第16話 「トパーズ色の憎しみ」


 2人の戦いが始まってから、何度となく繰り返された固い音。
「最初の勢いはどうした?」
「っ……!!」
 カンダタはからかう様な口調で、そう言いながらまた剣を弾き返す。
 一方、リノには余裕が全く無く、苦しそうな表情を浮かべていた。
 先ほどから幾度となく剣を走らせているが、相手には1度も届いていない。
「にしても、随分と変わった連中だな」
 彼は唐突にそんな事を言った。普段なら耳を傾ける事はないのだが、
 身体が悲鳴を上げているせいか、それを休ませながら言葉を待つ。
「呪文を使う女に……お前も、だろ?」
「…………」
 どうやらリノの事も気づかれているらしい。返す言葉もなく、ただ無言で相手を睨みつけている。
「それにあの盗賊……何て名前だ?」
「教える義理はない」
 カンダタが何故彼の名前だけを尋ねたのか、気にならないと言えば嘘になる。
 しかしトラッドの事を考えると、とても答える気にはならなかった。
「……なら、話はこれで終わりだな」
 彼は突然口調を冷たくし、床に置いていた斧を持ち上げる。
 そして、今までの身のこなしからは考えられないほど隙だらけに、ゆっくりと歩き出した。
 まるで追い詰めた獲物の品定めをするかのように。
(足りない……)
 多少の時間があったおかげで、リノの身体にはわずかながら力が戻っていたが、目の前の男を倒すには至らない。
 現実を直視すればするほど、整ってきたはずの呼吸は再び乱れ始める。
 だが、彼女に打つ手が無い訳でもなかった。
(……でも)
 それと同時に思い出すのは、1人上の階に残してきたトラッドとの約束。

 ―――――必ず迎えに来る。

 リノは何もかもを払い除ける様に首を横へ振り、再び剣を強く握り締めるのであった。


「静かね」
 ゆっくりと階段を下りているトラッドを支えながら、ナギサは辺りの空気に不安げに呟く。
「ああ…………ところで大丈夫なのか?」
「……何が?」
 彼女は本当は怪我をしている本人に言い返そうとしたのだが、それよりも驚きの方が大きかったので言葉を詰まらせた。
「いや、動きが少し変だから」
「気のせいよ」
「それならいいけどな」
 実際の所はトラッドの言った通り。ナギサは久しぶりに筋肉を総動員させた為、身体の節々に痛みが残っていた。
 隠しているつもりだったが、動作に表れているらしい。
(盗賊って大体は鋭いものだけど……)
 ふと思うのは、以前から気になっていた事。
(でも、トラッドの鋭さは全く質が違う……まるで呪文を使ってるみたい)
 ナギサはそう考えながらも、有り得ない事に苦笑いを浮かべて、支えている彼を見た。
(あれ?)
 目に入ったのは、男にしては少し細いトラッドの首筋。そして、後ろ髪に隠されているような痣。
 よく見てみると、小さな球から片方だけ翼が生えているような形だった。
(……どこで見たっけ)
 確かに存在するはずなのに、何処か曖昧で記憶には深く刻まれない。
 おそらくそういった印象だけが、彼女の頭の片隅に残っていたらしいのだが、どうしても思い出せなかった。
「カンダタ……」
 ナギサは必死に記憶の糸を手繰り寄せようとしていたが、その一言でぷつりと切れてしまい、全く思い出せなくなる。
 後味の悪くなる原因を作ったトラッドに八つ当たりしよう、とも考えたが目の前の景色を見て、何とか踏み止まった。
 そう、2人の前ではリノとカンダタが睨み合っているのだ。
「…………ナギサ」
「何よ」
 だが、呼ばれた彼女は、やはり少し気が立っていたのか、きつめの口調で答える。
 思い当たる節のない彼は、不思議な顔をしながら話を続けた。
「一瞬でいい。カンダタの気を逸らせるか?」
 そう言いながら、力強く輝くトパーズの目。
「……期待してるわよ」
 トラッドの瞳に何を思ったのか、ナギサは不敵な笑みを浮かべながら返事をするのであった。


(何故だ……?)
 圧倒的に優位なはずだったカンダタは、わずかばかり前に出た所で足を止める。
 理由は――――彼を今まで何度も救ってきた本能の訴え。
 しかし、それはあまりに漠然とし過ぎていた。
 自問自答を繰り返してみても最後に辿り着くのは、得体が知れないという事だけ。
(何故だ)
 彼はもう一度そう問いかけるが、やはり返事はなかったので、思考を切り替えて斧を握り直す。
 この時が初めて自分の直感に逆らった瞬間。

(…………?)
 その時、リノも何かを感じ取っていた。全身を包むような――――呪文にも似た感覚。
 だが、カンダタと決定的に違うのは、危険に思えないという事。
 もしかすると自分の思い込みかもしれない、と考えてはいるものの、どうしてもそうは思えなかった。
(ちっ……!)
 先ほどまで微動たりともしなかった辺りの空気が震えだす。それはカンダタが斧を振り上げた合図。
 謎の感覚に気をとられていたせいで、わずかに反応が遅れたのだが、彼女は無理を承知で剣を構えた。
 
「リノちゃん!」
 次の瞬間、耳に届いてきたのはいつの間にか馴染まされていた自分を呼ぶ声。
 それと同時にこちらへ向かってくる小さな炎が目に映る。
「ちっ!」
 カンダタは舌打ちをしながら、振り上げた斧でそのまま防いでいた。
 だが、間髪入れず飛び込んできたのは2本のナイフ。
 その鋭い一撃は、体勢が不十分な彼には避けきれない――――かに思えた。
「甘いな」
 カンダタは大きな音を立てながら、地面に素早く斧を降ろすと、上体を反らしてそれをかわしてみせる。
 磨き上げられた銀色の刃は虚しく空を切った。
 そして再び斧を持ち上げようとした時、自分の二の腕からかすかな音が洩れ、急激に力が失われていく。
「……まさか今の時代にコレを使うヤツがいるなんてな」
「使いこなせない人間が増えただけだ」
 そう言った彼、トラッドが投げたのはカザーブで譲ってもらった毒針。それが右手の力を奪い取っていったのだ。
 カンダタが空いた左手でそれを引き抜いた時には、すでにリノの剣が首筋に当てられていた。
「……降参だ」
 世間を騒がせる盗賊は小さくそう呟くと、両膝を床に着いた。

「これがその金の冠ってわけね」
 ナギサはカンダタの隠し持っていた目的の物を取り上げて、しげしげと眺めながら呟く。
「盗るなよ?」
「まさか。私の趣味じゃないし」
 自分の好みならどうしていたんだろうか、と考えつつリノは剣を突き付けているカンダタへと意識を戻した。
「で……俺をどうするつもりだ?」
「どうしてほしいのかしら?」
 カンダタの気だるそうな話し方に、ナギサは笑みを浮かべながらそう返す。
「出来れば助けて欲しいけどなぁ」
「…………無理な相談だ」
 からかう様な口調が気に障ったのか、トラッドの言葉は酷く冷たかった。
 それからゆっくりと腰のナイフを手に取る。
「えっ……」

 殺す、の?

 リノはそう続けようとした、がどうしてもその言葉が出てこない。
 ふと見た彼の瞳には、余りに似合わないはっきりとした憎しみの色が浮かび上がっていた。
(…………見たくない)
 彼の手とナイフが人の血に染まる光景。そんな映像がリノの脳裏によぎる。
 先ほどまでしっかりと握っていたはずの剣は、高い音を立てて床に落ちた。
「トラッド……やめてくれ」
「え……」
 その音と共に彼に預けられた重みは、小さな彼女の身体。まだ治っていないはずの足は痛みを訴えなかった。
「そんな事……しないでくれ」
「リノ……?」
 旅をしてから初めて聞いた切実な願い。声は微かに震えている。
 トラッドにそれを聞き流せるわけもなく、ほんのわずかな時間だが思考が停止した。
「慣れてねぇな……小僧!」
 鋭く耳に突き刺さったのは、野太くて鋭い男の声。
「なっ!?」
 カンダタはそのわずかな隙を見逃さずに床を力強く蹴って、一瞬で安全な所まで間合いを広げる。
「トラッド、か……なるほどな」
 そして彼の名前を自分の中で納得したように呟いた。
 ナギサはすでにハリセンを握り、カンダタの逃亡を阻止しようと試みる。
(まだ毒針が効いてるはず……)
 その証拠に、左手は身体の動きに合わせて違和感なく動いているが、右手はだらりと下がったままだった。
 しかし、彼女が左側へと回り込んだ時、カンダタは地面に綺麗な円を描くように身体を捻って回し蹴りを放つ。
 危険を察知したナギサは、条件反射に身を任せてそれを避けるが、それが囮だとすぐに気づいて舌打ちをした。
「あばよ」
 カンダタはそう言い放つと同時に、高い塔の上から身体を投げ出す。
 正気に戻ったリノとトラッドがそれを見下ろした時、右手はすでに回復していたらしく、
 何処かに隠し持っていた大きな布を広げて、風に乗っていた。
「逃げられたか……」
 どんどん遠くへ小さくなっていく盗賊の姿を見ながら、彼は悔しそうに呟く。
「トラッド、ごめん……」
 弱々しい声が聞こえたと同時に、自分の服が微かに引っ張られるのを感じた。
 横目でそちらを見ると、俯きながら怯えた様に震える彼女がいる。
(俺は……何を)
 カンダタの事は確かに憎んでいた。だが、それはあくまで自分だけの問題。
 しかしそれに気をとられていた為に、落とし穴に気づかず、仲間を危険な目に合わせてしまった。
 リノをかばって足を怪我したといっても、悪いのは全て自分。
「俺の方こそ……悪かった」
 そう言ったトラッドの目はいつも通りだったが、絞り出した声は震えていた。
「え?」
 リノはその言葉に驚いて、顔を跳ね上げて彼を見る。
「…………どうかしてた」
「…………え?」
「止めてくれて助かったよ。ありがとう」
 今まで何処か張り詰めていた彼の空気は、いつもの優しさを取り戻していた。
「……感動的な所悪いんだけど、そろそろ帰らない?」
 ハリセンを肩に乗せながらそう言うナギサの声で、2人はようやく我に返る。
 トラッドは軽く謝って返事をするだけであったが、リノは自分のした事を思い出して、ぎこちなく違う方を向いていた。
(ま、ほっといても面白そうだったんだけどねぇ)
 その2人の様子を見ていたナギサだけがひっそりとそんな事を考えているのであった。


 3人が塔の外へ出た時、入る前は明るかったはずの空はすっかりと夜に染まっていた。
 ナギサが道具袋から取り出したキメラの翼を見て、トラッドは嫌そうな顔を浮かべたが、
「へぇー……その怪我で歩いて帰れるつもりなのー?」
 と、楽しくてしょうがないといった表情の彼女にそう言われて渋々頷く。
 それからすぐにキメラの翼を上空へと放り投げ、3人の姿はあっという間に塔の前から姿を消した。

 ロマリアへと戻ってすぐに宿屋へと歩を進める。夜なので城が閉まっているというのもあるが、
 それ以上に身体が疲れている、という理由の方が大きかった。
「足は?」
 部屋に着くなり、リノは彼にそう尋ねる。
「ああ。途中ずっと支えてくれたおかげで、大分痛みは治まった」
「そうか……ちょっと待っててくれ」
 彼女はその返事を聞いて何かを思いついたらしく、疲れているはずの身体を走らせて部屋を出た。
 それから戻ってきたのは5分後の事。
「おかえり……って、それは?」
 ふと見ると、出て行く前は持っていなかった茶色の紙袋を持っている。
「宿の人に言って、よく効く薬をもらってきた……足を出してくれ」
「自分でやるよ。リノも疲れてるだろ?」
「……別に疲れてない」
 他にも何か言いたそうではあったが、短くそれだけ言うと、ベッドへ横になるように促した。
 それ以上断っても、怒らせそうな気がしたので、彼は素直にそれに従った。
(結局迎えには行けなかったな……)
 ふと、カンダタと戦う前の約束を思い出すが、果たせなかった事に思う所があるのか口にはしない。
 しばらく部屋の中はリノの手当てする音と薬独特の匂いだけが響く。
 何処で覚えたのか、彼女の手際は意外にも良く、それほど時間はかかりそうになかった。
 黙々と一心に手当てをするリノに、彼は帰り道で気になっていた事を問いかける。
「リノ……カンダタから何か聞いたか?」
「何も」
 その一言が気にかかったが、はっきりと言われてしまったのでトラッドは何も言えなくなった。
 また部屋に静けさが訪れる。彼女は包帯を巻き始めながら、意を決したようにこう呟く。

「辛くなくなったら……話して欲しい」

「……ああ……そうする」

 こうして3人の長い一日は、ゆっくり終わりを告げようとするのであった。




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