第33話 「交錯する夜」


「人攫い、ですか?」
 陽は沈み、少し遅めの夕食を取るナギサとヤヨイ。
 時間が時間だけに他に人はおらず、自然と話す言葉は内容のせいもあって小さくなっている。
「しばらくは何も無かったみたい……だから今日が久しぶりのようね」
 すでに食べ終えていたナギサは紅茶を一口飲んだ後、こう問いかけた。
「……ところでリノちゃんはどう?」
「あれからずっと部屋に閉じ篭ったままですね……」
 ヤヨイは窓からナギサが戻ってくる姿が見て、彼女を夕食に誘ったのだがやはり返事は無かった。
「……声すら聞こえてないみたいで」
「そう……」
 詳しく聞くと、リノは部屋に入るなり、力を失ったようにベッドへと崩れ落ちたらしい。
「それに……何だか怯えてる様にも見えました」
「………………」
 旅をする前から一緒にいた為、いつしかそれが当たり前の状態になっていた2人。
 普段の様子を見ていれば、彼女にとってトラッドがどういう存在であるかは良く分かる。
「ところで、ナギサさん」
「何?」
「人攫いの場所って分かったんですか?」
「まぁ……ね」
 しかし、彼女の口からは一向に求めている言葉が紡がれる様子は無い。
「? どうかしたんですか?」
「今はまだ言えないかな、って」
「え……?」
 ナギサの中で、何かが引っかかっていた――――シャンパーニの塔でカンダタを見たあの時から。
 しかし、それを表情に出そうとはせずにこう告げる。
「何にせよ、話すかどうかは……リノちゃん次第ね」
 その言葉に、ヤヨイは曖昧ながらも納得して、止まっていた食事を再開させるのであった。



 一方その頃、リノは部屋の灯りもつけないまま、時折苦しげな声を上げていた。
「………………」
 いつもと違って3つのベッドが並んでいる部屋。窓からは夜空に浮かぶ三日月の光が差し込んでいる。
 その真ん中のベッド――――ここ数時間ほど彼女はずっとそんな様子だった。
 ちなみに3人一緒の部屋にする事を提案したのはヤヨイ。
 理由はカンダタから万が一の襲撃を考えての事と、何よりも彼女を一人にしておけない、という2つであった。
(……トラッド……)
 リノは心中で彼の名前を呟いて、またため息を落とすが、それで何か状況が変わるというわけではない。
 部屋に入って1時間ほど過ぎた頃、彼女は一度眠ろうと試みたが、瞳を閉じてみても彼の事が頭から離れないのだ。
 その時、ふとトラッドがアッサラームで言った事を思い出した。

 俺もリノを一人にしない――――

「……一人に……しない」
 彼女はそれをおまじないのように呟く。
 考えてみれば危険な旅をしている以上、それはあまりに頼りない約束である。
(そう言ったのに……)
 にも関わらず、リノは一途に信じていた。ただ、トラッドの言葉というだけで。
(それに……まだトラッドに話してない……)
 次に浮かんだのは激しい後悔の気持ち。自分がついている『嘘』についてだった。
 心の何処かでいつでも言う機会がある、と思っていたのかもしれないが、何よりも怖かったのは彼の反応だった。
(私は……トラッドを信じてなかった……?)
 それどころかトラッドの信頼を踏みにじっている様に感じ、ここで別れてしまった方がいいのではないか、という考えすら頭に浮かぶ。
 自分は彼やナギサ、ヤヨイと旅をする資格なんて無いのだと。
(でも……)
 思考と裏腹に心は激しくそれを拒絶した――――離れたくない、と子供のように。
 彼女自身、何故そう思うのか分からなかったが、心が発する鈍い痛みだけはっきりしている。
「トラッド……」
 結局何も答えを見出せないまま、リノはシーツを握り締めて、まるで救いを求める様に彼の名前を呟いた。
 そうしていつの間にか眠りに落ちていたが、苦しそうな表情を浮かべたまま涙を流すのであった。


「リノちゃん」
 それからどれぐらいの時間が経ったのだろうか。
「……あ」
 彼女は今の今まで眠っていた事は記憶に残っていなかった。
「ここ、は……?」
「バハラタの宿屋よ」
 深い霧の中にいるかのように視界ははっきりせず、感覚は酷く曖昧であった。
 開いているはずの黒い瞳は、その役割を果たせずに虚ろに身を任せている。
 リノは遠く感じる声を頼りに、目の前に居る人物がナギサだとようやく理解した。
「………………」
「大丈夫ですか?」
 言葉無く、そのまま身体を横にしていると、今度は背中の方から声が届く。
 彼女は振り返って、何も認識しない瞳を向けながらおそるおそる尋ねてみた。
「ヤヨイ……?」
「はい」
 その返事と共に、リノの右頬に何かが当てられると怯えるように身体が弾かれる。
「そのままだと風邪引いちゃうわよ」
「起こしちゃうかと思ったんですけど……凄い汗をかいてたから……」
「えっ……」
 ヤヨイはそう呟きながら、リノを安心させるように掌に何かを握らせた。
 それは宿から借りた物なのか、ほのかに太陽と緑の香りが染み込んだ白い布。
 どうやら彼女は先ほどからそれで汗を拭っていたらしく、ちょうどその時リノの目が覚めた為、それを離したのであった。
「ごめ……」
「気にしないで。それより……お水、飲む?」
 ようやく輪郭を取り戻していたリノの瞳は、ガラスのコップに入った透明な液体を映す。
 彼女はしばらく考えてから一度頷き、ナギサに差し出されたそれを受け取ると、口をつけてコップを傾けた。
 長い間置かれていたのか、それほど冷たくない水が喉を通るが、今の彼女の意識を呼び戻すには十分だった。
「……落ち着いた?」
 それからリノが一気に水を飲み干すと、ナギサが問いかけてくる。
 彼女は一度目を閉じてから首を縦に振ると、2人は安堵の息を零してから優しく微笑むのであった。


「リノちゃん……聞いていい?」
 彼女はヤヨイが注いだ水を再び飲み干すと、何を話すでもなくベッドに座っていた。
 その間、誰も声を出そうとせず、呼吸の音だけが妙に響いていたのだが、唐突にナギサがそう問いかける。
「うん……」
 未だ消えない陰を残しながら、リノはそう呟いてから頷いた。
「さっきまで……何を考えてたの?」
「えっ?」
 ナギサの質問に彼女は困った素振りを見せるが、本当は分かっていた――――トラッドの事、というのは。
 ただ、それを説明する言葉が見つからないのだ。
「何でもいいから教えて欲しいの」
「……でも」
 色々な想いが頭の中を駆け巡るが、それをどう話そうとしてもすぐに打ち消してしまう。
 そんな2人のやり取りを、ヤヨイは固唾を飲んで見守っていた。
「じゃあ……誰の事を考えてたの?」
 一向に話そうとせず、俯いたままのリノに対してナギサは言葉を変えて問いかけてみた。
「………………トラッドの事」
 5分ほど静かな時が過ぎた後、リノはやはり目を合わせないままそう呟いた。
 ナギサはそれを聞いて優しく微笑むと、更に問いかけを続ける。
「心配よね?」
「……うん」
 再び間があってからの返事。とはいうものの、ここまでの答えは分かりきっている事だった。
 だが、ナギサは改めて言葉で聞く事によって、その想いをより確かに感じ取りたかった。
「じゃあ、最後の質問ね」
 互いに緊張した面持ちで、ようやく2人の目が合う。それからナギサは深く深呼吸をしてから、こう尋ねた。

「リノちゃんは……どうしたいの?」

「え……?」
 彼女は言葉の意味が理解出来ず、自然と疑問の呟きが唇から零れ落ちる。
「リノちゃんの気持ちが知りたいの」
「それは………………」
 今の事なのか、それともこれから先の事なのか、何に対しての問いかけなのだろうか。
 それでも彼女は知らず知らずの内に下を向いていた顔を上げる。
(答えは……決まってる)
 震える右手を同じく震える左手で押さえ、弱々しい口調ながらも、彼女は強い想いを込めて言葉を紡いだ。
「……助けたい……」

「……これからもトラッドと……旅がしたい」

 その一言と共に、リノの黒い瞳から堰を切った様に透明な雫が溢れ出す。
「さ、最初は……一人になりたいって、ずっと……ずっと思ってた……けど……」
 途切れ途切れになりながらも、涙の混じったその声は痛いほどナギサとヤヨイの心に響いた。
「隣にいないだけで……凄く不安で怖くて……でも、私にそんな、資格は無いんじゃ、ないか、って・・・」
 声にならない、むしろ音に近い言葉。2人は必死に耳を傾ける。
「だから……だから……どうしていいか分からな――――」
 リノの告白は急に包きしめてきたナギサによって、視界と共に遮られた。
「ごめんね……」
 謝る彼女の声は、頭を撫でる掌の温もりと共に伝わってくる。
「でもね……リノちゃんの気持ちが分からないと、私たちも力になれないと思って」
「ナギサ…………」
 それから彼女はもう一度泣いた。より一層大きな声で。
「リノさん……師匠を助け出しましょう!」
 同じく泣いていたヤヨイもそう告げると、背中から彼女を強く抱きしめた。
「……ありがとう」
 そんな2人の優しさと体温を感じながら、リノはそっとこう呟くのであった。

 

 冷たく固い床の上、身体に纏わりつくのは湿った風。
 天井から落ちる水滴がトラッドの頬に落下する。
(……ここ、は)
 ようやく彼は意識を取り戻し、重い身体を起こしながら記憶をの糸を手繰り寄せようとした。
(確か…………カンダタの子分にやられて……それで……?)
 そこまで思い出してから、彼は現在の状況を確認しようと辺りを見渡した。
 最初はぼやけていた視界だが、徐々に感覚を取り戻していくと少し離れた所に頑丈そうな鉄格子が見えた。
 赤い錆がこびり付いている事から、かなり古い物だと想像出来る。
(……捕まったのか)
 その時、不意に誰かの声が耳に飛び込んできた。
「あれほどやめろって言っただろ……!」
「すいません……出来心で、つい……」
(仲間割れ……?)
 数はおそらく2人で、口調から察すると上下の関係がはっきりしているように感じる。
(いや……)
 あの盗賊の一味の内部の事情は良く分からないが、トラッドには会話している人物に確信があった。
(昔から……そうだ)
 そこでふと、彼は遠い過去を思い出す。
(あいつが従うのは、いつもあの人だけだったな・・・)
 壁の向こう側の2人。謝っているのは子分の誰かで、叱りつけているのはきっと――――カンダタだ。
 トラッドはそう思いつつ耳を澄まし、会話を聞き取ろうとするが声は途切れ、近づいてくる足音だけが響く。
(……こっちに来る)
 早さを増す心臓の音は、かけられた声によって一度大きく跳ね上がった。
「……おい、メシだ」
「………………」
 鉄格子は耳障りな音と共に開かれ、同じく錆付いたトレイが差し出される。その上にはパンとスープが乗っていた。
「……毒なんて入ってねぇぞ?」
「信用出来ない」
「だろうな」
 そう返事をした男――――カンダタは苦笑いを浮かべながら、毒見の意味を込めてスープを一口すする。
 以前、シャンパーニの塔で会った時に着けていた覆面は外されており、薄暗い中で見えた顔は記憶よりも皺が多かった。
「食わなきゃ死ぬぞ」
「…………何のつもりだ」
 尚も睨みつける彼に、一つため息をついてからカンダタはこう問いかける。
「……俺を殺したいんだろ?」
 返事は無い。しかし、トラッドの表情を見れば一目瞭然であった。
「まぁ……怒りで周りが見えてないヤツには無理な話――――」
「黙れ……!」
 彼は低い声でそれだけ言うと、殴りかかろうとして身体を起こす。
 が逆に、いつの間にか距離を詰めていたカンダタの大きな手が、トラッドの頬を弾いていた。
「……っ!」
「ほらな」
 自分の正しさを身を持って証明したカンダタは、得意げな笑みでそう呟く。
 彼は痛みを感じる余裕も返す言葉も無いままに、ただうなだれていた。
「……冷めて不味くなる前に食え」
 去り際に言った憎むべき盗賊の言葉は何処かぎこちなかったが、トラッドはそこに込められた感情に気付かなかった。


「おい」
 牢屋から出たカンダタは、近くにいた見張りに声をかける。
「攫った町の娘……明後日には帰してやれ」
「へい。じゃあ、もう一人の男も……?」
「…………」
 子分の単純な質問に、カンダタは一瞬考え込む。
「……おかしら?」
「いや……そのままにしておけ」
「へ?」
 てっきり一緒に解放するものだと思っていた子分の口から、間の抜けた声が上がった。
「文句あるか?」
「い、いえ……あ、メシは?」
「死なねぇ程度に与えておけばいい」
 その言葉に相手が頷くのを見てカンダタは再び歩き始める。そして首筋の比較的新しい傷を指でなぞった。
「確か……リノって言ったか」
 独り言に答えるように、小さな傷がわずかに疼く。
 それと同時に思い出すのは、黒い髪と目を持った少女の姿。
(……そういえば)
 トラッドが自分にナイフを向けたあの時、正直これまでだと感じていた。
 だが、リノが剣を落として彼を止めた隙に、何とか逃げ出す事が出来たのだ。
(………………泣いてやがったな)
 その理由も想像がついている。おそらく彼の事を想っての行動なのだと。

「ちょっとばかり……試させてもらうとするか」


 カンダタは誰に話すでもなく、一人そう呟くのであった――――



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