第37話 「度重なる再会」


 太陽は後2時間もすれば沈む、という位置にあった。
 バハラタを出て東の橋を渡った所には、2日前にリノたちが通った森があった。
 あの時は随分苦労したのだが、トラッドのおかげなのか、以前ほど辛くはない。
「この道で本当に合ってるのか?」
 先頭を歩くトラッドは、後ろから案内をするナギサに問いかける。
「大丈夫よ」
「そうか」
 揺るぎない絶対の自信に満ちた彼女の返事。
 それを前にして、トラッドはこれ以上何か言おうと言う気にはなれなかった。
(まぁ……自分から行きたいって言ったぐらいだしな)
 思えば、彼女がそんな風に言うのは初めてのような気がする。
 つまり、それほどナギサにとって大切な事なのだろう。
「あ、ここから霧が深くなるから気をつけてね」
 初めて訪れる者には決して真似の出来ない細かな注意。
 その言葉通り、森を抜けると深い霧が立ち込める山道が姿を現わした。
「噂には聞いてたけど・・・本当にそれらしい場所にあるんだな」
「辿り着くまでも修行みたいなのよねぇ……」
 足場の悪い道を、慎重に歩きながら2人はそんな会話をする。
 一方、後ろを歩くリノとヤヨイには会話をする余裕は無いようだ。
 多くの人々がより高みを目指そうと訪れる神殿。
 トラッドは彼女の言う通り、この道のりすら修行の一環ように感じていた。
「本当に変わらないわね……いつまで経っても」
 ナギサは金髪を風になびかせながら、誰にも聞こえない様に呟く。
(私は……何の為に戻ってきたのかしら……?)
 4人が目指す場所。それは呪文を扱う者の憧れでもある場所―――――ダーマ神殿であった。


 話は今日の昼まで遡る。


「それにしても……本当に王様なんですか……?」
「まぁ、それ以外の人間がああやって玉座に座らないだろうし」
 先日、トラッドがカンダタに捕まったのだが、それよりも更に前にバハラタの町娘が人質になっていた。
 そこをリノたちが助け出したのだが、彼女の家は偶然にもコショウを売る店で、お礼にと大量に譲ってもらう事が出来たのだ。
 目的が達成した為、翌日すぐにポルトガへ戻り、コショウを王様に渡した所・・・


「こ、これが……伝説の……!!」
「え、いやそんな大げさな物では……」
「いいや、間違いない! この食欲をそそる香り、正しく伝説の名に相応しい!」
 喜ぶ事は分かっていたが、それは余りに常軌を逸していた。
「…………」
 そんな王を前にしてどうすればよいのか、そもそも何もしなくてよいのか。
 トラッドの表情はそんな迷いを抱えている。しかし、それは我に帰った王の一言によって、すぐに解消された。
「……おお、ところで船じゃったな」
「あ、はい」
 真剣な目に戻ったかと思えば、瞼を閉じて何か思索するような表情になる王様。
 それは、先ほどまで玉座の上で、所狭しとはしゃぎまわっていた人間と同じとは思えないほどであった。
「7日ほど時間を貰ってもよいかの?」
「え?」
 港にはかなり豪華な船がいくつも泊まっていた。
 なので、てっきりその中から貰える物だと思っていたトラッドはついおかしな声を上げてしまう。
「うむ……折角じゃから、もっと良い船を作ろうかと思ってな……どうじゃ?」
「それなら……お心遣いありがとうございます」
 コショウだけで、と思うと気が引けたが、物の価値はその人によって違うもの。
 そう納得したトラッドは、深々と頭を下げ、その好意を素直に受け取るのであった。


「さて、と……どうするかな」
 そんなやり取りを終えてポルトガの城から出た時、7日という微妙な時間に困ったトラッドが呟く。
「………………」
 隣ではナギサがじっと考え込んでおり、答える素振りすら見せない。
 3人は顔を見合わせて、それぞれ複雑な表情で首を捻る。
(師匠、何かあったんですか?)
(いや……)
 不安げなヤヨイがトラッドの耳元でそっと尋ねてみるが、彼にも思い当たる節は無いようだ。
 誰よりも朝早く起きて、誰よりも元気な様子を見せる彼女。
 しかし、今日はいつもと違い、ほとんど何も喋ろうとしない。
 名前を呼んでも上の空で、ただ碧眼を揺らして、遠くの景色を眺めてばかりいる。
「ナギサ」
 同じく気にかけていたリノが、彼女を呼んだ。
 しかし、耳に入っていないのか、やはり返事は返ってこなかった。
「……とりあえず、宿屋に行こうか」
 ふとした時、陰を帯びた表情を見せる彼女だが、今日はいつにもまして長く続いている。
 それが心配といえば心配だが、自分が今出来る事は何も無い。
 そう考えて気休めのつもりで言ったのだが、
「…………ねぇ」
 その時、今まで沈黙を守っていたナギサの唇が微かに動く。
 呼びかけには答えない代わりに、誰もが息をのんで次の言葉を待った。
 数時間聞かなかっただけで、懐かしいと感じた声。そんな彼女が紡いだ言葉は、
「行きたい所があるんだけど…………いい?」
 真剣味を帯びていたせいか、3人にとっては初めてのワガママの様に聞こえるのであった。


 彼女のその一言によって、現在に至るという訳である。


 森を抜けた後の深い霧の中。足場とモンスターの気配に注意しながら、ほぼ1時間ぐらい歩いた頃だった。
「トラッド」
 突然ナギサは彼を呼んだ。
「……ん?」
 ここに来る事になった経緯を思い出していたせいか、わずかに返事が遅れる。
 しかし、さして気にする事無く、彼女は話を続けた。
「……聞かないんだ?」
「何が?」
「私がここに行きたいって言った理由」
「そういえば聞いてなかったな」
「…………」
 後ろを歩くリノとヤヨイは、余裕は無いものの前の会話に耳を澄ましている。
「気を遣ってくれてるの?」
 何処か儚く揺れる、2つの碧眼。そこにはいつものような強さは見られない。
「いや……行けば分かると思ったからかな」
 その一言に、ナギサがちらりと後ろの様子を窺うと、2人揃って頷いていた。
 再び前に視線を戻してトラッドを見ると、すでに彼は歩く事に集中しているようだった。
(……みんな、本当に嘘が下手ね)
 根が正直なのせいか、言葉の端々にも背中からも緊張が滲み出ているように見える。
「……ありがと」
 彼女の唇から零れ落ちた感謝の言葉は、誰の耳にも届く事無く、霧の中へと溶け込んでいくのであった。

 淡々と険しい道のりを歩き続けていると、ようやく辺りを覆っていた霧が徐々に晴れてくる。
「あれ……?」
 荒い息遣いをしていたヤヨイは、正面に何か大きな影があるのを見つけ、一瞬呼吸を忘れた。
「…………山?」
 同じくその姿を確認したリノが、思った事を問いかける様な口調で言葉にする。
「本当に遠いんだから……」
 前を歩いていたナギサは、うんと背伸びをしながら呟いた。
 それは2人の疑問に答える口振りでは無かったが、先頭のトラッドはその一言で誰よりも早く理解する。
「ここがそうなのか?」
 彼の言葉に3人の視線が一斉にナギサへと集められる中。彼女は神妙な面持ちで、小さく首を縦に振った。



 太陽が遥か西の彼方へ、その身を隠そうとする頃――――4人はダーマ神殿の前へと辿り着いた。
 入口の扉はまるで城を思わせるような重厚感があったが、呪文でも使っているのかと感じるぐらい軽い手応えで開かれる。
 中に入ると数名の人間が談笑しながら、神殿の東へと歩いていた。
 その集団より少し後方を、誰とも話そうとせずに黙々と歩を進める男が一人。
 腰の近くまである長い燃える様な赤い髪が、風になびいて背中で揺られている。
 それと同じ赤い眼は、ただ前方を見つめていた。
「あ……」
 そんな彼の姿を碧眼に映し、思わずナギサは声を出す。
「どうかし……ああ」
 その理由を尋ねようとしたトラッドだったが、その前に自分の中で答えに辿り着いたようだ。
(いい男、だから……いや)
 しかし、それにしては彼女の顔はいつもと変わらない。むしろ厄介なものを見つけたような表情だった。
 勿論、リノとヤヨイには思い当たる節が全く無いので、静かに事の成り行きを見守っている。
「…………何か?」
 じろじろ見られれば誰しも気になるものである。それは彼も例外ではないようで、訝しげな表情で問いかけながら歩いてきた。
「……別に何も」
「あ」
 気まずそうな顔を逸らし、何処かへ立ち去ろうとするナギサだが、男の呟きにぴたりと足を止める。
「……人違いじゃないかしら?」
 リノは内心、まだ何も言ってない、と思ったが、敢えて口にしない。
 一方ヤヨイは何を期待しているのか、妙に瞳を輝かせていた。
 そして普段事あるごとに関わろうとしないトラッドですら、男の言葉をじっと待っている。
「ナギサ?」
 周りの気持ちなど知りえない彼は、確かめるように彼女の名前を呼んだ。
「……知り合いか?」
「違うわよっ!」
 静寂が訪れようとしている神殿の中。トラッドの頭にハリセンが炸裂し、辺りにこだまする。
「やっぱりナギサか……その態度は相変わらずだな」
「…………そっちこそ、その鬱陶しい髪は相変わらずね」
 否定しながらも、再び名前を出されてしまったので、彼女は知り合いであるという事実を認めた。
「ところで、その格好は?」
「え?」
 彼女は何の事か分からずに聞き返すが、すぐにその理由を察する。
「前に見た時は確か――――」
 そして慌てた様子で返事をしようとするが、それよりも早く口を開いた彼に、

「余計な事言わないで」

 と、冷ややかな声でそれを遮った。
「そうか」
 その時、今まで変化に乏しかった彼の顔に、少し異変が生じる。
 それは――――何処か落胆したような、寂しそうな空気が滲み出ていた。
「…………邪魔したな」
 結局、彼は赤い前髪を苛立ちを抑える様にかき上げると、一言残してから去るのであった。
「……私たちも宿に行きましょうか」
 普段見せない感情を露わにしたナギサは、あまり明るく無い声で3人を促した。



(別に……あんな風に言うつもりは……)
 他の3人はナギサの後ろを歩いている為、表情は見えない。
 それでも、時折零れるため息の音と、身体を包む重苦しい空気ははっきりと感じ取れた。
「…………」
 誰一人、かける言葉を見つけれずにただ足音だけが耳に届く。
 そんな時だった。
「ナギサちゃん?」
 背後から突然、彼女を呼ぶ年老いた声が届けられた。
 それはその声に似つかわしくない可愛い響きで、4人は違和感を覚えながらも振り向く。
「…………えっと」
 ヤヨイはその人物と言葉の差に、困ったような口調で呟いた。
 立っていたのは、取り囲まれた壁と同じ深緑色のローブを纏った男が一人。
 所々に飾られている赤を基調とした模様が印象的であった。
 頭の頂点は髪が無く、両耳の上から後頭部にかけて少し残っている程度。
「……あのねぇ」
 おそらくダーマの神官で、その年恰好からするとそれなりに偉い人間とトラッドは推測した。
 だが、ナギサは先ほどよりも大きなため息を、呆れた声と共に洩らす。
「その姿で話しかけないで欲しいんだけど……」
 彼が、あ、と気付いた声を出すと、急に全身が淡く光り始めた。
 更に一際眩しく輝き、4人は思わず目を閉じる。それから光が止んだ後、ゆっくり目を開けると、
「覚えててくれたんだ」
 何処か嬉しそうな言葉と共に姿を現わしたのは、優しげな表情を浮かべる女性。
 肩ぐらいまである青空のような髪と、緑色の瞳、そして大きくて丸い眼鏡をかけている。
 そこには、先ほどまであった威厳も堅苦しい空気も存在していなかった。
「……一応、お世話になったしね」
「一応って……本当に素直じゃないんだからー」
 仕方がない、そんな感じで彼女は苦笑いを浮かべる。その様子は何処か子供のようでもあった。
「ナギサ……この人は?」
 初めて目にした光景に驚いているのか、リノはいつもより一層控えめな口調で問いかけた。
「あっ、自己紹介がまだでしたね」
 答えたのは目の前にいる当の彼女で、一礼をしてから自分の名を告げる。
「私はアーニーっていいます」
 それに続いて、ナギサが小さな声でぽつりと呟いた。
「こんなのだけど、ダーマで一番偉い大神官よ」
「え……」
 その言葉をしっかり聞き取ったトラッドが意外そうな声を上げると、失礼な事に気付いたのかすぐに頭を下げる。
「あ、そんなに畏まらなくても結構ですよ」
 しかし、彼女は少しも気を悪くせず、逆に慌てて頭を下げた。
「ナギサちゃんは、いっつもそうやって言うから……」
 そして唇を尖らせてから、アーニーは不満げな様子でそう零す。
「あの……どうして姿を変えてたんですか?」
 早すぎる話の流れに呆然となっていたヤヨイが、おそるおそる尋ねた。
 決して呪文に詳しいわけではない彼女だが、その力で姿を変えていたというのは理解しているらしい。
 彼女は寂しげに緑色の目を揺らして答える。
「それは……この姿だと不便なんです」
「不便、ですか?」
「はい。ダーマの大神官が私だと不安そうで……それに近い年齢の方は変に恐縮しますし……」
 確かに言われないと分からない容姿である。その後、彼女はにっこりと微笑んでこう付け加えた。
「でも、ナギサちゃんは私の事を知っても、普通に接してくれるんですよ」
「へぇ……」
 トラッドはその言葉に感心してナギサを見るが、いつの間にか離れた所で違う方向を向いている。
 今日はあまり表情を見せない彼女だが、今ふと見えた耳はほんのり赤くなっていた。

「そういえば……ナギサちゃん」
「何?」
 それから3人はナギサに倣って、普通にアーニーと接し始める。
 最初はぎこちなかったものの、彼女は嬉しそうな表情で会話を楽しんでいた。
 その時、何かを思い出したようにアーニーが友達の名前を呼ぶ。
「ラザ君も帰ってたけど……何か約束してたの?」
「違うわよ」
「……そんなわけないか」
「…………ラザって?」
 2人にしか分からない会話。気になったトラッドは何かを察しながらも問いかける。
「あ、友達なんです。赤くて長い髪だから、見たらすぐに分かると思いますよ」
「……やっぱり」
 答えはナギサの口振りから予想した通りだった。
「会ったんですか?」
「話はしてないけ――――」
 次の瞬間、彼の頭にハリセンが飛んだ。
「……何故叩く」
「余計な事言いそうだったから」
 アーニーの前だから、とトラッドは根拠なく安心していたのだが、それは甘い考えだったらしい。
 しかも、彼女は笑顔を浮かべながらこう告げる。
「私のあげたハリセン、まだ使ってくれてるんだー」
 その一言によって、彼の身体からは力が抜け落ちていった。
(さすがナギサの友達……)
 遠くからいつもと変わらない光景を眺めていたリノは、妙に納得した表情であった。
「じゃあ、どうしたの?」
「…………何となく」
 再び尋ねられたナギサだが、少し間があってからそう答える。
 その様子からは何かを隠しているように見えず、本当に迷っているようだった。
「だったら……」
 アーニーはそこで言葉を切った。それはナギサの青い目の中に、複雑な心の動きが見えたから。
 しかし、ためらいながらも彼女ははっきりとこう告げた。

「一度、家に帰ったら?」

「………………」
 ナギサからの返事は無い。
「その……ここに来た時からずっと帰ってないんでしょ?」
「…………」
「それなら、おじいさんに元気な姿を見せて、安心させてあげなきゃ」
「………………」
「きっと……心配してると思うから」
 一向に彼女は返事をしようとしない。その代わりに顔をこちらに向けてこう呟く。

「……まだ時間を貰ってもいい?」

 3人はその一言にただ静かに頷いて見せた。


(時間が無くても……きっと良いって言うのかしら)
 ナギサはふとそう思うと――――小さいながらも今日初めての笑顔を浮かべるのであった。



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