|
彼女がアリアハンを旅立ち、ここロマリアからその北まで旅をしている間、天気は1度も崩れた事は無かった。 今日もその例に洩れず、遥か空の上の太陽を受けた風が、当たり前のような表情で吹いていた。 長い間そびえ立っていた外壁は、所々剥がれ落ちているが、これから数十年はまだそこにあるだろう。 そんな中、立派な入り口の門の近くにある比較的大きな家――――宿屋である。 今はまだ静かで、朝食の準備をする音が聞こえるぐらいだが、直に起き出して来る旅人で騒がしくなりそうだった。 「ん……」 ある1室で、トラッドは小さく声を出しながらトパーズの瞳を開く。時間は世間一般よりも少し早めだ。 彼は身体を起こして、身体を精一杯伸ばす。髪質のせいか寝癖はほとんど目立たなかった。 「……おはよう」 一瞬の間を置いてから挨拶をする声。隣で眠っているリノである。トラッドとは対照的に寝癖が目立っている。 しかし、彼女はそれをどうにかしようという意思が希薄なままに、ただ無造作に髪の毛を撫でていた。 「おはよう……って、もしかして起こしたか?」 「別に。起きたらトラッドが欠伸をしていただけだから」 彼はいつものその淡々とした言葉に苦笑いをした。 「そういうリノも。まだ寝ててもいいけど?」 「今日は出発する日だから。それにもう眠くない」 「じゃあ、準備して朝食だな」 彼のその言葉に、リノは何も答えずに洗面台へと足を運んだ。 その時、不意にドアをノックする音が部屋に響く。 「あ、は……」 「リノちゃん、おはよー!」 返事をする間もなく入ってきたのは、服も髪の毛も気分も準備万端のナギサ。 「……って、なーんだ。トラッドじゃない」 しかし出迎えたのが彼だと分かると、挨拶する素振りも無くいきなり落ち込む。 「で、どうかしたのか?」 「リノちゃんの顔を見に来たのと……」 一緒に旅をするようになってまだ日は浅いが、嫌でも慣らされてしまったので、彼は冷静だったが、 まだ何かあるのか、と彼は更に尋ねようとした瞬間、弾ける音ともに視界が真っ暗になった。 「っ……いきなり何だ!」 しかし、未だに叩かれるタイミングだけは理解できない。 トラッドが怒鳴るのは、どうみても正当である。 「いいじゃない、これぐらい」 「…………いいわけあるか」 多少は落ち着いたが、まだ彼の声はいつもの調子とは程遠い。 「だってトラッドは毎朝リノちゃんに一番早く挨拶して、寝起きの可愛い顔も見れて…… しかも早起きしたらその寝顔まで見れるんでしょ? 何だか悔しいじゃない」 「男の寝顔を見ても、別に嬉しくない」 いつもながら彼女のよく分からない行動理由に、ただ彼は普通に返答をするしか出来なかった。 「じゃ、今度から部屋変わる?」 「……それはまずいだろ」 ナギサにとって明るい提案に、彼は少しだけ視線を逸らしながら否定する。 実際リノは女なので、今の方がトラッドの言うまずい状況なのだが。 (でも、その気持ちも分からないでもないか……実際、綺麗だしな) 男に綺麗っていうのも変だけど、と彼は心の中で付け足した。 確かに朝起きた時にいるのがリノなら、全く悪い気はしない。それで特に何かあるわけでもないのだが。 「……ナギサ?」 そんな事をぼんやりと考えていると、奥から顔を拭きながら話題の渦中である彼女が出てくる。 「リノちゃん、おはよー」 「ああ、おはよう……?」 まさか今の今まで自分の話をしていたとは夢にも思わず、リノは不思議そうな顔で挨拶を返すのであった。 「……何だか嬉しそうね」 下の階の食堂。まだ時間が早いせいか、人の姿はまばらである。 3人の前にはいい具合に焼けたトーストが、食欲そそる香りを立てている。 その時、ナギサは自分の目の前にいるトラッドに面白く無さそうに呟いた。 「別に」 そうは言うものの、彼の顔は明らかに笑顔である。 「そんなに叩かれたのが嬉しいんだ?」 「違う……大体、いつもと変わってない」 真面目に返事をしながらも、彼はやはり笑顔で苺のジャムをパンに塗っていた。 「じゃあ、やっぱりリノちゃんの――――」 「違う!」 「……どうして私の名前がそこで出る」 トラッドは彼女の言おうとした事を予想して、それを遮るように否定する。 部屋であった2人のやり取りを知らないリノは当然怪しむが、また何も無かったようにトーストを口に運んだ。 (……結構近いけどな) 朝のやり取りでは痛い思いをしたが、彼は少しだけ嬉しくもあった。 今まで挨拶すらも避けている節があった彼女と、普通に話していたからである。 昨日、王様の騒動で大慌てしていた時も、何気に自分を気遣っていた事を思い出す。 (元々こういう性格なのかな) 今までは何らかの事情で、ひたすら隠していたのかもしれない。 しかし、今は時々でもそういう所を見せてくれるのが、心を開いてくれているようで嬉しかった。 「で、これからどうするの?」 3人がトーストを食べ終わると、横から一声かけてウェイトレスが空いているお皿を下げる。 広くなったテーブルに残っているのは、湯気が出ているコーヒーとミルクが入ったカップ。 ナギサはそれを少しだけ飲んで喉を鳴らした。カップにはほんのり口紅の後が残っている。 「…………リノ、剣を見せてくれ」 「剣?」 考える間を置いてから突然そう言ったトラッドに、リノは疑問を返しながらも剣を渡す。 彼は小さく礼を言うと、鞘からわずかにそれを引き抜いた。 「いつから使ってるんだ?」 思い出す限りでは、彼女は旅立った時からこの鋼の剣を使っている。 「……旅立つ2年ぐらい前から」 顔を下に向けて記憶を辿る素振りを見せた後、彼女はそう答えた。 「…………ほら」 トラッドはリノに近づいて刀身を見せた。遠目なら分かりづらいが間近で見ると、小さな傷が多かった。 毎晩手入れを欠かさないからまだ使えているが、それもそろそろ限界のようだ。 「やっぱりもう寿命か……」 「なるほどね……じゃあ、次はアッサラーム?」 リノが彼の意図を図りかねていると、ナギサが感心したように聞き覚えのある町の名を口にする。 トラッドはそれを受けて、ただ頷いた。 「アッサラームって……?」 確かその名前を聞いたのはカザーブ。あの商人が帰ろうとしていた場所だ。 その様子を見て、ああそうか、とトラッドは呟いて、テーブルの上に地図を広げる。 「ここが……ロマリアで……北東にあるこの橋を渡って……南にいったここの事だな」 目に見えるものがあるおかげか、大体の経路と距離がリノにも理解し易い。 「で……ここにあるイシスとロマリアの間にあるから、人の行き来が激しいんだ」 「つまり、それだけ物が集まりやすいって事ね」 ナギサが添えた一言に、彼は同意を示した。 しかし、剣の持ち主である彼女だけは不安の色を浮かべたままでいる。 (自分に合う物があればいいけど……) その陰のある表情は、俯いていたせいか2人が気づく事は無かった。 3人は食休みを終えると、真っ直ぐに町を出る。準備は昨日の内に済ませてあった為だ。 しばらく北へ歩くとキャタピラーが現われたのだが、ナギサはそれをハリセン一撃で叩きのめした。 「リノちゃん、今日はなるべく剣は使わないでね」 「え?」 意外な言葉に自然と疑問の声が洩れる。 「折れたら困るでしょ?」 「あ……」 「だから、よっぽどの時以外は任せて……今日は真面目にしてるし」 以前のリノなら、関係ない、と言っていたかもしれないが、今はただ頷いただけであった。 「というわけだから、しっかり戦いなさいよ?」 その後すぐに、彼女は右隣にいたトラッドの頭をハリセンで2回ぱしぱしする。 「分かったけど、俺を叩くのは何故だ」 「気合を入れてるんだけど?」 「……口で言え」 彼は短くそれだけ言うと、少し歩を早めるのであった。 やがて宿屋で話していた北東の橋へ辿り着く。 時折襲い掛かってくるモンスターは、リノの手にかかる事無く難なく倒されていた。 「一休みするか」 そう言ったトラッドは、前方にある大きな木を指差す。あの木陰で休もうという事らしい。 他に適当な場所も無いので、2人は頷いて揃ってその場所まで歩いていく。 「……トラッド」 「ん?」 彼が木にもたれかかった瞬間、食事の用意を始めたナギサの呼ぶ声がした。 「料理って出来たりしないの?」 「何だよ、急に」 そう言いながら、3人の目の前に広げられたのは宿屋で買っておいたサンドイッチ。 中の具は卵、ハム、緑豊かな野菜など、それはそれで美味しそうではある。 ちなみにリノが一番最初に手に取ったのは、卵のものであった。 「旅の中、不足しがちな栄養を補いつつ、見た目にも楽しくて、勿論美味しい料理とか」 「……俺に何をしろと」 「いや、何となく作れそうだと思って」 褒め言葉なのかどうか分かりづらい為、トラッドは曖昧な表情をする。 「一応、簡単なものぐらいなら」 「作らないのか?」 そう尋ねてきたのは、リノであった。 「……味覚が合わなかったら困るだろ?」 トラッドは一人で旅をしていた時、国によって同じような食べ物でも味が変わる事を知っていた。 元々好き嫌いは無い為、それほど困った記憶は無いが、他の2人がそうとは限らない。 料理自体は嫌いではない、というかどちらかといえば好きな方だが、そういう理由で避けていたのだ。 「そういえば、トラッドって何処から来たの?」 今の彼の言葉に、ナギサはそこが気になったようだ。 「……サマンオサだけど」 返事をする表情は決して明るいものではなかったが、 先ほどの話題で浮かない顔をしていた為、それほど違和感は無かった。 「その国って、そんなにおかしい料理ばっかり?」 「そうでもないと思うけど」 至って普通の答え。だが、彼女は少しだけ側に寄ると、耳元でそっと囁いた。 「ねぇ……お姉さん、食べてみたいなぁ……」 彼は背筋が震え、体温が急激に上がるのを感じると、すぐに距離を取る。 「いきなり何を……!!」 「何となく」 慌てる様子に笑みを零しながら、ナギサは平然とそう言ってのけた。 「トラッド、熱でもあるのか?」 「え? あ、いや別に……」 リノは理由が分からず、自分の思った事を言っただけなのだが、彼は気まずそうに否定するだけだった。 その様子に原因を作った彼女は、またくすくすと笑う。 「何はともあれ、今度作ってくれない?」 「え?」 「ほら、こう旅をしてると身近な人の手料理が恋しくなるじゃない?」 「……機会があったらな」 理由が珍しく微笑ましかったのが、彼は面白かった。 「リノちゃんも食べたいでしょ?」 そこでまた、ナギサは突然彼女にそう問いかけると、一呼吸ほどの間があってから答えが返ってくる。 「……そうだな」 「じゃあ――――アッサラームで作るか」 それが嬉しかったのか、トラッドは苦笑を浮かべながら独り言のようにそう呟くのであった。 陽が頂点からわずかに傾き始めた事、3人は再び南へ向けて出発する。 右にはには鬱蒼とした森が広がっていた。トラッドは、あそこにはキャットバットが巣を作っていて危ない、と説明した。 そして左は岩がごろごろしており、歩けない事は無いが足場が不安定そうである。 なので、自然と歩く道は森と岩場の間の緑広がる草原となった。 「後、どのくらいかかる?」 「そうだな……順調に行けば夕方には着くな」 リノは彼の言葉から、おそらく夜になると予想する。旅が順調に行く事は、今の時代ほとんどない。 (でも、不思議だな……) トラッドは一人で旅をしていた時の事を思い出しながら、ふと横にいるリノを見る。 アリアハンを出てから、心密かに抱いていた疑問。 (モンスターは増えているはず……なのに、この旅ではあまり遭わない) 魔王バラモス、その名を世界中の誰でも知っているわけではないが、旅人の間では有名である。 現われたと聞いた時からかなりの年月が経った。リノの歳から考えると、少なくとも10年は。 誰かが倒したという話を聞かない代わりに、何処かで被害があったという話は耳に入ってくる。 そこから推測すると、その影響は段々と大きくなっている――――と、彼は考えていた。 一人旅をしていた時は、それを嫌でも理解せざるを得なかった。 (リノが勇者だから……?) しばらくして思いついたのは、彼女の事。 モンスターは何らかの気配を感じ取って、避けているのかと考えた。 だが、根拠は微塵もない上に可能性も薄い。 (………………まぁ、いいか) 結局、旅に害が無ければ、とすぐに考えは打ち消されて、前方へと意識を戻すのであった。 トラッドの思っていた通り、あまりモンスターに遭う事無く、3人は順調に歩を進める。 「あ……」 ナギサは遠くに何かを見つけて声を出した。 「アッサラーム、だな」 彼も続いて、目的の町をトパーズ色の瞳に映し出す。 リノは自分が予想していたよりも早く着いた事に、安堵の息をついた。 知らず知らずの内に3人の足音は、その間隔を短くしていく。 それから太陽が遥か彼方に沈む前に、町へと入る事が出来た。 「賑やかだな……」 もう夜になろうとしているのに、町は一向に静まる気配を見せない。 それどころか、逆に活気が溢れていく様に見えた。 空が暗くなれば人は家に帰る、そんなイメージを抱いていたリノは素直に驚いた。 「まずは宿に行くか……ナギサ、何処へ行く」 「え?」 トラッドが足を一歩前に踏み出した時、呼ばれた彼女はすでに二、三歩先へ行っていた。しかも見当違いの方向に。 「……楽しそうだから、つい」 呪文を使ったりするので忘れがちだが、一応遊び人である彼女は、血が騒いで仕方がないようだ。 「まぁ、遊ぶなと言わないから、明日に差し支えないのと……無駄遣いはするなよ?」 「さすがトラッドね。分かってるじゃない」 相変わらずのよく分からない褒め言葉に、彼はとりあえず宿屋へ向かおうとした。 (……スリ?) 人通りが多い中、真っ直ぐにこちらへ近づいてくる1つの気配。 この町ではよくあるそれに、トラッドはすぐに気がつく。 わずかに身を固くして、あらゆる事に備えようとした時だった。 「おお、私の友達! お待ちしておりましたー」 背後から突如響いたのは、何処かで耳にした声と言葉であった。 次の話へ
|