第42話 「よく似た2人」


 無限とも思える、という言葉はこういう場所に似合うのかもしれない。
 ナギサは手にした本に目を落としながら、ぼんやりとそう思った。

 ムオルの村から戻ったリノたちは、未だダーマに滞在し続けていた。
 船が出来上がるまでまだ時間がかかるというのもあったが、大きな理由はアーニーのオーブの話だった。
 バラモスの城へ向かうには、今知りうる限りではそのオーブが必要なのである。
 しかし、所在がはっきりしない物が多かったため、ダーマにある書庫で調べようという事になったのであった。
 莫大な数の色とりどりの本が、人よりも遥かに巨大な棚の中にすっぽりと収められている。
 掃除が行き届いているのか、呪文の力なのか埃は全くと言っていいほど積もっていない。
 彼女の目の前の机にはすでに読み終わったらしい本が、数冊ほど積み重ねられていた。
 それもかなり分厚いものばかりだったが、表情からするとあまり成果は芳しくないようだ。
「何か見つかりましたか?」
「うーん……どれを見ても曖昧にしか書かれてないわね」
 そんな状況の中、疲れた声で話しかけてきたのは、今にも泣き出しそうな顔のヤヨイだった。
 どうやら彼女も本を読んでいるようだが、まだ1冊も読み終えた形跡は無い。
「ヤヨイちゃん、少し休んだら?」
「でもナギサさんだって頑張ってますし……」
「私はいいのよ。意外かも知れないけど、本を読むのって好きだしね」
 確かに表情からは無理をしている様子は一切感じられない。
「じゃあ……お言葉に甘えさせて頂きます」
「いってらっしゃい」
 ナギサは笑顔で彼女を見送ると、再び本に意識を集中し始めようとする。
 その時、閉じられたドアがあまり間を置かずに軋んだ音を上げた。
 そこに立っていたのは、ヤヨイと同じく疲れた顔をしたトラッド。
「ごくろうさん」
「あら、手伝いの方はもういいの?」
「まぁ……一区切りって所だな」
 彼はそれだけ言うと、首を微かに動かして周囲を見渡す。
「リノは?」
「今日もラザと一緒だけど?」
「そうか」
 姿が見えなかったから尋ねただけだったのだが、彼女は艶っぽい笑みでこう問いかけた。
「寂しいんだ?」
「だから……何でそうなる」
「だって、ヤヨイちゃんの事聞かないから」
「……そこで会ったから聞かないだけだ」
 ちなみにトラッドは本を読むのが本当に好きでなかった為、滞在中はずっとダーマで雑用をこなしていた。
 ここには女性と老人が多いせいか、力仕事が出来る人間は重宝される傾向にあるようだ。
「にしても……」
「何? もう嫌になったの?」
 呆れた様子のナギサに、彼は首を横に振って否定してからため息をつく。
「結構楽しいけど……俺、本当に盗賊なのかなぁ、って」
「…………なるほど」
 盗賊に転職しようと訪れる人間もいるが、そこで雑用をする盗賊はおそらく彼が初めてだろう。
「まぁ、確かに色々鈍いけど……こう見えても頼りにしてるつもりだけど?」
「…………」
「……信じて無いわね」
 彼女が不機嫌そうな顔でハリセンに手を伸ばそうとした瞬間、彼は対照的ににっこり微笑んでいた。
「いや、ナギサの口からそんな言葉が出て、ちょっと驚いただけだ」
「そう……」
 一瞬止まったように見えた彼女の手は、再び姿を消した。
 そして書庫にいた人たちは、その後に響いた聞き慣れない音に何事かとどよめき始めるのであった。



 ごつごつした岩肌を見せる西とは逆の方角には、緑色の丈の短い草が生い茂っている。
 そこから鋼を打ち合う硬質的な音が青空へと吸い込まれていった。
 音の生まれる中心にいるのは――――リノとラザ。
「……そろそろ休むか?」
「うん」
 ここ数日間、彼女はラザに頼まれて剣の特訓に付き合っていた。
 少し冷気を帯びた風が、ダーマの外壁にもたれるリノの火照った身体を心地良く撫でる。
 彼女がじんわりと額に浮かぶ汗を拭っていると、自然と彼も隣に並んで腰を下ろした。
 そしていつものように剣の扱い方に関して色々と質問を投げかける。
 その度にリノは困った表情で考え込み、親身に答えようとしていた。
「でも、私も教わったわけじゃないから自信は無いけど……」
「いや、本当に助かってる。こうして毎日付き合ってもらってるし」
「それなら良かった」
「やっぱり旅をしている人間の剣は生きてるって感じがするから勉強になる」
 ほっと安堵の息を零す彼女。それと同時に気恥ずかしさもあった。
 まさか自分が誰かを教える立場になって、それを感謝される事が意外だったからだ。
「…………リノ」
「何?」
 少し何かを考えていた様な間を置いて、ラザは鋭い視線を向けて名前を呼ぶ。
 ちなみに怒っているわけでなく、元々こういう目なのだと数日前に聞いたので、リノも普通である。
「トラッドの事だが……」
「どうかしたのか?」
 そこで再び考え込む仕草を見せる。むしろ迷っているという感じの表情だったが、声を潜めてこう言った。

「……苦手か?」

 思いがけない言葉にリノは呆然となり、慌てて首を横に振る。
「じゃあ、嫌いとか?」
「そ、そんな事――――」
 しかし、否定しかけて彼女はハッと口を噤んだ。
「……そうか」
 幸いにもそれ以上追求される事なく、彼は納得した様子を見せる。
 とは言うものの、冷静に考えれば困る質問ではない、とリノが気付いたのはしばらく後の事だった。
「どうして急に?」
 それを敢えて口にせず、彼女はラザに尋ね返す。
 少なくとも彼の前でそんな態度を取った記憶は無いし、口数が少ないのは元々である。
「いや……ぎこちなく見えたから」
「え…………」
 ぎこちない、その言葉をリノは心の中で繰り返す。
「ナギサやヤヨイと話してる時はそうでもない。ただ、トラッドには緊張している様に見える事があった」
「…………」
「トラッド自身が鈍いのもあるかもしれないけど、それだと余計に気付かないんじゃないのか?」
「あっ……」
 何の事かは言うまでも無い。今までそんな素振りはなかったが、リノが女だと気付いている一言だった。
「……いつから?」
「最初は半信半疑だったが、ここ数日で確信した」
「トラッドが気付いてないっていうのは?」
「それもここ数日の様子で判断した」
 ナギサ以外の事はあまり知らないが、少なくともトラッドは異性と接するのが苦手なように見えた。
 そんな彼がいくら旅の仲間とは言え、リノと同じ部屋でゆっくり休めるとは思えない。
 それどころか最初から部屋を別々にするような気もする。
(……そういえば)
 一方、リノの脳裏を掠めるのはトラッドの父親の敵である覆面をつけた盗賊の事。
 顔は分からないが、声から想像するとそれなりの歳だと想像できる。
「ラザって……何歳?」
「26だが……年齢はあまり関係ないんじゃないか?」
 図星だったらしく、何故分かったのか、といった感じにリノはラザを見つめている。
 つまり、彼女はある程度の年齢の男の人なら、と考えていたのだ。
「まぁ……2人の事は知らないが、気が付かないのは他にも理由があるんじゃないのか?」
「理由?」
「心当たりはあるのか?」
 彼女は無言で首を振った。そしてラザは口元に右手を当てて、じっと地面のある一点を見つめている。
「そうだな……例えば、トラッドは今まであまり異性と接した事が無いとか。
 他には、リノの事を最初に男と思って、しかも信頼してるからこそ信じ込んでいるのかもしれない」
 根拠など何処にも無い推測。それでも彼女は、せめて後者なら良いのに、とつい願ってしまう。
(まぁ、それだけじゃなさそうだが)
 背の高い彼は、顔を伏せたリノの唇を上から見るが、とても男と間違えようが無いぐらいに艶っぽい。
「……今は普通なんだがな」
「何が?」
 きょとんとした顔で尋ねてくるリノ。
 剣を振っている時はそうでもないが、こうして話していると時折女の子らしい部分を見せる。
 おそらく自覚は無いとは思うが、トラッドの前でもこうなら気づかれるのではないだろうか。
 その時、ラザの頭の中にある考えが浮かぶ。それは――――
「気づかれたくない理由でもあるのか?」
 本人が隠そうとしている、という事だ。だから緊張してしまい、表情や言葉が固くなる。
 どうやら予想していた通りだったらしく、彼女はこくりと頷いた。
「トラッドが怒るとは思わないな」
「それは……そうだけど」
「じゃあ、何だ?」
「…………恐い」
「え?」
 ラザは一瞬、自分の耳を疑った。そして、まだ何かを話そうと迷っている彼女の言葉を待つ。

「一緒に……旅を出来なくなるのが恐い……」

 その搾り出すように紡がれた言葉に、ああ、と彼は心の中で納得した。
 リノにとっての旅というのは、きっと唯一の居場所なんだという事に。
 そして自分の中にある感情と似ているのかもしれない、と思って彼はふと金色の髪の彼女を思い出した。
「でも、このままだと辛くないか?」
「うん……けど、一緒に旅が出来るなら……それでもいい」
「…………俺は神様なんて信じてないのにな」
「え?」
「独り言だ」
 果てしなく一途で純粋な想い。ラザはいつかリノから打ち明ける日が来るのを心から祈るばかりであった。


「そろそろ始めるか?」
「…………」
 遥か西の彼方に傾いていく太陽は、まるで何かに追われているようだった。
 そんな風に見えるのは、自分がそうだからなのか、とリノは思う。
「リノ?」
「え……あ、ごめん。何?」
「いや……もう少し休むか」
「うん」
 ラザは上の空な彼女を気遣ってそれだけ呟くと、ゆっくり反対側を向いた。
(あの3人の気持ちがわかる気がする)
 落ち着かない心を隠しながら、彼は不自然にならないよう顔を戻す。
 そこにあったのは小さな背中と――――必死で剣の柄を握る白くて細い指。
 時折、物音がするのはその小さな手が震えているからで、それはまるで今の心を表している様にも見える。
(確かに……放っておけないな)
 あまりに不安定で、ふとした拍子で壊れてしまいそうぐらい繊細で、どうしても危うく映ってしまう。
 それが一体どんな感情なのか、ラザにはそれを言葉にする事が出来なかった。
「じゃあ、私も聞いていいか?」
「ああ、何だ? 俺も色々聞いたからな」
 隠すような事など何も無い、どんな質問でも答えれる。と、その時はそう思っていた。
「昔、ナギサと何かあったのか?」
「……え?」
 予想出来る事だったが、昨日の会話から油断していた彼は一瞬我を失ってしまった。
「答えにくかったら――――」
「いや……そういうわけじゃない。ただ驚いただけだ」
 申し訳無さそうに上目遣いでこちらを見るリノの言葉を遮ると、少し考えてから言葉を紡ぎ始める。
「ナギサの事は知ってるのか?」
「……うん」
「ならいい。でも、少し長くなるぞ?」
 彼女は心配そうな様子でこくりと小さく頷いた。
「俺は昔、武闘家だったんだ」
「武闘家?」
「ああ。カザーブでは豪傑熊を素手で倒したって言われてる伝説の武闘家の子孫らしい」
 本当は違うけど、とラザは珍しく苦笑いをしながら付け加える。
 リノも、ナギサから聞いた事がある、とだけ呟いた。
「だからうちの一族は全員武闘家なんだが、俺は戦士になりたかったんだ」
「それで……」
「今なら、本当に子供だったとは思う。だが、後悔はしていない」
 そう言いながら、いつの間にかオレンジ色に染まりゆく空を見る瞳は真っ直ぐだった。
 あまりに綺麗な彼の瞳に見惚れながら、リノは単純に羨ましいと思っていた。
「……その時にナギサと会った。確か……青いローブを着てたかな」
 それはおそらく僧侶だった頃のナギサ。
「旅に出たと思えば、その話をよくアーニーに聞かせるために戻ってきてたらしい。といっても、一、二年の間はあるが」
「だから旅に慣れているのか……」
 豊富な知識や時折見せる行動は、旅の中で培われたもの。今更ながら彼女はそんな風に感じた。
「どんな呪文でも使いこなせる天才、って噂で俺もそうだと思ってたが……アーニーだけは違う事を言ってたな」
「……何て?」

「自分に才能が無いのを知っているから、誰よりも努力をしているんだ、って」

 今まで微動たりしなかったラザは、不意に右の頬を左の掌で触れる。
「……ラザ?」
「ナギサに嫌われて当たり前だ……俺が否定するような事を言ったから」
「え……?」
 穏やかな口調に物静かな態度。決して口数が多いようには思えない。
 だから、リノは彼がその時何と言ったか想像出来なかった。

「俺は……自分が戦士に向いてない、って言ったんだ」

 人間なら誰しもが持つ弱い部分。勿論、ナギサとラザも例外ではない。
 ただ、彼女はそれを口にしようとしなかった――――現実を目の当たりにしたくなかったから。
「俺なんかより、よっぽど頑張ってるナギサに言って良い事じゃない」
「…………」
 誰かに殴られたわけでもないのに、痛みを和らげる様に右の頬を触れ続けるラザ。
「ナギサに……?」
 怒った彼女は、もしかすると彼を殴ったのかもしれない。
 他に言うべき言葉を見つけれないリノは、そう問いかけるだけで精一杯だった。
「……それでもあいつの方が痛かったに決まってる」
「…………」
「今でも時々、思う。遊び人になったのは、俺のせいかもしれない、と」
「ラザ……」
「もし、あのまま努力し続けていれば、賢者になれたんじゃないか、って……」
 それは誰にも答える事が出来ない、ただの推測でしかない。
 しかし、リノは首を横に振ってから、はっきりとした口調でこう言った。
「それなら……ラザはどうするんだ?」
「え?」
「ナギサは今だって……頑張ってると思う」
 はっきりと彼女の口から聞いたわけではない。
 それでもムオルの村から帰って来た後のナギサは、何処か変わったように見えた。
「だから……ラザも今まで通り頑張ればいいんじゃないか?」
「…………」
 昨夜の会話でナギサは、男前になった、と言っていたのを思い出す。
 あの時はよく分からなかったが、あれは彼女なりの謝罪だったのではないだろうか。
「そうか……」
 ナギサの良い意味での変わり方に、何処か焦りがあった。
 でも、彼女も自分の事がそういう風に見えたのかもしれない。
 ラザは一息をついてからリノの方を見る。強い意志を秘めた綺麗な瞳で。
「……リノ」
「何?」
「もしかすると、迷惑をかけるかもしれないけど……その時はよろしくな」
「……どういう意味だ?」
 その問いかけに対する答えは無い。
 彼女は唐突なラザの言葉に、ただ不思議そうな顔をするだけであった。


 その時、ダーマ神殿の中から高らかに歌うような鐘の音が響き渡る。
 それはアーニーの仕事が終わりを告げる合図。
 だが、ラザにとってのその音は――――まるで何かが始まる合図のように脳裏に刻み込まれるのであった。



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