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木々が生い茂る小さな森。そこは月の光も微かにしか届かない。 ヤヨイはつまづかない様に足元を確認しながらアヤメの後をついていく。 「……もうすぐです」 「あ、はい」 夜風に当たったせいか、それとも時が過ぎたせいなのか、ヤヨイは少し落ち着き始めていた。 そして、ふと妙な事に気付く。 (でも、どうしてこんな人気の無い場所に……?) 罪を犯そうとしているわけでもないのだから、誰に聞かれても構わない。 むしろ今までの状況から考えると、アヤメの方が隠したがっているように見える。 「え……?」 ふと顔を上げた時、ヤヨイは少し前方に見えた森の出口に驚きの声を上げた。 そこがあまりにも煌々と輝いていたからである。 (月の光……だとしてもこんなには) 例え見通しの良い場所でも、夜がそんなに明るい訳が無い。 この先にある光が民家の灯したものなら安堵するかもしれないが、それにしてはあまりに輝き過ぎていた。 だからこそ――――どうしても恐怖や不安といった気持ちが先走ってしまう。 気を緩めれば身体から噴出しそうな汗。それを無理に抑え込みながら、彼女は慎重に歩き続けた。 「……着いたわ」 アヤメの淡々とした口調。そこには出会った時の温かみは少しも感じられない。 ヤヨイは急に広がった視界と、無数の強烈な光に思わず目を細めた。 「あ……」 数秒後、光に慣れてきた黒い瞳が捉えたもの。 それは松明を持った大勢の人間で、誰も彼もが強張った顔を見せていた―――― 「その娘がそうか?」 「……はい」 「さすがはヒミコ様だ」 ヤヨイには分からない会話をするアヤメと1人の男。 それから数人の頷き合う声が聞こえると同時に、草を掻き分ける音が耳に響き、いくつかの灯りが彼女の背後へと蠢いた。 「アヤメ……さん?」 「………」 ヤヨイは乾いた声で彼女の名前を呼ぶが、言葉が返される気配は無い。 「まさか……!」 それでもヤヨイは気休めの様に喉を触れながら、精一杯の声でこう言った。 「私の両親について知ってる人をこんなに集めてくれたんですね!」 「…………」 妙な沈黙。先ほどまで張り詰めた表情をしていたアヤメですら、呆気に取られている。 「さっきから妙にそわそわしてると思ってたんですけど、それは私を喜ばせようとに隠してたから……もう! 何があるかと思って緊張したじゃないですかー!」 「え、っと……アヤメ?」 「わ、私のせいですか?」 「だって、なぁ」 村人たちの張り詰めていた空気が緩んでしまったらしく、間の抜けた責任の押し付け合いが始まった。 当然、誰が悪いわけでもないのだが、1人としてその事には気付かないようだ。 しかも原因を作った当のヤヨイは、楽しそうにその様子を眺めている。 「……ちょっと待て」 「あ、はい!」 「いや、お嬢ちゃんじゃなくて」 「そうなんですか?」 しばらく騒いだ後、最初に冷静さを取り戻したのは先ほどアヤメと話していた男。 彼は両の手で周りの人間の喧騒を静めようとした。 しかし、ヤヨイが素直な反応を見せるため、何処かすっきりしないようだった。 「いいか? 俺たちはだな」 「はい」 男は喉を鳴らした後、意を決したように唇を動かし始めた。 「お嬢ちゃんの事を――――」 「いい娘だな、って思ったんでしょ?」 凛とした、ヤヨイにとっては耳慣れた声が木の上から辺りにこだまする。 そこにいた誰もが頷きかけたが、一斉に慌てて首を横へ振る。 「あら、違うの? 私は代わりに言ってあげたつもりなんだけど?」 余裕に満ち溢れた言葉と共に、ハリセンを右手に持った女性がふわりと目の前に着地した。 「ナギサさん!」 「何もされなかった?」 「はい! 皆さん、とっても面白い方ばかりで楽しかったですよ?」 「…………本当にいい娘なんだから」 こんな状況でもそう言ってのける彼女に、ナギサは困ったように微笑んでいる。 「にしても……思った通りね」 彼女は周りに鋭く碧眼を向けながら、何処か呆れた様に呟いた。 「気付いたのはリノだろ……大体何で木に登ったんだ?」 「あら、かっこよくなかったかしら?」 その時、同じく呆れた声が聞こえ、彼女は冗談混じりの口調で返事をする。 「師匠!」 ゆっくりと姿を見せたのはトラッド。リノとラザもそれに続いて現れた。 取り囲んでいたはずの村人たちは、悠然と歩く3人に圧倒されて動く事が出来なかった。 しかし、そのおかげであっさりと一所に集まる事が出来た。 「どうしてここへ……?」 最初に声を荒げて尋ねたのはヤヨイをここへと誘ったアヤメ。 冷静だった彼女の表情は、今や見る影もなく取り乱してしまっている。 「そういえばどうしてなの、リノちゃん?」 「知ってて来たんじゃないのか」 緊張感の無いナギサの声に、ラザはため息をつきながら言った。 それが機嫌を損ねたのか、振るう機会の無かったハリセンが瞬きする間もなく鳴り響く――――何故か、トラッドの頭に。 「だから何で俺なんだ!?」 「叩かれ易そうなトラッドが悪いんでしょ!?」 リノは眉間に皺を寄せ、いつもの言い争いを背に受けながらゆっくり話し始めた。 「ヤヨイの名前を聞いた時と……ヒミコの話をした時」 息を呑む音が響く。それは一体何に対してなのか。 「アヤメさんの表情にはそれぞれ違う陰が見えた……ただ、それだけ」 あの時、ヤヨイは髪の事を褒められて俯いていたし、他の3人は子供たちと一緒にいた。 リノ以外はどちらか一方の陰しか見れない。だから、彼女だけ気付く事が出来たのだった。 「確信が持てなかったから、気にかけてただけだったけど……」 「なるほどねぇ。さっすが、リノちゃん!」 ようやくナギサの中で曖昧だったものが晴れたのか、感激した声を上げながら彼女を抱きしめる。 「いや……だからって、くっつかなくても……」 リノはため息をつきながら遠慮がちに身を離した。 そんな2人のやり取りを横目に、トラッドは頭をさすりながら一歩前に出て、呆然となっているアヤメの顔を鋭く見据える。 珍しく怒った表情だったが、殺気は微塵も出ていない。 「生贄――――か?」 草の踏まれる音と彼の放った一言によって、村人たちは現実へと帰って来る。 隠し切れないほどの激しい動揺を表情に滲ませながら。 「師匠……?」 「理由は分からないけど、生贄に選ばれたのはヤヨイ……なんだな?」 「私が……いけ、にえ………?」 最初は言葉の意味が理解出来なかった。自分の身に起きたはずの事が、まるで他人事のように頭をすり抜けていく。 (どうして?) 次に浮かんだのは疑問。それを心の中で何度も呟いた。 (ここは私の生まれた所なのに? どうして………?) あまり口にはしなかったが、ヤヨイは楽しみにしていた――――記憶の片隅にしか残っていない故郷へ帰る事を。 自分が知っていたのは人から聞いた噂話と、本で読んだ知識だけ。 だからこそ彼女の想像は、何処までも限りなく広がり、淡い期待で満ち溢れていた。 「……ヤヨイ」 「師匠は………生贄の事、知ってたんですか?」 一言、ああ、とだけ答えればいい。ただそれだけの事だった。 だが、言葉を知っていても答える術が分からない。 そうして言葉を失ったトラッドの姿は、ヤヨイにとってそのまま答えとなった。 しばらくの沈黙の後、彼女は顔を上げてから彼をじっと見つめる。 「……ありがとうございます」 「えっ……」 しかし、彼女の唇が紡いだ震える音は、感謝の言葉だった。 「私の事を心配してくれたから、言えなかったんですよね」 平気なわけが無い。その証拠にヤヨイの黒い瞳からは涙が零れ落ちている。 それでも彼女は必死で折れそうな心を支え、健気に微笑んでいた。 (俺なんかよりも、ヤヨイの方がよっぽど……強いな) トラッドもつられて笑顔になると、彼女の頭を優しく撫でた。 「……誰だ?」 彼は手を離すと、村人の方を向いて問いかける。 しかし、珍しく鋭いトパーズ色の瞳を前にして、話すことが出来る者は誰もいない。 「誰がヤヨイを生贄に選んだんだ?」 「――――様だ」 絞り出したような声で誰かが言った。 しかし、よく聞こえなかったトラッドが声のした所に目を向けると、男は同じ言葉を半ば叫ぶように繰り返した。 「ひ、ヒミコ様だ!」 それから堰を切ったように、村人たちは次々と言葉を重ね始める。 「予言だ! 予言によってその娘が選ばれたのだ!」 「そ、そうだ! 生贄を差し出さなければ、我々が……!」 「ヒミコ様のお言葉は神のお言葉……だから――――我々は間違っていない」 誰のものか分からない最後の言葉を耳にした瞬間、村人たちは一斉に暴徒と化し、農作業の道具を持って襲い掛かってきた。 黒かった瞳は狂気に染まり、形容しがたい色に変わり果てている。 「まずい……逃げるぞ!」 冷静に辺りを窺っていたラザはそう言うと、背後に迫り来る幾人かを鞘で殴りつけた。 それをきっかけに他の4人も森の中へと走り始める。 「逃げたぞ!」 「追え! そしてあの娘を捕まえるんだ!」 「他の者は殺しても構わん!」 唯一の頼りである月の光すら通さない森の中。5人は村人たちの殺気だった声を背に受けながら、ただ前だけを向いて逃げ続けた。 「っ……このままじゃ」 「ええ……ちょっと厳しいわね」 先頭を走るラザとナギサが言葉を交わす。 視界と足元の悪さ、そして追われているという重圧がいつも以上に体力と精神力を削り取っていく。 この状況が続けば、捕まってしまうのは目に見えていた。 「あっ……ちょっと待って下さい!」 それから走り続けること数十分。どうにか森を脱出した所で、ヤヨイが全員の足を止めた。 「あそこに隠れるのはどうですか?」 彼女はそう言いながら、川のほとりにある小屋を指差す。 「だが……見つかったら逃げ場がないぞ」 「でも、このままなら捕まってしまいます。それに、あそこなら取り囲まれる事はありません」 小屋の入口は一つ。しかもそれほど大きくは無い。 そう考えれば、同時に相手をする数はほぼ最小限に減らす事が出来る。 「行こう」 森の奥から聞こえてくる声はそれほど遠くない。 迷っている時間すら惜しいと思ったリノがそう言うと、4人は互いに頷き合ってから小屋の中へと入っていった。 灯りが外に洩れないように、トラッドはランプの火を小さくして小屋の中を眺めた。 だが、隠れられそうな所は無く、その代わり地下へと続く階段だけが不気味に口を開けている。 足音を殺して、下りた先はすでに灯りが点いていた。 「壷……?」 トラッドは不要になったランプの火を消しながら呟く。 「中は空っぽみたいね」 おびただしい数の壷。好奇心に満ち溢れた瞳でナギサが次々と蓋を開けるが、何も入っていなかった。 「……! 探………!」 その時、頭上から数人の叫び声と足音が響いてきた。 (こうなったら……!) ナギサは額の汗を拭うと壷の蓋を開ける。 そして隣にいたリノの腕を取って、少し乱暴に引き寄せた。 「わ……」 「皆も隠れて!」 すぐに彼女の意図を理解した4人は、考えるよりも先に壷の中に潜り込む。 全員が隠れたのを確認してからナギサも慌てて壷に入り、辺りの様子を窺ってから蓋を閉じた。 それから村人の数人がぞろぞろと地下室に現れたのはほぼ同時だった。 「何処に行った……?」 忽然と姿を消した5人。隠れる事が出来そうな場所はこの小屋の地下室にある壷の中のみ。 (……おそらく見つかるわね) 狭い壷の中、ナギサはいつでも奇襲をかけれるようにハリセンを手に取っていた。 身を隠す為、というよりは不意の突けそうな場所だからこそここを選んだのだ。 (大体3人って所かしら?) 会話をする声、消しきれていない足音の数からそう推測するナギサ。 だが、予想に反して誰かがこう呟いた。 「――――他の所を探すぞ」 「そ、そうだな……」 周りが震えた声でそれに同意すると、階段を駆け上る音が響き、静寂が訪れる。 「…………ふぅ」 ゆっくりと蓋を持ち上げて、誰もいない事を確認してから5人は外へ出た。 「行ったみたいだな……」 「うん……でも、どうしてだろ……」 トラッドの安堵した言葉にリノは不思議そうな顔をする。 そこから先は誰も言わなかったが、考えている事はみんな一緒だった。 何故、誰も壷の中を捜そうとしなかったのか、と。 「まぁ、助かったからいいけど――――」 ナギサがそう呟いた時、地下室の奥から物音がした。 「……それはジパングの民にとって、この壷が開けてはならないものだからです」 女性の答える声。一番近くにいたヤヨイはハッとしてから後ろへと下がる。 「誰だ?」 ラザの声に答える様に壷の蓋が持ち上がった。そして、中から出てきたのは1人の女性。 「………旅の方、ですか?」 薄暗くて顔は見えなかったが、怯えているという事だけは声から伝わってくる。 「そうだけど……あなたは?」 内心驚きながらも、トラッドは安心させるように穏やかな口調で問い返した。 「私はモミジと申します」 ぎこちない口調だったが、女性は自分の名前を告げて歩み寄ってくる。彼の持つ空気に少し安心したからかもしれない。 ジパング特有の黒い髪と瞳、そして何も化粧をしていない健康的な唇。 歳はおそらくヤヨイと同じくらいだが、控えめで落ち着いた様子は彼女より大人びて見えた。 身に纏うは白を基調にした赤の混じる衣。だが、長く壷に入っていたせいか所々薄汚れていた。 「ところで、開けちゃいけないっていうのは?」 「これは……死んだ人間の骨を入れる為の壷なんです」 それにしては大きい。その疑問がトラッドの顔に表れたのを見て、モミジは更に話を続ける。 「亡くなった方の魂が窮屈な想いをせずゆっくり眠れるように、という願いもあるそうです。 そして、ジパングでは1度蓋を開けると、その力が失われてしまうと考えられています」 「だから開けれなかったのか……」 死んだ相手に対する心遣い、というのは理解できる。しかし、それならば何故モミジはこの中にいたのか。 「……もしかして、あなたがヤヨイ様ですか?」 「え、あ……はい」 その疑問を口にする前に、彼女が先に言葉を紡いだ。 まだ名前を言っていないにも関わらず、モミジはその名前の人物を間違えずに見つめている。 それから彼女は一礼してから言った。 「私はヒミコ様にヤヨイ様のお供をするよう申し付けられました」 「お供って……もしかして」 「はい」 トラッドの言葉を遮るように彼女は返事をし、更に言葉が重ねられる。 「でも私はまだ……死にたくありません……だから隠れていたんです」 「え……? 一緒に行くだけなのに?」 「お供をした娘の中で、帰ってきた者は1人もいないのです」 「……」 薄気味悪い沈黙。それは生贄という事に対しての嫌悪感から生まれたものだろうか。 トラッドが横目で気付かれないようにヤヨイを見た。彼女は先ほどの事を思い出したのか、顔が青ざめていた。 「つまり――――目的は同じという事ね?」 肌に纏わりつく湿った空気を振り払うような笑顔でナギサが言った。 そして、言葉の意味を理解したモミジが頷く。 だが、ナギサは強気な笑みをすぐに消し、真剣な表情で言葉を紡いだ。 「ただ……仕組まれた話なら、私たちでも力になれるかもしれないけど、もし生贄の存在が本当に必要な時は――――力になれないわよ?」 「……分かっています。元々は私たちの……問題、ですから」 モミジの答えに、ナギサはにっこり微笑んだ。そして頭を優しく撫でる。 「目的が同じ、ってどういう意味ですか?」 いつの間にか冷静になっていたヤヨイが問いかけた。 口にこそしなかったものの、リノたちも同じ風に思っていた。 確かなのは、ナギサに何か考えがあるという事だけ。 「私たちの目的はヤヨイちゃんを助ける事。モミジちゃんの目的は自分を助ける事。これを解決するにはどうすればいいと思う?」 「…………あ」 そこまで言われて、ヤヨイはようやく気が付いた。 しかし、まだ腑に落ちない所がある。彼女がそれを問いかけようとすると、その前にナギサが口を開いた。 「後、これは私の推測なんだけど……」 言葉が一瞬だけ途切れ、まるで時間そのものが止まってしまったかのような空気が流れる。 「生贄の予言って、ヒミコの策略のような気がするのよね」 しんと静まり返る室内。最初に喋ったのは、何故か呆れた口調のトラッド。 「ナギサ……個人的感情に流されるのは良――――」 だが、その言葉は終わりを迎える事無く、ハリセンによって消し去られた。 「……冗談のつもりだったのに」 「ったく……でも、根拠はあるわ。ただ、証拠が無いだけよ」 「あの部屋の事か?」 押さえ込んでいる感じがする。ラザは彼女のその言葉を思い出しながら問いかけた。 「私1人だけなら気のせいかもしれないけど、リノちゃんも同じ様に感じてたみたいだし」 「でも、どうやって確かめるんだ?」 「問題はそこなのよね……」 リノの問いかけに、ナギサは右手を額に当てる。 解決する方法が分かっても、そこに辿り着く為の道が見つからない。 「………方法はあります」 その時、モミジが言った。酷く浮かない顔をしながら。 「ただ――――」 「話してもらえるかしら?」 俯いた彼女の唇に、ナギサは人差し指でそっと触れてから話を促す。 2つの碧眼は力強く輝いていた。 「……はい!」 その瞳に勇気付けられたモミジは、ぽつりぽつりと自分の考えを話し始めるのであった。 次の話へ
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