第26話 「一人静かに」


 その日の太陽は、雲に気兼ねする事無く大地を照らしていた。
 視線が捉える遥か遠くは、熱によって連なる山々が揺らめいている。
 余りに広大な砂の海、その上に刻まれるのは4つの足跡と影。

「……暑」
 方位磁石を片手に先頭を歩くトラッドは、額に浮かぶ汗を拭いながら弱い声でそう呟いた。
 目指すはこの砂漠にあるという国、イシス。
「…………まだ先は長そうだな」
 リノたちは陽射しにやられないように、身体と顔を灰色の布ですっぽりと覆っていた。約1名を除いて。
「ところで……ナギサ」
「何?」
「何で日傘なんだ?」
 彼女だけ布に身を包む事を嫌がり、真っ白なフリル付きの傘で太陽を避けていたのだ。
「え? だって私のこの美貌を隠すのってもったいないでしょ?」
「……真面目に聞いた俺が悪かったよ」
 頭の上にはトレードマークのウサギの耳が、歩くのに合わせる様に小さく揺れており、お馴染みの黒いコートは時折風になびいている。
 ちなみにその答えにヤヨイが感心しているのは言うまでも無い。

「あ、言うの忘れてた」
「どうした?」
 黙々と歩き続ける中、何かを思い出したかのようにトラッドは後ろにいる3人に話し掛ける。
 真っ先に聞き返したのはリノだった。
「地獄のハサミって知ってるか?」
「いや……?」
「緑色のカニみたいなヤツなんだけど……」
「カザーブで見た軍隊ガニのようなものか?」
「ああ、案外親戚かもな」
 確かかなり甲羅が硬く、剣が中々通らなかったのを思い出す。
「師匠、それがどうかしたんですか?」
「見かけたら逃げるぞ」
 返事をする彼から汗がぽたりと地面に落ちた。それは暑さのせいだけではないだろう。
「……そんなに硬いのか?」
 過去の経験からリノがそう推測すると、トラッドは真剣な面持ちで頷く。
「本当なら呪文で倒すのがいいんだけど……ナギサは1回しか使えないだろ?」
 かなり高度な呪文を使いこなす彼女だが、何故か1日1回しか使えない。
「あら、あれって……カニね」
「だから見かけたら逃――――え?」
 彼が振り向いた時には、すでにナギサはその場にいなかった。
(まさか…………!!)
 先に逃げ出した、というのも考えられる。が、果たして彼女がそう動くのだろうか。
 刹那、普段とは違った禍々しい馴染みの音が、立て続けに2度北西から響き渡る。
「え?」
 おそるおそるその方角を見ると、信じられない光景が繰り広げられていた。
「あら? どうかしたの?」
 そこに立っていたのはハリセンを構えたナギサと――――甲羅を叩き割られた地獄のハサミの死骸。
(……俺はいつもあんなので叩かれてるのか)
 瞬間、熱を帯びていた彼の体温は急激に下降していくのであった。

「ナギサ」
「なになに? リノちゃん?」
 普段、彼女から話し掛ける事が少ないせいか、呼ばれた本人は気分良く興味を示す。
「その……さっきの事なんだけど」
「さっき? …………あ、もしかしてカニ?」
「ああ」
 甲羅を叩き割るほどの破壊力。だが、いつも叩かれているはずのトラッドにはそれが適用されていない。
 リノは口にこそしなかったものの、初めて会った時からずっと疑問に思っていた。
「さすがに硬かったわね。2回も叩いたぐらいだし」
 硬くても2回で済む辺り、それはそれで恐ろしいのだが、彼女の求めていた答えとは違う。
「いや、そうじゃなく……どういう仕組みなのかと思って」
「…………ハリセン? どうって、別に普通だけど?」
 ナギサはそう言いながら、トラッドの頭を2、3回軽く叩く。何ともない所から確かに普通のハリセンだと分かった。
「……怖いから止めてくれ」
 しかし、いつもはただ単に頭をさするだけの彼だが、あの光景を見たせいか心底震えている。
「大丈夫よ。ま、その気になれば首の骨ぐらいは簡単に折れるけどね」
「……可愛く言うなっ」
 白くて細いナギサの腕。甲羅を叩き割るほどの力があるようにはとても見えない。
「んー……」
 彼女はハリセンを背中に戻すと、人差し指を顎に当てて考える素振りをする。
「リノちゃんにも関係無い話じゃないし、少しだけ説明するわね」
「説明?」
 あれは力技じゃないのか、と言いかけて口を噤んだ。
 もし言えば何をされるか分からない。それでも被害を受けるのはトラッドのような気がするが。
「一言で言うと"気"ね」
「気?」
 そんな彼女の考えを知る由もなく、ナギサは話す事をまとめるように間を置きながら喋り始めた。
「一流の戦士とか……主に武闘家が使ったりしてるんだけど、知らない?」
「何となく分かるけど……」
 具体的に、となると言葉が浮かばない。
「それでいいわよ。まぁ……敢えて言うならバイキルトみたいなものかしら?」
「……なるほど」
 原理は分からないが、効果は一緒だと言いたいのだろう。曖昧ではあるがリノは一応納得する。
「ちなみにどうやっているかまでは分からないわよ。私もいつの間にかって感じだから」
「身体が覚えてる……?」
「うん、そうね」
 出来の良い生徒を褒める様に、ナギサは嬉しそうに頷いて見せた。
「本当に何でも良く知ってるんだな……」
 身のこなし、呪文、知識、更に"気"。リノはただ素直に感心する。
「そうでもないわ…………ただ」
 いつもなら満面の笑みを浮かべていそうなのだが、今の彼女の顔には陰が帯びていた。
「……たまたま、そういう生き方をしてただけよ」
「……………………」
 それだけ言うと彼女は少し早足になって、先頭を歩き出す。その背中には誰の言葉も拒絶するような壁があった。
(ナギサ……?)
 それを黙って見ていたトラッドは、ふとロマリアで見た涙を思い出す。

 ――――私には、向いてないから

 何故、あの時の寝言が頭に浮かんだのかは分からないが、もしかすると自分が思っていた事とは違うのだろうか。
 考えてみると一緒に旅をする仲間の事をほとんど知らない。
 何だかんだ言っても、トラッドはこの3人が好きだった。だから少し寂しい気持ちになる。
(……人の事は言えないか)
 虚ろになろうとする心を振り払うように小さく首を振ると、彼は誰にも聞こえない様にため息をつくのであった。

 やがて夜が訪れ、あれほど暑かった昼とは打って変わってひんやりとした空気が砂漠を包み込んでいた。
 あれほど目障りに思えた太陽が、今は恋しくなってくる。
「……そろそろ休むか」
 誰も異論はない。慣れない気候にすっかり体力を奪われたまま無理をすれば、それはそのまま死に繋がるからだ。
「後どれくらいなんだ?」
「うーん……順調に行けば3日ぐらいだと思う」
 焦りが見えるリノの口調。だが、今のトラッドには気づく余裕がない。
「ナギサさん、元気ですね」
 不意にヤヨイがそう呟いた。3人がぐったりとしている中、彼女だけは素早く動いて、色々準備をしている。
(確かあれからも何匹か地獄のハサミを……)
 普通はそれほど遭遇するわけでもないのだが、今日に限って何故かやけに目がついた。
 その度にナギサはこの砂の上をいつもと変わらない速度で走って二撃、時には一撃で葬り去っていた。
 もしかするとその印象が強くて、記憶に残り過ぎているのかも知れない。
 トラッドの知っている戦い方とは違うが、結果的には同じ、いや時間的な事も考えるとそれ以上である。
「疲れてるわよ? でも、おなかは空いてるし……というわけで、はい」
「え?」
「食事はお願いね」
「………………」
 ここまでお膳立てされて、動かないわけにも行かない。
 トラッドは無理やり身体を起こして、早速袋から食材を取り出して準備し始める。
(でも……元気になったみたいだな)
 彼はふと昼間の様子を思い出して、小さく笑みを零す。あまりそういう顔をしないだけに、必要以上に心配してしまう。
「師匠、手伝いましょうか?」
 頭で考えながら手を動かしていた時、気づけば隣にいたヤヨイが声をかけてきたので、トラッドは驚いてじゃがいもを落とす。
「あ……いや、いいよ」
「でも、師匠も疲れてるみたいですから。何をすればいいですか?」
 今の出来事に笑顔を浮かべながら、断る彼を押しのけるようにして手伝いを始めた。
「えっと……じゃあ、これを」
「はい!」
「…………ホントにいい娘よね」
 客観的に見るとすっかり悪役なナギサは、側にいるリノへと呟く。しかし、その言葉に対して返事はない。
 気になって右隣を向くと、彼女は黒い瞳をわずかに揺らしながら、料理をする2人の様子を見つめていた。
「リノちゃん?」
「え……あ、何?」
 そこでようやく気づき、彼女は弾かれたように顔を上げる。
「ボーッとしちゃって……どうしたの?」
「その……て、手伝ったほうがいいかと思って」
「2人が気になるから?」
「…………気になるって?」
 リノの顔は戸惑いから純粋な疑問の色へと変わる。
 今まで旅をしてきて、彼女が嘘をつける性格ではない事は分かっている。
「……何故笑う」
 一向に返事はしないものの、ナギサは自然と楽しくてしょうがないという顔になっていた。
 理由が分からない彼女が再び問いかけると、急に視界が闇に覆われる。
「え」
「リノちゃんってば、相変わらず可愛いっ」
「だから急に抱……!?」
 どこにそんな力があるのか、振り解こうとしても彼女の腕の中でじたばたするのが精一杯だった。
 もしかするとこれも"気"の力なのか、と思ってしまう。
「…………本当に仲が良いんだな」
 食事の準備をしながら、横目で2人を見たトラッドはしみじみと微笑ましい表情でそう呟くのであった。


「あっ」
 それから歩く事3日。ヤヨイが遠くに何かを見つけて声を上げる。
 視線の先には緑と青が広大な砂の中にぽつんと広がっていた。
「……ようやく、か」
「あれが……イシス?」
 呟いたトラッドにリノが問いかけると、彼は笑顔で頷く。
 雨も降らない砂漠を歩き続け、4人とも疲れていたはずなのだが、曖昧だった目的地がはっきりと見えた喜びからか足が自然と早くなっていった。
 陽が沈みかける頃、今まで素っ気なかった空気は、少しずつ親しみが持てるものへと移り変わっていく。
 一歩、また一歩と踏み出していった時、急に足元の感触が砂の粒とは違う柔らかさになった。
「じゃあ、宿に行こうか」
 眼前に広がるオアシスの側に広がる町の姿。4人は軽くなった足取りでそこへと向かう。
 気づいた時には辺りは夜で、小さくも力強い数々の灯りが町の中を照らしていた。
「宿は……と、あった」
 程なくして目的の場所が見つかる。一番に中へ入ったトラッドが手続きを済ませると、ゆっくりとした歩調で部屋へと向かった。

「先にお風呂入ってきていい?」
「ん、ああ」
 部屋のドアを開けて早速浴槽を見つけたナギサがトラッドに告げる。
「俺も入るかな……どうした?」
 そして彼女とヤヨイが部屋へ入った後、彼が横を見るとリノは困った顔をしていた。
「え、えっと……ちょっと散歩してくる」
「散歩? じゃあ、付き合おうか?」
「あ、いや、先に風呂に入っててくれ」
「……そうか。無理はしないようにな」
 今まで旅をしてきて、あまり見た事のない彼女の表情に疑問を抱きながらも、彼は素直にその言葉に従った。

「…………ふぅ」
 砂漠の夜は寒かったのだが、町の中は建物に緑があるせいか吹く風は心地よく身体をすり抜けていく。
(でも、本当に気づいてないんだな……)
 思い出すのはトラッドの事。アリアハンを出た時からずっと一緒にいる彼。
 宿では同じ部屋に泊まり、ノアニールでは抱きかかえられたりしたが、それでも全く気づく様子はない。
 ナギサが何故か楽しそうにごまかしているというのもあるだろうが。
 リノはふと自分の身体を手でなぞる。ナギサ、そして自分より年下のヤヨイよりも、女っぽさはほとんどない。
 更に中には鎖かたびらを付けている。その硬い感触も気づかれていない理由の一つだろう。
(……どうしたんだろ)
 昔は特に隠していたわけではない。隠すように意識し出したのは最近である。
 そもそもナギサに言われるまでは女という自覚も薄かった。
 考え事から我に返ると、そこは井戸の側だった。
 周りは水に囲まれており、リノは両の手で冷たいそれをわずかにすくって顔を洗う。
 こびりついていた砂が、水気を帯びて地面へと落ちていった。
「……………………」
 水面が落ち着きを取り戻し、彼女の顔を月と共にくっきり映していた。
(普段はあれだけ鋭いのに)
 自分の事にはまるで気づかない――その時、ぽつりと雫が落ちてそこから波紋が広がり、水に映る彼女の顔が歪む。
「あれ……?」
 手袋を取って、リノは顔を拭った。
「どうして……」
 理由を考えつつ、必死にそれを止めようとするが、彼女の黒い瞳からは涙が次々と落ちていく。


 リノは自分の知らない感情が静かになるまで、その場にうずくまったままになるのであった。




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