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「わー……本当に動いてます……」 ポルトガを出航した大きな船の上で、まず感動の声を上げたのはヤヨイだった。 「まさかコショウ一つでこんな船がもらえるなんてな」 「本当……王様って考える事が分からないわね……」 続けて、そう呟いたのはトラッドとナギサ。 言葉だけなら冷静なようにも思えるが、表情はやはりキラキラとしていた。 「師匠ー、見て下さい! あっちの方が全然見えないですー!」 「そうだな……」 甲板の上を走り回るヤヨイは、彼をあちらこちらへと引っ張り回している。 まるで自分の感動を全て伝えるような勢いで。 彼女の底無しの元気にはついていけそうもない、そう思いながらもそんな弟子の姿を微笑ましく見つめていた。 「立派な船も手に入ったけど……」 そんな中、ナギサは呟きながら船の進む方向へと視線を向けた。 そこにいるのは真っ直ぐ前を見つめているリノと、赤く長い髪を持った長身の男。 (……何であいつが一緒なのよ) 最近、何かとよく会話をしているリノと彼。 その後ろ姿にため息をつきながら、1人遠く水平線の彼方を眺めるのであった。 話は今朝まで遡る事になる。 しばらくダーマに滞在していた4人は、すっかり日課となったアーニーとの朝食を楽しんでいた。 リノ以外は全員食べ終えて、ゆっくりと食後の紅茶を楽しんでいる。 「ナギサ」 「何?」 その時、改まった様子で姿勢を正したラザが彼女の名前を呼んだ。 普段、あまり喋らない彼だけに視線が集まるが、その中でもリノは一際大きく反応を示していた。 ナギサはそれに気づきながらも、彼の目を見つめて言葉を待つ。 (もしかして……この前言おうとしてた事かしら?) 何を言うのかしら、そう緊張すると同時に覚悟を決めると、ラザがゆっくりと言葉を紡ぎだした。 「俺も……一緒に行っていいか?」 その一言に全員が目を丸くし、言葉を失う。 「ちょ、ちょっと急に何を……!?」 真っ先に我に返って何かを言おうとしたのは、言われた当の本人だった。 「迷惑か?」 「そういう事じゃなくて……」 「じゃあ、何だ?」 「えっと……」 誰かの言葉に戸惑って、慌てふためくナギサというのは珍しいかもしれない。 トラッドはまるで他人事のように、そんな事を考えていた。 そしていつの間にかラザの事を応援しているヤヨイは、祈るように両手を組みながら見守っている。 (大体……何でこんなに真っ直ぐなのよ!?) 彼女は必死に言い訳を探しながら、彼の急な変貌振りに心の中で絶叫した。 昔のラザなら、こんなにあっさりと自分の想いを口に出来ると思えない。 (……本当に、何があったのかしら) その理由がまさかリノとの会話だとは夢にも思わないナギサは、ラザを睨みつけながら眉間に皺を寄せていた。 曖昧ではっきりしない気持ちが、いつまでも巡り続けて麻痺しそうになる。 唸り声だけが響く食卓で、不意に言葉を発したのは――――彼にきっかけを与えた彼女だった。 「……別にいいと思うけど」 「え?」 いつの間にか食べ終えていたリノは、同じく真っ直ぐな瞳でナギサを見つめている。 「それに……ナギサも本当に嫌ならすぐに断ると思うし」 そこでヤヨイが、あっ、と言いかけて口元を右手で隠した。 確かに再会した時の様な刺々しさは今のナギサには見られない。 つまり――――以前ほど、嫌ってはいないのだと想像がつく。 「ま、まぁ……リノちゃんがそう言うなら良いけど・・・」 ぎこちない笑みの彼女だったが、一番弱い相手にそう言われては反対する術は無い。 それにリノの言う事は間違っていない。むしろ、自分が何故悩んでいるのかすら疑問だったのだ。 「じゃあ……改めてよろしく……」 気まずそうに目を逸らしながら右手を差し出すナギサに、ラザは少しだけ微笑んでその手を握り返すのであった。 (でも……いいのかしらね……) そんな事があった朝からすでに数時間が過ぎようとしている。 先ほどまでヤヨイに引っ張り回されていたトラッドは、いつの間にかポルトガの船乗りに舵の取り方を教わっていた。 そもそもまだジパングに向かわないのは、彼が船の扱いを覚える為なのだ。 全員が船に慣れる為、という目的もある。 (……ラザ、分かってるの?) ナギサは変わらずリノと会話を続ける彼に、心の中でそっと問いかけた。当然、気付く者は誰一人いない。 (私だけじゃなくてあんたまで長い旅に出たら――――) ふとメガネをかけた優しい親友の顔が思い浮かぶ。 笑顔で見送っていた彼女だが、それが何処かぎこちなく見えたのは、きっと気のせいじゃない。 「ほんっとに……私の周りの男は揃いも揃って鈍いんだから……」 「そうなんですか?」 つい口にしてしまった独り言に素早く質問の声が上がり、ナギサはわずかに驚いた顔になった。 「……いつからいたの?」 「えっと、今ですけど?」 「ヤヨイちゃんって、いつもタイミング良いわね」 決して褒めたわけではないのだが、彼女はえへへと照れたように笑う。 「それでですね……師匠は分かるんですけど……ラザさんもですか?」 話が最初に戻った。トラッドが鈍いという事には彼女も同意見らしい。 「そうね……そのせいで色々損してるわよ」 「……意外です」 「そう?」 ヤヨイは握り拳を作って、2回大きく首を縦に振る。 確かにラザは普段物静かで落ち着いているので、会って間もない彼女にはそう見えるのかも知れない。 「逆に色々と気付いてるから、何も言わないのかな、って思ってました」 「……不器用なだけよ」 何だか可愛いですね、と彼女は笑顔を浮かべるが、逆にナギサは苦い顔になっていた。 (でも、ナギサさんも結構鈍いような……) ヤヨイは赤い髪の彼を横目に見ながらそんな事を思っていたが、敢えて口にせず、また船の中を探検し始めるのであった。 すっかり日も落ち、トラッドはポルトガに戻ろうと、小慣れた手つきで舵を取ろうとした時、 「トラッド、船で食べた方がいいんじゃないのか?」 今まで一人剣を振るっていたラザが、顔の汗を拭きながらそう言った。 揺れる船の上は平衡感覚を養うのにちょうどいいらしい。 「……それもそうか」 船旅は長くなる事が多い、そういった意図が読み取れたので彼は素直に従って手を離す。 「ところで……良かったのか?」 「何が?」 急なラザの質問にトラッドは不思議そうな顔で問い返した。 「俺が旅についてきた事だ」 「んー……別に」 一瞬考える間があったが、彼は当たり障りの無い事を言ってから言葉を重ねる。 「悪人ならともかく、ラザはそうじゃないだろ?」 「確かに後ろめたい事は何もしてないな」 トラッドは気にしていない、という感じだったが、彼は何かあると思っているのかトパーズ色の瞳を見ている。 そこに怒りの感情は一欠片もない。しかし、話して欲しいという気持ちだけは如実に現れていた。 「……お見通し、か」 「やっぱり何か理由があるのか?」 まぁ、とだけ答えると、トラッドは曖昧な表情で笑っている。 だが、ラザはそこから無理やり聞き出そうとせず、ただ言葉を待っているだけだった。 「…………ナギサの事、かな」 「ナギサ?」 「ラザは嫌いじゃないんだろ?」 「………………ああ」 そこで、ふぅ、と一息つくと互いに小さな笑い声を上げる。 お互いに相手の心の内を見抜き合っている事が妙におかしかったから。 「自分が嫌ってないのに、嫌われるって結構辛いと思って」 「やけに説得力があるな」 「……俺もそうだったから」 リノの事、というのはすぐに察しがついた。 「だから、仲直りするキッカケになればいいかな、って……多分、リノもそう考えてああいう風に言ったんだと思う」 「…………」 自分が心配していた2人に心配されていたという事に、ラザは初めて気が付き、少し恥ずかしい気持ちになる。 それと同時に、トラッドが彼女の事を本当によく見ているというのがはっきりと分かった。 「やっぱり言葉にしないと分からない事ってあるんだな」 「・・・え?」 ラザはしみじみとした口調でそう言った。 そして、海面に浮かぶ月をぼんやりと眺めている。形は少しいびつな円を描いており、数日中には綺麗な満月になりそうな頃合だった。 「トラッド」 「ん?」 「これからもリノの事、ちゃんと見ておくようにな」 「ああ……?」 きっと今の彼にはこの言葉の意味が分からない。 それでも今よりもう少し前に進めればいいな、とラザは思った。 「じゃあ……夕食にするか?」 「ああ……ところで」 「何だ?」 複雑な表情のトラッドは、船室へと続く扉を見てからため息をつく。 「料理は出来るのか?」 「まぁ……それなりに」 作れ、と言いたいのだろうか。それにしては彼の様子は頼むというよりは恐怖が滲み出ていた。 「多分……俺が夕食を作らされそうな気がするから、せめて手伝って欲しいんだけど……」 「…………ナギサか」 トラッドは無言で頷く。これもここ数日で分かった事だが、彼女は彼をいじめるのが好きらしい。 つまり、どれだけ疲れていても休む間も与えてくれなそうである。 「お互い大変だな」 「……本当に」 船の上で過ごす事、約一日。それだけの時間でこの2人の間には、奇妙な友情と絆が芽生えたのであった。 ほぼ同時刻。遥か離れた場所での事。 煌々と燃える数多くの灯りが、大陸では見かけない様式の大きな家を取り囲んでいた。 その中から聞こえてくるのは、不明瞭な発音で呟かれる言葉。 それも一人ではなく、数人の口から零れ落ちては折り重なっている。 まるで夜に溶け込むような、それでいて禍々しい空気を纏った不可思議な空間。 「…………ふむ」 綺麗な円の形を描いて姿勢正しく座る人々。 その中心に、まるで浮遊するように座っている一人の女性が閉じていた目を開いた。 顔は化粧によって作られたように白く、眼光は人とは思えぬほど鋭い。 綺麗に結わえられた黒髪の素朴な美しさと対照的に、紫色に染められた唇は危険な魅力を醸し出していた。 「ヒミコ様……見えたのですか?」 一人の男が少しだけ顔を上げると、緊張した口調でそう尋ねた。 丁寧な言葉遣い。言葉の端々から滲み出る尊敬の心。 真ん中に座っているヒミコと呼ばれた女性は、この場所で最も力を持つ人間のようだ。 そして唯一話しかけた彼は、おそらく次に続く位の持ち主だろう。 「うむ…………次の生贄が、のう」 今までうわ言の様だった周囲の呟きは、何の前触れも無くざわめきに変わる。 「……して、その幸運な娘とは?」 木で敷き詰められた床の上に、ぽたりと男の汗が落ちた。 そして周りの人は、誰もが皆顔を両の手で伏せている――――まるで彼女の言葉に怯えるように。 「…………紙と筆を持て」 「は?」 「紙と筆じゃ。同じ事を言わせるでない」 わずかに強められた語気に、男は慌てながらも近くの者に指示を出すと一人の女が小走りで奥へと消えて行った。 一瞥したヒミコは楽しげに口の端を歪ませた。周りには悟られない様に、口元は扇子で覆い隠されている。 「遅いのぅ……」 続けて吐き捨てられた一言は、聞く者の顔を瞬時に凍りつかせた。 「お、お持ち致しました!」 時間にしておよそ1分。この広い家の事を考えれば十分に早い時間である。 「……わらわはすっかり待ちくたびれてしもうた」 「え――――」 「じゃから、次の満月の夜にはそなたの娘にも共をしてもらおうかの?」 「そ、それは……」 「……まさか嫌とは申すまい?」 「あ……ありがたき幸せでございまする……」 言葉の意味とは裏腹に深く沈んだ表情。その矛盾はヒミコの心をこの上なく昂らせる。 「では……次の生贄じゃが……」 弾かれたように周囲の騒がしさがぴたりと止んだ。 聞こえてくるのは苦しそうな息遣いと、存在しない曖昧な何かを呑み込もうとする音だけ。 誰も彼もがそうならばつい流されてしまいがちだが、筆を取ったヒミコは動じる事無く紙に字を書き連ねていく。 「確か……こういう字じゃったか」 「ヒミコ、様…………?」 「何じゃ?」 青ざめた男の顔。それは絶望というよりは疑問。 「そのような名前の娘はここには――――」 「……もう10年近く前になるか」 「え・・・?」 蘇る記憶。それはある夫婦とその娘の姿だった。 「まだ……生きているとでも仰るのですか?」 「わらわの神通力を疑うと申すか?」 「い……いえ! 決してそのような…………!」 「ふふふ……分かっておる」 遥か昔、この地では年々増え続ける火山の噴火と気候の荒れ具合に頭を悩ませていた。 その時、ヒミコは淡々とした口振りでこう呟いた。 「神の怒り……それを静めるには生贄を差し出すより他に無い」 この国において、彼女の神通力を疑う者は誰一人としていない。 その証拠に生贄が3日後に差し出されると、何も災いが起こらなくなった。 食料に困る事が無い穏やかな暮らしが戻ってきた――――かのように見えた。 だが、気紛れな神は何の前触れも無くヒミコを通じて生贄を求め続け、現在に至っている。 人々は飢える心配が無くなった代わりに、恐怖と悲しみに囚われる事になったのだ。 「もう、じきに戻ってくるじゃろ……それも何人か連れて、な」 「は……?」 ヒミコの存在は、この国の人間にとっては神と同じ。 彼女の言葉には何処か含みがあったが、当然その考えは図りかねない。 というよりも、誰も神と同じ目線に立てるとは考えない為、最初から諦めている。 男は内心で疑いながら、それを決して表には出さずに生贄の名が書かれた紙を見た。 本来、赤い字で人の名前を書くのは不吉とされているが、何故か彼女は赤い墨しか使おうとしない。 (あの娘が……帰って来るのか……?) 言葉を失うほどの美しさで書かれた、古来より伝わる文字。 異常な空気の中にあるわずかな正常。それだけに美だけでなく、狂気も兼ね備えているように思える。 真っ白な紙の上、血の色にも似た墨で書かれた生贄の名前。 それは――――――弥生。 次の話へ
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