼の推測は今までも鋭く、そして正しい。
「あの部屋の後ろは壁が無かった。もしかすると、ナギサの呪文をそこから飛び降りて避けたかもしれない」
「……分かった」
 よく見ればこの階にも2箇所、壁が無い部分があった。言われてみれば、逃走の為のものだと考えれる。
 彼女はすぐにトラッドの言葉に従って、下へ飛び降りようとした。
「リノ……死ぬなよ」
 いつにもまして真剣味を帯びた声。やはり彼はカンダタを知っている。
 だが、今それを聞いている暇はない。それに辛い表情を浮かべるトラッドから聞くつもりもなかった。
「……必ず迎えに来る」
 リノはただ強く、自分の思った事全てを込めてそう言ってから飛び降りるのだった。


「この……!!」
 力任せながらも、鋭く踊る刃がナギサに次々と襲い掛かる。
 彼女はそれを瞬き一つせずに最小限の動きで避けながら、相手の隙が出来るまでひたすら耐えていた。
(やっぱり鈍っている……)
 これまでも隙はあり、ナギサはその度に攻撃を繰り出している。が、後一歩何かが足りない。
(一年も経っているんだし、当然ね)
 納得するものの、それで状況が好転するわけではない。彼女は一度後ろへ大きく跳んで、間合いを取った。
「女……武闘家か?」
「見ての通りだけど?」
 分からないのだから聞かれているのだが、どうやらナギサに答える意思はなく、それが余計に男の感情を昂らせる。
 しかし兜の下の顔はにやりと笑っている、ような気がした。
 再び剣と鉄の爪が交わろうとする、が彼女はそれを嫌って左右へと身体を振って、相手に的を絞らせようとしない。
(さすがに力では勝てないわね……けど)
 そう思いながら、自分に分がある素早さで勝負しようと試みた。
 だが、相手はそれに気づいているようで、いつも寸前の所で後ろへと下がる。
 それを数度繰り返している内に、ナギサの呼吸がわずかに荒くなっていた。
(なるほど、ね)
 薄々感づいてはいたが、この男の狙い――――それは彼女の体力を消耗させる事。
 攻撃をしている間にナギサに当たればそれでいい。しかも、鎧を着込んでいる為、簡単には致命傷にならない。
「気づいたか……そうなれば、呪文も使えねぇな」
 男は彼女の思考を読み、得意げに言葉を吐き捨てる。
 そう、一番注意しなければならないのは、先ほどナギサが見せた呪文。さすがに鎧でも防ぐ事は出来ない。
 しかし、今の所はその隙を与えていない。そうなれば、いよいよ彼女に打つ手は無くなってくる。
(…………あ)
 ナギサは額から流れ落ちる汗を空いた左手で拭った時、何かを閃いた。
「それなら安心していいわよ」
「何?」
 彼女は呼吸を整えようとしつつ、微笑みながらそう告げる。
 当然、男はそれを怪しく思った。
「……メラ」
 一瞬だけ目を閉じて、先ほどのような仕草を見せた後、簡単な炎の呪文を呟く。
 だが、その言葉は当然虚しく響くだけで、何も生まれる事は無い。
「ほらね? 私って1日1回しか使えないのよねぇ……」
「……わざわざ自分の弱点を教えるとは…………なっ!!」
 彼は笑い出したくなるのをこらえながら、先ほどよりも強気に踏み込み、強靭な刃を走らせた。
 いつの間にか落ち着いていたナギサは、それを左に避けながら姿勢を低くする。
 右手に装備された鉄の爪は、鎧を貫こうと真っ直ぐに突き出されようとしていた。
 が、その動きを読んでいたのか、彼は深追いしようとせずに半歩だけ後ろへ下がる。
「そんな手に引っかか――!?」
 次の瞬間、彼は予想外のナギサの動きに絶句した。
 勢い良く繰り出されたはずの彼女の右手は、伸びきる事無くすぐに止まっていた。
 更にその場所から、空いた左手を背中に回しつつ、驚異的な速さで間合いを詰める。
「くっ……!」
 兜越しの瞳がわずかに捉えたのは、赤い宝石が先端に付いた魔道士の杖。
 男は嫌な予感を打ち消すように、剣でそれを振り払おうとした。が、ナギサは笑みを浮かべている。
「っ…………!?」
 急に彼の目の前が激しい赤に覆われる。それはメラの炎。
 微弱ながらも、不意を突くように現われた炎は、彼の思考を断ち切るには十分であった。
 視界が晴れると、すでに彼女の美しい金髪は彼の懐で風になびいている。
 それを認識した瞬間、兜の顎の部分に鉄の爪が引っかかっていた。
 ナギサは勢い良く右手を振り上げ、兜を天井まで弾き飛ばすと、中から出てきたのは目を見開いた男の顔。
「何故呪文が……!」
 今となっては全てが手遅れである疑問を呟きかけた時、彼女は鉄の爪の甲で左頬を殴り倒す。
 そのまま彼の意識は、時間の流れを狂わせながらゆっくりと水底へと沈んでいった。
「……私好みのいい男だったら良かったのにね」
 ナギサは動きが完全に止まったのを確認してから、風に消え入りそうなか細い声でそう呟く。
 左手に持っていた杖を背中に直し、鉄の爪は取り外して皮袋の中へ。
「ま、目が覚めたら反省する事ね」
 そして来た方向へ歩き出しながら振り向きもせずにそう言うと、足早に階段を下りるのであった。


 今まで地に着いていたはずの足が宙へと投げ出され、目の前の景色が急激な速度で上へと流れていく。
 リノは膝を微妙な角度に曲げ、それほど遠くない地面への衝撃に備えていた。
 鼓動が早くなる心臓を落ち着けるように、左手で胸を押さえつける。それからほどなくして、地面へと着地した。
「カンダタ」
 彼女は少し離れた所に感じた右側の気配に呼びかけると、そこにいた覆面の男はこちらを振り向いていた。
「……よく気づいたな」
 感心の声を上げているその言葉には耳を貸さず、代わりに剣を抜いてその場所へと歩き出す。
「それが答えってわけか……おもしれぇ」
 カンダタは背中に担いでいた大きな戦斧を右手に持ち、リノの方へと走り出していた。
 彼女は剣を両手で握り直し、頭の上にそれを構えながら足を交互に踏み出して、慎重に間合いを詰める。
 迫り来る斧を掻い潜って、リノは剣を振るおうとした、が突如視界よりカンダタの姿が消えた。
「っ!? 上……!」
 ハッと顔を跳ね上げると、そこには空中より斧を振り下ろそうとしている相手の姿。
(まだ……大丈夫)
 彼女はそれを最小の動きでかわそうと身構え、斧の軌道を予測した。そこを剣で薙ぎ払う――つもりだった。
(っ……!?)
 だが、予想に反して斧は彼の手元から投げ出され、唸り声を上げながらリノの方へ飛び掛ってくる。

 そして―――――ずしん、と地面が衝撃に悲鳴を上げた。

「ちっ……大抵の奴はこれで真っ二つなんだがな」
「………………」
 彼女は紙一重で避けており、固い地面に深々と刺さった斧を見て額から流れ落ちる汗を拭う。
 カンダタは悠然と、まるでコップでも持ち上げるようにそれを引き抜くと、一度ぐるんと振り回した。
(あの身体つきで、ここまで動けるのか)
 自分の体温が急激に下がったような気がして、剣を持つ両手だけが異様な熱を放っているような錯覚に陥る。
 我に返ると、すでにカンダタは次の動作に移っており、リノに一撃を加えようとしていた。
(受け止めれば……剣が折れる)
 彼女が咄嗟に左へと身体を踊らせた直後、目の前の空気が激しく振動する。
「くっ……!?」
 すぐさま剣を縦に構え、太い足から繰り出された蹴りを受け止めたが、小さな身体は軽々と弾き飛ばされた。
「跳んだか」
 衝撃を和らげる為に寸前で地を蹴っていたが、尚もカンダタはそこに走り込んでいく。
(……っ……!)
 どうにか地面に降り立った彼女は、逃げずに懐へ飛び込みながら剣を真横に振るった。

 固い音が響く。目の前にあったのは斧の柄の部分。渾身の一撃はそれで防がれていた。

「そら」
 一度にやりと笑ったような間の後、その軽い声と同時にリノの身体は再び宙を舞う。
 そして今度は着地できずに背中から地面に落ち、わずかに呼吸が止まって咳き込んだ。
(強い……戦いをよく知っている……)
 生まれながらの才能もあるだろうが、何よりも脅威なのはこれまで培ってきたであろう経験。
 武器の扱いや身のこなしも凄いが、それらを実力以上に活かしている。
 どう足掻こうとも決して埋められない差。
「…………もう終わりか?」
 カンダタは絶望の色が見え始めた彼女に、心から残念そうに呟いた。


「……リノ?」
 1人残されたトラッドは、胸騒ぎに自然と彼女を呼ぶ。当然、返答はない。
(……くそっ! この足が動けば……)
 彼は拳を握りしめて足を叩きかけたが、何とかそれに耐えてやり場の無い怒りに胸を痛ませる。
 その時、不意に階段から気配を感じ、すぐにそちらを向いた。
「何やってんの?」
「……ナギサ」
 目の前にいたのは金髪にウサギの耳をつけた彼女。
 一瞬、今の状況について考え込んだ後、ハリセンを手にとってつかつかと歩き出していた。
「悪い」
 トラッドは逃げる素振りを見せず、ただ一言だけ小さな声で謝る。
「……なるほどね」
 彼女の視線は足に向いていた。その事から大体の予想がついたのか納得した声を上げる。
 それからすぐに横へしゃがみこむと、彼の腕を自分の首に回し、持ち上げようとした。
「え?」
「行くんでしょ」
「あ、ああ……でも」
「だったら歩く努力ぐらいしなさい…………手助けぐらいするし」
 ナギサはそう言うと、顔を逸らしてしまった。
「……怒ってないのか?」
「その足見たら、リノちゃんを助けた事ぐらい分かるわよ……ほら、さっさと立つ!」
 そう言われても動こうとしないトラッドに、今度こそハリセンで叩こうかと考えていたその時。

「……ありがとう」

 という声が耳に届いたので、ナギサは黙って彼を支える事にした。
(たまーにいい男になるんだから……全く)
 心密かにそう呟きながら。

 トラッドは彼女の支えに助けられて何とか立ち上がり、痛む足に顔を歪ませながらも、
 リノの元へと懸命に向かうのであった。
 



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