第22話 「相容れぬもの」


 リノは3人を置いて、人影の元へと走る。何度も呼ぶ声が聞こえたのだが、彼女は振り向こうとせず、それどころかまるで何かに追われているかの様に更に足を早めていく。

 そして彼女の呼吸はいつもよりも早く荒くなっていく。

 辿り着いた先は、柔らかそうな緑色の髪から尖った耳が姿を現わしている一人の少女の目の前。
 後ろの結果的に置き去りにしてしまった3人とはまだ距離があった。
「エルフ……?」
 話には聞いていたのと現在の状況から考えて確信はあったのだが、実際見るのは初めてだったため、自然と彼女の口調は尋ねるようになっている。
 エルフは走ってきたリノに一瞬だけ驚きを見せたが、その一言によってすぐさま厳しい表情へと変えて冷たくこう言い放った。
「人間と話す事なんて何も――――――」
 だが、言葉は不意に途切れ、訝しげな視線にわずかな不安を織り交ぜて呟く。


「貴方は……何?」


「……………………」
 リノは答えようとしない。いや、答える術を持っていなかった。そもそもその質問の意味すら理解出来ていない。
「私は知らない……貴方のような人間なん――――――」
「リノー!」
 彼女の名前を呼ぶ大きな声に、エルフはびくっと身体を震わせて言葉を止めてしまった。
「はぁはぁ……急に走るから……何か見つけ……あ、こんにちは」
 一番先に辿り着いたのは、息を切らしたトラッド。そして当然2人の状況を知らないので呑気に挨拶をする。
「………………」
 エルフはその平和な彼の雰囲気に流されて、自然と挨拶し返そうとしたが、慌てて首を横に振ると背中を向けた。
「……人間が何の用?」
「えっと……女王様に聞きたい事があって」
「それで攫うのね?」
「え? いやそんなつもりはないけど」
 エルフは警戒を解こうとせず、それどころか隠し切れないほどの鋭い殺気が見え隠れしていた。
「本当に聞きたい事があるだけなんだけどな……」
「あら可愛らしいお嬢さんねー」
 再び緊迫した空気の中で、呑気な声が響く。3人が一斉に振り向くと、そこには走ったはずなのに息の切れていないナギサと、肩で息をしているヤヨイがいた。
「ちょっと女王様に用事があるんだけど、案内してもらえないかしら?」
「そんな事……!! それにどうやってこの聖水で施された結界を……!」
 まだ理性を保っていたと思われる殺気は、ここで全開に解き放たれるが、彼女は特に気にせずにポンと手を叩くと納得した表情になった。
「あ、だから雫が落ちる音がしたんだ?」
「な……?」
 彼女の言葉にエルフは絶句した。本来この森に入るのはかなり難しい事らしい。
「一応、素人判断で目印は置いたから、後でそこの綻びを直せば元通りになると思うけど」
「あ、だからさっき……」
 ヤヨイは道の途中を思い出しながら言った。そういえば、ナギサは時々立ち止まってパンくずを撒いていた、とリノとトラッドは思い出す。
「……人間と話す事など」
「でも、もうここまでお話ししちゃったんだし、ね?」
 エルフはその一言で静かに敗北を認めたらしく、また背中を向けると右の手で控えめにある方向を指差すのであった。

 4人が示された方向へ歩いていくと、質素ながら気品の感じる建物が目に映る。
「……よし」
 先ほどのエルフの人間に対する反応を見たせいか、トラッドは気合を入れるように小さく呟くと、珍しく盗賊のように静かに足を踏み入れた。
「人間が何の用です?」
 突如向けられたのは警戒の色が濃く滲む、鈴が鳴るような凛とした声。そこにいたのは杖を持ち、真っ赤な服を身に纏ったエルフの女性が一人。
「女王様ですね。ノアニールの村の呪いの事でお話しにきました」
 そう答えたのは、一歩前へ出たリノであった。女王という部分に彼女が一度頷いてから、改めて彼女を見るとわずかに眉を寄せる。
「貴方は…………まぁ、いいでしょう」
 リノだけ彼女が何を言おうとしたのかを理解する―――――おそらく、入口にいたエルフと同じ言葉だと。
「……解いては頂けないのですか?」
「私の娘を騙した男の村を?」
「そうと決まったわけじゃ……!」
 普段は無口な彼女が珍しく声を荒げるが、女王は静かにそれを遮って否定する。
「では何故あの娘……アンは帰って来ないのですか?」
「………………」
「きっと夢見るルビーを騙し取られ、途中で捨てられたに決まっています。どれだけ愛そうとも所詮人間はそういうもの」
 一瞬、辛く寂しい表情を見せた後に、深い憎しみを露わにする。入口にいたエルフとは比べ物にならないほどの。
「立ち去りなさい。これ以上人間など見たくもありません」
 そう言い捨てると女王は俯いて目を閉じ、リノたちも言葉を失ってこの場を後にするのであった。

「やっぱり無理か……でも」
 森を出る道の途中で、トラッドが全員に向けて話をする。
「夢見るルビーはまだ行方が分からないみたいだな」
「……洞窟へ行こう」
 周りが頷いている中で、先ほど唯一女王と言葉を交わした彼女は、それだけ言っていつもより早いペースで歩き出した。
「師匠……」
 ヤヨイの心配そうな声。誰の目にもそれが何を示しているのか明らかであった。
「トラッド」
「ん?」
 突然ナギサが真剣な声で彼を呼ぶ。
「モンスターは私とヤヨイがなるべく引き受けるから……リノちゃんの事、頼んだわよ」
「………………ああ」
「それと早く謝る事。いいわね?」
 今度は声に出さず、彼は顔を伏せて力なく首を縦に振るだけであった。


 森を出てからもらった地図を頼りに南へ行くと、木々に隠されるように洞窟がぽっかりと口を開けているのを発見する。リノは躊躇う間もなく剣を抜き、1人がやっと通れるぐらいまで周りを薙ぎ払った。
 そして仲間が目に入っていないかの様にさっさと一人で洞窟の中へと入ってしまった。
「リノ」
「何だ?」
 慌てて追いついて彼女を呼ぶものの、トラッドは久しく見なかったピリピリした空気に言葉を詰まらせる。
「その……少し焦りすぎてないか?」
「別に」
 何とか音に出した言葉も、彼女は素っ気無く返事をするだけですぐに足を動かし始める。
「ならいいけど……とりあえずナギサとヤヨイを待たないか?」
「…………分かった」
 そこで、まだ追いついていない2人の名前を出して、ようやく渋々ながら足を止めた。やがて、その2人が姿を見せるとまた先に歩き出してしまった。
「師匠、リノさんは?」
「……どう止めればいいのか分から――――!?」
 その直後であった。リノが進んだ先から殺気混じりの音と何かの悲鳴が上がる。
「モンスターか!!」
 3人は音のする方へと駆け出していった。

「………………」
 一方、リノの目の前にはバリイドドッグが2匹と、すでに斬られて絶命しているマタンゴの死体。低い唸り声。それと共に睨み合っていた1匹が姿を消失させ、あっという間に彼女の目の前で白い牙の存在を明らかにする。
「くっ……」
 自分の肩に喰いつかれる寸前で、彼女は剣でそれを受け止める。腐敗しているバリイドドッグのつんとした異臭が間近で鼻を刺激した。リノは相手から圧しかかる力と自分の身体の向きを半ば強引に方向転換させ、どうにか振り払ったが、すぐにもう1匹が襲い掛かってくる。
 不十分な体勢から地面に切っ先を置いていた剣を、ほとんど勘で相手に合わせて構える。それは運良く澄んだ音と共に凶悪な牙を受け止めた。
「―――――!?」
 だが、すでに寿命の来ていた剣はぱきりと儚げな悲鳴を上げて折れる。どうにか2匹目も振り払うものの、武器を失ったリノにバリイドドッグは隙を逃さず、再び襲い掛かってきた。
「リノちゃん、伏せて!」
 その時、背後から焦りを含んだ声と共に何かが近づいてくるのを察知し、彼女は考えるよりも早く身を屈めた。直後、飛びかかろうとしていたモンスターに小さな火の玉が弾け、間髪入れずに2つの影が2匹のバリイドドッグを斬り裂いた。
「……ふぅ」
 顔を上げたリノの前にはそれぞれナイフを手に持ったトラッドとヤヨイ。後ろには魔道士の杖を振るった後の姿勢のナギサがいた。
「大丈夫か?」
 心配そうな口調と共に、ロマリアを旅立つ前に言われた事を思い出す。
「………………悪かった」
 それを忘れて自分から勝手に命を危険に晒した後ろめたさに、リノは悔しそうな顔で謝った。
「……俺にはリノの気持ちは分からないけど……その、無理だけはしないでくれ」
 怒ってるわけじゃないからな、と彼は更に一言付け加える。
「でも、怪我が無くて良かったです」
 ヤヨイの言葉にナギサも嬉しそうな笑顔を見せた。
「どうして……」

 そんなに優しいんだ――――彼女はすんでの所で何となくその言葉を飲み込み、黙って頷いた。

「それよりも、剣の代わりがいるな……っと何かあったっけ」
 リノの右手には根元から折れてしまった剣。それを見た彼は代わりを探すべく道具袋や自分の懐を手で叩いている。やがて、そういえば、と呟くと袋の中から一本のナイフを取り出した。
「……あったあった」
 それはいざないの洞窟で見つけた聖なるナイフ。
「これ使うか?」
 そう言いながら差し出されたナイフの柄をリノは無造作に受け取ろうとした。

(えっ?)

 突然走る少しの衝撃。わずかに残る指先の痛み。彼女の意思に反して手とナイフは互いに拒絶するように弾き合い、固い地面に落ちて金属音を響かせる。
「リノ?」
「あ……いや……別のものはないか?」
「そうだな……」
 よく分からない感覚に動揺する心を落ち着かせる。トラッドは少しだけ疑問に思ったようだが、言われてすぐに別の武器を探し出した。
「あの鞭は?」
「ん? ああ、これか?」
 彼はすぐに腰にあった棘の鞭を外してリノに手渡す。今度は先ほどのような衝撃は無く、それから2、3回試すように宙へと振るった。
「……しばらく借りていいか?」
 申し訳無さそうに問いかけた彼女に、トラッドは笑顔を見せて首を縦に振る。その時、思い出したような口調でヤヨイが声をかけてきた。
「あ、リノさん。もしよかったらその剣、預かっててもいいですか?」
「いいけど……どうかしたのか?」
「えへへ……なーいしょ、です」
 リノの疑問を可愛い笑顔でそう返すと、折れて軽くなった剣を背中に引っ掛けるのであった。

 それからリノは落ち着いたらしく、3人と同じペースで歩き出した。初めて使う棘の鞭もすぐに馴染んだようで、時折襲い掛かるモンスターを危なげなく倒しながら進むと、やがて地下へと続く階段に辿り着く。
(さっきのは何だったんだろう……)
 俯いて、今の浮かない表情を隠すようにしながら考えるのはナイフを手に取った時の事。聖なるナイフは普通に売られている上に、教会にも儀式用として置いてある事が多いので、触ったのは今が初めてというわけではない。その時は特に何も感じなかった。
(……………………)
 脳裏を掠める不安。
「ねぇ、ちょっと休まない?」
 しかし、その心はナギサの声によって一旦打ち消される。
「あそこなら安全そうだし」
 そう言って指差したのは、階段を下りてすぐの所に広がる泉の真ん中。そこは自然に出来たと思われる4本の柱と、人の手が入ったような模様の床石が敷き詰められた場所。洞窟の中にも関わらず、何処か外のような明るさがあった。
「綺麗な水ですね……そうしましょう!」
 ヤヨイは嬉しそうにそれだけ言うと、元気に駆け出してそこへと向かう。トラッドとナギサはその微笑ましい様子に笑顔を浮かべて後へと続いた。
 リノも浮かない顔であったが、同じようにその場所へと歩いていく。そして中心に足を踏み入れた時だった。
「…………え?」
 身体を走る微かな痺れと共に弾かれたように顔を上げた。当然、その視線の先にはごつごつした岩肌の天井があるだけ。
「リノちゃん?」
「……何?」
 気づいたナギサが問いかける。しかし、この感覚を気づかれてはいけない、漠然とそう感じて平静を装って返事をした。
 リノの心に壁が見えて、珍しくナギサはどう話せばいいのかという迷いを見せる。
「わー、この水美味しいですー……師匠」
「ん?」
「……500Gで売れるでしょうか?」
「…………いや、200Gが限界じゃないか?」
 トラッドの答えにヤヨイは多少不満を見せるが、すぐに水を汲んで封をする。どうやらその値段で売るつもりらしい。
「でも、本当に美味いな……ただの水じゃないみたいだけど」
 そんな会話の中、言葉を探していたナギサは、彼の一言をきっかけに何かを思いついたようだ。
「やっぱり? どうも空気が澄んでたからもしかしてと思って…………そうだ!」
 彼女は水を適当な器に入れて、リノに手渡した。
「ちょっと疲れてるでしょ? これでも飲んで少しゆっくりしよっか」
「あ、ああ。ありがとう」
 気遣いの見える一言でふっと気持ちが軽くなったのか、さっきの事を忘れて水を口に含んだ時だった。

「っ……!」
 直後、器が地面にカランと音を立てて落ちる。

「リノさん?」
 そして彼女の身体中の全細胞が拒否するように激しく咳き込み、水を全て吐き出していた。
「大丈夫ですか!?」
「ああ……慌てて飲んだからだと思う……」
 そう言いながらも、彼女の顔色は少し悪くなっていた。しかし、何でもない、という風に力無く手を振ると、洞窟の壁にもたれかかった。
(…………今のは?)
 本当の理由は別にある。何かは分からなくても、それだけははっきりとしていた。
 リノ以外の3人は何とも無いようで、しかも美味しそうにこの水を飲んでいた。しかし、今自分が感じたのは不快な異物感。
(……………………)
 虚ろな目でグローブを外した自分の掌を見る。どこも変わった所は無い見慣れた白い手。
「リノ、大丈夫か?」
 考え事に集中していたせいか、急に声をかけられてハッとなると、目の前には心配そうに覗き込むトラッドがいた。
「べ、別に……何ともない」
 顔を逸らしながら答えるリノ。今は彼の優しいトパーズ色の瞳は苦痛でしかない。

(私は…………?)

 ふと思い出すのは、森でエルフに問いかけられた言葉。


 ――――貴方は……何?


(私は……何?)
 きっとあの時トラッドが呼ばなければこう呟いていたかもしれない。

(私は…………人間じゃない?)
 自分の中で何かがざわめいた気がして、彼女は自分をぎゅっと抱きしめる。

(………………隠さなきゃ)
 何かは分からなくても、もし知られてしまったら――――もう彼らと旅を続ける事は出来ない。
 そう思って、リノは初めて一人を恐れる自分に気が付く。そして彼らが今、唯一心を許している人間だという事も。


 沈んだ彼女を3人は、ただ静かに見守るしか出来ずにいるのであった。



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