第30話 「面影の中に映る姿」


 夜、そろそろ寝静まる人もいるであろう時間。
 城門の前には欠伸の気配すら見せようとしない2人の男が立っている。
「あの……」
「何か?」
 一糸の乱れすら許さない、そんな雰囲気にリノはやや緊張気味に右側の男へ話しかけた。
「……もしかして、リノ様ですか?」
「はい」
 そこで左側の男が気付いて話し掛けると、失礼致しましたと少し慌て気味に2人揃って礼をする。
 先ほどまでの態度とは違い、少しだけ人間らしさが滲み出ているような気がした。
「女王様からお話は伺っております。どうぞお進み下さいませ」
 リノはその言葉に従って歩き出したが、そこでふと足を止めて振り返る。
「えっと……1人でいいんですか?」
「はい。それに夜は私共は入場を禁止させられておりますので……」
「……分かりました」
 太陽が昇っていた時と沈んでしまった今との違いが気になるが、それを尋ねようという気にはなれなかった。
 夜に包まれたイシスの城。あれだけ開放的に思えたのが嘘の姿だと言わんばかりの威圧感がそこにある。
(……とりあえず行くか)
 彼女は足早になりながらも確かめるように一歩、また一歩と踏み出していった。

(何だろ……?)
 城に入って真っ直ぐに2階への階段を目指している時、漠然と違和感を感じて足を止める。
(……………………)
 怪しい気配は何も無い。強いて言うならば、数匹の猫が気持ち良さそうに眠っているぐらいである。
 通路に灯る最低限の光を頼りに、リノはまた慎重に歩き始めた。
 そして階段を上り始めた時、鼻をくすぐる微かな匂いに思わず周囲を見渡す。
(昼に来た時とは違う……)
 あの時の香りは、豊かな緑の力強くも優しい香り。しかし、今は――――
(甘い……?)
 いや、と彼女は頭を小さく横に振る。言葉は見つからない。
 ただ、何処か身体が熱っぽくなる匂いだという事は理解出来た。
(変な感じがする……)
 心地良い浮遊感に、少し足取りがおぼつかなくなってくる。
 彼女は壁に手を付きながら、再び階段を上り始めた。

 2階に上がると、よりその香りは強いものになっていく。
「あの……」
「……はい?」
 掌で覆っていた口元を見せ、リノは近くにいる男に声をかけた。
 若干の間があってからの返事。男の目はリノを見ているようで、目に映っていないようであった。
「女王様に呼ばれてきたのですが……」
「……リノ様ですね。では、あちらへ」
 ぼんやりとしながらも女王様に対する忠誠心からか、いくらか口調がはっきりしていた。
 その彼が指差した先に見えたのは――――銀の装飾が施された扉であった。
(もしかして……魔法の鍵)
 一礼をしてからリノはその扉へと足を向ける。左手は自然と道具袋の中から何かを取り出そうとしていた。
 そして扉の前。一応押したり引いたりしてみるが、一向に開く気配はない。
「鍵穴は……これか」
 何となく確信があった彼女は、取り出した魔法の鍵を黒い穴に近づけた。
 鍵が先端から3分の1ほど差し込まれた時、わずかな魔力の流れが指先から身体へと伝わってくる。
 そして奥まで突き刺さってから鍵を右に回すと、かちゃり、と澄んだ音がした。
「………………」
 再び両手で扉を押してみると、扉は重そうな音と対照的に軽い力であっさりと開いた。
(え……!?)
 それと同時に夜風が吹き、奥から流れ出していたあの香りが一層強くなって、リノの身体を吹き抜ける。
 無意識に左胸の辺りを押さえると、いつの間にか鼓動が早くなっていた。
「………………」
 彼女は左手で頭を押さえながら、部屋の奥へと歩を進めるのであった。

 中には更に階段があった。どうやらこの香りの元はこの上にあるらしい。
 慣れない感覚に困惑を隠しきれぬまま、リノは階段を上る。
「誰――――っ!?」
 目の前にあったのは大きなベッド、それを取り囲むように数人の女が横になっていた。
 だが、訪問者であるリノに気付くと、一人の女が鋭く甲高い声で警戒の色を露わにした。
「おやめなさい」
 その声はベッドの上から紡がれた。
 周りには微かに透けているカーテンがあり、顔は分からなかったのだが予想はついた。
「じょ、女王様……?」
「私がお招きしたのです……ようこそいらっしゃいました、リノ様」
 彼女は優しくそう言いながら、右手を静かに上げる。
 それが合図なのか、周りにいた女たちは一斉に部屋を去って行った。
「……香りが気になりますか?」
「…………正直」
 女王はその答えにくすりと笑うと、こう説明する。
「この花の香りは、人の心を落ち着かせる作用があります。でも……慣れないと辛いかもしれませんね」
 それから、毎晩しなければいけない事なのでお許し下さい、と彼女は付け加えた。
「それで……お話というのは?」
「……側に来て頂いてよろしいですか?」
「あっ……はい」
 リノは言われるがままに女王へ近寄る。そして、隣に座るように言われてベッドに身体を下ろした時だった。
「え? なっ、何を……」
 頭の上に彼女の掌がふわりと乗せられ、リノは動揺を隠し切れない。
「……落ち着きませんか?」
「………………」
 いつもなら慌てて身体を離す所かもしれなかったが、今は不思議とそれほどまでに感じない。
 もしかしたら、この花の香りに慣れてきて心が落ち着いてきているのかも、と彼女は思った。
「リノ様……何かお聞きしたい事はございませんか?」
「え……」
 それは初めて女王と会った時から思っていた事だった。
 彼女の口からは、わずかに身を固くしながらも、自然とその問いかけが紡がれる。
「……父の事で、お聞きしたい事が」
「私に解る事でしたら」
 その言葉にリノはわずかに間を置いてから、こう尋ねた。

「父は……オルテガは……何か仰っていましたか?」

「………………」
 返事は無い。その代わり彼女は眉間に少し皺を寄せ、まるで記憶の糸を辿っているようだった。
「……例えば、どういった事でしょうか?」
「え……っと……」
 逆に問いかけられて、リノは返答に困っている――――素振りを見せた。
(本当は解ってる)
 彼女が聞きたいのは、自分の身体の事。だが、真実を求める心よりも知る事への恐怖が大きかった。
(もし……私が……人間じゃなかったら……?)
 前にいる女王はどんな目をするのだろうか。そして――――
(トラッドは……?)
 今まで通り、笑ったり心配したり、変に慌てたりと、変わらず接してくれるのだろうか。
「オルテガ様は故郷に残してきた2人の事と、自分が旅に出た理由をお話下さいました」
「……それだけ、ですか」
「はい。リノ様が大人になるまでには、安全に旅が出来る様な世界にしたい、と……」
「………………」
 オルテガは旅をするのが趣味で、よく子供みたいな瞳で楽しそうに話していた、と母に聞いた事があった。
 ならば、自分の妻と子供を連れて旅をしたい、そう思うのは納得出来るような気がする。
(……そういえば)
 そこで、リノはある事に気が付き、じっくり記憶を遡ってみた。

 ――――化け物。

 昔の事を思い出すと必ずこの言葉が頭をよぎり、酷く息苦しくなる。
 いつもはそこで考えないようにするのだが、今日は更に深く思い出そうとした。
 しばらく静かな時間が流れた時、彼女は求めていた答えを探し当てる。
(……そう言われたのは、あの人が旅立ってから……)
 それなら自分の身体の事は知らないに決まっている、と。
「……お力になれましたか?」
「はい、ありがとうございます」
 じっと言葉を待っていた女王は、リノの顔が変わるのを見てからそう尋ねてきたので、素直に礼を述べた。
 そこで会話はぷつりと途切れ、花の香りと風の音だけが部屋を流れていく。
 いつの間にか、彼女は頭に感じていた掌の温かさが消えている事に気付いた。
 ふと女王の顔を見ると、同じ様に彼女もこちらに目を向けていた。瞳を微かに揺らめかせながら。
「……では、私からもお聞きしたい事があるのですが」
「私に、ですか?」
 そして意を決したように紡がれる声。
 彼女が迷いながらも頷くと、女王は微笑みながら小さな声で礼を言うと、こう問いかける。

「……あの、銀髪の方のお名前は何と仰るのでしょうか?」

「トラッドの事ですか……?」
 珍しい髪の色のせいかリノの周りでは、彼以外思い当たる節が無い。
 しかし、一国の女王から改めて聞かれると、自信が無かったので問い返す形になってしまったのだが。
 その名前が出た瞬間、彼女の顔がわずかにハッとなった。
「それが何か?」
「いえ……私の知ってらっしゃる方に似ていたもので、もしかしたらと思ったのですが……」
 そう言いながら、彼女の思考は別の所にあるようだった。
(同じ名前……でも、あの人とは……)

 年齢が――――

「あの……」
 動揺が走る2つの瞳。それはリノの声によって、弾かれたように現実味を取り戻す。
「……もう一つ、お聞きしてもいいですか?」
 2秒にも満たない短い時間で落ち着いた女王は再び問いかけた。
「何でしょうか?」
「リノ様は……盗賊の眼、という言葉を聞いた事がありますか?」
「盗賊の眼? いえ、初めて聞きました」
 一瞬、彼女の脳裏が何故かトパーズ色に染められた。
「それはどういうものなのですか?」
 リノは頭に浮かんだ事を振り払うように尋ねた。しかし、彼女は静かに首を振ってからこう答える。
「一説によると道具、しかし、そうでないという説も……詳しくは分かっていないのです」
 女王は続けて独り言のように呟いた。
「ただ……」
「………………」
 息を呑む音だけが部屋に響く。リノは次の言葉を待った。
「……いえ、何でもありません」
 だが、その続きが語られる事はなく。代わりに女王はこう告げる。
「今日は来て頂いてありがとうございました」
「あ……こちらこそありがとうございます」
 気に掛かる事ではある。だが、やんわりとした彼女の拒絶は、リノの疑問を抑え込むには十分であった。
 それから女王は枕元に手を伸ばし、何かを手に取って彼女の掌を包むようにしてそれを手渡した。
「これはそのお礼です。旅のお役に立つと思います」
 リノがゆっくり手を開けると、中には小さな指輪があった。
「立ち向かうのも勇気なら、受け止めるのも勇気・・・だと私は思っています」
「…………」
「リノ様の事……心より信じています」
「………………」
 言葉の意図が分からなくても、女王の気持ちの強さだけは瞳から伝わってくる。
 しかし、まだそれに答える術を知らない彼女は――――小さく頷く事しか出来ない。
 そして、静かに立ち上がってから、リノは部屋を後にした。
「…………」
 一人になった女王は、身体をベッドに沈ませて目を閉じ、幼い頃の記憶を手繰り寄せる。
(……トラッド様)
 心密かに呟くのは彼の名前だが、想いは全く別の所にあった。
 真っ白なシーツの上に一つの雫が影を落とす。
 彼女は『イシスの女王』としてではなく『一人の女性』として、涙を流すのであった。



 一方、リノが宿へ戻ると部屋のドアの隙間から灯りが洩れていた。
(トラッド……?)
 時間は遅いのだが、いつもなら特に気になる事ではない。
 しかし、彼はかなり疲れていたはずだったので、もう寝ているものと思っていた。
「…………」
 灯りを点けたまま寝ているという可能性も考えて、彼女はなるべく音を立てないようにドアを開けると、
「リノか……おかえり」
「……ただいま」
 眠そうな表情でベッドに腰掛けているトラッドがいた。
「まだ起きてたのか?」
「……まぁ」
「眠れないのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
 そこで彼は大きく欠伸をする。それから真っ直ぐにリノを見つめてこう言った。
「……お礼を言おうと思って」
「…………何の?」
 迷惑をかけた覚えはあるが、彼の為になるような事をした記憶は無い。
(それどころか謝らないと――――)
「あの時、一歩踏み出してくれただろ?」
「え?」
 彼女は何の事か分からずに疑問を感じたが、すぐにピラミッドの時の事を思い出す。
 あのボタンを見つけた時の事だ、と。
「上手く言えないけど……」
 そう言う彼には大きな迷いがあった。もしかすると、ずっと考えていたのかもしれない、とリノは思う。
「信じてもらってる気がして……嬉しかったから」
「それは……」
 言いかけて彼女は口を押さえ、自分が何故ああしたのかを考え出した。
 そして、時折彼が見せる不安げな表情が脳裏に浮かぶ。
 リノは意を決したように、小さく呟いた。

「……仲間、だから」

「…………ありがとう」
 トラッドは自然と感謝の言葉を口にした後で、更にこう続ける。
「……俺もリノの事、信じてるからな」
「………………うん」
 胸にちくりと痛みが走ったが、彼女はそれを隠してぎこちなく頷いた。
「じゃ、悪いけどこのまま寝る・・・おやすみ」
 もう一度大きく欠伸をした後で、彼は無防備にベッドに倒れこむと、よっぽど眠かったのかすでに寝息を立てている。
「…………」
 リノは彼の側に近づいてそっと額に白い掌を乗せると、おやすみ、と優しく呟いた。


 安らかな寝顔――――彼女は、良い夢が見れますように、と願わずにはいられなかった。



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