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リノの剣を、カンダタが斧で受け止めた時だった。 「!?」 離れた所から伝わってくる熱気と音によって、一瞬動きが止まる。 (今だ……!) だが、我に返るのは彼女の方がわずかに早かった。 理由は、その原因が誰なのか分かっていた事と――――トラッドを助け出したいと思う気持ち。 彼がそれに気付いた時には、リノはすでに渾身の力を込めて剣を振るっていた。 「ちっ……」 舌打ちする音は、斧の柄に剣が打ちつけられた音によってかき消される。 不十分な体勢の中、不十分な場所で受け止めるというのは、怪力であるカンダタの手から武器を弾き飛ばすには十分であった。 巨大な彼の獲物が重い音と共に床へと落下する。 カンダタが自然とそれを目で追いかけてしまった時には、もう首筋に冷たい感触があった。 「……降参だ」 彼は腰を下ろし、見下ろす形になっているリノを仰ぎ見てから、小さいながらもよく響く声でそう呟いた。 「………………」 眼前に広がるのは、子分たちが炎に包まれている光景。 それもそのはずで、今ナギサが放った呪文はメラ系で最も難しく、最も破壊力のあるものだ。 しかし、彼女の表情は芳しくない。それは膨大な魔力を消耗した疲れだけには見えなかった。 (……やっぱり弱くなってる) いつの間にか隣にいるヤヨイは、あまりの威力を目の当たりにして呆然となっており、その様子には気付いていない。 (メラミよりは強いんだけど……メラゾーマほどじゃないわね) 今では扱える者はごく一部に限られている。 しかし、その本当の破壊力を知っているナギサは確信を持ってそう感じていた。 「う……う……」 彼女がぼんやり自分の掌を見つめながら考え込んでいると、目の前の炎はいつの間にか消えつつあった。 見ると鎖鎌の男が呻き声を上げながら、這いつくばる様にして逃げようとする。 「……ヤヨイちゃん、薬草ある?」 「え? あ、はい」 呼びかけに答えて、彼女は鞄の中から薬草を数枚取り出した。 ナギサは礼を言ってそれを受け取ると、苦しむ2人の男にそれを与える。 その行動に、ヤヨイは何か言いたげな表情であったが、 「さすがにほっておけないでしょ?」 という彼女の言葉を受け、子分たちの凄惨な様子を見ると静かに頷く。 「今度こそ、ちゃんと改心するようにね」 優しい声で呟くナギサ。 それは本当に先ほど強大な呪文を唱えた本人なのか、と思いながら、ヤヨイも手伝うのであった。 「殺すのか?」 カンダタは剣を向けられても、別段慌てる様子も無くそう問いかける。 それに対してリノは首を横へ振ると、焦りを抑える様にこう口にした。 「捕まった人は何処にいる」 「……この先、左に曲がった通路の奥に牢屋を開ける仕掛けがある」 「…………」 彼の右手がぶっきらぼうにそこを指し示す。 しかし、彼女はちらりと視線を投げただけで動こうとしない。 「おい……今更、嘘なんて」 「違う」 「じゃあ、何だ?」 「………………」 この時カンダタはリノの剣が殺気を帯びていない事をすでに察していた。 以前も彼を殺そうとしたトラッドを止めたぐらいだから、その事自体何処も不自然ではない。 だから、自分が疑われているのだと考えたのだが、それも違うらしく、彼女は考え込んだままであった。 「何を迷っている?」 一向に理由を語ろうとしないリノに、カンダタはもう一度だけ問いかけてみた。 「……分からない」 彼女の中ではっきりしているのは、彼に対する違和感だけで、理由までは見つける事が出来なかった。 「ところで……小僧はいいのか?」 「……あ」 「…………早く行ってやれ」 束の間とはいえ、忘れられていたトラッドを不憫に思いながらも、カンダタは顔を背けながら促した。 リノは礼のつもりなのか、少しだけ頭を下げると、言われた通りに通路の奥へと駆け出していく。 「全く……世話の焼ける」 うんざりした口調で呟きながら、彼はこれからどうやって逃げ出すかを考え始めた矢先、背後から微かに聞こえる足音に気付いた。 「あら、随分大人しいわねー?」 「……今の所は、な」 この場違いに明るい声の主は想像がつく。しかし、どういうつもりで話しかけてきたのかまでは分からない。 それを悟ろうと、カンダタはわずかに腰を持ち上げて振り返った。 「…………何か用か?」 「用がないと話しかけないわよ」 後ろに立っていたのは、意味有りげな笑みを浮かべるナギサだった。 「で?」 「一つ聞きたい事があるの」 「言ってみな」 圧倒的に不利な状況にも関わらず、彼に態度を改める気は微塵も感じられない。 しかし、彼女にしてみればそれは不快に思うどころか、むしろ好感が持てるぐらいで話しやすく思えた。 ナギサは少し言葉を選ぶような素振りを見せた後、一度深呼吸をしてからこう尋ねる。 「……何か嘘ついてない?」 ずっと彼女が違和感を感じていた事のは――――自分と似た何かを隠している空気。 「・・・・・・」 その一言に、覆面の下の目がほんの少し揺れる。 「何も言わないって事は、認めてるって受け取っていいのかしら?」 更に鋭く問い詰めてくる彼女に、カンダタは鼻で笑うと、 「いや……」 と呟いた。そして苦々しい口調でこう続ける。 「ついた嘘が多過ぎてな……どれを言ってるか分からねぇだけだ」 「……まぁ、そういう事にしておいてあげるわ」 それから彼は平然とした様子で立ち上がると、ヤヨイの手当てを受けている子分の元へと歩いていく。 「な、何ですか?」 「……世話になったな」 「え? わ……!?」 それを彼女は阻止しようと試みたが、カンダタの大きな右手に頭を撫でられて、一瞬呆然となった。 我に返るとその後ろでナギサが首を振っているのが見えて、大人しく抵抗するのを止める。 悠然と歩く巨大な体躯の盗賊は男2人を軽々と持ち上げて、最後に少しだけ振り返ってこちらを見ると、そのまま静かに立ち去るのであった。 「これか……」 リノはカンダタから言われた通り、2つに分かれた通路を左に進んだその奥で上を向いたレバーを見つける。 念の為と思い、辺りを確認してみたものの、他に怪しい物はない。 取っ手の部分を掴み、下へ降ろそうとしたが錆付いているのか中々動こうとしなかった。 「…………!」 そこで今度は、全体重を乗せてから動かそうと試みる。 すると、ぎぎぎ、という耳障りな音を立てて、ゆっくりとレバーは下がっていった。 それが一番下まで辿り着いた時、複雑な機械音と共に何かが動く音が響いた。 振り返って最初に目に映ったのは、先ほどまで立ちはだかっていた鉄格子が消失した姿。 (トラッド……!) さして遠くない距離。それでもリノの歩く早さは想いと共に加速する。 「…………?」 中にいた銀髪の彼は、物音に気付いて顔を上げた。 薄暗い牢屋。そこでしばらく正面を見て、ようやくそこに立っているのが誰かを理解する。 「リノ……」 「……トラッド」 その声に反応して、彼女は同じく名前を呼びながら顔を下に向けた。 離れていたのはたったの一日。それでも、彼女にとって長く辛い時間。 しかし、近寄ろうとする意思に反して身体は全く動こうとしなかった。 「リノ?」 「……よかった……」 「え?」 俯いた彼女の顔から、安堵の言葉が透明な雫と一緒に零れ落ちる。 「もう……逢えないのかと思った」 その呟きと同時に、彼女の身体は糸が切れたように崩れ落ちた。 「リノ!?」 おそらく彼女よりも早く、異常に気付いたトラッドはすぐに駆け寄ってその身体を抱き止める。 「………………」 聞こえてくるのは安らかな寝息。先ほどまでの張り詰めた空気は嘘のように消えていた。 「・・・本当にごめん」 自分の肩の上で、何の警戒心もなく安心しきった表情で眠る彼女。 この小さな身体に、一体どれほどの不安を抱え込んでいたのだろうか。 彼は心を震わせながら、謝罪の言葉を紡ぐのであった。 「……う」 「気が付いたか?」 ぼやける視界の中、トパーズ色がリノの目に飛び込んでくる。 「トラッド……?」 見慣れたその色と耳に心地良い聞き慣れた声は、それを彼と認識させるのにさほど時間はかからなかった。 「大丈夫か?」 「あ……うん」 混乱気味の頭を落ち着かせて辺りを見回すと、そこは何処かの部屋のベッドの上。 いつも身につけているサークレットが外されているせいか、吹く風はより一層心地良かった。 「……ここは?」 「バハラタの宿屋」 彼はすぐ隣に置いてある椅子で、覗き込むように彼女を見ている。 「もしかしてずっと……?」 「……まぁ」 近くのテーブルの上には半分ほど水が入ったグラス。 彼はそれを一口だけ飲んでから、もう一つの空いたグラスを手に取ってリノに尋ねた。 「飲むか?」 そう言われて喉が乾いている事に気付くと、彼女は小さく首を縦に振る。 するとトラッドはぎこちない様子で水を注いだ。震えていたせいか、テーブルの上をわずかに水が跳ねる。 どうかしたのか、と問いかけようとした矢先、グラスを差し出されたのでリノは素直にそれを受け取って口にした。 それから数分間、何となくリノは話しかける事が出来ず、トラッドもそわそわして部屋の中を行ったり来たりする。 時々、横目で彼女を見るのだが、やはり何も言い出そうとしない。 「トラッド」 多少気が引けるものの、彼女は思い切って名前を呼んでみた。 「……ごめん」 「あ、いや怒ってるわけじゃ……」 「え?」 「その……心配で」 「………………」 自分でも落ち着いていないのを理解しているらしく、どうにか心を鎮めようと彼は椅子に座って水を飲み干す。 「リノ……ちょっといいか?」 覚悟を決めた様な彼の口調に声が出せず、彼女は控えめに頷いた。 「俺とカンダタの事、なんだけど」 「……いいのか?」 以前、いつか話して欲しいと約束した。けれど、それが今でいいのか、という意味の問いかけだった。 「ああ」 「だったら2人も――――」 そう言いながら呼びに行く為に起き上がろうとする彼女だったが、それは両肩にかかる強い力によって押さえ込まれる。 ハッとなって顔を上げた先には、真剣な目をしたトラッドが近くにいた。 「……まずリノに聞いて欲しいんだ」 ナギサとヤヨイには後で話すから、と彼は付け加えた。 「うん……でもその前に」 「ん?」 「…………手を離して欲しいんだけど」 リノの顔が少し赤いのは俯いていたので見えなかったが、そう言われて彼は慌てて身体を離すのであった。 「えっと……」 それからしばらく戸惑った表情を見せるトラッド。 話すというのは決めていたようなのだが、何処から話せばよいのかずっと迷っていたらしい。 「まず、俺とカンダタは……同じ師匠の下で色々教わる間柄だったんだけど・・・」 ようやく言葉が見つかったのか、彼はぽつりぽつりと話し始めた。 「むしろ兄のように思ってた」 「………………」 「……今は違うけど」 トラッドはトパーズ色の瞳に陰を落としながら、更に続ける。 「それで師匠に当たるのが俺の父さんで、カンダタも尊敬してる……と思ってた」 その時、リノの脳裏をある一つの可能性が掠めていった。 「……ある日、俺の住んでた所がモンスターの大群に襲われたんだ」 「サマンオサ……?」 以前に聞いた記憶がある国の名前を尋ねるように呟くと、彼は、ああ、とだけ短く答える。 「俺は父さんに教えてもらった町の地下に避難してた……でも」 そこまで話して、より一層彼の表情が曇った。 「…………」 心配そうな表情を浮かべながらも、リノは言葉の続きを待つ。 「……外に出た時、父さんは――――カンダタの手で殺されてた」 トラッドの膝の上で固く握り締められた震える拳。その上に音も無く雫が一つ落ちた。 「だから俺は――――」 更に想いを吐き出そうとした時、自分に押しかかる重みによって言葉を遮られる。 「ごめん……もう……話さなくていいから……」 いつの間にか起き上がっていたリノは彼の胸に額を押し当て、両の掌で肩に触れていた。 声と同じく震える小さな身体からは、心が温かくなる真っ直ぐな気持ちが伝わってくる。 その感触に言葉を失ったトラッドは、右の掌で彼女の頭を柔らかく撫でるのであった。 しばらくその状態のままでいた2人だったが、先に落ち着いたリノは慌ててトラッドから身を離す。 それから互いに話す言葉も無く、ただ静かな時間が緩やかに過ぎていった頃、 「………………悪かった」 と、彼が唐突にそう口にした。 リノは弾かれたように顔を上げて、一度彼と目を合わせた後、すぐに俯いてこう呟いた。 「……う……て?」 「え?」 聞き取れなかった彼が自然と聞き返すと、彼女はゆっくりと顔をこちらに向けて、言葉を付け加えてから繰り返す。 「どうして……謝るんだ?」 「それは……隠してたし…………捕まって迷惑かけて…………」 彼女はまた顔を下に向けてから、首を横に振った。 「約束……守ってくれただけで…………嬉しいから」 「リノ……」 そして彼はまた口から零れそうになった謝罪の言葉を飲み込み、すっと立ち上がった。 「じゃあ……2人にも話してくるから、先に休んでてくれ」 その一言で、リノの身体に忘れていた激戦の痛みと疲れが蘇ってくる。 それからトラッドが部屋を出るのを見送ると、彼女は再びベッドに横になった。 (力に…………なりたい) それはカンダタを殺すのを手伝うという事ではなく、それ以外の事で彼を助けたいという純粋な想い。 リノはその決意を胸に抱きながら、いつしか深い闇へと意識を手放すのであった。 「どうかしたんですか?」 「……ちょっと考え事」 窓から夜に染まったバハラタの町並を眺めるナギサ。 「…………さっきの話の事ですか?」 ヤヨイの言う話というのは――――トラッドとカンダタの過去の話である。 彼はリノに話した数分後、部屋に訪れてからその事を告げた。 2人は静かに耳を傾けていたのだが、その時からナギサは複雑な表情を浮かべていた。 ちなみにトラッドはもう自分の部屋に戻った後である。 「ねぇ、ヤヨイちゃん」 「はい?」 ナギサは先ほどの質問に曖昧に返事をしながら、彼女を呼びかけるが、 「……もうそろそろ寝よっか?」 「あ……そうですね」 不自然な間を置いた後、ごく当たり前の事を口にするだけだった。 だが、疲れているのか、それともヤヨイ自身も考え事をしているのか、それに気付かず素直に納得する。 互いに挨拶を交わして、2人はベッドへと身体を沈み込ませ、襲い掛かる眠気に身を任せた。 (………………) 早くも隣から聞こえるヤヨイの寝息を耳にしながら、ナギサは先ほどの彼の話について考え始める。 (トラッドが嘘を言ってるようには思えない……けど) そして思い浮かぶのは、彼の父親の仇であるカンダタの事。 しかし、仇と言うには何かが噛み合わない。 (狙われてるのは分かってるはずなのに) あの盗賊には一切の緊張が無く、それどころか安心しているような空気すら感じられる。 余裕がある、と言われればそれまでなのだが、彼女の頭はどうしてもそこに考えが至らなかった。 (……やっぱり聞いてみないと分からないわね) 一向に真実を掴めない推測だけが積み重なっていく中、思考を止めたナギサは程なくして眠りへと落ちるのであった。 次の話へ
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