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「さて……行くか」 揺れる船の中、綺麗に平らげられた幾つかの皿が並ぶテーブル。 5人が早めの昼食を終えてから30分ほど過ぎた頃だった。 意を決したように呟いたのは、扉に近い所に座っていたトラッド。 「……大丈夫ですか?」 「ああ、もうすっかり」 向い側に座っていたヤヨイが心配そうに尋ねたのは、彼が朝方までずっと舵を取っていたからである。 目的地が見えると、彼は一番先に起きてきたナギサに見張りを任せて昼前ぐらいまで眠りに就いた。 それから船酔いから回復したラザと次に起きてきたリノが作った昼食を食べ、現在に至る。 (ヤヨイ……落ち着いて無いな) 本音を言えば、もう少し休みたかった。しかし、焦りがはっきり出ている彼女の顔を見ると、そうのんびりしていられない。 しかし、彼の表情にわずかな疲労の陰を見つけたリノは、強い口調でこう告げる。 「でも……疲れた時は言ってくれ」 「……そうする」 トラッドはそう答えながら、別の事を考えていた。 (俺も……) 人の事は言えない。そう心中で付け足すと、彼は苦笑いを浮かべてから真っ先に船室を出るのであった。 温かい陽の光が、一日で最も高い位置から降り注ぐ。 船は近くに泊めてあったので、ジパングへはさほど時間がかからなかった。 「うーん……」 「どうしたナギサ?」 柔らかくもなく固くもない心地良い土の上を歩いていると、ナギサが眉間に皺を寄せて悩み声を上げる。 「ラザ……ここ、どう思う?」 「どうって言われても……」 彼女が指しているのは、ジパングという国そのもの。そう思ったラザだが、着いたばかりで何も返す言葉が思いつかない。 軽くため息をつくナギサに、今度は彼が同じ質問を返す。 「そうね……一言で表すと、のどか、って感じかしら」 「……そういう事が言いたかったのか」 「深く考え過ぎよ」 それはナギサの影響じゃないのか、彼はそう言いかけたが、その後の惨事を想像して言葉を飲み込むと、大人しく続きを待つ。 「ただ、何か引っかかるのよね……」 「嫌な予感でもするのか?」 「正直、何とも言えないわ」 「……だから聞いたのか」 彼女自身、何を伝えればいいのか分かっていない。それでも何か腑に落ちない事だけが確かである。 「一応、気には止めておく。用心するに越した事は無いからな」 曖昧な、答えの出ない不可思議な感覚。だが、妙に鋭いナギサがそう言うのであれば、何かあるのかもしれない。 そう考えたラザは、緩んでいた気持ちを引き締めるように周囲へと注意し始める。 「……何も無ければいいんだけど」 ナギサは彼の持つ気配が変わった事を察知すると、不安げな表情で空を仰ぎ見た。 「村……か?」 太陽がわずかに傾いた頃、先頭にいたトラッドは前方に煙が上がっているのを見て呟いた。 「多分、ここですね」 「え?」 その時、隣を歩くヤヨイが確信めいた口調で彼に告げる。 「でも、村が一つとは――――」 「いえ……ジパングには一つしか村が……人から聞いた話なんですけど」 「そうなのか?」 島国というだけあって、大陸に比べればその大きさは微々たるものだ。 しかし、いくらなんでも村一つしか作れないほど狭いわけではない。 「北や南の方にも人が住んでいるとは思うんですけど…… だから正確には、昔見せてもらった地図にはちょうどこの辺りの……ここしか載ってないんです」 「なるほど……地図にある唯一の村なのに女王様がいない、っていうのも考えにくいしな」 多分なんですけど、と彼女はトラッドの問いかけに言葉を返す。 「それに誰かの耳にも入っているぐらい有名なら……」 そう口にしたのは、後ろを歩いていたリノ。反応した先頭の2人は振り返ってから頷いた。 「ともかく行ってみないと分からないわね……でも」 足が止まった3人をナギサが促す。だが、正体の分からない不安を抱えているのが口調に滲み出ていた。 さっきの話を思い出した4人は、真剣な眼差しのまま首を縦に振った。 「わー、ガイジンだー!」 「へ?」 村の入口。そこには黒い髪の子供たちがはしゃぎ回っていた。 楽しそうな雰囲気を崩すのは悪いと思いつつ、トラッドが声をかけようとした時、唐突にそんな事を言われる。 「すごーい、色とりどりー」 こちらに駆け寄ってきたかと思えば、すぐにトラッド、ナギサ、ラザの3人を取り囲む数人の子供。 どうやら銀、金、赤の髪の色が珍しいようだ。 「ヤヨイ、ガイジンって?」 リノは困った様子の3人を眺めながら尋ねる。 「多分、外から……つまり他の国から来た人だと思います。ジパングでは黒い髪の人が殆どだそうですし」 「なるほど」 覚えていない、けれど自分の生まれた場所の事を知りたい。 彼女が詳しいのは、そんな想いで色々な人にジパングの話を聞いているからなのだと分かる。 「旅の方、ですか?」 その時、不意に後ろから聞こえる声。振り向いた先にいたのは25歳ほどの女性で、ヤヨイの服に似た雰囲気の赤い衣を纏っていた。 長く艶やかな黒髪は白と青の模様が入った布で綺麗に結わえられいる。 「はい」 「子供たちにはさぞ驚かれた事でしょう?」 リノは横目でトラッドたちの様子を見ながら頷くと、彼女も口元に手を当てて微笑む。 「大人なら旅の方とも面識ありますが、子供たちは何分見るのが初めてなもので……許して下さいね」 「あ、いえ」 柔らかな口調。そこには敵意は微塵も感じられない。 トラッドから聞いたアーニーの話とは、まるで印象が違っていた。 「あの……」 「はい?」 早速、オーブの事を尋ねようとしたリノだが、その前に女性がヤヨイへと話しかける。 「私の勘違いでしたら申し訳ないのですが……ひょっとしてご両親はジパングの?」 「え……はい、そうです。でも、どうして?」 「黒髪がこちらの方と違って、私たちに近いように見えたのでもしや、と」 それから彼女は、綺麗ですね、と言うと、ヤヨイは顔を真っ赤にして俯いた。 「お名前は?」 「ヤヨイって言います」 一瞬だけ女性の顔が曇った――――ように見えた。気付いたのは2人の会話に耳を傾けていたリノだけ。 (今のは……気のせい、か?) すぐにそう感じたのは、いつの間にか彼女の表情が柔和な笑みに戻っていたからだ。まるで何事も無かったかのように。 「あれ、その人は?」 違和感に頭を悩ませていると、先ほどまで子供たちと戯れていた3人が疲れた顔で戻ってくる。 問いかけたのは、髪の乱れたトラッド。おそらく物珍しさから色々いじられたのだろう。 ちなみにナギサとラザは何ともなっていない。それは子供の目から見て、彼が一番遊び易かったのかもしれない。 「あっ、自己紹介がまだでしたね。私はアヤメと申します」 それに倣って、ヤヨイ以外の4人が名前を告げる。 「ところで皆様はどうしてこちらに?」 子供たちの反応を見れば、ここを訪れる旅人は少ないのだというのは分かった。だから、それは至極当然な質問であった。 (どう話せばいいかな……) しかし、正直に言ってしまって良いのだろうか。何故かそんな迷いがトラッドの頭をよぎる。 それを察したアヤメは、わずかに考える素振りを見せた後で、こう口にした。 「お困りでしたらヒミコ様を訪ねてみてはいかがでしょうか?」 「ヒミコ様……って、もしかして予知能力があるっていう女王様?」 以前、アーニーから聞いた話と彼女の口調から推測しただけだったのだが、どうやら当たりらしい。 「ご存知なんですか?」 「ええ、人から聞いただけですけど」 「でしたら……」 そう言いながらアヤメは村の北側を指差す。そこに見えたのは、周囲と比べ物にならないほどの大きな建物。 「あちらにいらっしゃいます……ただ」 「ただ?」 「ヒミコ様はガイジンがお嫌いでいらっしゃるので、取り合って頂けないかもしれません」 その時、アヤメの表情が再び曇った。しかし、リノはそこに先ほどと違う種類の陰を見る。 (……何だろう) 胸の奥がざわめくように何かを訴えた。 「わかりました。親切にありがとうございます」 しかし、気付かないトラッドは一礼すると先に歩き始める。 確信の持てない不安。それを告げれぬまま、リノはその後に続いて歩き出すのであった。 それから初めて見る赤い門のような物をいくつか潜り抜け、5人は村の北にある建物の中へ足を踏み入れた。 造り自体はその途中で見かけた民家と何処も変わりない。 だが、大きさや紙で作られたジパング独特の飾り付けを見ると、ここは今までで言う城に当たる所だと分かる。 「なんじゃ、お前は?」 周りにいる人間にヒミコの事を尋ねながら、案内に従って一番奥の部屋に辿り着いた。 (………何だ?) ふとリノは自分の身体に妙な圧力を感じ、辺りを見渡す。質素だがここへ来るまでに通った部屋とそれほど変わった所は無い。 彼女は気のせいだと思って前を向くと、たった今話しかけてきた女性が1人鎮座していた。 妖艶な黒い瞳と真っ白に塗られた幼さの残る顔。彼女がおそらくヒミコだろう。 しかし、紫に染め上げられた唇の発する言葉はそんな印象と違って、年齢を重ねた威厳があった。 「あの――――」 「答えずとも良いわ!」 気圧されながらもトラッドは口を開こうとするが、割り込んできた怒声に遮られてしまう。 それから怒りを露わにしたヒミコが、息をつく暇も与えず言葉を吐き出し続けた。 「大方、わらわの噂を聞きつけて訪ねてきたのじゃろうが、そなたらガイジンと話す言葉など持ち合わせてはおらぬ! 余計な事なぞ考えず、早々にここから立ち去るが良いわ!」 激しい憎しみ、むしろ殺意に近いかもしれない。 その凄まじさには、ナギサですら言葉を挟む余地が無かった。 「………」 「何か不服かの?」 しかし、5人の顔には言葉で表せない苦々しい感情が浮かんでいた。 指摘したヒミコは、眉をひそめて白く細い手を挙げる。 それが何かの合図だと察知したナギサは、すぐに後ろを振り向いて足早に歩き出した。 「やれば出来るではないか……」 望み通り事が運んだからか、彼女は機嫌の良い声を出す。 背中を向いていたリノにはそれが人間の発する音に思えなかった。 結局、4人は一言も話す事も出来ず、ヒミコの元を立ち去った。 そして――――リノたちの姿が見えなくなった頃。 「……ようやく来おったか。随分、待ちくたびれさせてくれたものじゃのぅ」 誰もいなくなった部屋の中で、ヒミコは先ほどの態度とは違った嬉しそうな声を上げるのであった。 「気に入らないわね……あの態度」 屋敷を出て、真っ先に刺々しく言ったのはナギサである。 「まぁ、外から来た人の事が嫌いとは聞い――――」 トラッドはいつものようになだめようとするが、直後ハリセンの音が脳内にこだました。 「ふぅ……これで少しはスッキリしたわ」 「……うかつな俺がバカだった」 頭をさすりながら呟く声の儚さに、ラザは思わず彼の肩を叩いた。 「ところでどう思う?」 道端の小石を蹴り上げたナギサが4人に問いかける。 「少なくとものどかな所じゃないな」 ラザはここに来る途中の会話を思い出しながらそう言った。 「リノちゃんは?」 「え?」 聞きたい答えと違うのか、ナギサは難しい表情の彼女に話を振る。 「あの部屋……押さえ込んでいるような感じがしたんだけど……何か気付かなかった?」 「押さえ込む?」 言われたリノは眉間の辺りに右手を当てながら、ヒミコの部屋の様子を思い出した。 (………あ) 思考がそのまま顔に出ると、ナギサは真剣な眼差しで首を縦に振る。 「もしかして………」 「オーブですか?」 会話の流れから察したヤヨイの声に、再び彼女は頷いた。 「多分、ね」 実物を見たわけではないが、明らかに拒む様な意思が働いている。 それにヒミコがオーブを持っているというアーニーの言葉を合わせれば――――十分に考えられる話だった。 「でも確認するのは難しいな」 「ええ。夜中に忍び込む……っていうのも出来るけど、捕まったら何されるか分からないし」 それは今回に限った話では無いが、ヒミコの性格も考えると極めて危険である。 「お話出来なかったんですね……すみません」 急に呟かれた声。後ろめたい事を口にしていたせいか、ナギサは必要以上に驚いた。 振り向くと、そこに立っていたのは口元に右手を当てて申し訳なさそうな顔をしているアヤメだった。 「そんな……こっちこそ気を遣わせてしまって」 その言葉を聞いて、ヤヨイはすぐに謝る。彼女は何も悪くないのだから。 しかし、それでは気が済まないらしく、アヤメは力なく首を横に振る。 「それならせめて……私の家に泊まって下さいませんか?」 「え?」 「この村には宿がありません。ですので、よろしければ……是非」 親切な心遣いは、何処か懇願しているようにも感じ取れた。 それほど自分の行いを悔いているのだろうか、そう思ったヤヨイは後ろにいる4人と顔を見合わせた。 「……じゃあ、お世話になります」 「あ、ありがとうございます! では、早速いらして下さいませ」 来ると思っていなかったのか、トラッドの言葉に彼女は笑顔を取り戻し、手を村の東へと向ける。 そして、ナギサとラザは苦笑いをしながらも、5人は導かれるまま歩き出すのであった。 歩いて間もなく、アヤメの家に着く。ヒミコの所と比べると小さかったが、親しみやすい空気と木の香りが漂っていた。 そして夕暮れ時、彼女は食事を用意するのだが、誰もジパングの料理に馴染みが無く、初めて見るものばかりであった。 ヤヨイはどの料理も美味しいそうに食べながら、 「これは何て言うんですか?」 と、度々彼女に尋ねては何度も首を縦に振る。 いつになく賑やかな食事とヤヨイの幸せそうな顔に、4人は密かに安堵の息をついた。 (ここの所、ずっと悩んでたからな……) 時折見せる難しい表情。でも、必死で隠そうとする彼女。それを知っているからこそ、余計に安心してしまう。 今回の事が終わった時には少しでも元気になって欲しい、と思わずにはいられなかった。 「ヤヨイさん」 夕食を終えると、太陽の姿は何処にも見当たらなかった。 そこにあるのは無数の星と1つの月、そして澄んだ空気と凛と響く虫の鳴き声。 ヤヨイはふらふらと誘われるようにアヤメの家の近くを散歩していた。 その時だった。同じく外に出てきた彼女に名前を呼ばれたのは。 「はい?」 「あの……お話したい事があります」 「何ですか?」 周りを確認するような素振りの後、アヤメはヤヨイとの距離を縮める。 そして、口に手を添えながら彼女の耳元でこう囁いた。 「ヤヨイさんの………ご両親の事」 「…………え?」 声にならないほどの驚きが音となり、彼女の唇から零れ落ちる。 アヤメは再び周囲を見渡してから、伸ばした人差し指を口に当てた。 「よければ、あちら………川の方でお話しませんか?」 差し出された真っ白な手は村の西を示している。 だが、先ほどから幾度となく辺りに気を配っているアヤメの態度が気にかかった。 「……はい」 それでも記憶の片隅にしか残っていない両親の面影を前にして、ヤヨイには断る事が出来ない。 身体が浮遊するような感覚の中、アヤメの後を緊張した足取りでついていく。 「足元に気をつけて下さいね」 何気ない一言。いつもの彼女なら屈託の無い笑みでお礼を言うに違いない。 しかし、今のヤヨイには言葉の意味が理解出来ず、呆然と頷く事しか出来なかった。 次の話へ
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