第38話 「幼い頃の約束」


「じゃあ、気をつけてね」
「家に帰るだけだから大丈夫だけど……ありがと」
 翌日、朝食を済ませた4人はアーニーに見送られてダーマを出ようとしていた。
 彼女はモンスターよりも、何か別の事を心配している素振りだった。
「……もう出発するのか?」
 そこへ、昨夜気まずい別れ方をした赤い髪の彼が現れた。
「あ、ラザ君おはよう」
 気が付いたアーニーが微笑みながら挨拶をすると、彼は軽く頭を下げて小さな声で返事をする。
「……近くまで来たから寄っただけよ」
「そうか」
 ナギサの言葉には戸惑いはあるものの、昨夜ほど棘は無かった。
 それに気が付いているのか、ラザの寂しそうな気配は小さくなっている。
「気をつけてな」
「うん…………ありがと」
 ただ単純に心配そうな彼の顔。ナギサは素直に礼を言うと背中を向けてから手を振った。
 照れているような横顔に、トラッドは小さく苦笑いを浮かべて後へと続く。
 そして4人の姿が見えなくなった頃。
「そういえば、ラザ君」
「ん?」
 じっと入口の扉を見ていたアーニーはそのまま彼を呼ぶ。
「昔……ナギサちゃんと何かあったの?」
「…………」
「そんなに仲が悪かったわけじゃないでしょ?」
「……そうだな」
 困ったような様子で、ラザはぽつりと呟いた。そして、しばらく間があった後でこう続ける。
「思い当たる節はあるけど、断言は出来ない」
「…………いつか仲直りしてね」
 その一言に彼は頷いて見せるが、やはり寂しそうに瞳を揺らすのであった。



「ナギサの故郷って?」
 ダーマを出た4人。右に山、左に川といった景色を楽しみながら大きな問題も無く順調に歩を進めていた。
 道のりの途中で、あまり彼女の過去を知らないリノが問いかける。
「ムオル、っていう村なんだけど……特に何もないわよ」
「……村人全員が同じ格好とかじゃないんだよな?」
 彼女の思ったよりも普通な答えに驚いたのか、トラッドが質問を重ねるが、どうやらそれは彼女の機嫌を損ねたらしい。
「あら、勇気のある質問ね」
 その一言と同時に、今日初めてのハリセンが炸裂した。
(でも、今日は元気そうで良かったです・・・)
 師匠が殴られているいつもの光景を、微笑ましく眺めるヤヨイ。
 それはそれで問題のある事だが、昨日とは違うナギサの元気な様子に内心喜んでいた。
「……そういえば、おじいちゃんって杖をくれた人?」
 幸いにもそんな弟子の気持ちを知る由も無いトラッドは、更に質問を続ける。
「…………ええ」
「もしかして苦手なのか?」
 返事の前の間が気になったリノは、おそるおそる尋ねたがナギサは首を横に振ってこう答えた。
「そういうわけじゃないけど……」
 彼女は一度青空を見上げてから、ため息をつく。
「私がまだ……約束を守ってないから、かな」
「約束?」
「……その話は村に着いてからね。嫌でも分かることだし」
 長い説教と一緒にね、と彼女は苦笑いしながら付け加えた。
「わー……」
 その時、不意にヤヨイが遠くを見つめて驚きの声を洩らした。
 視線の先にあったのは、煙を遥か上空まであげている大きくそびえ立つ山。
「今日は天気が良いからよく見えるみたいね」
「何て言うんですか?」
「山の名前?」
 突然の問いかけにナギサが聞き返すと、はい、というヤヨイの元気な声が返ってくる。
 初めて見た驚きか、それとも気に入ったのか、興味津々といった表情であった。
「私もそこまでは知らないけど……あそこがジパングっていう国よ」
「ジパング……」
 確かめるように呟きながら、彼女は再び山へ視線を戻す。
(……私の生まれた所……)
 幼い頃、両親に連れられて抜け出した国。記憶にはほとんど残っていない。
 あの大きな山に目を奪われたのは、心の何処かで覚えているからだろうか。
(どんな所なんだろ……)
 故郷への想いを期待と共に胸に馳せる彼女の横顔。
「…………」
 トラッドはその様子を見ながら、ある言葉を思い出していた。

『ジパングでは女が生贄にされるという噂を耳にしました――――』

 そう教えてくれたのはヤヨイの親代わりであり、元師匠でもあるアッサラームの商人。
 彼の複雑な表情に気付く様子の無い彼女は、視界から消えるまでその山を見つめるのであった。



 日が落ちて間もなくの事。4人は北の方角に灯りを見つける。
 それはアッサラームやロマリアと比べると、とても小さなものであった。
 地図によると、ノアニールより随分南に位置するのだが、辺りには残雪の白が所々目に付く。
(……帰って来たのね)
 ナギサの複雑な表情から、3人はそこが彼女の故郷であるムオルの村だと察した。
 途中、口数が徐々に少なくなってきた頃から、近づいているというのは漠然と考えていたのだが。
「……悩んでても仕方が無いわね」
「………………」
 不意に呟かれる一言に返す言葉が見つからない。
「行こっか」
 しかし、彼女の前に進もうとするその言葉に、3人は頷くだけしか出来なかった。

 村の中はすでにひっそりと静まり返っていた。
 これまで立ち寄った町に比べると、ここの住人の夜は比較的早いようである。
「こっちよ」
 ほとんど灯りも無く、一寸先はまさに闇という感じの村の中。ナギサは迷う事無く村の東へと向かう。
 さらさらと流れる川のせせらぎが、夜の空気を伴って4人の耳へと届いた。
「あ、落ちない様に気をつけてね」
 気付いているものの、何処に川が流れているのか分かり辛いのだが、彼女は何かを見ながら真っ直ぐに歩を進める。
 やがて、わずかに木が軋む音が響いた。どうやら小さな橋が架けられているらしい。
「よく歩けるな……」
「そこにぼんやりと光ってる花があるでしょ?」
 感心したトラッドに、ナギサは足元を指差す。そこには微かに光る小さな白い花が咲いていた。
「村の人間にとって共通の目印なの。あちこちで咲いてるのよ」
 辿り着くまでは不安そうだった彼女だが、今は口調が柔らかくなっている。
 やはり久々の故郷の空気というのは、心を落ち着かせるものなのだろうか。
(……きっと、良い村なんだな)
 トラッドはふとそう思い、少しだけ笑う。
 しかし、すぐに陰を帯びた表情になるが、それは暗闇のせいか誰にも悟られる事は無かった。
「あれ……?」
 目の前にあるそれほど大きくない家。ナギサは知らない物を見た様な声で呟く。
「どうしたんですか?」
 ヤヨイは彼女の見ている物に気付いて問いかけた。
 だが、他の家と同じく灯りの消えた家に何も違和感は無い。
(……どういうこと?)
 膨れ上がる予感。それは、決して良い事とは思えない不安でもあった。
 ナギサは何も喋ろうとせず、ただ足の動きを早める。
「ナギサ……?」
 後ろから彼女を呼ぶリノの声がしたが、それは誰の声なのかも分からない。
(おじいちゃんは・・・いつも夜まで本を読んでたはず・・・)
 それが、まだ夜になって間もない時間に家の灯りが点いていない。
 彼女の記憶では、そんな事はただの一度も無かった。
 まだリノたちは、足早になりながらも慎重な足取りの為、遥か後ろの方を歩いている。
 しかし、それすらも気にする余裕の無いナギサは――――ノックもせずに扉を開けた。

「おじいちゃん……?」
 月の光がわずかに差し込む家の中は、外よりも一層真っ暗だった。
 ナギサは息を切らしながら、そこにいるべき人物を呼ぶ。
「おじいちゃん…………もう、寝ちゃったの?」
 だが、彼女の声と息遣いが響くばかりで返事は無い。
「まだ……約束は果たしてないけど……ちょっと帰ってきたの」
 それでもナギサは返事を期待して、尚も呼びかけを続ける。
「どうせ驚かせようと思ってるんでしょ……?」
 そう呟くと同時に、よく驚かされていた頃の記憶が蘇ってきた。
 気配を隠すのが上手かったので、いつも気付けず悔しい思いをしていた昔の事。
「もう私も大人なんだから……そんな手には引っかからないわよ?」
 静まり返った家の中。彼女の声だけが虚しく響き渡る中、意を決したナギサはおそるおそる足を前に出した。
 刹那、ぎしっ、という音が足元から耳に届き、彼女は眉間に皺を寄せる。
 そして何かにつまづかない様、手探りで奥へと歩き始めた。
「本当に……寝ちゃったの?」
 旅立った時の記憶を頼りに、ベッドの方へと向かう。
 指先から伝わる感触と位置は昔からあまり変わっていないようだった。
「………………?」
 綺麗に整えられたシーツの感触から、彼女はある事に気が付く。
 それは――――祖父が眠っていると思われたベッドの上に、生命を感じさせる痕跡が一切残っていないという事。
「……………………」
「ナギサ?」
 その時、温かい光と聞き慣れた声が背中に触れる。
「……トラッド」
「急に走り出すから……どうかしたのか?」
 振り返ると、そこには心配そうな彼の顔があった。
「あ……」
 月の光と彼の持つ灯りによって、はっきりとした姿を見せる木のテーブル。
 彼女はその上にあった一通の封筒を発見する。
(……出かけてるのかしら)
 封を切り、トラッドにそのまま動かないよう言いながら、中の折り畳まれた紙切れを開いた。

 ……………………

「嘘…………」
 彼女はしばらく手紙を眺めた後、ぽつりとそう呟いた。
「……嘘、よね」
 背中はいつもより小さく見え、抱き締めれば折れそうなぐらい弱々しい。
「ナギサ……?」
 その時、ようやく追いついたリノの足が自然と前に動いた――――彼女の姿が今にも消えそうなぐらい儚かったから。
「……何…………るんだろ」
「え?」
 途切れ途切れに紡がれる言葉の隙間を縫うように、彼女の持つ紙の上に何かの落ちる音が鮮明に何度も響く。

「私は……何をしてるんだろ……?」

 今度ははっきりと失望した音を口にしたナギサは、さっと振り返って俯きながら外へ走り出した。
「ナギサさん!」
 入口で待っていたヤヨイの呼びかけに、彼女は足を止めて顔を見せずにこう告げる。
「村の入口の辺りに宿屋があるの……だから先に休んでてもらって……いい?」
「でも……」
「私も後で行くから……お願い」
 何かの感情を押し殺したような声。そこには大きな壁と近づかせる事を許さない雰囲気が存在した。
「……分かりました」
 それに圧倒されるように彼女は返答し、願いを込めてこう一言付け加える。
「でも……絶対に帰って来て下さいね」
「約束、する…………ありがとう」
 ナギサは溢れそうになる心を抑えるように、胸に手を当ててそれだけ言うと、再び何処かへと駆けていくのであった。



 失踪したナギサの行方を捜そうとしたリノとトラッドは、ヤヨイから説明を受け、宿屋へと辿り着いていた。
 そして、彼女がいつ帰って来ても良いようにと3つの部屋を取る。
 部屋の数はそれほど多くないが、他に利用客がいなかったのと秘めた事情を察してくれた主人は快く準備をしてくれた。
「師匠……それは?」
 3人は今、食堂にいる。テーブルの上には料理が並べられているが、空腹にも関わらず食事は一向に進んでいない。
 ヤヨイが尋ねたのはトラッドが持っていた紙切れの事だった。
「多分……ナギサ宛の手紙だと思うけど」
「見てないんですか?」
 彼は頷いてから、視線を窓に向けてこう呟く。
「こういう事は……本人から直接聞きたいからな」
 そして、綺麗に折り畳んだ紙を懐にしまおうとして、ふとある事を思い出した。
(……泣いてたのか)
 それは彼女が落としたこの紙切れを手に取った時の事だった。
 かさっ、という乾いた音と共に指先から水気が伝わってきた。
 あれはきっと――――と、考えてから、彼は首を小さく横に振って言葉を紡ぐ。
「…………食べるか」
「え?」
 その意味が理解出来なかったリノは思わず聞き返した。
「こんな状態だったらナギサが心配するだろ?」
「……そうだな」
「はい、食べましょう!」
 ここにいる誰もが彼女の事を心配している。それでもトラッドは微笑みながらそう言った。
 何処かぎこちない笑みだったが、彼の気持ちがしっかり伝わったのか2人とも食事に手を付け始める。
(本当に……)
 優しいんだな、とリノは今更ながらそう感じていた。
 それと同時に、理由の分からない胸の痛みを振り払うように首を振る。
(あの時から今まで…………ずっと)
 それから思い出すのは、彼と初めて出会ったアリアハンの丘の上での事。
 一方的に話しかけてくるトラッドに対して、自分は旅立つ前日まで何も話そうとしなかった。
 いや――――話す事が出来なかった。
(あ……)
 その時、リノの心の中で絡まっていた糸が解けた様な気がした。
 ふと横を見ると、彼は笑顔で揚げた鶏肉を頬張っている。その表情はいつもと違って、何処か子供っぽい。

(きっと…………恐かったんだ)

 ある時を境に冷たい視線と罵声を受け始めた彼女は、誰とも話そうとせず、近づく事すら避けていた。
 ずっと一人で、ただ旅立ちまで時間が過ぎるのを待っていたリノの前に現れたトラッド。
 いつも無関心な様子で、何も言葉を交わさなかったが、立ち去ろうという気は起こらなかった。
 それは余りに居心地が良かったというのと同時に、失う事も恐れていたから。
 心の何処かで、あの時間がずっと続けば良いと願っていたのかもしれない。
「リノ……俺の食べてる姿がそんなに面白いか?」
「………………え?」
 彼女はその声で意識を取り戻す。いつの間にか彼の事をじっと見つめていたらしい。
「あ、いや……美味しそうだな、って」
 頬がわずかに染まる前に、リノは慌てて顔を逸らす。
「じゃあ食べてみるか? ほら」
 トラッドは納得したような様子で、鶏肉を一つフォークに刺して彼女に差し出した。
「う、うん……」
 そこで断るのも不自然だと思って、再び振り向いたリノは何も考えずにそれを口にした。
「どうだ?」
 凝縮された肉汁が、心地良い食感と共に口の中で弾ける。
 美味しい、と素直にそう言おうとした瞬間、リノはハッとなった。
(今、私は何を……!)
 そして先ほどの自分の行動が頭の中ではっきりと蘇ると、急に身体が熱を帯び、また顔を反対側に向けてしまう。
「美味しくなかったか?」
「い、いや……美味しかったけど……その……」
「ん?」
 結局、不自然な行動を取る事になったリノは、必死で言葉を探す。
 味覚は意識した瞬間に何処かへ消え去っており、当然味など分かるわけがない。
「お、思ったより……えっと、熱かったから……」
「ああ、なるほど」
 やっとの思いで口にした言葉にトラッドがそう言ったので、彼女は安堵の息をつく。
 その2人のやり取りを呆然と眺めていたヤヨイは、
(リノさんって……可愛い……)
 と、恥ずかしさに顔を赤くしながら、心中で密かに呟くのであった。



 3人がナギサの帰りを待っている頃。
「……ありがとうございます」
 彼女は目の前にいる村人と話を終え、感謝の言葉を述べていた。
 夜のせいか、旅立ってから随分と時間が経ったからか、村人はナギサに気付かなかったようだ。
 その事に安心しながら、彼女はゆっくりと足を動かし始める。
「私は……」

(……何をしているの?)

 吐く息が真っ白になるぐらいの寒空の下、ナギサは自分自身に問いかけを繰り返す。
(旅に出て、挫折して……それでも諦められなくて……寄り道して)
 リノたちと出会う前、一人で旅をしていた時の記憶が次々と浮かんでは消えていく。
(でも、結局私は――――)
 2つの碧眼から零れ落ちた雫が、頬を伝って草の上へ音も無く落ちた。
 彼女は空を見上げて、祖父の顔を思い出す。
 頭に浮かぶのは厳しい表情と――――温かな掌の温もり。そして、時折見せる優しい笑顔。
 両手の指で数えられるほどしか見た事が無かったが、その時の顔が何よりも大好きだった。
 最後にその顔を見た時の事は今でもはっきりと思い出せるぐらいに。


「おじいちゃんおじいちゃんー!」
「何じゃ、騒々しい」
「私ね……」

「……賢者になるから!」


 幼い頃、屈託の無い笑顔で祖父と交わした約束。
 あの時の自分が今の自分を見たら、一体何と言うのだろうか。
「どうして……どうして私は……!」

 ――――賢者になれなかったの?

 心を支配するのは自分を罵る数々の言葉と後悔の気持ち。
(どうして……もっと……!!)


 その夜、ナギサの瞳と心は、止め処なく流れる涙を止める事が出来なかった。



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