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「よう、起きたか?」 少し固いベッドの上。 わずかに目を開けて、身体を起こそうとした時に聞こえてきたのは、一日の始まりに聞く事が多いトラッドの声だった。 「う……ん」 まだ意識が朦朧とする中、目をこすりながらリノは小さく首を縦に振る。 「……眠れなかったのか?」 「え?」 ふと気がつくと、声はすぐ近くから耳へと入り込んできた。 「いや、目が少し赤いから……それに昨日帰って来るのが遅かったし」 「……考え事」 彼女は距離を取りながらそう言って、すぐに自分の失言に気づく。 「何かあるんだったら――」 「別に大した事じゃ……!」 例えそんな気は無くても彼を心配させてしまう、それが予想通りだったのでリノは慌ててごまかした。 「そうか。なら、いいんだけど」 「うん……準備するから先に行っててくれ」 当然、まだ腑に落ちない表情のままの彼は、言われるがままに部屋を出る。 「……ごめん」 リノの謝罪の言葉は、言うべき相手には届かないまま、空気の中へ消え去るのであった。 「おはよー」 「おはようございます!」 食堂へ向かうと、真っ先に元気な挨拶が2つ響く。ナギサとヤヨイである。 「……おはよう」 「で、リノちゃんは何にする?」 「え? あ……えっと」 間髪入れずにメニューが手渡されたが、唐突過ぎてリノは字が目に入らない。 「リノさん、これとか美味しそうですよ」 「あら、これも悪く無さそうね」 次々と畳み掛けるように話し掛けてくる2人。正面の席ではトラッドの引きつった笑みが見えた。 「あの……ゆっくり考えさせて欲しいんだけど……」 ただでさえ、昨夜より困惑していた心がより一層落ち着かなくなる。 リノが言葉の隙間を縫う様にそれだけ言うと、2人は急に静かになって罰の悪そうな顔になった。 「……やり過ぎ」 急に静観していたトラッドがぼそりと呟いた。 「何の事だ?」 「え? いや……こっちの話だ」 誰にも聞こえない様に言ったつもりだったのか、彼はわずかに身を固くして、やはり小さな声でそう返事した。 (……2人に話したのが間違えだったか?) 今度は口に出ないように注意しながら、トラッドはふとそう考える。 実はリノが食堂に来る前に、元気が無い、と2人に相談していたのだが、 (任せろ、って言うからどうするのかと思えば……) どうやら悩む暇が無いくらいに、話しかけ続けようとしたようだった。 「……じゃあ、これにする」 考え込んでいると、リノは食べる物が決まったらしくちょうど側を通った店の人に注文する。 事態は変わらない、それどころか悪化した様にも感じた彼は、人知れずため息をついた。 「まずは城……だな」 その後、いつもより大人しい朝食の時間が流れる。 全員の意向を確かめるように言ったトラッドは、一足先に食べ終えて水をゆっくりと飲んでいる所であった。 「魔法の鍵?」 「ああ」 リノの口から出た言葉は、ここへ来た目的の道具。彼は普段どおりの感じで頷いた。 「……本当にそれだけ?」 それをどう受け取ったのか、同じく食べ終えていたナギサが意味ありげな口調で問い詰める。 「…………そうだけど?」 当然、トラッドにはその口調が何を意味しているのか分からず、悪い予感だけをよぎらせながらそう返事をした。 ある意味緊迫した空気の中、いつもと変わらない様子で口を開いたのはヤヨイだった。 「そういえば、イシスの女王様ってとても綺麗なんでしたっけ?」 彼はそこでようやく全てを理解する。 「……ナギサ」 「何? 違うの?」 「違う!」 「まぁ……本物を目にしたらどうなるかしらねぇ?」 「……別に何ともないと思うけどな」 はっきり否定したはずなのに、彼の胸には何故か敗北感が漂っていた。 「楽しみにしてるわよ」 ナギサの相変わらず軽い一言。 どう表現して良いのか分からない心を内に秘め、彼はそれを忘れるように水を飲み干した。 「……そろそろ行こう」 その会話を黙々と食事しながら聞いていたリノは、やや不機嫌そうにそれだけ言って席を立つのであった。 「それにしても……」 宿を出て、北に見える大きな城を目指す4人。 トラッドはここ数日、容赦なく襲い掛かってくる陽射しの強さにうんざりした様子で言葉を続けた。 「これだけ暑いのによく平気でいられるな」 それはイシスに住む人々を指していた。 「でも、砂漠の中より全然涼しいと思いますよ?」 「それはそうなんだけど」 実際、ヤヨイの言う通りである。 この国は巨大なオアシスのほとりにあった。その澄んだ水気が風に乗って町中に吹いている為、そう感じるのかもしれない。 「暑いのは苦手なのか?」 ヤヨイと同じく、不思議そうな表情でリノが問いかけてくる。 「……どちらかというと」 「単なる修行不足じゃない?」 しかし、そんな意見はナギサの前で通じるわけがない。 そしてそう言い放った本人は、至って平然とした顔を浮かべている。 「修行でどうにかなるものか?」 「気の持ちようね」 「………………」 頭では確かに否定している。 だが、ここにその"気の持ちよう"とやらで地獄のハサミの殻を叩き割る彼女が存在しているという事実がある。 どうあっても納得せざるを得ない、そう思ってしまうと彼は文句を言うのが情けなく感じた。 「……まぁ、死ぬ事はないか」 「そうそう、その調子」 3人の会話を眺めながら、リノは静かに一番後ろを歩いている。疑問符を浮かべたままで。 (ナギサ、何も言ってこないな) 今朝、トラッドに指摘された事。彼女ならすぐに気付いて声をかけてきそうなものである。 いつもより口数は多いが、話す言葉は全く関係のない事ばかり。 (……トラッドが何か言ったのか?) そういえば、朝食の席で彼は独り言のように何かを呟いていた。 (やっぱり……心配かけてるのかな) 辿り着いた答え。それが正しいのかどうかは分からない。 例え聞いてみた所で、そう答えるわけがない。 (でも……) 申し訳ない、と思いながらも一方ではその気遣いに感謝している自分がいる。 (……今は……まだ考えない) 彼女は足に感じる重りのような物を振り払うかのように、力強く歩き出すのであった。 街を北の門から出ると、少し離れた所に城が見えた。イシス城である。 砂漠の中にある豊かな緑の絨毯の上を、大きく広がるオアシスを右に感じながら4人は歩いた。 入口に立つ2人の男に軽く挨拶をすると、彼らは微笑みながら挨拶を返す。 その事から、この国にとって城というのはあまり敷居が高くないのだと、漠然と思う。 彼らに勧められるまま北へと歩を進めると、4つ足の不可思議な石像が並ぶ先に城門があった。 心なしか歩調を緩めて、4人は城内へと足を踏み入れる。 中はアリアハンやロマリアに比べて、簡単な造りになっていた。 派手ではないが、深い色合いの絨毯。特に装飾も施されていない質素な壁。 ナギサだけは少し拍子抜けした表情だったものの、4人は前方の階段を目指して歩く。 そして女王がいると思われる2階へと上がると、外で感じた緑の香りが急に強くなった。 「……へぇ」 思わずトラッドは感心したような声を上げる。 「城の中とは思えないですね」 続いて、目一杯身体を伸ばしながらヤヨイがそう呟いた。 そこには堅苦しい雰囲気が微塵もなく、心がとても落ち着くのが分かった。 「まるで公園みたいね」 解放的な姿で流れる時間を楽しむ女性たち、無邪気に遊びまわる子供たちの声。 それらを聞きながら、ナギサはそう言った。彼女にとっても居心地が良いらしい。 「…………女王様?」 「ようこそ、いらっしゃいました」 リノは一人、庭のような部屋の奥――――玉座に座る女性を見ていた。 3人はかけられた声でようやく気付いた風になると、慌ててその場で膝を着く。 「お立ちになって下さいませ。そのような堅苦しい振る舞いは必要ございませんから」 「……じゃあ、遠慮なく」 真っ先に立ち上がったのはナギサ。それから更に言葉を続けようとしたのだが、不意を突かれた様に動きが止まる。 「ナギサ?」 「……え?」 彼女の思考は一瞬停止していたらしく、トラッドの声に気がつくものの返事すら出来ない。 「皆様も……どうかお顔を上げて下さいませ」 そのやり取りにも動じない女王は、まだ顔を下に向けている彼とヤヨイにもそう告げる。 「……それでは」 まだ緊張は抜けきっていないが、彼は恐る恐る顔を上げた。 (…………なるほどな) 前にいるのは玉座を下りて、こちらへと歩み寄ってくるイシスの女王の姿。 窓から吹く風になびく艶やかな黒髪。身に纏うのは何一つ飾りのない白い服。 決して肌が過剰に露出されているわけでもないのだが、透き通るような肌はただそれだけで魅力的であった。 奇妙な形をした王冠のような物を被っているのだが、それが彼女をより神秘的に見せている。 その姿もそうなのだが、何よりも内から滲み出る空気が美しかった。 (ナギサが見惚れるのも無理はないな) そう思う彼も、今でこそ冷静にそう考えているが、さっきは頭が真っ白になっていた。 ふと隣を見ると、ヤヨイはまだ夢見がちな瞳で彼女を見つめている。 「アリアハンより参りましたリノと申します……お聞きしたい事が」 そんな空気の中、彼女はいつもの表情でそう口を開いた。 「魔法の鍵……ですね?」 一切の陰を感じさせない優しい笑みで女王はそう問い返す。リノは短く、はい、とだけ答えた。 「このイシスより北にあるピラミッド……そこに保管されています」 「え? 父、いやオルテガは……その、お借りしていないのですか?」 ノアニールでオルテガは魔法の鍵を求めて、この砂漠へと向かったと聞いていた。 「確かに……あの方はここへ来られました。ですが、必要なかったのです」 「……え?」 「ロマリアより西にあるポルトガは……今でこそ厳重な扉がありますが、昔は門番が1人いただけでした。ですので、私は彼がそこを通れるよう紹介状を書いてお渡し致しました」 そこで、ふとトラッドが何かを思いついた顔になり、口を開く。 「今は何故扉があるんですか?」 「……魔物が増えたからです」 その時、初めて戸惑いと絶望の陰りが彼女の顔に見えた。彼はその表情から憶測ではあるが原因に思い当たる。 (オルテガさんが死んだから……?) つまりその絶望と恐怖から逃れる為、ロマリアもポルトガも自分の身を守るように鍵を掛けたのだ、と。 きっと動揺の余り、そうするしか方法が思いつかなかったのだろう。 「……では、ピラミッドに行けば……」 「ええ。何者かが盗み出していない限り、魔法の鍵があるはずです」 「お借りしてもよろしいのですか?」 リノの問いかけに女王は微笑みながら頷いた。 「そうと決まれば早速準備ですね!」 知らぬ間に夢から醒めていたヤヨイは、元気にそう言った。 いつもの空気の欠片が感じられると、やはり多少緊張していたトラッドとナギサにも自然な笑顔が戻ってくる。 「女王様、ありがとうございました!」 目的地が決まったせいか、身体を動かさずにいられない様子のヤヨイは、深く一礼をするとすぐにその場を後にする。 「そんなに慌てなくても……」 そう呟く彼は一礼をしてからすぐ後を追った。ナギサもそれに倣って、さっき昇ってきた会談へと足を進める。 リノも立ち上がろうとした、その時であった。 「リノ様」 「はい……?」 急に女王に呼び止められたので、再び緊張がその身を包み込む。 「先ほどから目を合わせて頂けないのは何故ですか?」 「…………!」 驚きで大きく開かれた黒い瞳が彼女の姿を映すが、やはりリノはすぐに視線を逸らしてしまう。 「私の事が……怖いのですか?」 「そ、そういうわけでは……!」 それは咄嗟に出た嘘であった。確かに自分は彼女に怯えている――――理由も分からずに。 武器も持っていない、周りに殺気立った兵士がいるわけでもない。 もしそうだとしても、それでリノが恐怖を覚える理由にはならないだろう。 「あなたは……何を恐れているのですか?」 「………………」 返す言葉が見つからない。しかしじっと見つめられて、何となくこの感情が生まれる理由が分かった気もした。 (見られるのが怖い……?) 姿ではなく心。自分の知られたくない闇の部分が見透かされているような感覚。 「リノ様は……とても美しい心を持っていると思います。それはあなたがオルテガ様の娘、という理由ではなく、あなた自身を見てそう……感じました」 「そんな事……ありません」 首を小さく横に振って彼女は否定するが、その声は余りに弱かった。 「私はリノ様の事をよく存じません。ですが、心配なのです…………心が、死んでしまうのではないかと」 心が――――死ぬ? リノにはその言葉の意味が理解できない。しかし、不安と違和感だけは大きく膨れ上がっていく。 そして分からないなりにも、背筋が凍りつくような恐怖だけはその身の中にあった。 (私の心……?) 不意に両手が何かに包み込まれる。それは自分よりも小さい女王の手。 「っ!? ……あ……すいませ……ん」 リノは反射的にその手を振り払ってしまい、ふと我に返って謝ろうとする。 「……気になさらないで下さい。こちらこそ変な事を言ってしまってごめんなさい」 それを遮るようにして謝る彼女だったが、黒く穏やかな瞳は微かに揺れていた。 「…………失礼します」 リノは鈍い痛みを感じながらも、何とかそれだけ言ってから部屋を後にするのであった。 「何か話していたのか?」 下へ降りると、中々帰って来ないリノを待っていたトラッドがいた。 「ピラミッドの事で少し……ヤヨイは?」 まだ痛みの残る心は、徐々にそれを大きくさせていく。それを悟らせないように彼女は話題を変えた。 「もう先に行ったけど……ナギサが一緒だから大丈夫だろ」 不自然な間があった後に、そうか、とリノは短く答える。 トラッドは一瞬真剣な表情になるが、すぐに何事もなかったかのような顔になった。 「じゃあ、行くか」 何でもない言葉。だが、それに答えようとしてももう声が出せず、リノは首を縦に振る。 それから2人に合流して、ピラミッドへ行く準備をしている間――――彼女は一言も喋る事はなかった。 次の話へ
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