第20話 「理由ある嘘と理由なき嘘」


 いつも朝一番に耳に入ってくるのは、旅の準備をする音。
 その次は風が窓を、開いている時は部屋を撫でる音。
 もしくは高く涼しげに鳴く鳥の声。
 他にもまだまだありそうだが、真っ先にリノの頭に浮かんだのは、その3つ。
 いつ頃からか、彼女は昔よりも自然に深く眠れるようになっていたが、物音には敏感だったので、同じ時から主に隣で眠っているトラッドの準備で目を覚ます様になった。
 ただ今日の目覚ましはいつもと違っている。
「う……ん?」
 それに反応して、リノは完全に開いていない瞳で様子を見ようとした。
 だがその時に少し声が出た為、音はぴたりと止まる。流れるのは、朝に似つかわしくない緊張した空気。
 その次に聞こえてきた音は木造のドアが軋む音と遠ざかっていく足音。どうやら部屋を出たらしい。
(何をしてたんだ?)
 リノは目をこすりながら、ゆっくりベッドより身を起こすと、入り口側のテーブルが目に付く。
 上にはカゴが置いてある。昨夜、リノが一緒の部屋の彼――――トラッドに持ってきたパンだった。
 彼は食べる事を拒否した為、そのままだったはずなのだが、パンには食べた跡がある。
 彼女が夜、ベッドに入ってからも彼が食べるような気配はないはずであった。
(これから朝食なのに……)
 何となく触れてみると放置してあったせいか、すっかり冷えて固まっている。
 彼が何故敢えて食べたのか理由が分からなかった。
(……準備するか)
 考えても埒が明かないので、リノは洗面台に向かっていくのであった。


 食堂へ向かうと、先ほど出て行ったトラッド、いつも早起きのナギサと昨日から仲間に加わったヤヨイがいた。
「リノさん、おはようございます!」
「おはよー、リノちゃん」
 それぞれが挨拶をする中、彼からは何もなかった。確かに部屋が一緒なので、2人にとって違和感はない。
「……じゃ、行って来る」
 リノが椅子に座ると同時に、トラッドはすぐに席を立って宿の外へ出る。
 それから程なくしてドアの閉まる音が静かな食堂へ響いた。
「もう朝食を食べたのか?」
 とてもそんな時間はなかったはず、と思いながら彼女はナギサに聞いてみた。
「うーん……すぐ店に行くからいらないんだって」
「店?」
「ほら、ヤヨイちゃんの元師匠の」
 そこまで聞いてようやく納得する。彼は1本しか入荷しないという鋼の剣を買いに行ったのだ、と。
 一級品で、しかも今の時勢では特に人気がある。目的の武器探しを無駄足に終わらせたくない、という事なのだろう。
「……リノちゃん、何かあった?」
「え?」
 だがナギサには何か引っかかったらしく、心当たりがありそうな彼女に問いかけた。
 刹那、昨夜の彼の態度が脳裏に浮かぶ。
「何も……ないけど」
「そう? ならいいんだけど」
 彼女は勘が鋭い、がいつもリノの気持ちを最優先するような節がある。だから何か気づいていても、無理やり聞き出そうとしない。
「これからどうするんですか?」
 少し時が経ち、3人の前に食事が並べられてから、一切の含み無い声でヤヨイが2人に尋ねた。
「後で私たちも店に行ってみる?」
 それを受けたナギサは黙々と食事をするリノに聞く。
「……そうだな」
「気が進まない?」
 肯定的な答えだが、最初の間に考え事をする以外の意図が見え隠れしていた。
「いや、新しい武器が合うか気になってるだけだから」
 我ながら変な答えだ、と思いながら側に置いた慣れ親しんでいる剣の柄を握る。手に吸い付くような感触は、彼女の心を落ち着かせるには十分だった。
「何はともあれ、食べ終えてからね」
 いつの間にか止まっていた朝食は、ナギサのその声を合図に再び始まるのであった。


「まだ店は…………ああ、トラッドさんおはようございます」
 木製のドアが開き、掛けられていた準備中の札が宙を泳いでから扉を叩く。
 その事に主人は、少しだけ顔をしかめて追い返そうとしたが、入ってきた顔を見て挨拶に切り替えた。
「鋼の剣は?」
「まだ入荷してないですよ」
 彼は挨拶を返そうとせずに、自分の目的の物を尋ねる。しかし、どうやら来るのが早すぎたらしい。
「多分、昼を過ぎた頃に入ってくるとは思うんですけど」
「随分と特殊なんだな」
 ヤヨイの起きた時間が早かったので、朝に商品が入ってくると思い込んでいた。だが今の呟きに主人が苦笑いを浮かべたので、一般とは違う経路なのか、と納得する。
「用はそれだけですか?」
「いや……」
 わずかに彼の声が詰まる。だが、迷いを振り払うように意を決して口を開いた。
「…………昨日強引にヤヨイを連れていかそうとした理由は?」
「………………」
 その途端、曖昧な笑みの主人は真剣な表情を見せる。
「気づいてましたか」
「……今朝だけど」
 いくら以前トラッドに薬草を売れなかったというだけで、しかも盗賊である彼に愛弟子を託すのは無理がある。
 昨夜は頭に血が上っていたので断る事しか考えてなかったが、普通に考えてみるとおかしい話だ。
「ヤヨイは……ジパングの生まれなんです。6歳の頃、その近くで行き倒れていた時に拾いました」
「…………」
「目を覚ましてから事情を聞いてみると、両親に連れられた先でモンスターに襲われてはぐれてしまった、と」
「それで、あの娘をジパングに連れて行って欲しくて……?」
 その言葉に主人は首を横に振る。
「いえ、その時私はたまたま……ジパングでは女が生贄にされるという噂を耳にしました。
おそらくそれで逃げ出したのではないかと思っています」
「じゃあ、一体どうして……」
 もし噂が本当なら、ヤヨイが帰った所で何のメリットも無い。トラッドは次の言葉を待った。
「ヤヨイは……旅の商人になりたい、と言った事があるんです」
 主人は遠い目をしながら、そう告げる。その時の事を思い出しながら。
「どれほど危険だと説明しても、その真剣な表情は変わりませんでした」
「……両親、か」
 そこまで聞いて、彼はようやく理解した。しかし、それでも腑に落ちない点がある。
「なら、どうして俺たちに? 確かにヤヨイとは顔見知りだけど」
 例え彼女がこの主人に話をしていたとしても、初対面には違いない。
「……目、ですね。そして名前を聞いた時に確信しました……あの人と何か関係が―――――」
「そんなに立派なもんじゃない」
 辛そうな表情で言葉を遮ったトラッドを見て、主人は小さく謝罪の意を込めて頭を下げて、真っ直ぐな目で続ける。
「……それでも私は、こうして朝早くから来て頂いただけで、あなた自身を信用していますよ」
 それが嘘の無い本心から出たものだと分かっていても、やはり彼の気持ちは沈んでいく一方であった。

 互いに話す事がなくなり、トラッドが店を後にしようと背中を向けた時、不意にドアが開く。
「師匠! 鋼の剣はありましたか?」
 顔を覗かせたのはつい先ほどまで話の中心になっていたヤヨイ。続いてリノとナギサも店へと入ってくる。
「ああ、どうも昼になるらしい。また出直しだな…………後、その呼び方はやめてくれ」
「ダメです」
 何かこだわりがあるのか、自分が慣れているからなのか、彼女はきっぱりと笑顔で断った。
「どうやって暇を潰そうかしらねぇ……」
 これから何をするにしても時間は中途半端。ナギサが側に置いてあるモーニングスターを眺めながら呟いた時、カウンターの奥から悩み声がした。
 それから服に付いた埃を払いながら、主人が立ち上がる。
「どうかしたの?」
 昨日までは師匠だった男の様子が気になり、ヤヨイは身を乗り出して尋ねる。
「困ったな……まだら蜘蛛糸があまりない」
 まだら蜘蛛糸というのは、敵に投げつけると糸が絡みついて動きを鈍くする道具だ。
 それほど多く持つ事は少ないが、いざという時モンスターから逃げる為に常備している旅人は多い。
「え? あんなにたくさんあったのに?」
「うむ。それでまだあるのだとすっかり思い込んでしまった」
「その辺りで手に入らないのか?」
 2人の悩む様子を見て、リノは軽く聞いてみたが、主人は首を横に振る。
「ノアニールまで仕入れに行けばいいのですが……出来ないんです」
 他の所でも売っていないわけではないが、ノアニールで作られたまだら蜘蛛糸は質が良いという評判である。
「キメラの翼を使えば……」
「いえ、今は行っても買う事が出来ないのです」
 それを聞いてトラッドは、あ、と声を上げる。
「まさか……ずっと眠っているからか?」
「ご存知でしたか…………はい、その通りです」
 その会話に他の3人は、意味が分からずただただ呆然としている。
「まだ町の人が眠る前に作り過ぎたまだら蜘蛛糸の大安売りがあったので、今まで切らす事は無かったのですが……」
 使用期限もない上に、少しずつ売れるものだから大量に買い込んだ、と主人は一言添えた。
「トラッド、説明してくれない?」
「ん、ああ」
 ナギサは取り残されている事に少しだけ不機嫌そうに言い放った。
「理由は知らないけど、ずっと村の人全員が目を覚まさないんだ、何年も。中には立ったまま眠っている人もいる」
「……それだけ聞くと面白そうなんだけど。で、そのまま歳を取っていったりしてるの?」
 不謹慎な言葉を混ぜながら、彼女は最もな質問をする。彼の代わりに答えたのは主人。
「それが…………変わらないままだそうです」
「不思議な話だな」
 リノの周りは静かに同意を示した。しばらくして、最初に口を開いたのはヤヨイであった。
「…………師匠、どうにかできませんか?」
「え?」
 まさか自分に話しかけられると思っていなかったトラッドはつい聞き返す。
「出来れば…………何とかしたいんです」
 彼女の目の前で、今まで世話になった人が悩んでいる。それがほっておけないのだ。
 トラッドは目を閉じ、難しい顔をした。そのままわずかに時が過ぎる。
「リノ」
 そして彼が口を開いて生まれた言葉は、今日初めて口にした名前であった。
「分かった、今から行こう」
「……ありがとう」
 彼女の答えは何もかも見通していたようにほぼ即答で、トラッドはわずかに驚きを見せてから、嬉しそうに礼を言う。
 それが何に対しての喜びなのか、彼自身分からなかったのだが。
「感謝します。では、これを使ってください」
 そうして手渡されたのは、往復分のキメラの翼。そして寒い土地へ行く為の防寒具。
(やけに準備がいいわね…………ま、いいか)
 ナギサはその行動の早さに違和感を覚えるが、敢えて口にはせずあっさりと苦笑いするだけだった。
「それじゃ、行ってきます!」
 言うが早いか、ヤヨイは真っ先に店の外へと駆け出していく。3人もそれに続くと、一瞬にしてその姿を消すのであった。


「本当に立ったまま眠ってる……」
 深く鬱蒼とした森に囲まれた村。住民が全員眠っているので、刈られる事の無い雑草が伸び放題で、建物も朽ち果てそうな様子だった。
 そしてこの大陸の最北に位置するせいか、ちらほらと残雪の白が目に映る。
 その時冷気を帯びた風が強く吹いたので、トラッドとヤヨイはもらった防寒具に素早く袖を通した。
 最初に口を開いたのは、入り口の側でそれほど厚くない格好をした町の人が立ったまま眠っているのを見たリノ。
「トラッドは来た事があるのか?」
 この状況を知っていた彼に話しかけると、どこかぎこちなく頷いて見せた。
「あの時はしばらく見て回ってからすぐにここを出たんだ」
 原因も分からなかったしな、と更に一言付け加える。
「……とにかく村の中を見てみよう」
 リノはそれだけ言うと、珍しく先頭を切って歩き始めた。


「ところで、リノちゃんと何かあった?」
 2人は町の北を注意深く辺りを見回しながら歩いている。リノが真っ先に南の方へ行ったからだ。
 更にヤヨイも焦っているのか、彼女に慌ててついていったので、トラッドとナギサは北の方を、という事になった。
「……何か聞いたのか?」
「見れば分かるわよ……って、やっぱりそうなんだ?」
 その言葉に彼は自分が上手く誘導された事に気づき、顔を曇らせながら眉間の辺りを右手で押さえる。
「いつ気づいた……?」
「そうねぇ、トラッドが席を立った時とリノちゃんの反応かな」
「……リノは何て言ってたんだ?」
 本当に鋭いな、と心中で密かに思い、トラッドは最初の質問を繰り返す。ナギサはため息をついてから口を開いた。
「何でもない、としか言ってないわよ」
 次の瞬間、間髪入れずに彼の頭をハリセンで叩いた。
 いつもなら反論する所だが、彼は何も喋ろうとしなかった。
「全く……リノちゃんにだけは心配をかけるな、って前にも言ったでしょ?」
 その声は怒りというよりも、気遣ってるような印象を受けた。
「悪かっ――――」
 謝ろうとする彼の口が形を変えている途中で、ナギサはもう一度ハリセンを走らせる。さっきよりも強かった為かその音はより鮮明に響いた。
「その言葉は私じゃなくてリノちゃんに、ね。分かった?」
 トラッドは痛む顔と心を押さえながらこくりと頷いた。それから2人は、再び足を動かし始めるのであった。


「リノさん、北で物音が!」
「…………ナギサだと思う」
 一方、村の南を歩く2人。建造物は北側に集中している為、こちらは緑が広がっており、道は草に覆われていたので歩きづらくなっていた。
 先ほど聴こえてきた音というのは、リノの耳にはよく馴染みがあった。
「あの2人にとってはいつもの事だ」
 呆れた様にそれだけ言うと、また彼女は草を掻き分けながら足を踏み出していく。
「あ、そういえば何で師匠にだけ隠してるんですか?」
 しばらく経ってからまたヤヨイが話しかけてくる。内容ははっきりと言っていないが性別の事だろう。
「それは――――」
 説明しようとしたリノはそこで言葉と足を止める。すぐ後ろを歩いていた彼女は背中にぶつかって、驚きの声を上げた。
(どうしてだろう……)
 だが、一瞬で周りの音は思考で遮断され、ヤヨイの声も風が草を揺らす音も聴こえなくなった。
 最初は隠しておらず、トラッドがそう思い込んでいた。そしてレーベでナギサに言われるまでは自分も忘れていたぐらいだ。
 あの時、彼女の「過保護になりそうだから」という理由に納得して、黙っていようと決めたはずだった。
(でも今は?)

 違うような気がする。

(私は……トラッドを理由も無く騙している?)
 導き出した結論にリノは胸を痛めた。そしてわずかに身体を震わせながら、左手で心臓を掴むように押さえる。
「リノさん!?」
 急変した彼女の様子に、慌てた声でヤヨイは名前を呼んだ。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい。もう聞かないから……!!」
 そして必死な謝罪を聞いて、リノはようやく我に返って後ろを向くと、彼女は目にうっすら涙を浮かべていた。
「あ、いや……その、聞かれた事が原因じゃ……私も悪かった」
「……大丈夫ですか?」
 瞳から零れ落ちそうな雫を手でこすりながら心配そうに尋ねてきたので、リノは途切れ途切れに謝った。
「でも、理由は……すまない」
「そんな気にしないで下さい! 本当にごめんなさい………………あ」
「どうかしたのか?」
 ヤヨイは謝りながら、少しだけ滲む視界で何かが動くのを捉えて声を出す。
 リノは問いかけながらその視線の先を見ると、一軒の家があった。
「今、窓の所に人影が……!」
 そう言われて、窓を見てみるものの目に入るのは部屋の中の景色だけ。
(……でも、他に手掛かりはないな)


 歩みを止めていたリノの足は、前よりも早いペースで再び動き出し、ヤヨイも慌てて後からついていくのであった。




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