第35話 「約束」


 リノとカンダタが睨み合ったまま、互いに動こうとしない中。
「今回は最初から本気出させてもらおうかしらねぇ」
 と、腰に身に付けた道具袋に手を入れているナギサ。
 取り出そうとしているのは彼女のもう一つの武器――――鉄の爪である。
(さて……)
 子分が2人、こちらに視線を向けながら、ゆっくりと慎重な足取りでにじり寄ってくる。  1人は以前イオラで吹き飛ばした男で、右手には鎖鎌を持って鉄の鎧に身を包んでおり、もう1人は彼女と一戦交えた全身鎧の男。
「ナギサさん、それは……?」
 隣にいるヤヨイが、鉄の爪を見て疑問を投げかける。
 しかし、答える時間が無い為、彼女はわずかに笑みを浮かべただけで、すぐに向き直ると再び思考を開始した。
(ヤヨイちゃん一人だと、さすがに荷が重いわね……)
 戦闘を得意としない商人にしては、彼女はそれなりに戦える方である。
 だが、相手はカンダタの子分で、今まで戦ってきたどのモンスターよりも手強い。
(……少し厳しい、か)
「ナギサさん」
 必死に戦う術を探し求めていると、鉄の槍を構えたままのヤヨイが小声で話しかけてきた。
「何?」
「……私じゃ、それほど戦えない事は分かっています……でも」
 そこで一旦言葉を止めると、ヤヨイは道具袋から何かを探し始める。
「囮ぐらい出来ます……!」
 彼女の瞳には強い決意が秘められていた。
「…………あ」
 その時、ナギサの頭に何かの記憶が蘇る。それはいつも不意に訪れる――――ある呪文の記憶。
(問題は……)
 ただ引っかかるのは、よりによってかなり高度で複雑な呪文である、という事であった。
 そうなるとかなりの時間集中しなければいけないので、当然動きながら、というわけにはいかない。
(…………綱渡りね)
 唱える為の方法。隣にいる彼女がいれば不可能ではないが、それには運も必要になってくる。
 しかし、今は迷っている時間も惜しかった。
「ヤヨイちゃん、ちょっといい?」
「はいっ!」
 微かに過ぎる不安を隠し、ナギサは自信に満ちた笑みでそう問いかけると、彼女は安心の混じった元気な声で返事をするのあった。



「……どうした? かかってこねぇのか?」
 一方、いつまで経っても動こうとしないリノ。
 待ちくたびれて退屈を感じ始めたのか、カンダタは欠伸をしてからそう言った。
(どうする……?)
 その問いかけに乗らないよう、必死に平静を保ちながらも彼女は焦りを感じている。
 それまで一歩も踏み出そうとしなかったわけではない。むしろ何度も果敢に攻め込もうとしていたぐらいである。
 しかし、一見無防備にも思えるカンダタには全く隙が無く、同じ数だけ足を止めてしまっていた。
「なら……」
 痺れを切らした大きな体躯の盗賊は、軽々と斧を持ち上げる。
(まずい――――)
 それが攻撃の合図であると悟ると同時に、リノは鋼の剣を構えて走り出していた。
 先手を取られれば、また前のように何も出来ないまま終わってしまう――――そう考えて覚悟を決める。
「喰らえっ……!」
 それを待っていたと言わんばかりに、カンダタは彼女めがけて右から水平に斧を振る。
 リノは唸りを上げて迫り来る一撃を横目で確認しながらも、進路を変えず懐へ一直線に駆けて行った。
(刺し違える気か!?)
 前に戦った時とは明らかに違う彼女に、わずかに心が揺れ動く。
(退く訳には……いかないっ!)
 凶悪な鉄の塊りが、まさにリノの身体を引き裂こうとした直前だった。
 彼女の足と身体がわずかに沈み――――直後、大きく宙へと舞い上がっていた。
「上……か!」
 十分に引きつけてから避ける、というリノの狙いに気がついたカンダタは、身体を軋ませながら強引に後ろへと飛ぶ。
 そのせいで、彼女の剣は虚しく空を斬った。
「まだ……!」
 着地したリノはその勢いを殺す事無く、再びカンダタへと斬りかかっていく。
「ちっ」
 体勢が整っていない為、これ以上下がるのは不可能――――そう判断した彼はまだ左へ流れようとする斧の勢いに任せて身体を回転させた。
 次の瞬間、彼女の渾身の一撃は再び前方に構えられていた斧によって防がれ、激しい火花と鋭い金属音が辺りに響き渡る。
(……この前と全然違うじゃねぇか)
 心中でそう呟くカンダタ。だがリノの目には、それが何故か嬉しそうに映るのであった。



 2人の一瞬の攻防を不安な様子で盗み見ていたナギサは、
「リノちゃん……」
 と安堵の入り混じった声で呟いた。
 今までの彼女とは違う横顔。それはおそらく心の内に秘めた、ある一つの想いなのだろうか。
「こっちも負けてられないわね」
 彼女はヤヨイにそう告げてから、きっと視線を前方に戻すと、先ほどまでゆっくりと歩み寄っていた子分たちとはまだ距離があった。
 多分、彼らも今の戦いに心を奪われていたのだろう。そして――――それはまだ続いているようだった。
(……今しかない!)
 ナギサはすでに右手に装着済の鉄の爪を顔の前に、左手にはまだら模様の丸い物を持ったまま低い姿勢で走り出す。
 それに倣って、槍を背負ってそれぞれの手に何か道具を持ったヤヨイも続いた。
「くっ……!」
 反応が遅れ、虚を突かれた表情になる男2人。だが、すぐに気を取り直して迎え撃とうと、各々武器を振るう体勢を取る。
 しかし、真っ直ぐに向かってくると思われたナギサの姿は、3歩ほど手前で左へと消失した。
 その代わりに攻撃を仕掛けたのは、彼女に隠れるようについていたヤヨイ。
「えいっ!」
 だが、繰り出されたのは武器ではなく、透明な液体が入った2つの瓶。
 それが子分たちの鎧に直撃すると、澄んだ音と共に砕け散り、中身が破片と共に弾け飛んだ。
「こんなも…………ぐっ!?」
 水だと思い込んでいた子分たちは、予想外の衝撃にふらりと身体を揺らせて体勢を崩す。
 彼女が投げつけたのは――――聖水だった。
 本来はモンスターを近寄らせない為に、身体全体に使用するものだ。
 だが、無理やりぶつけられた上にそれが目の中に入れば、普通の水よりも若干強く視界が遮られる。
 今2人にとっては、そのほんの少しの効果が必要であった。
「ナギサさん!」
 ヤヨイの声に彼女は笑顔で答えると、左手に持っていたまだら蜘蛛糸を投げる。
 普通の蜘蛛の糸よりもはるかに粘着性の高い糸が、子分2人に絡みついた。
「これで……最後です!」
 更に間髪入れず、ヤヨイは蝶の絵が描かれた袋を開けて、それを真っ直ぐに放り投げる。
「っ……!?」
 中身から零れ落ちたのは、怪しげな色でぼんやりと光る――――毒蛾の粉。
「…………効いたみたい、ですね」
 突如、何かを叫び出し、しゃがみこんだり横になったりと不審な行動を取る子分たち。
「にしても……こんな姿はあまり見られたくないかも……」
 彼らの錯乱状態に自分がマヌーサにかかった時の姿を重ねたのか、ナギサは少し照れたように呟いた。
「それよりもお願いします!」
 何かの衝撃でいつ正気に戻るか分からない。慌てたヤヨイは彼女を急がせる。
「え、ええ…………あ、ちょっと時間がかかるから、もしもの時はお願いね……」
 ナギサはその迫力に多少驚いたが、すぐに真剣な表情になり、両の手で中空に複雑な模様を描き始める。
 そして整った形の唇から呟かれる言葉は、今まで聞いたどんな声よりも深く、重かった。



 子分たちの戦いを横目に、カンダタはのんびりとした口調でそう口にする。
「随分強くなったじゃねぇか」
「…………」
 しかし、リノは何も言葉を返さずにただ相手を睨みつけていた。
(小僧、か……)
 その様子にカンダタは苦笑いを浮かべながら、床に降ろしていた斧を持ち上げる。
 彼女は再び先手を取られない為に立ち向かっていった。
 幾度となく響く固い金属音。だが、以前と違うのはカンダタが防戦一方という事だった。
 受け止めれば剣が折れてしまう上に、翻弄されて為す術もなく力尽きてしまうと考えたからだ。
(負けられない……!)
 更にトラッドは捕まっており、ナギサとヤヨイも子分たちと戦っている途中。
 つまり――――この場はリノ一人で乗り切るしかない。
(……強くなりやがった)
 次々と迫り来る彼女の斬撃。隙を見つけては、彼も反撃を試みるが全て紙一重で避けられている。
 おそらく本人は自覚していないだろうが、その動きには迷いも淀みも見つけられなかった。
「おい」
「………………」
 カンダタが話しかけるが、リノは一切聞く耳も返す言葉も持たずに、ただ無心で剣を振るい続ける。
 それに構わず、彼は話を始めた。剣を交えながらも、会話するだけの余力はまだあるらしい。
「あの小僧の過去……」
 一際、大きな音が無機質に響く。

「……教えてやろうか?」

「……!?」
 そこで初めてリノの瞳が、ある感情によって揺れる。カンダタはその変化を見逃さず、もう一度問いかけた。
「……知りたいんだろ?」
「………………」
 しかし、それは一瞬の事で再び彼女の動きは鋭さを取り戻していた。
「聞かなくていい」
「……何故だ?」
 覆面の下の顔にはわずかな驚愕の色が浮かんでいるが、彼はそれを見せずに再び尋ねた。
「…………知りたい、けど」
 リノはそこまで言ってから、2歩後ろへ下がって深呼吸をする。

「いつかトラッドが話してくれる、って…………そう、約束したから」

「…………そうか」
 その言葉を受けたカンダタは、何処か温かさを感じさせる声で彼女に聞こえないよう呟くのであった。



 がん、と鈍い音が響く。それは混乱して暴れていた子分たちが、互いの頭をぶつけた音だった。
「うっ……?」
「お、俺は……?」
 鎖鎌を持った男は頭に何も身につけていなかった為、苦痛に顔を歪めるが、鎧に身を包んだ男は少し頭を押さえただけであった。
 しかし、それでも正気を取り戻すには十分な衝撃だったらしく、2人の目は正常な色を取り戻す。
(後、もう少し……!)
 未だ何かを宙に描き続けるナギサ。それは緊張なのか集中しているからなのか、目を閉じたまま汗を浮かべていた。
「……舐めた真似しやがって」
「っ…………!」
 やがて感覚を取り戻した子分たちは、怒りの眼差しを2人に向ける。
 ヤヨイは背負っていた槍を、多少震えさせながら構えていた。
「何だ? びびってやがるのか?」
 そこから彼女の不安に気付いたのか、急に態度をがらりと変える――――それも期待に満ちた表情で。
「この借りは……きっちり返させてもらう!」
 鎖鎌を持った男が、叫びと共に距離を詰めた。そして、彼女の槍をめがけて鎖鎌を放った。
「くっ……!」
 咄嗟に槍を立てて、迫り来る錆の付いた鎌を避けたヤヨイだったが、鎖が棒の部分が絡みつく。
「しまっ―――」
 すぐさま相手の狙いに気付いてその鎖を外そうとするが、それよりも早く槍が天井まで放り投げられた。
「あっ……」
「これで丸腰だな……」
 からん、と乾いた音を立てて、固い床の上に槍が落ちる。とても隙を突いて取りに行ける距離ではない。
(何か道具は……でも……)
 毒蛾の粉、まだら蜘蛛糸、確かに先ほど使った道具からまだ使っていない物も鞄に入っている。
 しかし、またそれを取り出さなければいけない上に、ナギサも身動きが取れない。
 となると、自分一人でこの状況をどうにかするしかないのだが、すでに男たちは少し駆け出せば攻撃できる所まで近づいていた。
「へへへ……」
 鎖鎌をぶんぶん振り回す男は不気味な笑みを浮かべており、鎧の男がその隣を無言で歩いてくる。
(ナギサさん……)
 ちらりと後ろにいる彼女を見ると――――いつの間にか手の動きは止まっていた。
 だが、一向に何かする気配がないというのは、まだ呪文が完成していないという事なのだろうか。
「……年貢の納め時だな」
 変な言葉、と感じながらもそれを口に出す余裕も無い。ヤヨイはぎゅっと目を閉じて、身を固くさせる。
 そして2人の男が同時に武器を振り上げた時だった。

「ヤヨイちゃん!」

「!? は、はいっ!」
 刹那、耳に届いたのは凛としたナギサの声。
 戸惑った様子で彼女は返事しながらも、それより先に身体は反応していた。
 自分の力の限り右へと飛んで、これから唱えられる呪文の衝撃に備える。
「なっ……!?」
 背筋に走る漠然とした恐怖。
 しかし、それを無理やり抑え込むと、2人は振り上げた武器の矛先をナギサへと変えて襲い掛かろうとする。
 後2歩踏み出せれば、鎖鎌と剣はナギサを捉えていたかもしれない。
 だが、その前に彼女は勝利を確信した笑みを浮かべる。
「!?」
 本能は先に何かを悟り、急激に体温が下がった。
 だが、動き出していた身体はすでに止められない所まで辿り着いている。

「――――メラゾーマ!」

 囁きにも似ている、落ち着いた彼女の声。


 それと同時に巨大な火球が一瞬で膨れ上がると―――――容赦なく2人の男へ炸裂するのであった。



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