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視界の先が揺らめくほどの暑さの中、リノたちは汗を拭いながら歩き続けていた。 何度も集中力が途切れそうになったが、幸いな事にモンスターは一匹も出てこない。 やがてモミジの案内によって地下へと続く階段を見つけ、6人は慎重に降りていく。 「ところで蛇神様って?」 その途中、ナギサが突然先頭を歩くモミジへ尋ねた。 暑さで意識が朦朧となっているのか、彼女は考えるような間を置いてから返事をする。 「ヒミコ様が仰っていただけなのですが……生贄を捧げる神様の事なんです」 「蛇が?」 驚いたような口調で問い返すナギサ。確かに蛇の印象はそれほど良いものではない。 その様子にモミジは微笑みながら答えを返す。 「あ、ジパングだと蛇は神の使いと言い伝えられているんです」 「そうなの?」 「はい。中でも白い蛇は特に位が高いらしくて、見た人は幸せになれるそうです」 私は見た事が無いんですけど、とモミジは少し残念そうに付け加えた。 「面白いわね……私も今度探してみようかしら」 「……間違っても捕まえるなよ」 トラッドの余計な一言にナギサは間髪入れずハリセンを叩き込む。 (全く……こんな状況でもいつもと変わらないな) その景気の良い音を耳にしながら、リノはそんな事を思ってため息を吐くのであった。 「こっちです」 地下へ下りて目の前にある通路を歩いていくと、2つの分かれ道があった。 モミジは予め道を聞いているのか、迷う事無く右へ曲がる。 ナギサとラザが彼女に続き、リノもそちらへ向かおうとした時だった。 (あれ……?) 彼女はもう一つの道の先に何かを発見した。 小さな段がある灰色の朽ち果てた建物。それほど大きくはない。 「リノ?」 「え……あ、何?」 そこに意識が集中していたせいか、トラッドの何気ない声に少し驚きながら返事をする。 「ボーっとしてたから……どうかしたのか?」 「あ、うん。あれ……何だろうと思って」 「あれって?」 気付いていないトラッドに、彼女はすっと指でその場所を示す。 彼は目を細めてじっくりとその先を見た。 「……何だろうな」 どうやらトラッドも見るのは初めてだったらしく、不思議そうな様子で首を傾げている。 ジパングの人間からすれば、それほど珍しい物ではないかもしれない。 そう思いながらも何となく惹かれた2人は足早にそちらへ歩き始めた。 「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」 数歩踏み出した所で、モミジの悲鳴が洞窟内にこだまする。 その声は大人しい雰囲気の彼女からは想像しにくい程大きかった。 つまり、それほどの何かがあったという事である。 「リノ」 「ああ」 2人は瞳を合わせて頷きあった後、すぐに振り返って駆け出し始めた。 そして通路を曲がると石で出来た橋があり、その先で立ち尽くしている3人の後姿が目に映る。 まず視界に入ってきたのは、熱によって揺らめいている高い天井と一面に広がる溶岩の海。 この洞窟の中では最も開けた空間で、最も暑い場所だと分かった。 「ナギ―――――」 追いついたトラッドは、一番分かり易く事情を説明してくれそうだと思って彼女の名前を呼ぶ。 だが、その次に見た巨大で異様な形をした影より、断片的ながらも一瞬で殆ど理解してしまった。 (これは……何だ……!?) そんな彼の後ろで、リノは心の中で叫ぶようにして己に問いかけた。 あまりに大きい圧迫感の反動だったのかもしれない。 「っ……来るぞ……!」 身体を覆い尽くす激しい振動。それは巨大な影が息を吸い込む音だった。 咄嗟に危険を察知したラザの声を合図に、全員が我に返ってその場から離れた。 直後、リノたちがいた場所に凄まじい熱を持った炎が吐き出される。 その時、初めて彼女は相手の姿をはっきりと認識した。 溶岩が放つ鈍い光によって赤く見える深緑の鱗。 大きな身体から均等に伸びた8つの首。その先には龍の顔がついている。 それぞれの顔にある真っ赤な瞳が、不気味に蠢きながら散り散りになったリノたちを捉えていた。 「これが……?」 生贄を捧げていた神――――その言葉が呟きかけたリノの口から音になる事は無かった。 「トラッド」 「……ああ」 気を抜けば、苦しむ間もなく食べられてしまう。そう考えたナギサは右手にハリセンを握り締めて、隣にいる彼の名前を呼ぶ。 その一言に頷くトラッドは、呆然となっているモミジの手を引いて少し距離を取った。 (でも……どうやって戦えば……) リノとラザも彼女に倣って剣を鞘から抜くが、身動きは取れず、ただ神と呼ばれるものの顔を見つめていた。 その時――――不意にその顔が笑みに歪み、脳内に直接声が響く。 「ほほほ……予言通りじゃの」 「なっ……!?」 聞き覚えのある声。ラザが驚きの声を上げながら記憶を辿ろうとした。 しかし、それよりも早く相手は身体を回転させ、大きなシッポを彼にめがけて叩きつけようとする。 「……っ!」 空気の振動で身の危険を感じたラザは出来る限り後ろに跳んで、それをどうにか避けた。 だが、それが戦いの始まる合図だったらしく、4つの首が間を置かず彼に襲い掛かる。 それを阻止しようと走り出すリノとナギサ。 「ヤマタノ……オロ、チ……」 モミジが愕然とした表情で呟く。 だが、始まった戦闘に意識が向けられていたせいか、誰もその呟きに気が付く事は無かった。 金属を心地良いリズムで打ち付ける音が響く。 (ここは……何処?) 真っ白な世界。その音を耳にしながら、ヤヨイは周囲を見渡しながらゆっくりと歩いていた。 「……あれ?」 しばらく歩き続けていた時、彼女は妙な違和感を覚える。 手も足も確かに自分の意志で動いているはずなのに、まるで自分のものではない様な感覚。 ヤヨイはふと自分の掌を見た。 (………?) そこにあるのは見慣れたはずの掌。女の子らしい形のそれほど大きくない手だった。 ただ、それが時折小さくなった様に見え、ヤヨイは何度も握っては開いて感覚を確かめる。 その時、いつの間にか止んでいた音が再び鳴り始め、今度はそれに合わせて歌が聴こえてきた。 歌う声は大人の男のかすれたもので、何故か聞き覚えがある。 ヤヨイは何も無い世界の中で、迷う事無くその歌が聴こえる方へと歩を進めていった。 それからしばらく歩いた後、遥か遠くに人影が見えた。それも2つ。 最初はゆっくりだった歩調は、それをきっかけに自然と早足になっていた。 「はぁ……はぁ……」 気が付くとヤヨイは走り出しており、みるみる人影に近づいていく。 その時、不意に曖昧だった世界が鮮やかに彩られた。 物が乱雑に置かれた小屋の中。壁に立て掛けられた数本の剣。 無造作に散らばる道具の種類から、ここが鍛冶屋なのだと理解する。 その真ん中に座っていたのは―――― 「お父さん……?」 おぼろげな記憶だったが、確信はあった。ヤヨイは呆然と呟いた後、これが夢である事に気付く。 真っ黒な髪。身に纏っているのはボロボロになった元は白だったと思われる衣で、そこから鍛え上げられた身体が見えた。 髪と同じく黒い瞳は、強靭な右手に持った槌で叩かれる金属に注がれている。 「あなた、夕食が出来たわよ」 「ん? ああ、もうそんな時間か」 急に姿を現した女性に、ヤヨイはこう呟いた。 「お母さん……」 しかし、その呟きは2人の耳に聞こえていないらしく、そのまま会話が続けられる。 「進み具合はどうですか?」 「後少し……だな」 答えた後、父親は良い出来だと目を細めて嬉しそうに言った。 炎によって赤く光る剣は、今まで見た事も無い形だった。長さは鋼の剣よりも短く、刀身は美しい曲線を描いている。 だが、不思議な形にも関わらず、左右対称に勝るとも劣らない美しさがあった。 その光景に何かを感じた時、突き刺すような鋭い頭痛と共に何かが身体の中から飛び出していった。 そしてその得体の知れない何かは、すぐに母親の腰の辺りにしがみつく。 「お父さーん、ご飯冷めちゃうよ?」 そう問いかけた少女は艶のある黒髪と曇りの無い黒い瞳を持っており、活発そうな表情は少年のようにも見えなくない。 「ああ、すぐ行くからな」 「そんな事言って……いつも遅いんだから」 頬を膨らませながら彼女はそう返すが、手袋を外した手に頭を撫でられて嬉しそうだった。 (…………) この少女は一体誰なのか。ヤヨイには、既に分かっていた。 しかし、長い間感じる事の無かった家族の空気に、心の中でそっと呟く事すら出来なかった。 「ねぇねぇ、この剣は何て言うの?」 「ん? これの事か?」 温かな会話は一瞬の間を置いてから再び始まった。 父親は娘の頭から手を離し、熱を帯びた剣に視線を戻す。 「これは草薙の剣って言って……遠い昔、災いを退けたと言い伝えられてる」 「……昔のなの?」 「いや、草薙の剣は厄を静めると――――土に還ってしまう」 「えっと……?」 少女は不思議そうな顔で、何かを言いかけて口を噤んだ。 どうやら混乱しているらしく、言葉が見つからないらしい。 (どういう事……だろ?) だが、それはヤヨイも同じで、少女と似た表情で困惑していると、父が笑いながら口を開いた。 「草薙の剣が無くなるとヒミコ様によって選ばれた刀鍛冶が新しく作る決まりがあって……それが今回は父さんだ」 それから彼はほら、と言って先ほどまで持っていた槌を娘に見せる。 それには赤い鳥の羽根を象った装飾が施されていた。 「いつもと違うだろ?」 「ホントだ……」 少女の瞳はいつの間にか小屋の片隅に向けられている。 気になったヤヨイもそちらを向くと、視線の先には簡素な鉄色の槌が転がっていた。 それを見比べてみると、この剣を生み出すという事が本当に特別なのだと分かる。 「さて、それじゃあ行こうか?」 「うん!」 いつの間にか片づけを終えていた彼が立ち上がると、少女はすぐに側へ寄る。 そして頷いてから手を握ると、父は柔らかく力を込めて小さな手を握り返した。 その時、ふと温かな空気が無へと還っていく。 (あっ……) ヤヨイは思わず追いかけようとして手を伸ばすが、3人の姿は周りの景色に溶け込むように色を失っていった。 届く事の叶わない手。これは夢なのだからと彼女は無理やり自分に言い聞かせる。 「ヤヨイ……」 不意に父の声が響く。それは半透明の姿と同じような儚い声だった。 「大きくなったら――――何になりたい?」 しかし、幼い頃の彼女が何かを答える前に――――夢の世界は泡のように消え去っていった。 「う……ううん……?」 目を覚ましたヤヨイが最初に感じたのは、自分の身体の重みと何かに揺られている感覚。 ゆっくりと重い瞼を持ち上げてからぼんやり辺りを眺めると、一面に赤い色が広がっていた。 そして、頬には一筋の涙の跡があった。 (ここは……何処だろ?) ヤヨイが鈍い痛みを訴える頭を押さえていると、今乗っているのが誰かの背中だと気付く。 小さい彼女からすれば、十分に広い男の背中。 「………お父さん」 先ほどの夢のせいか、ヤヨイはそう呟きながら自分を背負っている彼をぎゅっと抱き締めた。 「ヤ、ヤヨイ……?」 しかし、良く知っている声を聞くと、彼女は頬を真っ赤にしながら腕を解く。 「え、あ………師匠!? ご、ごめんなさいごめんなさい!!」 「あ、いや……その……大丈夫か?」 自分の行動に取り乱して何度も謝る弟子に、トラッドは戸惑いながら尋ねた。 「は、はい! おかげさまでもうすっかり――――」 しかし、ヤヨイの言葉は最後まで言い終わる事無く途切れる。 「あ、あれは……?」 その理由は8本の首を持つ大きな龍と戦っているリノたちの姿が視界に入ってきたからだった。 「ヤマタノオロチ……昔倒されたはずのモンスターらしい」 「じゃあ、生贄って言うのは……」 トラッドは返事をする代わりにこくりと頷いた。 「ヤヨイ……歩けるか?」 「あ、はい」 彼女はその一言で我に返る。そして今は考えている時ではない、と自分に言い聞かせるように地面へ降り立った。 「じゃあ、俺も行って来る」 「私も行きま――――」 「ダメだ」 「どうしてですか!?」 ヤヨイはいつになく真剣な表情のトラッドに珍しく叫んだ。 しかし、彼は何も答えずに彼女の両肩に掌を乗せる。 「彼女の事……守って欲しいんだ」 「あ……」 ヤヨイは何となく振り向いた。そこには身を震わせながらも必死で立っているモミジがいた。 自分はそれほど強くない。だが、彼女はもっと弱い。 万が一の時、モミジには自分の身を守る術が無いのだ。 「頼む」 「………分かりました!」 トラッドの一言に、ヤヨイは全てを吹っ切った様な力強い表情で頷いた。 彼は柔らかく微笑むと、気持ちを切り替えてオロチの方へ走りかける。 しかし、すぐに振り返ると苦笑を浮かべながらヤヨイにこう告げた。 「こんな良い弟子に慕われるなんて――――俺は幸せだな」 「師匠………頑張って下さいね!」 「ああ!」 トラッドは答えると同時に愛用のブーメランを右手に握り締めて、今度こそ走り出す。 (でも………18でお父さんって呼ばれるとは思わなかったな) 元気な返事とは裏腹に、心では複雑な想いを抱きながら。 「くっ……!」 その頃、ラザはオロチの隙を突いて剣で斬りかかっていた。 しかし、鋼のように固い鱗は硬質的な音を響かせるだけで、何事も無かったようにその一撃を弾き返す。 「ラザ!」 ナギサの叫ぶ声。彼はハッとなって上を見上げると、首の一つが彼に襲い掛かろうとしていた。 だが、その前にオロチの悲痛な咆哮が響き渡る。それと同時に地面の上へどろどろとした液体が落ちた。 「……目はそれほど固くないみたいだな」 そう言いながらゆっくりと歩いてきたのは、左手に数本のナイフを持ったトラッドだった。 「ヤヨイは……?」 「もう大丈夫。今はモミジと一緒にいる」 彼は穏やかに答えながら、問いかけたリノの左隣に並ぶ。ナギサとラザもそれに倣って側へ近づいた。 「ナギサ、状況は?」 先ほどまでリノとラザの後ろにいた彼女。 おそらく一番状況を把握しているだろうと考えてトラッドが問いかける。 「正直……ちょっと厳しいわね。剣は通用しないし、氷の呪文でも一撃だと倒せそうにないわ」 「思い出したのか?」 「さすがにこんな熱い所にいたら嫌でも、ね?」 冗談っぽい口調だったが、彼女の表情に普段の様子は感じ取れない。 「打つ手なし、か……」 逃げる、という選択もある。しかし、それでは何の解決にもならない上に、無事逃げ切れるとも思えない。 (何か……何か無いのか?) 懸命に方法を模索する4人。その様子を楽しむように、ヤマタノオロチは8つの顔を歪めながらゆっくりと近寄ってくるのであった。 (師匠……!) 激しい戦闘の様子をヤヨイは遠くからじっと見つめていた。自分の無力さを呪いながら。 今までの相手よりも遥かに強大な力を持つヤマタノオロチ。それは戦っている4人を見れば一目瞭然である。 ヤヨイもリノたちと同じく、必死で方法を考えていた。 (………あ) ふと何かが頭の中を駆け巡り、黒い瞳から雫が零れ落ちる。 「あの……ヤヨイ様?」 「………」 彼女の異常に気がついたモミジは動揺した顔で名前を呼んだ。 しかし、ヤヨイの耳にその声は届いていない。 (厄を……災いを退ける……) 彼女の中に今響いているのは、先ほど夢で聞いた父親の言葉であり、曖昧だった昔の記憶だった。 「モミジさん!」 「は、はい!」 急に名前を呼ばれて、彼女は驚きのあまり大きな声で返事をする。 「草薙の剣は……まだあるんですか?」 「えっ……?」 モミジは一瞬頭の中が真っ白になった。 ヤヨイの言葉は理解出来る。しかし、彼女からその言葉が紡がれた事に驚いてしまった。 「モミジさん!!」 「………あります」 焦りの滲んだヤヨイの声に彼女は弱々しく返事をし、更に言葉を重ねた。 「この洞窟の……祭壇に奉られています」 「場所は何処ですか?」 「それほど遠くは――――きゃっ!?」 突然、腕が強い力で引っ張られてモミジは小さく悲鳴を上げた。 「道案内お願いします!」 そうしたのは彼女の目の前にいた自分と同じくらいの歳の少女――――ヤヨイだった。 彼女は返事を待たずに、モミジを引っ張って走り始める。 (ヤヨイちゃんにとって………大事な人たちなんだ) 力強い意思を握られる掌に感じながら、モミジは不安定な姿勢のまま一緒に走り出す。 その時の彼女は、穏やかな笑みでヤヨイの小さな背中を見つめているのであった。 次の話へ
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