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「それで逃がした……と?」 村の北にある大きな屋敷の前では、幾つもの松明が風に吹かれて揺られていた。 静まり返った中、ヒミコの声が響き渡る。その穏やかな口調は、逆に集まった村人にこの上ない恐怖を与えていた。 「あ、あの娘の仲間に邪魔をされまして……」 アヤメは先ほどあった出来事を、恐怖に彩られた表情で説明している。 「……それでもそなたらの半分も満たぬのう?」 「し、しかし!」 「言い訳なぞ聞きとう無いわ!」 いくら数が多くても、ジパングを出た事が無い民と旅を続けてきたリノたちとの差は歴然であった。 (やはり一筋縄ではいかぬか……) ヒミコ自身も理解している。それでも罵声を浴びせるのは、思い通りに行かない歯痒さよりもそこに喜びを見出しているからだった。 「お、お許し下さいませ……次こそは必ず……」 「……次があると思うておるのか?」 「え……?」 怪しく光る女王の瞳。アヤメはそれが意味する事をよく知っていた。 「今宵は満月。こうなればそなたの娘と――――そなたを生贄にするしかないのう」 生娘でないのはこの際仕方ないがの、とヒミコは冷笑を浮かべながら一言添える。 「あ……ああ……」 村人たちの間にざわめきが広がり始めた。だが、誰も何も言う事が出来ずに俯いている。 「お待ち下さい!」 その時、若い娘の声が響いた。聞こえてきたのはヒミコの言葉に集中していた村人たちの後ろからだった。 アヤメが振り返った先にいたのは、薄汚れた服を着た黒髪の少女。 そして、ちょうど人の身体ぐらいの大きさの物を麻色の布で包み、両手で倒れないように支えていた。 「お母様、ただいま戻りました」 告げられたアヤメの顔は先ほどから変わらず呆然となっている。 しかし、心の内はヒミコと話していた時とはまるで違っていた。 「モミジ……あなた――――」 「今まで何をしておった?」 娘の名を呼ぶ母の声を遮り、ヒミコは軽蔑するような瞳で問いかけた。 「……川で身を清めておりました。いくらお供といえども、蛇神様に失礼を働くわけには参りませんので」 「では……何故そのような汚らしい恰好をしておるのだ?」 「それは――――」 モミジは震える声を途切れさすと、失礼と一言添えてから何かを包んでいた麻色の布を取り払った。 「この方をここにお連れする時に少し騒ぎがあったからでございます」 村人たちから驚きの声が上がる。そしてヒミコでさえも珍しく感心した様子を見せていた。 中から出てきたのは、安らかな寝息を立て、黒い髪に白のバンダナを巻いた少女。 「幸運にも予言で生贄に選ばれたヤヨイ様です。お間違えは無いでしょうか?」 「……うむ。よくぞ連れて参った」 それからヒミコは、細い右手を上げてアヤメを見る。 おそらく準備をせよ、という合図だったのか、彼女はモミジの側に近づいた。 そして1人の逞しい体躯を持つ男が軽々とヤヨイを持ち上げ、屋敷の方へと歩いていく。 「私も一緒に参ります……この汚れた身体を今一度清めさせて頂いてよろしいでしょうか?」 「……好きにするが良い」 一礼をして、先を歩く2人の後へ続くモミジ。 (何を企んでいるかは知らぬが……同じ事よ) ヒミコはそれを一瞥してから、夜空に浮かぶ満月に不気味な笑みを浮かべるのであった。 「遅いな……」 同じ頃、トラッドは夜空に浮かぶ同じ月を見ながら呟いた。 余裕が無かったせいか、その時に今夜が満月なのだと初めて気付く。 「少しは落ち着いたら? ……気持ちは分かるけど」 「……ああ」 村の北に位置する小さな森林地帯。4人は月の光と小さなランプの灯りを頼りに進み、森の出口辺りで身を潜めていた。 視線の先にあるのは、大きな山の麓にある洞窟の入口。 「何だってこんな場所にしたんだろうな?」 ラザが独り言のように呟いた。 「国独特のしきたり……もしくは、何かを隠す為って所かしらね」 推測するような口調のナギサだが、何処か確信があるようにも聞こえる。 2時間ほど前、4人は死人を埋葬する壷の並ぶ地下室でモミジと交わした会話を思い出していた。 「……囮?」 問い返すトラッドの声が薄暗い室内に響き渡る。 「はい……生贄を捧げる洞窟には魔物が出ますし、溶岩も流れているので私たちだけでは近づけないのです。それに――――」 モミジは言葉を途切れさせて、真剣な表情のヤヨイを見た。 「以前、噂を聞いて潜り込んだ旅の戦士様から聞いたのです。あそこには祭壇があるだけで何もいなかった、と」 「つまり、生贄が捧げられた時にしか相手は姿を見せない、という事か」 ラザの納得したような口振りに、モミジは偶然かもしれませんけど、と言いながらこくりと頷く。 「ですから……皆様のお力が必要なのです」 「…………」 モミジの話す方法。それは生贄に選ばれたヤヨイを連れて行く事だった。 その間にリノたちは洞窟の手前に向かい、彼女が運ばれてきた時にこっそり後をつける。 そこで、生贄を捧げなくてはいけない相手の正体を見破るというわけだ。 更にヒミコに気付かれない為にも、ヤヨイは薬によって本当に眠らなければいけないらしい。 万が一何かあった時に逃げる事も出来ないというのは、彼女の命をより危険な状態へ晒す事となる。 「私――――やります」 沈黙の後、強い口調でそう言ったのはヤヨイだった。 「ここは私の生まれた所ですから……私の問題でもあると思いますし」 「ヤヨイ様……」 モミジは瞳を潤ませながら、彼女の手をぎゅっと握る。自身の手の甲に雫を落としながら。 照れたようにバンダナを巻いた少女は、隣にいる不安そうなリノの顔を見た。 「…………信じてますから」 「え?」 「私はリノさんたちの事、信じてますから」 そうじゃないと決心出来ませんよ、とヤヨイは微笑みながら更に言う。 「それなら早速始めましょうか」 「はい! それでは行って参ります!」 ナギサの一言に彼女はいつもの元気な返事を返し、モミジの手を引っ張って地下室を出た。 「2人とも、いい?」 「ん?」 まだ洞窟の前に誰も現れる気配は無い。その時、ナギサは不意にラザとトラッドを呼んだ。 「ちょっと様子を見てきて欲しいの」 「村までか?」 「森の中まででいいわよ」 今から村に戻るのは随分と時間がかかってしまう。そう考えた末の言葉だった。 「分かった、行って来る」 身体を動かしていないと落ち着かないのか、トラッドは返事をしてからすぐに歩き出す。 ラザもその後に続き、この場に残ったのはリノとナギサだけになった。 互いに何も喋ろうとしない静かな時間。耳に入ってくるのは木々がざわめく音だけだった。 それから数分経った後、ナギサは洞窟から視線を逸らさずにゆっくりと言葉を紡ぐ。 「リノちゃんだったら、外見の特徴を聞いただけで、初めて見る人が誰か分かったりする?」 「え?」 何の前触れも無い問いかけ。一瞬何の話か理解出来なかったリノだが、すぐに頭の中で何かが繋がった。 「時と場合によると思うけど……もしかして、モミジの事?」 「うん」 「何か気になるのか?」 「少し、ね。ほら、ジパングの人って黒い髪と目が特徴でしょ?」 確か村の入口でヤヨイがそう言っていた。その事を思い出したリノはこくりと頷いた。 「リノちゃんもそうよね?」 「あ、ああ……?」 彼女の口から零れたのは曖昧な返事だったが、ナギサは特に気にせず話を続ける。 「じゃあ、どうしてモミジちゃんは………ヤヨイちゃんの事がすぐに分かったのかしら?」 「あっ……」 ごく当たり前の疑問だった。確かにあの時、問いかけるような口調であったが、彼女は真っ先にヤヨイへ話しかけていた。 しかし、すぐにアヤメの言葉がリノの頭をよぎる。 「……私とヤヨイじゃ髪の艶が違うって言われたけど――――」 「だとしても、薄暗い部屋の中だったら分かり辛いと思わない?」 この時、ナギサは初めてリノの顔を見た。 アヤメが髪の事を言っていたのは、まだ太陽が空に輝いている時だった。 そう思うと、リノには返す言葉が見つからない。 「もしかしたらあの娘……ヤヨイちゃんの事知ってるのかもしれないわね」 考え過ぎかもしれないけど、とナギサは付け加えてから再び洞窟へと意識を戻し、彼女もそれに倣う。 (ナギサって……本当に色々考えてるんだな) リノは横目で彼女の顔を盗み見た。その視線に気付き、ナギサはこちらを向いてにっこりと微笑んだ。 同じ女性である彼女から見ても、その笑顔は綺麗だと思わずにいられない。 (……羨ましいな) 今まで何度もナギサの笑顔を目にした事はあるが、そう思ったのは初めてだった。 船の上でトラッドに言われた事が、頭に残っていたからかもしれない。 しかし、すぐその考えを打ち消すように、リノは首を横へ振る。 「にしても、あの2人……まだかしら?」 ナギサは隣にいる彼女を見ながら呟いた。特に苛々している様子は無い。 リノもその視線に気付いていたが、出てきた話は自分の考えている事と全く関係が無かったので安堵した。 「じゃあ、もう一つ聞いてもいい?」 「……いいけど」 珍しく改まった口調だったせいか、リノは微かな不安を覚えて緊張した。 ナギサもそれを察しているのか、幾分か申し訳無さそうにこう尋ねる。 「本当に呪文って――――使えない?」 「え……」 思わず零れ落ちた呟きと共に、リノは一瞬だけ目を見開いた。 そして首を力無く横に振ると、弱々しい声で否定する。 「使えない、けど……どうして?」 「トラッドが気配に鋭いのと一緒で、私は魔力の流れに敏感なの」 ナギサの言葉には、彼女も思い当たる節があった。 それはエルフの里への道を見つけた事と、ヒミコの部屋の違和感にすぐ気付いたという事。 「ヒミコの部屋の魔力も私とリノちゃんは気付いてたでしょ?」 「う、うん」 「だからもしかしたら使えるのかなー、って思ったんだけど……でも、私の気のせいだったみたいね」 トラッドとヤヨイ、ラザの気付かなかった3人に共通するのは、誰も呪文を使えないという事。 ナギサにしてみると、そこが引っかかったらしい。だが、その推測は――――間違っていない。 「使えたら……良かったのに」 「どうして?」 「……それならこんなに足を引っ張らなかったかもしれない」 胸の奥で疼く罪悪感。リノは彼女の顔を見る事が出来なかった。 その時、不意に聞こえてきたのは可愛い、という呟き。 嫌な予感がして顔を上げようとした瞬間、それを押さえつけるかのように何かが圧し掛かってきた。 「そんな事……あるわけないじゃない。私だって、勿論皆だってリノちゃんの事、そんな風に思ってないから」 耳元で囁かれる声。彼女の腕はいつの間にかリノの身体を抱き締めていた。 「私が言うんだから間違いないわよ?」 冗談混じりの口調。そこからはナギサの優しさが身体の温もりと一緒に伝わってくる。 「…………」 返す言葉一つ思いつかない。その中でリノは心地良さに身を任せたまま、決して顔を上げようとしなかった。 しばらくそうしていた時、突然背後から草の掻き分けられる音が聞こえてきた。 「おかえりー。どうだった?」 様子を見に行った2人だと察したナギサは、パッと身体を離して音のした方へ声をかける。 「今、こっちに向かってる」 「数は3人だ」 姿を現したトラッドとラザは真剣な表情でナギサに告げた。 「……その内の2人はヤヨイちゃんとモミジちゃん?」 彼女の一言にラザが頷く。 「後1人は?」 「さっき森の中で見た男でヤヨイを背負っていた」 「ふうん……」 トラッドの言葉にナギサは口元へ右手を当て、考え込む素振りを見せた。 しばらく間があってから、彼女はラザを見てこう尋ねる。 「強そう?」 「体格は良かったが――――それほどでもない」 「……洞窟にはモンスターが出るんじゃなかったかしら?」 ナギサが確認するようにリノの顔を見ながら呟いた。 同じ意見だったのか、彼女も首を縦に振る。 生贄を捧げに行く途中、モンスターに襲われては意味が無い。 にも関わらず、護衛も無しに洞窟へ行くのは明らかに不自然である。 「ナギサの言う通りかもしれないな……」 「え?」 トラッドが間を置いてからそう言うと、リノが咄嗟に聞き返した。 すると彼はナギサを一目見て互いに頷いてから、こう口にする。 「生贄っていうのが、ヒミコの策略って事」 そこまで言った時、彼は木々の隙間から少し離れた所に何かを発見した。 それは先ほどラザと見た、ヤヨイたちの姿。 「結局、行ってみないと分からないか」 3人は彼の言葉に無言で同意すると、洞窟へと向かう人影に気付かれないよう静かに歩き始めた。 洞窟の中は想像以上の熱気が立ち込めていた。 見ていると目がおかしくなりそうな位に赤い岩肌。耳に届くのは溶岩の泡が弾ける不快な無数の音。 「どういう事だ……?」 ラザは額に眉を寄せて、滲んだ汗を拭いながら呟く。 「とりあえずトラッド」 「……ああ」 ナギサの言葉に返事をした彼は、足元に気をつけながら走り出した。 目的は――――ヤヨイを担いでいるモミジと役割を変わる事。 「あ、皆様……」 気付いた彼女は弱々しく微笑みながら、ヤヨイの身体をトラッドに預ける。 そんな彼に続くように、後ろからリノたち3人はゆっくりと歩いてきた。 「それよりもどうして2人だけに?」 リノの問いかけ。本来ならそんな事は出来ない状況になると思われていた。 しかし、今この場には洞窟へ辿り着く前にヤヨイを背負っていた男はいない。 彼はこの中へは入らずに、一礼をしてからすぐに去っていったのだ。 「この洞窟には生贄と供に選ばれた人間しか入れないのです」 「モンスターが出るのに?」 「ええ――――本来なら」 トラッドはヤヨイの重みを背中に感じながら、訝しげな顔をする。 「神聖な生贄が捧げられる満月の夜は、魔物が出ないとヒミコ様は仰っていました」 「でも、誰も見ている人間がいないんだったら、本当に生贄が捧げられたかどうかも分からないんじゃ……?」 尚もトラッドの質問は続いた。普通に考えれば不自然な点が多過ぎるのだ。 「それが……ヒミコ様ははっきりと申し上げるのです。生贄に蛇神様が喜んでおられる、と」 「……でも、そんな言葉だけで」 「確かに何も災いは起きません……それに……」 モミジは翳りを帯びた黒い瞳で、赤々と輝く岩肌を見つめながら言葉を途切れさせた。 「遠い昔に一度だけ、生贄が捧げられなかった事があります。その時――――村は噴火によって滅びかけました」 「……」 嘘を言っているようには見えない。それは彼女の瞳と沈んだ話し方ですぐに分かる。 昔というのは、おそらくモミジがまだ幼かった頃だろう。 だが、リノはそこである事に気付いてしまう。しかし、それを言葉にしたのは、他ならぬモミジ自身だった。 「本当は……生贄が必要なのかもしれませんね」 「じゃあどうして私たちに?」 そこで生まれたのは、生贄の真偽を確かめようとしていた彼女への疑問。 「必要でも嫌なんです……親しい人に会えなくなってしまうのは……」 ジパングの民であるが故の葛藤は、頬を伝う汗も凄まじい熱気も忘れさせる程であった。 「う……ぅぅ……」 不意に零れ落ちた声。それによって、その場にいた誰しもが我に返る。 「ヤヨイ?」 トラッドは自分の背中に揺られる彼女を呼んだ。 しかし、うなされている様な声が返ってくるだけで一向に目を覚まそうとしない。 モミジの話によると、強い睡眠効果のある草を煎じた薬で眠らせているらしい。 「励まされちゃったわね」 「え?」 ナギサの唐突な一言に、トラッドは少し高い声で聞き返す。 「きっと悩んでないで進め、って言ってるのよ」 苦笑いの混じった彼女の声。その後でらしくなかったわね、と独り言のように呟いてから歩き始めた。 本当はそうじゃなく、あまりの暑さにただ声を上げただけかもしれない。 それでもナギサの紡いだ言葉には、不思議と説得力があった。 (信じてる………か) リノは胸の中でヤヨイの言葉を繰り返し、両の拳を一度だけ固く握り締める。 そして黒い瞳に確かな意思を宿らせると、洞窟の奥を目指して歩き始めるのであった。 次の話へ
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