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「ナギサ……?」 ムオルの村に辿り着いた翌朝。 トラッドが部屋を出た時、ちょうどヤヨイに会った。それからしばらくしてリノが出てくる。 3人がそれぞれナギサの事を心配しながら、浮かない顔で食堂へと向かった時だった。 「あら、おはよう」 「…………」 そこには、すでにサラダを頬張る彼女の後ろ姿があった。 どうやら気配で3人の事を察したらしく、こちらに振り向かずにそのまま挨拶をする。 「いつ戻ってきたんですか?」 「うーん……結構夜遅くだったと思うけど……」 ヤヨイの質問にナギサは、時間が時間だけにこっそり帰って来たの、と一言付け加えた。 しかし、彼女は答えながらも振り向こうとしない――――それが3人に不安を感じさせた。 「……とりあえず、俺たちも食べるか」 トラッドは何処か無理のある口調でそう言って、ナギサの反対側の席に向かう。 残った2人は一度視線を交わすが、曖昧な返事をしてから大人しく空いた所へ座るのであった。 「お待たせしました」 小さな宿屋のせいか、主人自らが注文した食べ物を運んでくる。 いつもなら明るい声と共に食べ始めるヤヨイだが、何故か手が動こうとしなかった。 ナギサは俯いたまま、サラダを黙々と食べている。 表情を見せようとしないその姿が、3人はただ心配だった。 「あの……」 一向に食事が始まろうとしない、重苦しい空気に包まれたテーブル。 そんな中、ナギサが申し訳無さそうにおずおずと口を開いた。 「昨日は……ありがとうね」 「え?」 続いて紡がれたのは、照れの混じった感謝の言葉。 そこで彼女は初めてゆっくりと顔を上げる。 (あ……) トラッドは、それを見て心中で呟く。 「みっともないでしょ? だから……見せたくなかったの」 彼女の碧眼は――――真っ赤だった。 「でも……昨日一人にしてくれたから……待っててくれたから」 透明な雫が、ぽたりと緑鮮やかな野菜の上に落ちる。 「……ごめん」 そして、瞳をこすりながら謝るナギサ。 「………………ほら」 かける言葉が見つからない。その代わり、トラッドは1枚の布を彼女に差し出した。 「とりあえず……拭いたらどうだ?」 「トラッド……」 ナギサは鼻を鳴らしながらそれを受け取って、自分の瞳と頬に当てる。 「大体、いつも泣かされてるのは俺の方なんだからな」 「……それ、どういう意味?」 「だからナギサが泣いてたら、逆に気味が悪―――」 次の瞬間、余計な一言を付け足した彼の頭に容赦なくハリセンが炸裂した。 「……ほらな」 トラッドは頭を押さえながら俯く。 その様子を例によって2人は呆れた表情で眺めていた。 (本当に……バカなんだから) 頬に残る一筋の跡。そこを通って、再び流れ落ちそうな涙。 (元気を出さないわけにいかないじゃない……!) 彼女は嬉しさと悔しさの混じる複雑な心境を振り払うように、もう一度彼の頭にハリセンを落とす。 それは叩くというより――――まるで撫でるかのように柔らかいものであった。 「あの……行きたい所があるんだけど……良かったら一緒に来てもらっても良い?」 宿の外に出ると、ナギサは申し訳無さそうにそう告げた。 「うん」 3人に反対する理由は無い。それどころか、彼女の判断に従おうと思っていたぐらいである。 ナギサは、そんな良い所じゃないけど、とだけ言うと北へ歩き始めた。 しばらく歩くと、ささやかながらも賑わっている場所が見える。 ナギサによると市場らしく、そこでは獲れたばかりの魚から野菜、そして旅の道具など様々な物が売られているらしい。 だが、彼女の目的はそこではないらしく、急に西へと進路を変える。 そして市場から離れるにつれて、空気は穏やかな静けさに包み込まれていく。 「おじいちゃんって凄い魔法使いだったらしいの」 「え?」 急にそう呟く彼女にリノは思わず聞き返したが、にっこりと微笑んだまま続きを話し始めた。 「ダーマに誘われた事もあるらしいんだけど……断ったみたい」 「どうして……?」 「あの堅苦しい雰囲気が好きじゃなかったって」 「…………」 「でも……賢者になれなかったのが、一番の理由みたい……」 その言葉は、ナギサがとても嫌っていた言葉だった。 ダーマにいる人間は誰もが賢者、というわけではないらしい。それでも、強い魔力を持つ人間は多いようだが。 その事から考えると、彼女の祖父はそれほど凄い魔法使いだったのだろう。 「あ、ちなみに私の両親は普通だったらしいけど」 「らしいって?」 「物心ついた時には、おじいちゃんと2人だったから覚えてないのよね……」 ナギサはそこまで言ってから、気にしてないから、と慌てて笑顔で付け加えた。 「ここね……昨夜、村の人に聞いたの」 そう言うと同時に彼女はぴたりと足を止める。 話に集中していたせいで気付かなかったが、いつの間にか辿り着いていた場所は墓地だった。 墓標は綺麗に磨かれており、周りに生えた雑草にも手入れが行き届いていた。 それだけ、この村の人たちは村に住む誰の事も愛していたという印象を受ける。 「昨日、驚いてたのは……家の灯りがついてなかったからなの」 「…………」 「おじいちゃん、夜遅くまで本を読む習慣があったから・・・」 3人はその言葉と行動が意味する事を察する――――つまり彼女の祖父は、もうこの世にはいないのだという事を。 「それでね……私も呪文を習ってたのよ」 ナギサは膝を着いてから目を閉じて、両手を合わせながら話を続ける。 「と言っても、簡単なものばかりだし、私も遊びのような感じだったわ」 その口調が何処か嬉しそうなのは、彼女が本当に好きで教わっていたのだという事が窺えた。 「でも、12年前ぐらい……かしら」 「……何かあったのか?」 ナギサは立ち上がって、質問をしたリノの頭に手を乗せる。そして、にっこりと微笑みながら撫でると、こう告げた。 「オルテガさん…………つまり、リノちゃんのお父さんに会ったの」 「えっ……?」 「怪我をして、村の入口に倒れてたんだけど……」 12年前というとリノが4歳の時で、確か3歳の時に旅立ったと聞いていた。 それならばナギサと出会ったのは、偶然ではなく意図されたものだったのだろうか。 「あ、記憶を失ってたみたいだから、リノちゃんの事は聞いてないわよ」 リノの考えは表情に出ていたようで、それに気付いた彼女はすぐに説明する。 そして、頭から手を離すと、遠い目で青空を見上げた。 「3日ぐらい経って、怪我が良くなってくると村の子供たちの遊び相手になってくれたの。 それである時、男の子の怪我をホイミで治した事があって、興味があったからすぐに教えてもらったの。 その時はホイミっていう呪文自体知らなかったから……」 ふと見ると、彼女の頬はわずかに赤く染まっており、話す言葉にも微かな熱が帯びていた。 その雰囲気に気付いたのはトラッドだけだったが、彼は何も言わずにただ言葉を待つ。 「それまで呪文を練習してたせいか、その日の内に唱えれるようになって……嬉しくておじいちゃんに報告したんだけど……」 今まであまり変化を見せなかったナギサの表情が急に曇る。 「……おじいちゃんが、本当は賢者になりたかったんだ、って初めて知ったの」 それから、ホイミも満足に唱えれなかったとも言ってたわね、と説明を加える。 「約束っていうのは、もしかして……その事なんですか?」 じっと聞いていたヤヨイの問いかけに、彼女は小さく首を縦に振った。 「おじいちゃんが初めて褒めてくれたから……嬉しかったの……だから」 ナギサの足元に音も無く雫が落ちる。 「それからおじいちゃんは人が変わった様に厳しくなって…………友達と遊ぶ時間もなくなったし、 今みたいに髪の手入れも許してくれなくて……毎日修行する日が続いたわ」 (あ……) リノはそこである事を思い出した。初めてロマリアへ立ち寄った時に彼女が言った言葉を。 ――――年頃の可愛い女の子なんだから。 そして初めて買ったという、傍目から見てもはっきりと分かるほど大切に使い込まれた櫛。 (だから……あの櫛を大切に使ってるのか) 修行だけに時間を費やして、おしゃれどころか同じ年頃の娘から見れば、ごく当たり前の事も出来なかった日々。 何かの理由で初めて櫛を手に入れて、髪を梳かした時、彼女は一体どんな気持ちだったのだろうか。 「でも、そのおかげで私は3年経った後には全ての呪文を覚える事が出来たの」 レーベの村で扉を開けたアバカム、過去に洞窟を崩しかけたというイオナズン、そしてカンダタの子分に放ったメラゾーマ。 その高度な呪文の数々を13歳で身につけたという事は、想像を絶するほど厳しかったに違いない。 「それから私はダーマへ行って、北にあるガルナの塔で悟りの書を見つけた…… 途中の道のりもそれほど苦労しなかったから、てっきりそれを読んで賢者になれると思ってたけど……」 悟りの書、というのは賢者になるための、いわば最終試練のようなものだと聞いた事があった。 となるとやはり一筋縄ではいかないものなのだろう。 「読めなかったんですか……?」 「ええ……どれだけ目を凝らしても、魔力を集中してみても……何も見えなかった」 「…………じゃあ、あのバギの呪文は? あれは――――」 トラッドの頭の片隅に残っていた記憶。 それはナジミの塔で初めて見かけた時、ナギサはバブルスライムを相手にその呪文を放っていたという事だった。 「それから私は僧侶になったの……自分に足りない物があると思って」 「僧侶?」 「うん……それまで使えてた呪文はほとんど使えなくなって苦労したけど、この杖のおかげで何とか、ね」 そう言うと、彼女は背中に背負った魔道士の杖を振り返らずに指差した。 確かトラッドは祖父に貰ったと聞いて、普通の答えに何故かホッとしたのを思い出す。 「えっと……6年半ぐらいかしら? それぐらいで僧侶の呪文を覚える事は出来たけど……」 思い出しながら話すナギサの声は、徐々に陰を帯びて小さくなっていく。 つまり――――それでもまだ悟りの書は読めなかった。 「そこで次に考えたのが、武闘家になって身体を鍛えようと思って」 「え?」 意外そうな顔をするリノの前に、彼女は袋からある物を取り出した。 「それは……」 多くは武闘家、また暗殺を生業とする者の中にも、一部使う者がいるという鉄の爪だった。 「カザーブに私の師匠がいるの。と、言っても会った時から幽霊なんだけど」 「……幽霊?」 トラッドは額に流れる冷たい汗を拭いながら尋ねる。 「大昔に豪傑熊を素手で倒したっていう武闘家の話、知らない?」 しかし、それに思い当たったのはヤヨイだけで、あ、と声を上げながらぽんと手を叩いていた。 「まぁ……その人にこれと"気"の扱い方について教わったのよ」 「なるほど……」 あの豊富な知識や身のこなしは、彼女がこれまで培ってきた経験を形にしたもの。 そこには特別なものなど何も無く、ただひたすら研鑽する日々の中で得る事が出来たものでもあった。 リノはそう感じて、素直に感心してしまう。 「……でも、ある時ふとこう思ったの」 ナギサは墓石を見つめ、軽く掌で撫でながらこう呟いた。 「私には……向いてなかったんだ、って」 「………………」 紡がれた言葉は、再び辺りを沈黙させるには十分過ぎる力を持っていた。 (あの時の寝言――――) そこでトラッドは彼女の、眠りながらも瞳から零していたあの雫の理由を知る。 「……ごめん」 「どうして?」 「その……ろくに事情も知らないで適当な事を言ったから……」 「…………」 ナギサはしばらく考えた後でこう告げた。 「いつの事か分からないけど……今までトラッドが適当な事を言ったなんて思った事無いわよ?」 「へ?」 「むしろ分からないなりに考えてくれてるって……その……結構感謝してるから」 「ナギサ……」 「…………何よ」 「……何でもない」 不意に顔を逸らす彼女。それは自分が言った事に照れているようであった。 彼はふっと苦笑いを浮かべる。いつもなら間違いなくハリセンが飛んでくる状況。 「…………んだからね」 「え?」 「……な、何でも無いわよ」 自然と唇から零れた言葉が幸いにも聞こえなかった事に、ナギサはホッと一息つく。 (みんなと旅してて楽しい、なんて……言えない) 一人で修行をしていた頃には生まれようもなかった感情。 「ところで……それから遊び人になったんですか?」 「うん、そうだけど?」 「どうしてまた?」 ヤヨイの質問は最もであった。魔法使い、僧侶、武闘家という道を歩んできて、何故敢えて今の職業を選んだのか。 口にはしなかったものの、リノも密かに気になっていたが、彼女の答えはあっさりしたものであった。 「だって、楽しそうじゃない?」 「もしかして……それだけですか?」 「ええ」 「……さすがナギサさんですね」 「あら、ありがと」 感心しているのか呆れているのか、何とも言えない微妙な表情の彼女。 その様子を見ながら、ナギサはふとこう思った。 (あの時、何となく思った事がこうして実現するなんて、ね) もし、自分が今の道を選んでいなかったら、3人に出会う事は無かったのかもしれない。 こうして旅を楽しむ事も――――秘めた想いを言葉にする事さえも。 「そろそろお昼にしよっか?」 「もうそんな時間か?」 「私の気分の問題よ」 赤くなった瞳のまま、ナギサは笑顔を浮かべると真っ先に駆け出した。 「……全く」 後ろからはため息をつきながら歩き始めるトラッド。 「でも……元気になったみたいで良かったです」 隣には嬉しそうな顔のヤヨイ。 「…………」 そして――――ナギサに優しい眼差しを向けながらも、複雑な気持ちを抱くリノ。 (父さんは……どういう人だったのかな……) いくら記憶を辿ってみても、何一つ思い出せない父の事。 さして気にしていなかったはずの存在は、ナギサに聞いてから途端に心の中で大きくなり始める。 もしくは――――今まで気が付かなかっただけなのかもしれない。 4人はそれぞれの想いを胸に、それぞれのペースで宿へと戻るのであった。 次の話へ
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