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夜の帳が落ちた頃、4人は宿屋へと帰ってきた。 「……疲れたわね」 「ああ……」 そう呟いたのはトラッドとナギサだけであったが、他の2人も疲労の色を隠す事は出来ない。 珍しく夕食すら取る気力もなく、どうしようかと迷っていたぐらいである。 「リノ様でしょうか?」 宿の扉を開けて、真っ直ぐに自分たちが泊まる部屋へ向かおうとした時だった。 目の前にいたのは、砂漠とよく似た色をした胸当てと鈍い鉄の色をした兜を装備した一人の男。 背筋を伸ばし、直立不動で姿勢良く立つ姿は、明らかにこの場にそぐわないものであった。 「あ、はい。そうですけど……?」 呼ばれた彼女には見覚えが無い。当然、イシスに知り合いがいる訳でも無い。 「女王様の命により参りました」 「え?」 その言葉で多少納得するリノだったが、それでもわざわざ宿屋に兵士を待たせて呼ぶ理由が分からない。 彼女の口から自然と疑問の声が洩れると、男は申し訳無さそうな表情でこう言った。 「お疲れとは思いますが……是非いらして欲しいとの事です」 「今すぐ……ですか?」 「勿論、夕食の後でも結構だそうですので……では」 何故、と問いかける暇も無く、女王の使いと名乗る男は、深々と礼をして立ち去ってしまった。 「………………」 「……何だろうな」 呆然となる4人。一番先に我に返ったトラッドがそう呟くが、やはり身に覚えは無い。 「とりあえず私は休もうかしら……ふぁ――――」 「あ、申し訳ございません、お伝え忘れた事が……魔法の鍵も持ってきて頂きたいそうです」 ナギサは口元まで出掛かっていた欠伸を無理やり押し込めて咳払いをする。 そして恨みがましい目で男を見るのだが、幸いにも気付かれていないようだ。 「……分かりました」 今度は聞き返す事も無く、リノは多少の間があってからはっきりと答える。 すると彼は返事があった事に安心したのか、先ほどよりもにこやかな表情でこの場を後にした。 再び沈黙が流れる中、それを破ったのは比較的元気なヤヨイ。 「……とりあえず、夕食にしましょうか?」 ああ言われた後では、女王の前で空腹を見せるわけにはいかない。 そう感じた4人は、多少渋々といった様子で食堂へと向かうのであった。 普段より少な目の食事を終えた頃だった。彼は今思い出したように、唐突に口を開いた。 「風呂に入ったほうが良くないか?」 「え……あ」 リノはそれが自分に向けられた言葉だとすぐに察する。 「女王様に会うんだし、砂まみれのままじゃまずいだろ?」 「そう……だな」 つまりそれは、彼が近くにいるすぐ側で入るという事である。 (……えっと) 今は自分でも理由が分からずに女という事を隠している。いくら鈍い彼でも、そうなれば間違いなく気付くだろう。 そう思った彼女の顔色は真っ青であったが、それとは裏腹に体温が上昇していた。 「リノ?」 「………………」 彼女の様子がおかしい事に気付き、彼は心配そうに声をかけてくる。 自分が原因だとは夢にも思わずに。 「そういえば、トラッド」 「ん?」 そこで、声を上げたのはナギサであった。その事にリノは少しだけ安堵する。 「明日には出発するんでしょ? だったら、今の内に準備しておいた方が良いと思うんだけど・・・」 「……それもそうか。じゃあ、今から行って来る」 彼の声には疲れが滲み出ていたが、最もな意見だと思ったのか素直に同意した。 「あ、師匠! 私が荷物を持ちますね」 歩きだすトラッドにヤヨイが元気な様子で小走りでついていく。 いつもなら断る所だが、彼は疲れているせいかその言葉に甘える事にしたようだった。 そして、振り返って彼女がにこりと微笑んでこちらを見ると、扉は控えめな音を立てて閉ざされるのであった。 「……すまない」 「やっぱりそうだったんだ?」 どうやらヤヨイもナギサもリノの不安に感づいていたらしい。彼女は申し訳無さそうに首を小さく縦に振る。 「それよりも早くお風呂に入らないとね」 「ああ……」 そして彼女が風呂に入る為に歩き出すと、背中から楽しげな様子でナギサが話しかけてきた。 「背中流してあげよっか?」 「えっ? ……いや、それは遠慮しておく」 一瞬、何の事か分からなかったが、リノはすぐに意味を察すると、頬をわずかに赤くしてから慌てて否定する。 「冗談だってば……本当に可愛いんだから」 「……いってくる」 とても冗談に聞こえなかったのは、おそらく気のせいではない。 彼女は自分の後ろにある気配に油断せず、今度こそ急ぎ足で部屋へと向かっていった。 (……いつか、リノちゃんが自分から言ってくれるといいんだけど・・・) ナギサは遠ざかる小さな背中を見つめながら、珍しくため息をつくのであった。 「全くナギサは……」 身体中の砂を洗い流し、湯船の中でリノは難しい顔でぽつりと呟く。 「…………ふぅ」 自然とため息をつきながら、透き通る湯の中に沈む自分の身体を眺めてみる。 あまり起伏のない胸。そして細くて白い腕は過酷な旅にも関わらず、綺麗なままであった。 (身体を見たら、トラッドでも気付くのかな……) 心が何かに靄の様なものに包まれて、現実と思考の境が曖昧になる。 次の瞬間、彼女はハッとなって真っ赤になりながらも少し熱めの湯を顔にかけた。 (本当に……何を考えているんだろう) ピラミッドに向かう前、考えないと決めたはずであった。 だが結果は、知らず知らずの内に考え込んでしまったせいで、当の本人にまで心配をかけてしまった。 (でも……) とても何か話そうという気にはならなかった――――途中までは。 (あの時は違った) ボタンを見つけた時の彼の言葉に、初めて自信の無さと不安が見えてしまった。 それまではそんな素振りは無かった。いや、もしかすると悟らせないようにしていたのか、それは分からない。 (それに……昔の事って) 複雑な感情の入り混じったトパーズ色の瞳。今までも何度か見た記憶がある。 次の瞬間、彼女は自然と足を踏み出していた。理由なんて何処にも無い。 ただ、そうしたかったから。 「……帰ってくる前に準備をしなきゃ」 そこでふと気付いた彼女は、少し慌て気味に湯船から出るのであった。 夜の風は火照った身体に心地良かったのだが、いつトラッドが帰って来るか分からないので、全身を拭くとすぐにいつもの服に着替える。 そして水気を帯びた髪を、ゆっくりと拭いている時に扉をノックする音がした。 「ただいまー……やっぱりきついな……」 「……ご苦労様」 中に入ってきたのは予想通り彼であった。両手には大きく膨らんだ買い物袋が提げられている。 リノは間に合った事にホッとして、横目で彼を見ながら労いの言葉をかけた。 「お、もう風呂に入っ……」 今まで下を向きながら話していたトラッドは、そこで顔を上げて――――動きを止めた。 下ろそうとしていた2つの袋は、少し乱暴な音を立てて床へと落下する。 彼の目に映ってたのは、水に濡れて艶やかになった黒髪を拭いているリノの横顔。 湯船でよく暖まったせいか、頬はほんのりと赤みがかっていた。 (…………綺麗、だな) アッサラームで見た彼女の小さな笑み。それと同じ感情がまた、トラッドの中で呼吸を始めた。 「どうかしたのか?」 「えっと、いや……」 袋の落ちる音が気になった彼女は、後ろ髪を丁寧に厚手の布で拭きながら、窓の方を向いたまま問いかける。 一瞬だけ見えた細い首筋に、彼の心臓は更に早く動き出していた。 「……トラッド?」 そこでようやくリノは彼の方へ振り向いた。しかし、返事は無い。 返答に窮する彼の心境を知る由も無い彼女は、心配そうな顔をしながら距離を詰めた。 そして手を伸ばせば、互いの身体に届く所まで彼女が歩いた時だった。 トラッドの右手が、突如視界から姿を消失させると――――驚く間もなく、掌が彼女の頭の左側に乗せられた。 「……えっ」 真っ白になった頭の中で、自分の口から零れる呟きだけが鮮明に響き渡る。 微かに引き寄せられる力。それは彼にとって不可抗力であったに違いなく、とても身体が動かされる程では無かった。 しかし、抵抗する力を失った彼女の身体には、それだけで十分であった。 「あっ……」 サークレットを外して露わになっている額と、手袋をしていない両手が彼の胸にもたれかかる。 リノの口からは、少しだけトーンの高い震えた音が紡がれた。 しかし、トラッドの耳には届いていない。 「リノ…………」 「……うん」 頭上からトラッドが名前を呼ぶと、彼女は熱っぽく小さな返事をした。 互いの心臓が破裂しそうなほど動き続ける中、彼は震えた声でこう告げる。 「……まだ、髪が濡れてるな」 …………………… 「え?」 10秒ほど静かな空気が流れた後、リノは珍しく間の抜けた声で聞き返す。 「夜は寒いから、しっかり乾かした方がいいぞ」 「……そう、だな」 彼女は慌てて頭を離し、再び布で髪を拭き始めた。少し乱暴な仕草で。 そして、乱れた髪を手櫛で適当に整えると、 「……いってくる」 と短く言ってから、部屋を出るのであった。 「…………はぁ」 トラッドは誰もいなくなった部屋で、大きなため息をつく。 「何をしてるんだか……」 そうして、先ほどまで濡れた彼女の髪を触っていた右の掌を見つめていた。 すると曖昧になっていた先ほどの記憶が、はっきりとした色彩を伴って蘇ってくる。 (髪の毛が濡れてなかったら……) 自分は一体何をしていたのだろうか、と何も無かった事に安堵した。 現実に戻るきっかけとなった掌の水気は、すでに乾ききっている。 「最近、どうもおかしいな……」 少しだけ熱くなっている自分の顔。 彼はそれを忘れる為に、明日の準備に没頭し始めるのであった。 夜のイシス。ひんやりと冷たい風が吹き抜ける。 風通しが良いといっても、やはり町の中というだけあって砂漠ほど寒くは無い。 普通なら、ちょうど心地良く眠れる温度である。 「…………」 しかし、身体中が熱くなっているリノには、風を感じる余裕すら無かった。 (……私が気にしすぎているのか?) 心なし早くなっていた歩みは、時間が経つにつれていつもの調子を取り戻す。 「どういうつもりで……!」 思考が知らず知らずの内に声となると、緩やかに足が止まっていった。 (本当に……どういうつもりだったんだろ……) 今度は心中で深く問いかけてみた。 だが、それで彼の心が分かるわけでもなく、むしろ分からない事だけが増えていく。 (私は……) 何を考えていたのだろう、そう思う前にリノは首を振って考える事を止めようとした。 目の前に見えるイシスの城が、急に奇妙に歪んで映る。 それと同時に、涙が彼女の頬を伝って音も無く砂の上に落ちた。 リノは手の甲でそれを拭うと、再び目的の場所に向けて歩き始める。 その時、彼女はたった一言だけこう呟いた。 「……矛盾してる」 自分自身への怒りと――――彼に対する罪の意識を言葉の中に織り交ぜて。 次の話へ
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