第24話 「小さな笑顔」


「立って大丈夫なのか?」
 安らかな眠りから覚めたリノにトラッドは心配そうに言う。彼女は一応頷いて見せるものの足取りはまだ頼りない。
「それよりも……女王の所へ行こう」
 弱っている表情とは裏腹に、彼女の黒い瞳は力強い光を放っていた。

「あなた方は……! もう何も話す事など―――」
「夢見るルビーをお持ちし……」
「リノ!」
 一目見た瞬間に拒絶するエルフの女王。それを遮るように彼女がルビーを包んだ布を手に取った時だった。
 急に膝を折って、ふらりと倒れそうになるリノをトラッドが支える。
「…………ルビーを見たのですね」
 まだその姿を見ていないはずの女王の言葉は確信に満ちていた。
「横におなりなさい。話はその後でもよろしいでしょう?」
 以前なら素直に従わなかったかもしれないが、今は戸惑いこそあるものの敵意は見られない。
 3人は一礼すると、苦しさに喘ぐリノの身体をゆっくりとその場に降ろした。
 女王は手に持った杖の先に付いた玉を軽く握るとすぐ離し、今度はそれを額に当てて不思議な発音で何かを呟く。
 それから、リノの額に右手を乗せ、目を閉じてから何かを唱えだすと、みるみる彼女の顔色が良くなっていった。
「夢見るルビーとは……その人に関わりのある過去を見せる宝石。それは次の女王に、エルフの知る全てを受け継ぐ為に使われます。ですが……あまりに多くの知識が流れ込む為、1年は苦しむ日々が続くのです」
「じゃあ、リノちゃんは……?」
「おそらく、ルビーを見てしまったのでしょう。人間が見て、こうして生きているのも奇跡……」
 太陽にも似ているが、また違う種類の果てしない優しさを備えた光。
 リノはここに来るまで、世界もそして自分でさえも曖昧に感じていたのだが、やがてそれらに輪郭が取りも出されていくのがはっきり分かった。
(あれが私に関わる過去……?)
 生々しい傷跡の残る、滅ぼされた何処かの村。しかし、全く身に覚えが無い。
(それに……父さんと母さんが若かった気もする)
 生まれた時の記憶があるわけではないが、自分の思い出す限りではもう少し年を取っていたように思える。
 沈んだ顔を見せる彼女。それを見る2つのトパーズ色の瞳も不安げに揺れていた。
(リノの過去……)
 同時にアリアハンの酒場の女主人、ルイーダの言葉が耳に響く。
(聞けない……よな)
 トラッドは自分の無力さを不甲斐なく思い、その場の空気から逃げるように背中を向けるのであった。

「これを何処で……?」
 完全に回復したとは言えないが、先ほどよりもしっかりした様子を見せたリノに女王は再び話を戻す。
 今、彼女が手渡した夢見るルビーを握り締めて。
「ここから南にあった洞窟で……後、これも一緒に」
 綺麗に折り畳まれた1枚の紙――――アンの遺書。
「これは……?」
 その呟きに誰も答えようとしなかった。いや、出来なかった。その事に女王は訝しげな表情を浮かべながらもおそるおそるそれを開く。
 しばらくしてから女王の目が微かに揺れた。
「薄々気づいていたのかもしれません。ですが、私にはそれを知る勇気がなかった……」
 海の底よりも暗い沈黙。そして――――遺書にはまた涙が落ちて文字が滲む。
「……これをお持ちなさい」
 誰もが口を開けずにいる中で、最初に声を発したのは一番辛いであろう女王であった。
「これは?」
「目覚めの粉、というものです。これを使えばノアニールの人々の呪いは解けるでしょう……アンもきっとそう願っているはず……」
「あ、ありがとうございます!」
 最後の言葉は4人ともよく聞き取れなかったが、想像はついた。そして真っ先に喜びの声を上げたのは、驚きを多少顔に残していたヤヨイ。
 だが、それは一瞬の事で、再び女王は冷たい口調で言い放つ。
「誤解しないで下さい」
「えっ?」
 リノの意外そうな顔に女王は一呼吸すると、遠い目をこちらに向けながら呟いた。
「あなた方には感謝しています……ですが、人間全てを許したわけではありません」
「…………」
「……もうお行きなさい」
 今にも雫が零れ落ちそうな瞳。娘を失ったこの母親は、途中涙を見せながらも最後の最後まで「エルフの女王」として振舞ったのであった。


 目覚めの粉を使い、永い眠りから覚めた村の人々に話を聞いている内に、空はオレンジ色へと染まっていく。
 そこでヤヨイが、あ、と声を上げて大量にまだら蜘蛛糸を買うと、4人は村を後にした。
「じゃあ、戻ろっか」
 そしてうんと背伸びをするナギサは、リノにキメラの翼を手渡す。
「……えっと」
 しかし、彼女はしばらく戸惑った素振りを見せ、何故か上空へ放り投げようとしなかった。
「どうしたの?」
「いや、使い方がよく分からないから……」
 確かに彼女の生まれ故郷であるアリアハンでは取り扱ったおらず、ここへ来る時もトラッドに任せている。
「そこに宝石があるでしょ?」
 ナギサの言葉にリノは頷いてそれを見る。
「その部分に手を当てて、行きたい場所をイメージして空に投げるんだけど……やってみた方が早いわね」
 素直にそれに従って、彼女は宝石を掌で包みながらアッサラームを頭の中で思い描く。
 それに反応してぼんやりと翼全体が淡い青の光が浮かび上がると、リノは思い切って空へと投げた。
(わ……)
 夕焼け色の空に消えていくキメラの翼に、リノは心中でわずかに驚いた――――刹那、4人の身体も急激に空へと吸い込まれていった。

「……あら?」
「…………リノ」
 町が賑わいだすのを今か今かと待ち焦がれている。そこはアッサラームであった。目の前には大きな噴水と、
「私に会いに来てくれたの?」
 露出の多い服を着た娘――――初めてここへ来た時、リノがヤヨイに何をしているのかを尋ねた娘である。
「……リノちゃん、大人になったわね」
「え? あ、いや……何となく印象が強くて」
 相変わらず意味は分からない彼女だが、ナギサの含みのある言葉は胸騒ぎを起こさせるには十分であった。
「まぁ、そういう事だとは思ったけどな」
 トラッドはリノの心を見通したようにそう呟くと、苦笑いを浮かべながら他の3人を無理やり引っ張っていくのであった。

「たっだいまー!」
 余りに勢い良く開かれたドア。少しだけ目を見開いたのは、中で一本の剣を磨いていたヤヨイの元師匠である主人だったが、その声の主が誰か分かるとすぐに安心した表情へと戻る。
「おお、おかえり……それでまだら蜘蛛糸は……?」
「はいっ!」
 袋一杯に詰め込まれた目的の物を、元気一杯に彼女は机へと置く。
「ノアニールの人も目が覚めたから、もう困らなくて済む」
「本当に……ありがとうございます」
 リノの言葉に主人は一度顔を伏せた後に心から笑みを浮かべる。
 そして、それを見たヤヨイは鼻の頭をかきながら照れた顔になっていた。
「あ、トラッドさん」
「ん?」
 頼まれた用事は済んだので、疲れた身体を癒す為に店を後にしようとした時、主人は思い出したように彼を呼ぶ。
「お礼といっては何ですが、これを」
「え? ああ……そういえば」
 ごとりと机の上で重い音を立てて置かれたのは――――鋼の剣。バタバタしていた為にすっかり忘れていたのだが、当初の目的の一振りである。
「でも、1本しかないのに……いいんですか?」
「はい。実はあなた方がこのお話を引き受けて下さった時から、ずっと考えてましたので」
 トラッドが一礼して、それをありがたく受け取ろうとした時、横から制止の声がかかる。
「あ、師匠……明日まで待ってくれませんか?」
「どうしたんだ?」
 それは今回の旅で、すっかり馴染んだ彼の弟子であった。
「えっと……内緒です。でも、楽しみにしてて下さい!」
 少しだけ不思議に思ったが、じゃ楽しみにしてる、と彼は笑顔で返事をする。
「じゃ、早く宿屋へ戻りましょ。お腹も空いたしね」
 ナギサの一言に急に身体が重くなったように感じたリノとトラッド。
 早々と店を出る彼女について、ドアを開けようとしたがヤヨイだけ動こうとしなかった。
 その視線に気づいてハッとなった彼女は2人にこう告げる。
「あ……私、今日はここに泊まりますから、どうぞ戻ってて下さい」
「そうか……」
 明日からはまた旅が始まる。そうなれば、この主人とヤヨイは離れ離れになるのだ。
「俺たちの事は気にしなくていいから、ゆっくりするんだぞ」
「はい……あ、でも理由はそれだけじゃないんですけどね」
 先ほどお楽しみと言った事に何か関係があるのかも知れないが、それでもその一言にトラッドへの感謝の気持ちが込められているのは十分に伝わってくる。
「じゃあ、また明日な」
 その一言にヤヨイが頷くとすぐに、ドアはばたんと音を立てて閉まったのであった。

 宿屋は今朝と同じ所だった。というのも、やはりここは穴場らしい。他の所はわずかに見えた窓越しの風景から、混雑しているのが分かる。
「じゃあ、悪いけど先に眠るわね」
「珍しいな」
 食事を終えた後、いつもは何かしら積極的に話そうとするナギサであったが、今日はすぐに席を立つ。
「たまには、平和でいいでしょ?」
「まぁ……確かに」
 彼女の笑みはトラッドには何処か無理が見えた。洞窟に入ったというのもあるが、もしかするとあのエルフの森へ入る時、かなり負担がかかっていたのかもしれない。
 それを今の今まで悟らせようとしなかったナギサに、彼はいつものようなおやすみの挨拶を告げる。
 手を振るその様子は、やはり何処か力が無かった。
「……俺たちも部屋に戻るか」
 同じく食事を終え、何やら考え込んでいたリノがその言葉に頷くと、難しい顔のまま立ち上がった。
 そして2人並んで部屋へと向かうのであった。

「……これでよし、と」
 部屋に着くなり、自分の道具袋を開けて明日の出発の準備を始めるトラッド。
 それから間もなく一息をついて、備え付けのテーブルの上に置いていた水をコップ半分ほど飲んだ。
(私は……)
 一方、リノはというと手伝おうとした矢先。
「ああ、まだ完璧に治ってないだろ? ゆっくり休んでていいから」
 と、彼に止められたのだが、何となく眠れずにベッドの脇に座って、ただ彼を見つめていた。
 というよりは、まだ今日の事を考えていたので、本当は目に映ってはいたわけではない。
 リノがエルフに心が動いたのは幼い頃の記憶と、無意識に感じていた自分の身体の事。
 それがわずかに形として目の前に突きつけられた為、彼女は激しく心を動揺させていた。
「まだ寝てなかっ……あ、もしかしてうるさかったか?」
「いや、そういうわけじゃ」
 ようやくその虚ろな視線に気づいて謝ろうとする彼を、慌てて我に返ったリノは首を横に振る。
「ただ、眠れなかったから」
「……早めに休んだ方がいい」
 嘘は言っていない、にも関わらずリノの胸はちくりと小さな痛みを訴える。
 彼は彼で短くそれだけ言うと、何度か口を開きかけては止めるのを繰り返しており、自然と沈黙が部屋を覆っていた。
(……何か言いたいはずなのに)
 その言葉が見つからない。昨夜みたいにリノを傷つけてしまうのではないか、そう思うと何を言っていいのか分からない。
 でも、悩んでいる姿を見るのはもっと辛い――――彼は覚悟を決めてゆっくりと口を開いた。
「リノ」
「……何?」
 その緊張が伝わったのか、いつもの言葉で返す彼女もぎこちなかった。
「もう身体は……大丈夫なのか?」
「あ、ああ。今は特に……」
 だが、話す直前でまた萎縮してしまい、自分の考えている事とは違う言葉が口に出る。
「トラッドは大丈夫なのか? 顔色が悪いけど……」
「え? あ、俺は何ともないけど……」
 それどころか逆に心配をかけてしまったらしく、彼はますます自己嫌悪に陥り、再び気まずい沈黙が訪れる。
「カンダタの時……」
「え?」
 彼女がベッドに横になろうとしたまさにその時だった。突然思い出したかのように、彼が嫌っているはずの盗賊の名を口にする。
「リノが止めてくれた事、本当に感謝してる」
「あ……」
 優しいトパーズ色の瞳が手に持った鋭いナイフと同じような光を放っていたあの時の事だ。
「もし、リノがいなかったら……一人だったらきっと」
「………………」
「だから……上手く言えないけど」

「俺もリノを一人にしない」

 視線が2つ、真っ直ぐに彼女の黒い瞳を捉えていた。
 私だってトラッドにいつも迷惑を――――という言葉は他ならぬ彼によって遮られる。
「俺もナギサもヤヨイも側にいるから、一人で背負わないで欲しい」
 説得力に欠けるかもしれないけど、と独り言のように付け加えてトラッドは顔を逸らした。
「トラッド……」
「えっと、その……だから、何かあったらちゃんと言うんだぞ?」
 改めて名前を呼ばれて今言った事が急に恥ずかしくなったのか、慌てた早口でそれだけ告げる。
(でも……悪いけど言えない……)
 初めて嬉しさに流れ落ちそうになる涙。それに耐えながらリノは心の中で謝罪する。
 もし、言ってしまえば――そう考える事すら怖かった。
(けれど……)

「いつも、ありがとう」

 それだけ何とか言葉にすると、リノは自分でも気づかずに小さく――――本当に小さく笑みを浮かべた。

「……………………」
「どうかしたのか?」
 ふと彼女が顔を上げると、トラッドは不思議な表情でこちらを見ていた。
「え!? あ、いや……えっと……じ、じゃ、それだけだから……」
「そ、そうか……?」
 そして何故かうろたえて、あっという間にベッドへ潜り込んでしまったので、リノも不思議な表情のまま横になる。
「…………おやすみ」
「あ、ああ、おやすみ……?」
 急に彼がこうなった理由が分からず、リノはやはり疑問に感じたままだったのだが、目を閉じると程なくして疲労が襲い掛かり、すぐに寝息を立て始めた。
(何で……俺……!!)

(リノの笑顔に見惚れてたんだ……!?)

 元々綺麗な顔の彼女だが、普段の様子からは想像出来ないほどの柔らかい笑み。
 そればかりがトラッドの頭を巡り、疲れているはずなのに中々眠りにつく事が出来なかった。
 だが、初めて笑顔を見たから、と無理やり自分に言い聞かせて、早まった心臓をようやく落ち着かせるのであった。




次の話へ

目次へ