第40話 「命題」


「ん……?」
 昼食を終えて部屋でのんびりしていたトラッドは、いつの間にか椅子の上でうたた寝をしていた。
 目が覚めた時、同じく部屋にいたリノの姿が無かったので、気になって外に行こうとした時。
「あ、師匠もどうですか?」
 一人、テーブルに座って何かを食べていたヤヨイが彼を呼ぶ。
「何を食べてるんだ?」
「苺のケーキです。美味しいですよ」
 幸せな空気が滲み出ている満面な笑み。つられて彼もテーブルに座り、同じ物を注文する。
「……リノは?」
「さっき、剣を振りに行くって出掛けられましたけど」
「そうか」
 日課だしな、と彼はそれ以上の事は何も思っていないつもりだったが、
「もしかして寂しいんですか?」
 何処をどう捉えたのか、ヤヨイはからかうような口調で問いかけてきた。
 時折、意図の読めない質問をする彼女に、トラッドは決まって苦笑いを浮かべる。
「いや、そういうわけじゃないけど……って、ナギサの姿も見えないな」
「ナギサさんも少し前に出て行かれましたけど……」
「どうかしたのか?」
 彼はヤヨイの落ち込んでいく口調に、心配そうな様子で尋ねる。
「あ、いえ……さっきのお話を思い出して」
「………………」
 ナギサの祖父の墓標の前で聞いた――――昔の話。
「やっぱり辛かったんですよね……」
「……そうかもな」
「これまでも時々、寂しそうな顔になる事がありましたし……」
 彼女が何かの拍子で過去を思い出す時は、いつも陰のある表情を見せる。
「まぁ、悪い方向には進んでないと思うけど」
「え?」
 ヤヨイが疑問の声を上げると同時に、お待たせしました、という声が後ろから聞こえた。
 ことり、という音が響き、真っ白な皿に乗った苺のケーキが彼の目の前に置かれる。
 それを一口食べてから、トラッドは口を開いた。
「今が楽しいから、昔の事が辛いと思い返せるのかもしれないし、それを誰かに話す事が出来るのかな、って」
「……そうですね」
 一緒に旅を続ける仲間から、そう思われるのは嬉しい。
 そういった感じの表情の彼女が真っ赤な苺を食べると、絶妙な酸っぱさが口の中に広がった。
「ところで、師匠……」
「ん?」
「…………私もお願いがあるんです」
「まぁ……俺でよかったら相談に乗るけど……」
 そう答えながらも、彼は何となく想像がついていた。
 ヤヨイはそれに気付かないまま、ぽつりぽつりと話し始めるのであった。



 一方その頃、ナギサは村の南東に位置する自分の家の前に立っていた。
 昨夜訪れた時は夜だったので分からなかったが、家は時の流れに逆らう事無く、長い年月相応の姿を見せている。
(もう9年……本当に早いわね)
 ぼんやりとそんな事を考えつつ、再び彼女は家の中へと足を踏み入れた。
 いつから積もり出したのか分からない埃。天井に張られた蜘蛛の巣。
 置かれた物の場所は変わっていないが、当然、昔とは違う景色がそこにある。
 しかし、ナギサの瞳にははっきりとあの時の風景が映っていた。
「……そろそろ出てきたら?」
 彼女は家の真ん中、祖父からの手紙があったテーブルに手を着いて、後ろに感じる気配に声をかける。
「気付いてたの?」
「ついさっきだけど」
 扉の影から出てきたのは、大きな丸メガネをかけ、水色のマントに身を包んだ自分と同じ歳の親友、アーニーだった。
「おじいちゃんの事……知ってたのね?」
 彼女は小さく頷いてから、わずかにずれたメガネを直す。
「余計なお世話だった?」
「……ううん」
 緊張しながら問いかけるアーニーに、ナギサはゆっくりと首を横に振った。
「むしろ教えてくれて感謝してる」
「良かった……」
「それで?」
「……え?」
 唐突な問いかけ。決して怒ってるようには見えないのだが、2つの碧眼は不思議な威圧感を放っていた。
「私の様子を見に来ただけじゃないんでしょ?」
「……うん」
 何も無い空間で交わる視線。それを先に逸らしたのは彼女の緑色の瞳だった。
「……また……また一緒にダーマで修行しない?」
「……………………」
「今のナギサちゃんなら……賢者になれる気がするの」
「今の……私?」
 何となくだけど、と小さな声でアーニーは言う。
「昔のナギサちゃんって……賢者になる事に必死で、いつも一人で、
 何かあっても誰にも頼ろうとしなかったし、話そうともしなかった……」
「……そうね」
「でも! 今は昔より面白くて、ずっと笑顔も多くて……! 何よりも…………優しくなった」
 面白い、という所が微妙に引っかかるが、彼女は良い意味で言っているのは分かる。
 その時、ナギサは遠い昔に祖父と交わした会話――――あれは、確か12歳になった秋だった――――を思い出していた。


「おじいちゃんはどうして賢者になりたいの?」
「何じゃ急に?」
「だって、おじいちゃん一杯呪文知ってるし」
「……知りたかったんじゃよ」
「呪文を?」
「いいや――――」


 それは、祖父が賢者になりたかった理由。
「昔、おじいちゃんが言ってたんだけど・・・」
「うん……」
 ナギサは彼女の真剣な眼差しを受け止めながら、こう問いかけた。

「賢者って……何?」

「え……?」
 アーニーは予想外の言葉に絶句した。しかし、彼女はその様子に曖昧な笑みを浮かべる。
「一般的に言われるのは……神に選ばれ、悟りを開き、同時に扱うのが難しいとされる僧侶と魔法使いの呪文のどちらも完璧に使いこなせる存在、ってとこかしら」
「……うん」
「だったら……今の私は何?」
「…………え?」
 ナギサの一言が理解出来ず、彼女は真っ白な頭の中でどうにか聞き返した。
「一日一回、それも思い出した時だけ、って制約はあるけど、呪文が使いこなせないわけじゃないでしょ?
 まぁ、神とか悟りについてはよく分からないんだけど」
「そう……よね」
 僧侶と魔法使い。その2つの道を通った彼女だからこそ、という事も考えられる。
 しかし、過去に一度も前例が無かった為、明確な理由は分からない。
「でも、それに何の関係があるの?」
 思いがけない質問につい話が逸れてしまったが、明らかに賢者になるのを嫌がっている事への答えにはなっていない。
「そうね……昔、私が賢者を目指していたのは、おじいちゃんの為だったけど……」
「けど?」
「みんなと旅をしててね、何となく違う気がしたの」
「違うって……?」
 言葉が見つからない、という感じでナギサは首を横に振る。
「ただ、一晩じっくり考えてみた時……私自身の理由が無いんじゃないかな、って思って」
「ナギサちゃん……」
 霞がかった心の内を語るという事は、どうやっても曖昧にしか話す事が出来ない。
 それでもナギサは、目の前で呆然としている彼女に向けて言葉を紡ごうとする。
「だから……その……何ていうか」

「今まではただ逃げてただけだったけど・・・今度はしっかりと向き合いたいの」

 迷いながらも、そう言い切るナギサの表情は何処か晴れ晴れとしていた。
「もし…………理由が見つからなかったら?」
「その時はその時で、また何か考えるわよ」
「そっか……」
 残念そうな声だったが、アーニーは一度頬を両手でぴしゃりと叩くと、俯いていた顔を上げる。
「でも、もし賢者になりたい理由が見つかった時……その時は――――」
 遮るようにナギサは彼女を抱き締めた。自分の事を心の底から心配してくれる親友の為に。
「その時は……よろしくね」
「うん……いつでも……待ってるから」
 胸に顔を埋めるアーニーの顔は――――いつしか笑顔を取り戻していた。
「……そういえば」
「どうかしたの?」
 しばらくそのままの姿勢でいた2人であったが、急に何かを思い出したナギサは身体を離す。
「ダーマの方は大丈夫なの?」
 いつもモシャスで姿を変えているとはいえ、長時間その呪文を持続させる事が出来るのは、彼女の記憶ではアーニーだけのはずである。
 それがどういった理由であれ、席を外すのはかなりまずいのではないだろうか。
「あ、それなら大丈夫」
「そう?」
 この時、ナギサはてっきり代理の人がいるのだと思っていた。

「ラザ君にモシャスをかけて、頑張ってもらってるから」

「…………え?」
 しかし、そんな予想は良く知る人物の名前と共に覆される。
「私のする事ってそんなに無いし、話さなきゃいけない事はメモで渡してあるから」
 大切なのは気持ちだよ、とアーニーは笑顔で付け加えた。
(言ってる事は間違いないんだけど……)
 それで良いのだろうか、とナギサはダーマに対して初めて不安な気持ちを抱く。
 きっとラザは一人話す度にメモを見たりするなど、さぞかし苦労しているに違いない。
「それに、うんと強く呪文をかけたから簡単に解ける事も無いし」
 他の呪文をあまり見た事は無いが、何年も使い続けているモシャスには自信があるのだろう。
「時々思うんだけど……アーニーって凄いわね」
 そんなナギサの言葉の内に秘めた感情には気付かず、彼女はただ恥ずかしそうにするだけであった。



「…………いた」
 ケーキを食べ終えたトラッドは、ヤヨイに散歩と告げてから外に出ていた。
 初めて訪れた村なので行き先は決めていなかったが、ある目的を持って人気の無い場所へと向かう。
 その理由は――――おそらくそこにリノがいると考えたからである。
 彼が辿り着いた場所は、先ほどナギサに連れられた祖父の墓の近く。
 その近くの大きな木の側では、予想通りリノが険しい表情で剣を振るっていた。
(やっぱりそうか)
 トラッドは特に気配を隠そうともせず、いつもと変わらない様子で歩いていく。
「リノ」
 そして3歩ほどの距離の所で、小さな背中に呼びかけた。
「……トラッド」
 一瞬驚いたような顔を見せるが、見知った相手だったせいかすぐにいつもの表情へと戻る。
「何かあったのか?」
「いや」
 そう言いながら、彼は木に腰を下ろしてもたれかかった。
「少し休んだ方がいいんじゃないか?」
「……別に疲れてない」
 無理をしている感じは無かったが、何処か意地を張っているように見えなくもない。
 そんなリノの後姿を、トラッドは何も考えずに見守っていた。
「あの……トラッド?」
「ん?」
 しばらく剣を振り続けていたリノはゆっくりと振り返ってから口を開く。
 額から頬を伝って落ちる汗の量は、彼女がここに来た時間の長さを表していた。
「見られてると、落ち着かないんだけど」
「別に気にしなくてもいいけど?」
「そう言われても……」
 話しかけられるまで気が付かなかったものの、一度意識し始めると気になってしょうがないらしい。
 リノはため息をついて、額に浮かんだ汗を拭いながら木陰へと歩を進める。
「休憩か?」
「…………うん」
 もしかするとこれが狙いだったのだろうか、と疑ってしまうが、トラッドの性格からそれは考えにくい。
 リノは急に重くなったように感じる剣を下ろし、隣に座って一息をついた。
 特に何か話すわけでもなく、ただ静かな時間がゆるやかに流れていく。
(落ち着かない……)
 リノがそう思いながら隣を見ると、彼は逆に落ち着いた様子で空を眺めていた。
「どうした?」
「え? あ、いや……別に」
 いつの間にか、横顔をじっと見つめてしまっていたらしく、リノは急な問いかけに動揺してしまう。
 その慌て方を多少気にしながらも、彼は更に質問を重ねてきた。
「何か悩んでるのか?」
 そう言いながら手渡される厚手の布。彼女は礼を言って受け取ってから汗を拭う。
「どうして?」
「熱心に剣を振ってるから」
「いつも真剣だけど……?」
「……それもそうだな」
 北の方角から吹く少し強めの風は、リノの温まった身体を心地良く冷ます。
「いつも言ってるけど、何かあったらちゃんと言うんだぞ?」
「……うん」
 こちらを向かずに声だけが彼の耳に届く。
(やっぱり何かあるんだな)
 近づく気配に気付かないぐらい一心に剣を振っていたリノ。
 おそらく考えているのは、ナギサが墓標の前で口にした人物――――オルテガの事。
(……何でだろうな)
 アリアハンを旅立った時からずっと、何故か気にかかって、放っておく事が出来ない。
「……トラッドが旅をする目的って何?」
「え?」
 その時、今まで俯いていたリノは顔を上げて尋ねてくる。
「やっぱり……その……」
「…………」
 しかし、カンダタの名前を口には出来ず、また下を向いてしまう。
(俺の目的……か)
 旅立った時は父親の仇を討つつもりだったし、今も決して忘れたわけではない。
(でも……今は?)
 横目でリノの顔を盗み見ると、瞳が不安げに揺れていた。
 質問の意味も分からなかったが、その表情を見るとますます分からなくなっていく。
「……いや」
 困惑しながらも、彼の口は自然と否定の言葉を紡いでいた。
「違うのか?」
「ああ。俺の目的は…………みんなでバラモスを倒す事だからな」
「でも――――」
「カンダタはついでだし、今は殺そうなんて考えてない」
「……そうか」
 呟いたリノの顔は安堵しているように、そして何処か嬉しそうにも見える。
「一人にしない、って約束しただろ?」
 返事をしない代わりに、ただこくりと頷くだけだった。
「でも、どうして急に?」
「え……? それは……な、何となく」
 そこで何故リノが慌てたのかまでは分からなかったが、トラッドはふと思った事を告げる。
「まぁ、ナギサの事があったから気になったのかもしれないけど」
「多分そうだと思う……」
「…………そろそろ帰るか?」
 特に話すこともなくなったせいか、彼がそう提案するとリノは頷いてから一足先に立ち上がった。
 それからゆっくりとした足取りで2人は宿への帰路に着く。
(きっと……リノが止めてくれたから、そう思えるんだろうな……)
 ふと気付くと、空はいつの間にか夕焼け色に染まっていた。


 そんな風景に心を奪われていたトラッドは、隣にいるリノが少し微笑んだ事に気付かないまま歩くのであった。



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