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「おはよー……って、どうしたの?」 アッサラームの朝は夜と違って随分静かである。住人の殆どが夜に活動する為だ。 忙しいのは旅人たちが泊まる宿屋の人間であり、食堂は賑やかな声に包まれていた。 「あ、いや……ちょっと寝付けなくて」 リノたちも例外なく朝食を取る為に足を運んでいた。一人眠そうなトラッドを見て、ナギサが不思議そうに声をかける。 「大丈夫か?」 何ともない、と答える彼だが目は赤い。昨夜、リノに見惚れていた事は自分なりに解決したつもりだが、心も素直に納得したわけではない。 それまで中々寝付けなかったせいもある。 「じゃあ、行きましょ」 「へ? まだ何も食べてないぞ?」 そう促したナギサも何も食べた様子が無いので、彼は疑問を投げかける。 「ほら、折角だしヤヨイちゃんとも一緒に食べたいじゃない?」 「ああ、なるほど」 言動におかしい所は無い、むしろその通りだと彼は思う。 しかし、ナギサの何か企んでいる時に見せる笑顔が気にかかった。 (……まぁ、どっちにしても従わざるを得ないんだろうけど) そんな2人の相変わらずのやり取りに、リノだけは不可思議な表情を浮かべたまま席を立つのであった。 「あ、おはようございますー」 準備中の札が掛かっているにも関わらずノックされたドア。 店の中にいたヤヨイは入口にいたのが、期待通りだったので喜びながら出迎える。 「おはよう……」 「あれ、師匠眠そうですね?」 「まぁ、ちょっと……」 どうやら自分はよっぽどそう見えるらしい、とトラッドは心中密かに苦笑いをした。 「ところで頼んでた物は?」 「はい、ばっちりですよ!」 次の瞬間、彼の肩がぽんと叩かれる。 「…………何だ?」 「朝ごはん」 「……俺が作るのか?」 「あら、作るって言ったじゃない」 確かに彼はアッサラームに来る途中でそう言っていた。 「しっかり買い揃えておきました! 楽しみですー」 それはいつの間にかヤヨイにも伝わっていたらしく、満面の笑みだった。 「…………そういう事か」 「うん、そういう事。だから頑張ってね」 罠にはまった時というのは、そこで気が付いてももはや抜け出せない――――それを良く知るトラッドは、渋々奥へと歩き出す。 その様子にリノはため息を一つ、店の主人は気の毒そうな顔で彼を台所へ案内するのであった。 「これからどうするの?」 店の奥にあったのはテーブルと椅子が4つ。主人は開店の準備の為、せわしなく動き回っている。 なので、この場にいるのはいつもの4人だけだ。 「……イシス」 台所から姿を現わしたのは、真っ白なエプロンに身を包むトラッド。 右手に持つトレイの上には、暖かく美味しそうな匂いが漂う大き目の皿が2つ乗っていた。 「師匠、料理も出来るんですね! すごいですー」 「味は保証しないぞ?」 照れながら彼は言う。それからテーブルに並べられたのは、じゃがいもと人参の入った乳白色のシチュー。 「じゃあ、いただきますー」 一番楽しみにしていたナギサは、誰よりも早く銀色のスプーンでそれをすくってから口へと運ぶ。 「…………やるわね」 「期待通りじゃなくて悪かったな」 そのやり取りからヤヨイは期待に胸を膨らませて、自分もシチューを口にした。 「わー……美味しいです」 目を輝かせて彼女はそう言うと、ふと思いついたような顔で言葉を続ける。 「きっと師匠と結婚する人って幸せですよ。とても優しいですし」 「えっ? あ、いや別にそんな大した事じゃ……」 「そうそう、多分相手も見つからないし……って、もしかしてヤヨイちゃん…………好きなの?」 彼女は意地悪な笑みで聞いてみると、何故かリノと、話の渦中にいるトラッドの身体が少しだけ硬直するが、彼女はすぐにこう答えた。 「はい、とっても素敵な師匠です!」 少しも慌てる様子が無い。おそらく本心だからであろう。まだ彼女の心はこういった事に無頓着のようだ。 「残念ね」 「……別に」 どう思えばいいのか分からない彼はただ複雑な表情を浮かべている。 「で……リノちゃん、お味はどう?」 「え?」 食事を再開していた彼女は突然ナギサに話を振られて、一瞬呆気に取られた顔になる。 「あ、うん。美味しい」 そして若干の間の後に質問を理解してそう答えた。 「良かった」 小さく呟いたのは作った本人。先ほどから反応が無かったので気になっていたらしい。 その声はしっかり聞こえたようで、彼女は何となく顔を逸らす。 「……さて、話を戻しましょうか」 自分で話を振っておきながら、ナギサは自分の気の向くままに全員を呼びかけた。 特に反対する理由も無いので、3人は彼女を見て小さく頷く。 「イシスって何処だ?」 「ああ、ここから……っと」 濡れた手をエプロンで拭い、椅子に腰掛けてから袋より地図を引っ張り出す。その彼の仕草は何故か板についていた。 「ここがアッサラームだから……南西のこの辺りかな」 指で円を描いた場所はかなり大きい。詳しい場所はわかり辛いようだ。 「…………魔法の鍵」 リノの呟き。地図から顔を上げたトラッドは首を縦に振り、眠りから解き放たれた村で聞いた事を思い出すのであった。 話は昨日に遡る。4人はエルフの女王からもらった目覚めの粉を手に、再びノアニールへと赴いた。 「リノ」 「ああ」 トラッドの声に答えて、彼女は道具袋より粉を取り出す。 それを左手に取ってから撒こうと考えていると、決して強くない風に乗って村中へと広がった。 「まるで生きてるみたいだな……」 まだ沈むには程遠い位置の太陽を浴びて粉はキラキラ輝いており、空に幻想的な景色を創り出していた。 「ふわぁぁぁぁ……」 4人のすぐ側――――村の入口にいた一人の若い男が欠伸をする。 それに答えるかのように村の至る所から、数年分の欠伸が聞こえてきた。 いくつもの日常的な仕草が、非日常的な雰囲気を作っている事に不思議な感覚を覚えながらも、4人は村を歩き始める。 まず向かったのは、当初の目的であるまだら蜘蛛糸を売る道具屋。 いつも沢山蓄えてある上に時間が経っても大丈夫なため、十分過ぎる量を買うことが出来た。 それからしばらく村の中を見て回った頃。 「少しおなかが空いたわね」 「あ、私もですー」 「……そういえば俺も」 ナギサとヤヨイの声に洞窟の泉から何も食べてなかった事に気づいた。 しかし、長く時間が止まっていた村にそんな場所があるのだろうか、と彼が考えていると不意にリノが呟いて、ある所を指差す。 「宿屋がある」 その先には小さな木造の小屋があり、宿を示す看板と慌しく動く人影が窓から見えた。 「……一応、行ってみるか」 思い出すと空腹感はますます強くなってくる。リノ以外はわずかな期待を込めて、4人で小屋の方へ歩き出すのであった。 「お食事、ですか? は、はい、しばらくお待ちして頂ければ……」 宿の主人の額に浮かぶ汗。数年分放っておかれたのだから、その後片付けは困難に違いない。 それでも短時間でどうにかしようという心意気は立派なものであった。 4人は奥にあった窓際の席へと向かった。窓からは名前の分からない草が必要以上に逞しく成長しているのが見える。 「どれにしようかしら……」 真っ先にメニューを取り、幸せそうな顔でナギサはそれをめくっていると、突然階段からけたたましい音がした。 「…………ああっ!」 次に聞こえてきたのは、芝居がかった口調で嘆く女の声。 「オルテガ様……何処へ行ってしまわれたの?」 「え?」 リノは小さく声を上げる。聞こえてきたのは忘れるはずもない父の名前。 「……オルテガ、さん?」 この時、3人の注意は階段から駆け下りてきた女に向けられていたので、誰一人気づかなかった――――ナギサが小声でそう呟いた事には。 彼女は呆然とした表情を浮かべていたが、テーブルの上にメニューを落とした音で我に返る。 「どうした?」 そこでやっと気づいた彼が問いかけてきた。 「……何でもないわ」 波紋の広がる心を静めてからそう返事すると、時折鋭い所を見せるトラッドも気づかず、リノの方へと顔を向ける。 「リノ……」 「……気にしてない」 言葉とは裏腹に表情はわずかに曇っていた。いつもなら平静を保てたかもしれない。 つい先ほど夢見るルビーの力でその姿を見、あの声を聞いた。それが鈍く心に響いていたのだ。 「オルテガ殿なら今朝ここを発たれたぞ」 その時、階段の途中からそんな声がした。その主は鎧を纏った体格の良い黒髪の男。 「け……さ……?」 女は気落ちした様子で途切れ途切れに言葉を紡ぐと、その場に泣き崩れてしまった。 「イシスへ行くそうだ……もう少しお話しをしたかったのだが……」 「イシス?」 聞き返すリノの言葉に、困惑していた男はようやく注意をこちらへと向ける。 「ん? ああ、魔法の鍵を取りに行くとおっしゃっていた…………ところで失礼だが、あなた方は?」 そして彼は何かに感づいた様子で、4人の元へと歩いてきた。 「バラモスを倒す旅を……オルテガは父です」 「なんと……!」 「父は何か言ってましたか?」 それは何処か期待の見え隠れする声だった。 もしかすると、自分の身体の事で何か言っていたかも知れない、という淡い期待の。 「私も少しお話しただけだが……奥方様とあなたの事をとても心配しておられた」 「……そう、ですか」 そもそも旅に出た父が自分の事を知るわけが無い、それは分かっていたはずだった。 だが、声は心に従って落胆したような音を出す。 「今朝発たれたのですか?」 空気が重くなった中、それを振り払ったのはナギサだった。 「……確かに私は見送った。しかし、その記憶が曖昧なのだ……すまない」 「いえ、ありがとう」 どうやら彼は無意識に気が付いてはいるらしい――――自分が長い間、眠りに落ちていたという事を。 それから準備が出来たという宿の主人の声を合図に、4人は忘れていた食事を取ってからこの場を後にする。 「そういえば、オルテガ殿の子供はまだ小さいと聞いていたのだが……?」 男は不思議な表情のまま、リノの後ろ姿を見送るのであった。 「あ、リノさん」 「何だ?」 しばらくしてから食事が終わる。 ナギサは紅茶を飲んで何か考え事を、トラッドは誰に言われるでもなく後片付けと洗い物に勤しんでいた。 そしてのんびりしていたヤヨイは彼女を呼ぶと、ちょっと待ってて下さい、と言って奥の部屋へ入っていく。 すぐに戻ってくると、その手には昨日譲り受けた鋼の剣が握られていた。 「これは……」 「外に出て振ってみてもらっていいですか?」 「ああ……?」 戸惑いの表情を浮かべるリノに、彼女は笑顔で裏口へと案内する。 「ここなら大丈夫です」 少し歩いて辿り着いたのは人気の無い通り。剣を振るには十分な広さがある。 「あ、うん」 リノはとりあえず剣の柄を握って、鞘から引き抜こうとした。 「えっ……」 下ろし立ての鋼の剣のはずが、何故か手に吸い付くような感覚を受ける。まるで今まで愛用していた物のように。 それからゆっくりと構えて、白刃を中空へと走らせた。 「…………どうして」 リノは独り言のように疑問を口にする。本来、下ろし立ての武器というのは何もクセがない。 それは使っていく内に最も自分に適した形で馴染んでいくはず、とそう思っていた。 だが、今振るってみた感覚は――多少違いはあるが――かなり以前の剣に近い。 「ヤヨイ……何を?」 「折れた剣を参考にして、自分なりに手を加えてみたんです。違和感が残らないように、って」 そういえば、彼女の目が少し赤い。 おそらく剣を穴が開くほど見つめて、何度も握ってみて試行錯誤を繰り返したのだろう、それも夜遅くまで。 「うん……とても使いやすい」 「ホントですか? その……好きでやってる事だから、もし失敗してたらどうしようかと思ってました」 きっとヤヨイは武器をいじるのが本当に好きなのだ。それが更に相手に合えば、心の底から嬉しいに違いない。 そんな彼女の心に触れていると、昨日から抱え込んでいた重い心がふと軽くなったように感じる。 「おーい、そろそろ出発するか?」 ヤヨイの後ろより、2人を呼ぶ声がする――――トラッドだ。どうやら後片付けは済んだらしい。 「はーい。リノさん、出発だそうです」 彼女はそう告げて、彼の元へと走っていく。 「ああ、分かった」 リノは短く返事して剣を鞘へと戻し、ゆっくりと歩き出した。 次の目的地。それはかつて父が魔法の鍵を求めて訪れたという―――――イシス。 次の話へ
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