第34話 「曖昧な記憶と確かな過去」


 皮肉なまでに澄みきった青空、そして燦々と輝く眩しい太陽の下。
 攫われてしまったトラッドと町の娘、タニアを救う為にバハラタを出た3人。
「北?」
「と言っても、ちょっと回り道になるんだけど」
 リノは昨日情報を集めていたナギサに、カンダタがいると思われる場所について尋ねる。
「えっと……」
 聞かれた彼女は説明に困り、1枚の紙を両手で広げた。それはバハラタの道具屋で売られていた近辺の地図である。
 いつもはトラッドがこの役なのだが、攫われてしまった上にいつもの地図は彼が持っている為、とりあえず購入した物だった。
「ここがバハラタね……それで、今はこの東の橋に向かってるの」
 ナギサの左右を歩いていた2人は、説明を耳にしながら揃って地図を覗き込む。
 細く綺麗な指が、これから歩むべき道筋をなぞっていった。
「そこを渡って北に行ってから……西にある橋を渡って……この辺りかしら」
 そして、彼女の指が止まった所は森の中心であった。
「ここ、ですか?」
 何も印が無い場所を指し示されて、当然ヤヨイは疑問の声を上げる。
「ええ、ここに洞窟があるんだけど……行ってみれば分かるわよ」
「……知ってるのか?」
 彼女の声は人から聞いた話にしては妙に自信があったので、リノは不思議に思って問いかけた。
 しかし、返事は返ってこない。その代わりに視線を逸らしながら小さく頷くナギサ。
「とにかく行きましょうか」
 少し慌て気味にそう促した彼女は不自然であったが、それよりもトラッドが気になる2人は頷いてから歩みを早めるのであった。

 森の中。位置的にはバハラタより少し北東に当たる。
 普段よりも多いモンスター、戦いにくい足場。まるで3人の足を鈍らせようとする意思でも働いているようだった。
「……気を緩める暇も無いわね」
 突然空から襲い掛かってきたハンターフライを、ちょうどナギサがハリセンで叩き落してからそう呟いた。
「そうですね……」
 同意するヤヨイも少し呼吸が乱れていた。一方、リノは静かであったが、それでも焦りが顔に浮かんでいる。
(…………)
 周りの気配に注意しながら、ナギサはふとトラッドを思い出した。
 考えてみれば、彼が一緒にいた時はモンスターに不意を突かれた事が殆ど無い。
(……やっぱり鋭いのよね)
 シャンパーニの塔やピラミッドで特に強く感じたのだが、彼はとにかく気配に敏感なのである。
 こちらに気付いていないモンスターでも、もし待ち伏せされていたとしても、その前に察して誰よりも早く行動する。
 互いに気付いている時の動きではナギサに分があるかもしれないが、それまでの反応の良さでは到底及ばなかった。
(それに……)
 知識や判断力もさることながら、常に冷静である。そう思うと、旅の仲間としてあれほど心強い人間もいないかもしれない。
 ただ、そんな彼だからこそ、どうしても腑に落ちない点が一つだけあった。
 それは――――カンダタの存在。
 トラッドはあの盗賊が絡んでくると、途端に自分を見失って力を発揮出来なくなる。
(…………カンダタ、か)
 あの2人はきっと過去に何かあったに違いない。それだけは彼の表情から明らかだ。
「リノちゃん」
「何?」
 不意に呼ばれた彼女の顔は、中々進めない今の状況に焦りだけがはっきり見て取れた。
「気持ちは分かるけど、慌てないようにね」
「あ……うん、ごめん」
 リノはハッとなってから謝る。どうやらその一言で、自分の今の状態が分かったらしい。
(……まぁ、それは私も同じなんだけど)
 色々な推測が頭を飛び交う中、ナギサは改めてその言葉を自分に言い聞かせるのであった。



「くそーっ! ここから出せー!」
 その頃、トラッドは隣にあると思われる牢屋の中から響く声で目を覚ました。
「…………?」
 声は男のものだった。そして何処かで聞いた記憶がある。
「全く……明日になれば出られるって言うのに」
 その手前から聞こえたのは、面倒くさそうな男の声。おそらくここの見張りをしている子分だろう。
「信用…………できるもんか!」
「どっちでもいいけどよ……あんまり騒ぐんじゃねぇぞ」
 そんなやり取りを耳にしながら、彼はようやく声の主を思い出す。
(……あの時の)
 トラッドが我を失って飛びかかる前に、子分たちに叫んでいたあの青年である。
 その時、ふと会話の中のある言葉だけ引っかかった。
(でも、出られるって……一体)
 そのまま解放されるという事を指しているのか、それとも売られてしまうという事なのだろうか。
 だが、それにしては見張りの口調にやる気が見られない。むしろ鬱陶しそうな空気すら感じ取れる。
「………………」
 昨夜彼は、空気の湿度と物音の反響具合からここを洞窟だと判断している。
 つまり耳さえ澄ませば、よほど小さな声で無い限り聞こえない事は無い。
 そう考えて、トラッドは自分の全神経を会話を聞き取る事に傾けた――――


「大体何で今更出られるなんて……」
「……俺だって折角の儲けを潰したくなんかねぇけど……おかしらが嫌いなんだよ」
「…………は?」
「だから、うちのおかしらは人攫いとか好きじゃねぇんだ」
「………………」
「つまり、お前ら2人は明日になったら出られる。だから余計な事すんじゃねぇぞ」


 それっきり、見張りの気配は足音と共にその場から遠ざかっていった。
 おそらくあの威勢の良い人質を相手にするのが疲れたのだろう。
 しかも、話を聞く限りではカンダタは何も指示をしていない上に固く禁じているようであった。
 それが知られてしまった為、みすみす儲けを逃す羽目になったのだから、要は働き損という事になる。
(俺は出られないみたいだな……まぁ、当然か)
 見張りは2人、と言った。単なる言い間違いの可能性もあるが、それは有り得ないように感じた。
 何故なら、トラッドはカンダタの命を狙う人物。
 シャンパーニの塔でナイフを突きつけられた事を子分に話していないとは考えにくい。
 しかし、彼はそれよりも全く別の事に思考を傾けていた。それはカンダタが人攫いを嫌う理由について。
「…………そうか」
 長い沈黙の末、その結論に至ったトラッドは小さく納得の声を上げた。
 そしていつの間にか閉じていた瞼の裏に浮かぶのは、自分と同じ銀色の髪とトパーズ色の瞳を持ちながら、あまり彼とは似ていない男の顔。

(父さんが……そうだったから……)

 しかし、記憶の中の父親は輪郭こそしっかりしているものの、酷く曖昧であった。
 はっきりしているのは、不敵な笑みと安らかな寝顔だけ。
(ならどうして……あの時……!)
 トラッドは固い床を拳で殴りつけた。その衝撃に手袋がじわりと赤く滲む。
 今まで忘れていたわけではなく、ただ思い出したくなかっただけだった。

 激しい雨が降りしきる故郷と――――温もりを失いながら固くなっていく父親の感触を。

「くそ……っ!!」
 小さく叫びながら、彼はもう一度地面を殴りつけた。痛みはすでに感じなかった。
(分かってる……分かってるけど……!)
 トラッドは心に生まれる醜い感情を抑えることが出来ず、苦しみに耐えるようにもう一度身体を横にした。



 3人は、ようやく辿り着いた洞窟の側で休息を取った。
 とはいうものの森の中なので気を抜く事は許されず、各々武器を手に握り締めながら辺りの気配を窺っている。
「ねぇ、リノちゃん」
 不意にナギサに呼ばれた彼女は、いつにも増して真剣な表情のまま振り返った。
「資格が無い、ってどういう意味?」
「えっ?」
「ほら、昨日言ってたから……気になってて」
 妙に聞き覚えがあるように感じていたのは、自分が昨夜言ったからだけでなく、最近ずっと思っていたからである。
「…………一緒に旅する事」
 リノは咄嗟に言葉が出てこず、困った表情を浮かべながらそれだけ告げる。そしてまたしばらく間があってから、ぽつりとこう呟いた。
「いつも……迷惑ばかりかけてる、から」
 本当に言いたい事ではない、と思いながらも彼女にはそうしか言えなかった。
「私やヤヨイちゃん……それにトラッドの顔がそういう風に見えた?」
「…………」
 リノはナギサの言葉に首を横に振ってから、ぽつりと呟く。
「それは……3人とも優しいから顔に出さないだけで――――」
「私はそんな風に考えた事無いですよ」
 しかし、その続きはヤヨイによって遮られた。隣ではナギサも笑顔で頷いており、冗談混じりにこう告げる。
「まぁ、私の場合はリノちゃんが可愛くて困る事はよくあるけど」
「なっ…………!?」
 言われた彼女は慌てて否定しようとしたが、再び言葉を遮られた。
 というよりは、急に抱き締めてきたナギサの温もりで、話す言葉を失ったのかもしれない。
 その状態のまま、彼女は優しく話を続ける。
「それに……リノちゃんは、トラッドが攫われて迷惑だと思ってる?」
「そんな事……!」
「……じゃあ、2人ともきっと同じ事考えてるんじゃないかしら」
「…………うん」
 消え入りそうな言葉。伝えたい事はあるのに言葉を見つけられない彼女は、精一杯の気持ちを込めてそう呟いた。


「ここって迷いやすいからはぐれないようにね」
 洞窟に入り、ナギサはそれだけ言うと、考える時間も仕草も見せずに真っ直ぐ歩き始めた。
「後、ヤヨイちゃん」
「はい?」
「途中で宝箱を見つけても、絶対に触れちゃダメよ」
「どうしてですか?」
 いつも真っ先に飛びつくのはナギサだが、その彼女の言葉だけに妙な説得力があった。
「……ここ、人食い箱がいるの」
 人食い箱というのは、主に洞窟に生息する宝箱の姿をしたモンスターの事で、誰かが近づくと岩をも噛み砕く凶悪な牙で襲い掛かってくる。
 不意を突かれれば命を失うのは一瞬で、運良く生きていたとしても大怪我は避けられない為、そのまま死を迎える事が多い。
 旅をする上で最も注意しなければならないモンスターの一匹であった。
「それは分かりましたけど……どうして知ってるんですか?」
 宝箱の事は納得したヤヨイだったが、同時にその言葉に疑問を覚える。
 それはここに来る前から感じていた事でもあり、リノも不思議に思っていた。
「……前に何回か来た事があるの」
 その度に迷う素振りを見せたり、何とか話を逸らそうとするナギサだったが、今回は少し様子が違っていた。
「…………今度、話してあげよっか?」
「え?」
 予想外の言葉と空気にリノは戸惑いの声を上げるが、彼女は何処か気恥ずかしそうな様子で更に言葉を紡ぐ。
「私のこと……いつになるかは分からないけど」
「……うん」
 ナギサの言葉からは今までに無いほど真剣さが見え、2人の顔には迷いの色が浮かんだが、真剣な面持ちで頷くと、
「……無理はしなくていいから」
 リノは小さくそう呟いた。それに対して、彼女は首を縦に振っただけだったのだが、
(トラッドと同じ事言うのね……)
 と、ポルトガでの会話を思い出しながら、優しい眼差しを向けるのであった。


 ナギサを先頭に3人はただひたすら歩いていく。
「同じ様な所ばっかりですね」
「ええ……」
 ヤヨイの言う通り、部屋の構造が全く同じ造りになっていた。確かに知らなければ迷っていたに違いない。
 しかし、ナギサのおかげで迷う事無く、途中2度ほど宝箱にヤヨイが目を奪われていたが、それほど時間もかからずに下への階段を発見する事が出来た。
「ここって、昔からカンダタがいたのか?」
「多分……」
 ナギサが言うには、いつ来ても誰も居なかったが人が住んでいた跡はあった、との事であった。
 シャンパーニの塔にもカンダタがいたという事を考えれば、他にもいくつか根城があるのだろうか。
「……あそこね」
 少し歩いた所を曲がると、以前にも見た事がある大きな扉があり、ナギサは確信に満ちた声でそう呟く。
「どうしてですか?」
「前に来た時は扉が開い…………あ」
 ヤヨイの問いかけに答えながら、彼女は何かに気付いた。
 しかし、それが何を意味するのかが分からない2人は、ただきょとんとした表情を浮かべている。
「……鍵が無いんだけど」
「え?」
 そこで3人は、大切な道具の殆どをトラッドが持っている事にようやく気が付いた。
「………………」
 正面に立ちはだかる扉。おそらくこの向こうにはトラッドが捕まっているのに、肝心の開ける方法が無い。
 そんな重苦しい沈黙の中、時間だけが無常にも流れていく。
(ここまで来て……!)
 辿り着くまで息を潜めていた焦りや苛立ちが、再びリノの顔に蘇ってくる。
「……それなら」
 一方、後ろで開ける術を考えていたナギサは、いつの間にか扉から離れていた。
 そして――――
「ぶち破るまで……!」
 強い意思の込められた声でそれだけ言うと、全力で走り始める。
 彼女は静止しようとする2人の声を耳に受けながら、肩を前に出して衝撃に備えた。
 扉までの距離が縮まっていくにつれ、ナギサの身体に緊張が走る。
 しかし、勢いよくぶつかった瞬間、
「へ?」
 彼女の思惑とは裏腹に、扉は盛大な音を立てて開かれた。
「――――がっ!?」
 それと同時に痛みを訴える叫びと、何かが挟まる音が洞窟にこだまする。
「………………」
 どうやら鍵はかかっていなかったらしい。
 しかも反動で閉じようとする扉の裏側には、無残な姿で気絶しているカンダタの子分らしき男がいた。
「……運が無かったわねぇ……」
 その様子を目の当たりにしたナギサは、敵ながらも不憫に感じたのか同情を示す。
 続けて足を踏み入れたリノとヤヨイも、一度その姿を確認するとそっと視線を外すのであった。
「来たか」
 その時、背後から突然声をかけられる。それは余裕を感じさせる口調で、3人とも聞き覚えがあった。
 ハッとなって振り向くと、そこには覆面を被り、鍛え上げられた肉体を惜しげもなく晒している男と、その左右に2人の子分が立っていた。
「……カンダタ」
「女に名前を覚えられるってのは、悪い気がしねぇな」
「…………!」
 その言葉が気に障ったのか、背負っていた鋼の剣を抜くと怒りを露わにすぐさま駆け出した。が――――
「リノちゃん!」
 鋭く耳に突き刺さるナギサの声で我に返ると、すぐに足を止めて再び間合いを取った。
「ちっ……そのままなら、こいつで真っ二つにしてやったんだがな」
 カンダタの手には以前よりもより一層大きな戦斧。だが、それでもいとも簡単に持ち上げて肩に乗せる。
 熱くなったまま向かっていけば、彼の言う通りの光景が繰り広げられていたに違いない。
「ちょうどいいな……おい」
 そのまま互いにしばらく睨み合っていたが、何かを思いついたカンダタは横にいる子分へこう命令する。
「お前らはハリセンと槍を持った女を相手しろ」
「へい!」
 綺麗に揃った威勢の良い声が返ってくると、カンダタは満足そうな笑みでリノの方へと視線を戻した。
「さて……と、これで誰にも邪魔はされねぇ」
「………………」
 全てを射抜くような鋭い目が覆面の下から向けられる。
 たったそれだけで、リノの額からは冷たい汗が浮かび、頬を伝って流れ落ちた。
 彼女は身体の芯から滲む恐怖を押さえつけるかのように、剣を構えて再び握り直す。
 一方、カンダタは無言で斧を高く振り上げ、豪快な音を立てながら湿った空気を切り裂くと、


 それが戦いの始まりを告げる合図となるのであった――――



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