第28話 「数多の罠」


 イシスを出ると、途端に日差しが強くなったように感じた。
 その証拠に、暑さに弱いトラッドの顔からは汗がとめどなく流れ落ちている。
 更に、相変わらず広がる一面の砂は、彼の気力を削ぐには十分過ぎるほどであった。
「……やっぱりあそこは涼しかったんだな」
「だから言ったじゃない。まぁ、それも気の持ちようでどうにかしたら?」
「…………努力する」
 相変わらず日傘を掲げながら歩くナギサは、それを実践しているかのように平然と歩いていた。
(あの域まで辿り着くには、何をしろと?)
 トラッドはふと彼女の事を考える。
(……そういえば、どんな生き方だったんだろうな)
 刹那、脳裏にイシスへ着く前のナギサの言葉が蘇ってきた。

 ――――たまたま、そういう生き方をしてただけよ

 その意味は、当然彼女にしか分からない。そして想像する事すら容易でなかった。
 ただ、言葉に込められた決して明るくはない感情。それだけは理解出来る。
(いつか分かるのか? でも……)
 それを知った時、知られた彼女は一体どんな気持ちを抱くのだろうか。
 あの綺麗な顔と眩しい笑顔は、どんな風に歪むのだろうか。
(その時……何か力になれるのか?)
 振り回される事は多かった、むしろそれが旅の大半を占めているような気がしないでもない。
 だが、それ以上に助けられていた。振り回された事など全て忘れてしまえる程に。
 だから――――心配になる。そして、その時自分はどう感じているのか不安にもなる。
「トラッド、逃げないの?」
「え?」
「体力は温存しておかないとね」
 不意を突かれて耳に届いたナギサの声で現実へと戻る。
 ふと前を見ると、遠くとも近くとも言えない曖昧な距離に地獄のハサミの姿が視界に入ってきた。
「そう……だな」
 ナギサを除く3人は砂に足を取られながらも、一斉にその場を離れる。
 幸い地獄のハサミは足が遅い為、逃げるのはあまり苦ではなかった。
 そのおかげで、それほど長く走らずに4人は逃げる事が出来たのだった。

「凄い……ですね」
「どうやって作ったのかしら」
「………………」
 ヤヨイとナギサは驚きを隠す事が出来ずにいた。ピラミッドのあまりの巨大さに。
「気を引き締めないとな……ところでリノ」
「……何?」
 この建造物を包む異様な空気。それを肌で感じたトラッドは、呆然となっていた心を切り替える。
 そして、ここに来るまで相変わらず一言も喋らなかった彼女を呼んだ。
「えっと……大丈夫、か?」
「別にいつも通りだけど」
「そうか……」
 どうひいき目に見ても、普段と同じ様には見えない。
 しかし、彼女にそう言われてしまうと、何もかけれる言葉は見つからなかった。
(リノの事も気をつけないとな……)
 今朝から―――もしかすると昨夜からかもしれないが―――彼女はずっと考え込んでいる。
 辿り着く途中、何度かモンスターに遭遇したが、その時も反応がいつもよりも鈍かった。
 おそらく他の2人も同じ様に感じているのか、心配そうな表情が見え隠れしている。
 だが、当の本人はその事に気付いていない。いや、気付く事すら出来ないようだ。
「……行かないのか?」
 リノが抑揚なく呟くと、3人は一度視線を交わしてから頷き、まるで地面の感触を確かめるかのように歩みを始めた。

 入口には扉も何も無く、道は一直線に奥へと続いている。
 一見すると特に変わった所は無い。だが、トラッドは真剣な表情で通路を睨んでいた。
「……とりあえず歩くか」
 近くに罠の気配は感じられないので、一向は彼を先頭にゆっくりと歩を進める。
「でも、随分昔からあるみたいですね……」
 ヤヨイが側の壁を軽く触れると、砂のようになって音もなく崩れ落ちた。
 しばらくすると正面に十字路が視界に入ってくる。
「………………」
 その分かれた道はトラッドにはどう映ったのか、彼は入口で見せた真剣な顔になった。
 少しだけ考えた後、足にこつんと当たった石ころを拾って無造作に投げつけた。
 刹那、何も無かった床にぽっかりと落とし穴が開く。
「やっぱりか」
 それから彼は何事も無かったように歩き始めた。
 続いてリノとナギサも歩き出すのだが、ヤヨイだけが呆気に取られている。
「師匠、どうして分かったんですか?」
「え? ……何となく」
 再び閉じて元通りになった床は、彼女が見る限り何処もおかしな所はない。
「トラッドって妙に鋭いのよねぇ……」
 そのやり取りに気づいたナギサは、今までの事を思い出しながらそう呟いた。
「そうか?」
「未来でも見えてるように思う時だってあるし」
「……ありがとう」
 彼にしてみれば、ナギサがそんな風に褒めるのは胸騒ぎの元でしかない。
 これ以上、余計な波風を立てないように彼は照れた笑みでそう返していた。
(まぁ、鈍い時は本当に鈍いんだけど)
 ちなみに彼女はこの時、密かに苦笑いを浮かべていたのであった。

 それからもトラッドは大活躍であった。
 落とし穴や矢が飛んでくる罠から、宝箱に化けたモンスターまでも見破り、それらをことごとく解除していく。
 更にモンスターの気配にもすぐ気付くので、不意を突かれる事なくそれらを退けていた。
 その度にヤヨイは驚き、ナギサも珍しく感心しながら歩いていた。
「今日は気合が違うわね?」
「何が?」
「べっつにー」
 彼にとっても今日がいつもと違うようには感じている。だが、ナギサが意味ありげにそう言う理由が分からない。
 確かにこの変わりようは奇妙に見えるのかもしれないが、それほど驚く事でもないように思っていた。
(それほど心配してるのかしらね……リノちゃんの事)
 一方彼女はというと、リノの事をいつもより気にかけているから、と考えていた。
 普段から鋭いのは確かだが、それよりもトラッドがリノを気にしている、というのが形になって現れている様に思える。
(それで何で気付かないかなぁ……)
 本当は気付いている、という可能性を考えた事もあったが、彼の性格でとても隠せるとは思えないし、今までの行動を見ていてもそう見えない。
 だが、その時もう一つの考えがナギサの頭に浮かぶ。
(あんまりそういう事を意識する環境にいなかったのかしら?)
 周りには男の友達しかいない、もしくは男勝りな女の子しかいなかったという事である。
 我ながらかなり強引な考えだと思いながら。
(……真相は分からないんだけど)
 全ては憶測に過ぎない――――そう思った途端、彼女は思考を止めた。
 気になるとは言っても、それを聞きだそうという気にはとてもなれない。
「階段か……上がってみるか?」
「……そうね」
 わずかに残っていた知りたいと思う気持ちは、結局彼の一声ですっかり消え去ってしまうのであった。

「あれ……?」
 そして上の階に足を踏み入れた直後、ヤヨイが何かに反応して疑問の声を上げる。
「扉、か……?」
 次に気が付いたトラッドも訝しげな表情であった。
 階段を上がって、すぐ目についたのは――――真っ直ぐに延びる通路の先にある石の扉らしきもの。
 彼は遠目からでは分からないと判断したのか、罠に注意しながら近づいていく。
 そして、何事もなく問題の扉の前に立って、ざっと全体を眺めてみた。
「鍵穴らしき物は……ないな」
「スイッチも……見つからないわね」
 トラッドとナギサが目を細めて、くまなく扉を見つめてみたが、まるで石の壁といった感じで何も変わった所は無い。
「あ、もしかしたら横とか縦に動いたりしないでしょうか?」
 思いついたヤヨイはすぐに駆け寄って、小さな身体で精一杯動かそうと試みるが、扉はびくともしなかった。
「……となると」
 しばらく考え込んだ彼は、また階段の辺りまで戻ろうとする。
 そこで、さっきは目の前の扉に気をとられて見逃していた2つの横道を発見した。
「…………」
 彼の脳裏を掠める不安。しかし、他に何も考えつかないという気持ちがそれを強引に払い除けて足を踏み出させる。
 4人は階段を上がった所から見て右側――――つまり東の方角にある道を選んだ。
 そして、進んだ先には更に分かれ道があった。
「こっちはまた2つに分かれてるわね……」
 独り言のように呟いたナギサが指差したのは右側、方角にすると南である。その先は彼女の言う通り、人一人分ぐらいの狭い通路が2つあった。
「……罠は?」
 今まで静かだったリノがトラッドに問いかける。
 その事に彼は少しだけ安堵するが、今はそれどころではないので、罠の気配を探る事に専念した。
「何もない……はず」
 ここに来るまで幾つもの罠を見破ってはいるが、どれも自信があったわけではない。
 むしろ全て感覚、という限りなく曖昧なものでしかなかった。
 しかし、リノは何の躊躇いもなく歩き出す。それだけ彼の不確かな感覚を信じているように見えた。
「……ボタンが2つある」
 幸い、魔物も潜んでおらず、罠もなかったようだ。彼女は平然とその先で見つけた物を3人に告げた。
「おそらく……これが仕掛けだな」
「押して……みますか?」
 そう言いながら一歩前へ出るヤヨイだが、トラッドは無言でそれを制した。
(……仕掛け、か)
 その時、遠い昔誰かに聞いた言葉を思い出した。それは今、自分が最も憎んでいるあの盗賊だった気がする。


「そういや小僧、ピラミッドって知ってるか?」
「えっと……イシスにあるお墓だっけ?」
「ほう、さすがだな」
「それが何?」
「お前ももしかしたら行く事になるのかも知れねぇな……」
「……どういうこと?」
「まぁ、じきにわかるだろ。で、そのピラミッドなんだが……」
「うん」
「何でもガキの歌に、秘密が隠されてるって話だ」
「……いつも役に立ちそうにない事だけ教えてくれるんだね」
「相変わらず可愛くねぇなぁ……」


 今でこそ憎しみしか覚えない彼だが、嫌いではなかった時期もあった。
 その事がより一層暗い感情を、心の中で息づかせている。
「トラッド、大丈夫か?」
「え?」
 自然と声がする方へ振り向くと、心配そうな表情のリノがいた。
「その……顔色が悪かったから」
「いや、何でもない……ちょっと昔の事を思い出してたから」
「昔の、こと?」
 すぐに聞き返されて、彼は自分の言葉に後悔する。しかし、それを無理やり押し込めると、こう一言呟いた。
「ピラミッドの仕掛けを解く鍵は、歌にあるって聞いた事がある」
「うた?」
 突拍子も無い言葉にナギサは思わず問い返していた。
「……あ」
 だが、それ以上何も言おうとしないトラッドよりも先にヤヨイが小さく声を上げた。
「もしかして……童歌の事ですか?」
「……それだ」
 砂漠の中にあるとは思えない、豊かな緑に包まれた女王の部屋。
 そこで遊びまわっていた子供の声は、記憶が正しければそれは歌だったはずだ。
「で、肝心の内容は?」
 ナギサの言う事は最もだった。例え鍵穴が見つかったとしても、それに合う鍵がなければ扉は開かない。
「メロディーは何となく覚えてるんだけど……」
「……また戻らなきゃいけないの?」
 ここはピラミッドの奥。それをまたイシスまで戻るのは、かなりの労力を要する。
 彼女はそれを考えてか、うんざりとした口調でそう尋ねてきた。
 重くなりかけた空気を救ったのは、ヤヨイの思わぬ一言であった。
「あの……私、覚えてますけど」
「え?」
「あ、でもメロディーまでは……」
「いや、詩が分かればいいから」
「それじゃあ……」
 軽く咳払いをし、頬を2度ほど叩いてから、大きく深呼吸。よく見ると、彼女は照れているようだった。
 言葉を復唱するだけで何故こんなに緊張をしているのだろうか、とトラッドは思っていたが、その疑問は即座に解消される。
「……私なりに歌います」
『え?』
 3人がほぼ同時に訝しげな声を上げるが、彼女は全く気にせずに歌いだした。
 それは下手というわけでも、上手いというわけでもない。
 だが、そのメロディーは彼の頭に残っている物とはまるで違っており、この辺りでは耳慣れないものでもあった。
 どうやらリノとナギサも同じ感想らしく、決して不快なわけではないのだが複雑な表情になっている。
 それからしばらくして、奇妙な歌は終わりを告げた。
「……こんな詩だったと思います」
「あ、ああ……ありがとう」
 感想を聞かれたらどうしよう、と迷っていた彼は胸を撫で下ろしながら、引きつった笑みでそう答える。
「で、どう?」
「え? ああ、そうだな……」
 確かに詩は分かった。そして抜け落ちたわけでもなく、しっかりと記憶している。
 にも関わらず、トラッドの頭は真っ白だったのだが、ナギサの声によってようやく現実へと戻って来る事が出来た。
 ヤヨイの歌がぐるぐる回っている中で、彼はその内容を心中で復唱し始める。

 まんまるボタンはふしぎなボタン。
 まんまるボタンで扉が開く。

(ボタンは……これの事だよな)
 というより、そうあって欲しいという希望の方が強かった。
 何故なら、またこの広いピラミッドの中でボタンを探すのは困難だからである。
(で、続きは……)

 東の西から、西の東へ。
 西の西から、東の東。

(こっちが東だから……その西?)
 しかし、その疑問はすぐに解消された。トラッドは南の、右側の狭い通路へと向かう。
 おそらくはそこが東の西を意味しているのだと信じて。
 目の前の壁にあるボタンを、緊張に震える指先でそっと押した。かちりという音がした後、何も変化は無い。
「…………多分、大丈夫なはず」
 彼はまるで自分に言い聞かせるようにそう呟くと、再び来た道を戻り始めた。
「なるほどね」
 どうやら、ナギサも詩に込められた意味に気が付いたらしく、彼の後に続いて歩き出すのであった。

 階段より西側の通路には先ほどと全く同じ造りになっており、その事がトラッドの考えをより確かなものへと導いていく。
 そう思うと、先ほどまでの不安は小さくなり、彼の仕草には迷いが無くなっていった。
 そして最後のボタンを押した時――――ピラミッド全体が揺れている様な大きな音が鳴り響く。
 4人が石の扉のあった場所へ行くと、そこはまるで最初から何も無かったかのように道があった。
 奥にあったのは何の変哲も無い宝箱。
「さすがに罠も無いか……」
 彼は一応確認をしながら、緊張した手つきでそれを開けると、銀の装飾が施された一本の鍵が入っていた。
「これが魔法の鍵……ね」
 一見すると、少し凝っただけの普通の鍵に見えなくもない。
 だが、ナギサはそれの纏う魔力を感じ取って、確信めいた口調でそう呟く。
「……やっと見つけたな」
「師匠、お疲れ様です!」
 今日、いつも以上に頑張っていた彼を労うヤヨイ。それを受けてトラッドは束の間の休息、とばかりに壁にもたれかかった時だった。
「ところで、トラッドはいつ歌ってくれるの?」
 ナギサの口からこの言葉が出たのは。
「……え?」
 頬を伝う冷たい汗。だが、そんな事はお構い無しに彼女の言葉は続く。
「だって、メロディーは覚えてるんでしょ?」
「確かに言ったけど……」
「あ、私も聴きたいです」
 必死に断る彼に対して、ナギサとヤヨイは何としてでも歌わせようとして、次々と話し掛けてくる。
(全く……)
 ピラミッドの奥深く。いくら目的を達成したといっても余りに緊張感の無い3人に、リノは人知れずため息をついた。
 だが、いつの間にか自分の心が軽くなっていた事に気付いて、ふとこう思う。
(…………嫌いじゃない、けど)
 誰にも気付かれないよう、少しだけ苦笑いを浮かべながら。

 ちなみに彼が嫌々歌いだしたのは、イシスに辿り着く直前。それをナギサは楽しげに何度も真似ては肩を震わせて笑うのであった。



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