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「俺が……囮になる」 響く足音と震える空気。トラッドは迫り来るヤマタノオロチを横目で見ながら言った。 額から浮かんだ汗が頬を伝ってぽとりと地面に落ちる。 しかし、それは暑さよりも緊張によって生まれた冷たい汗。 「危険よ?」 「でも、俺が一番適任だろ?」 「それは……そうだけど」 不安を隠しきれないのか、珍しくナギサは戸惑っていた。 その時、こつんと彼女の頭に何かが当たる。 「な、何を……?」 ナギサがハッとなって顔を上げると、そこには意地悪な笑みを浮かべたトラッドの顔があった。 そして右の拳は握られた状態のまま、彼女の頭の上で静止している。 「まさか俺に小突かれたまま、黙っているわけ無いよな?」 今までトラッドが一方的に叩かれる事はあっても、叩いた事は一度たりとも無い。 リノとラザは彼の行動に目を丸くしていた。 「………そうね」 「なら、後は任せた」 しかし、今のでナギサは冷静さを取り戻したらしく、すっかりいつもの表情に戻っている。 「よし、行くとするか」 彼女の様子を一瞬確認すると、トラッドはオロチの方へゆっくり歩き出した。 (後は………ん?) そしてどう動こうかと考えている時、右隣に誰かの姿が並ぶ。 「リノ?」 「一緒に行く」 「何を言っ――――」 彼は先ほどのナギサのように、彼女を止めようとした。 だが、その声を遮るようにリノは真っ直ぐ彼の事を見つめる。 「いくらトラッドでも1人は辛くないか? ……それに」 「それに?」 「……たまには頼って欲しい」 少し間を置いてから言う彼女の表情は複雑だった。 それがどういう気持ちから出た言葉なのかは分からなかったが、トラッドは自然とリノの頭をぽんと叩く。 「じゃあ、任せる」 「………うん」 彼女は呟きながら頷くと、愛用の鋼の剣を淀みない動作で抜き去った。 トラッドもナイフを数本とブーメランを両手に構える。 そして一度だけ視線を交わしてから、同じ歩調で並んで歩き始めた。 (あれって……ヤキモチかしらね) そんな2人の後ろ姿を見て、ナギサはくすりと笑う。 「どうかしたのか?」 「何にもないわよ」 今の状況からその行動を不審に思ったラザが問いかけるが、彼女は素っ気無く返事をすると、機嫌が良さそうに口笛を吹きながら後ろへと下がっていくのだった。 一方その頃、ヤヨイとモミジは橋を渡った先にある2つの分かれ道に辿り着いていた。 つい先ほどまではヤヨイに引っ張られるままの彼女だったが、今は自分の意思でしっかり走っている。 しかし、慣れていないせいかすでに呼吸は荒く、辛そうな様子を隠せずにいた。 「こ……こっちです……」 「……モミジさん、大丈夫ですか?」 時間が経った事で冷静になったヤヨイは足を止めて振り返る。 「あ………は、は……い」 呼吸を整えるのに必死で、更に紡がれた返事は途切れ途切れで、大丈夫なわけが無い。 彼女はモミジに肩を貸す為に駆け寄ろうとしたが、少し高い空気の音と苦しそうな声が遮った。 「先に行って……下さい」 「え?」 「ヤヨイ……ちゃんの――――大事な人たち……なんだよね?」 「……うん」 急に友達へ話しかけるような口調に変わるモミジ。だが、不思議な事に違和感はなかった。 「だったら……早く」 「………うん!」 切実な声と、遠い昔に聞いたはずの声が同時に頭の中でこだまする。 ヤヨイはそれが誰なのかを考えるよりも早く、小さな声で問いかけるように呟いた。 「モミジ………ちゃん?」 「……え?」 しかし、小さすぎたその声は彼女に届かない。 その代わり、問い返すモミジの声だけはしっかりと耳に届く。 「……それじゃあ、行って来ます」 ヤヨイは力なく首を横に振ると、先ほど彼女が指し示した道の方へ身体を向けた。 一刻の猶予も無い。それに自分の知りたい事を最悪の形で知ってしまう可能性もある。 だから――――それ以上何も言う事が出来なかった。 (……考えちゃダメだ……) ヤヨイはその思考を断ち切るように、ぎゅっと目を閉じてから全力で走り始めた。 息を切らしながら走り続けると、程なくして視界が急に広がった。 「ここが……?」 ほのかに舞い降りる月の光。ヤヨイがそれに気付いて上を向くと、高い天井にぽっかり穴が開いていた。 そこから風が流れ込んでいるのか、今までよりも随分涼しい。 彼女の眼前にそびえ立つのは、小さな階段が取り付けられている朽ち果てた建物。 扉はその建物と同じくボロボロになっており、隙間から何かが光っているのが分かる。 おそらく屋根にも穴が開いていて、そこから月の明りが差し込んで反射しているのだろう。 (きっと……これが) 不思議と中にあるのが草薙の剣だと確信し、ヤヨイは足早になりながらも確かめるように階段を上り始めた。 何気に手すりに触れると、音もなく崩れ去り、そよぐ風に乗って辺りへと散っていく。 その動きを目で追っていくと、何か白い物が黒い瞳に映った。 (骨……) 周囲を見渡してみると、骨はいくつも落ちている。そしてどれもが似たような大きさだった。 きっとあの神に成りすましたモンスターへ捧げられてしまった娘たちの亡骸だろう。 「……急がなきゃ」 ヤヨイはそう呟いて、手すりから手を離してから再び歩き出す。 生贄に選ばれたのは自分だが、あのままではリノたちもこうなりかねない。 幸いにも階段は石で造られた物だったので、崩れ落ちる心配は無さそうだった。 そして、彼女はあっという間に上りきって左側が外れている扉の前に辿り着く。 色々考えていたせいか、随分と長い時間に感じられた。 右側の扉を少しだけ開き、目を凝らして奥を覗くと一振りの剣が台座に突き刺さっていた。 左右対称の美しい曲線を描く褐色の刀身。日頃持ち歩く物じゃない為か鞘は元々無いようだ。 (草薙の……剣) はっきりと断言できる理由。モミジに場所を教わったというのもあるが、何よりもそう思えたのは形状や雰囲気だった。 つい先ほどトラッドの背中の上で見た夢と寸分違わず重なっていた。 思い出した夢によって蘇る温かな空気と届かない事への寂しさは、透明な涙となって音もなく地面へ落ちる。 それをすぐに拭い去るが、名残惜しそうに柄の部分を右手で撫でてから、もう一方の手を添えて力を込めた。 「……っしょ、と……」 彼女の声に呼応するように草薙の剣が引き抜かれ、すっぽりと小さな手の中に柄が収まる。 ぼんやりと淡い青色の光を放つ刃。月の光のせいかと思っていたが、どうやら剣自身が自ら光を放っているようだった。 「……よし」 ぱしんという乾いた音。ヤヨイは気合を入れるために、自分の右頬を軽く叩く。 それから彼女は剣を両手にしっかり握り締めて、リノたちが戦っている場所へと走り始めるのであった。 「…………」 自分の右隣から聞こえる呪文の詠唱を耳にしながら、ラザは剣を握り直した。 先ほどから何度も同じ事を繰り返している。少しでも心を落ち着けようとする為に。 (待っているだけっていうのは、身体に悪いな) その時、少しだけアーニーの気持ちが分かった気がした。 彼女はいつも親友の事を心配し、無事に再会出来るようにと毎晩祈りを捧げていた。 「……ラザさん!」 そんな事を考えながら、自分の心臓辺りを押さえていると背後から元気な声が聞こえてくる。 今はここにいないはずの人物だったので、彼は驚きながら振り返った。 「ヤヨイ?」 「これを……使って下さい」 そうして差し出されたのは、褐色の見慣れない形の剣。 ちょうど自分の手の位置にあった柄を、ラザは不思議そうな顔で掴んだ。 「これは?」 「草薙の剣っていうんです――――私のお父さんが作った災いを鎮める為の剣です」 「ヤヨイ……思い出したのか?」 気になる点はいくつかある。しかし、ラザが一番最初に気付いたのは彼女の事だった。 その問いかけに答えない代わりに、ヤヨイは苦笑いをしながら首を横に振ってから言葉を紡ぐ。 「さっき……夢で見たんです」 暗く沈んだ口調。両親の面影を夢でしか見れなかった事への哀しみ。 ラザはかける言葉を見つけれずにしばらく呆然としていたが、やがてゆっくりと口を開いた。 「……ヤヨイの両親が俺たちを助ける為に教えてくれたのかもしれないな」 「……はい!」 彼女が瞳を潤ませながらそう答えた時――――激しい爆音が洞窟中にこだました。 「大丈夫か!?」 髪の毛が焦げる嫌な匂い。しかし、それを気にする事無くトラッドは彼女の安否を確かめる。 衝撃で舞い上がった土煙が晴れ渡ると、彼は揺らめく視界の先にリノの姿を見つけて安堵した。 「くっ……」 それからも不気味に蠢く8本の首と灼熱の炎を掻い潜りながら、トラッドはナイフとブーメランを同時に投げ、リノも同じように避けて鋼の剣を力一杯振るうが、当然どれも弾き返されていた。 (避けるだけとはいかない……) いくら囮とはいえ、それを相手に悟られてはいけない。 その為には例え効かない事が分かっていても、全力で攻撃を続けなくてはならなかった。 トラッドとリノがちらりとナギサの顔を盗み見ると、彼女はまだ目を閉じたまま微動だりしない。 (後少し……) 2人は幾度となく心の中でそう呟いた。 今の所、固い鱗を持つヤマタノオロチにダメージを与えれそうなのは、ナギサが思い出したという氷の呪文のみ。 しかし、彼女もそれだけだけでは倒せない、と言っている。 ならばその一撃を最も効果的なタイミングで放ち、どうにかするしか方法が思いつかなかった。 それでリノとトラッドは囮になり、ラザはナギサが呪文に集中する為と唱えれる隙を作り出すという作戦に出たのだ。 その時、ヤマタノオロチの2本の首が左右から挟みこむようにリノに襲い掛かった。 (引きつけて………) 彼女が慎重に間合いを計り、ある程度の余裕を持って避けれる所で前へ踏み込む――――つもりだった。 「っ……!?」 だが、溶岩の暑さに蝕まれたせいか一瞬だけ視界が曖昧になり、足を思うように動かせなかった。 「リノ!」 トラッドの叫ぶ声は、思っていたよりも近い場所から聞こえてくる。 彼女はその声を耳に残しながら、ヤマタノオロチの真っ白な牙が目の前まで近づいているのを呆然と眺めていた。 「あ……」 彼女の唇から声が零れ落ちると同時に左肩に衝撃が走った。 時間にしてみれば一瞬なはずなのに、リノの意識には鈍くゆっくりと侵食されていく。 (………え?) 目を閉じて覚悟した時、彼女が最初に感じたのは疑問だった。 しかし、背中に衝撃が走ると、思考は一瞬で断ち切られる。 (痛く……ない?) リノがおそるそる目を開けた瞬間――――皮肉なまでに赤い血が、目の前で弾け散った。 「……ラザ!」 鋭い口調で呼ばれて、彼は一瞬驚いてからナギサを見る。 「行くわよ……!」 しかし、顔を見合わせる間もなく彼女は金色の髪をなびかせながら走り始めた。 それはつまり――――いつでも呪文が唱えれる事を意味している。 「ヤヨイ、この剣使っていいのか?」 「はい」 いつの間にか笑顔に戻っていた彼女の返事を背に受け、ラザもナギサの後を追うように走り出した。 (にしても……不思議な剣だな) ラザは剣を持つ右手に奇妙な感覚を感じていた。 違和感ではなく、初めて持ったはずの剣が馴染んでいるという事に。 呪文にも似た淡く青い光を放つ刀身。鋼の剣では歯が立ちそうになかったヤマタノオロチだが、これならどうにかなりそうな気がする。 「ん?」 剣を強く握り直し、走る速度を速めようとした時、リノの座り込んでいる姿が目に入った。 そして、彼女の足元には横になっているトラッドの足。 (まさか……!) 2人の遥か頭上からは8本の首が一斉に襲い掛かろうとしている。しかし、リノには全く動く気配が無い。 「ラザ! 後は任せたわよ!」 突然ナギサが叫んだ。そして彼女自身は返事を待たずに更に速度を上げる。 おそらく彼女は目の前で起こった事に気付いていた。 (チャンスはここしかない……!) それと同時に、8本の首の注意が全てリノとトラッドに集中している事にも気付いている。 彼女の狙いはそこにある――――そう察したラザはこくりと頷くと草薙の剣を構えた。 「トラ……ッド……?」 ヤマタノオロチの牙が迫ってきた瞬間。何故彼の声がすぐ側から聞こえてきたのか。 リノは血を流している彼を目の当たりにしてようやく理解した。 「トラッド!」 留まる事を知らない赤い海。手袋を通して伝わってくる温かい液体。 幾度となく名前を呼んでみても返事はない。 「トラッド………もういなくならないで…………お願いだから」 その時、真っ赤に染まった顔の中にトパーズ色が見え、わずかだが血の流れがゆっくりになった。 そして唇がゆっくりと動き、かすれた声を紡ぎだす。 「リノ……無事、か……?」 「うん……」 「なら、良かっ………た」 再び彼の瞳が閉じる。そして思い出したかのようにまた血の流れが速くなった。 「トラッド……!」 黒い瞳から透明な雫が零れる。それはすぐ下にあった彼の身体にぽたりと落ちては溶け込んでいった。 (トラッドが助かるなら……どう思われたって) リノは手袋を外し、両の掌を重ね合わせて何かを呟き出すと、それに応える様に真っ白な光が産声を上げた。 「ベホマ――――」 怯えるようにぎゅっと固く目を閉じたまま、彼女が呪文を唱えると掌から溢れ出す優しい光がトラッドの身体を包み込み、みるみる傷を癒していった。 (あれは……呪文、か?) ラザが少し離れた所でその光に気づいた時、ヤマタノオロチの首は一斉に襲い掛かろうとしていた。 しかし、リノは少しも動こうとしない。それどころか上から襲い掛かってくる牙にすら気付いていないようだった。 その時、熱気が立ち込めていた洞窟内に突き刺すような冷気を帯びた風が吹く。 「――――ヒャダイン!」 直後、ナギサの高い声が辺りに響き渡り、無数の氷の欠片が吹雪となって放たれた。 そして完全に不意を突かれたヤマタノオロチの巨体にほぼ全てが直撃する。 (2人は……!) 溶岩の熱によって氷は水蒸気となって視界を遮っていた。 ラザはリノとトラッドの姿を必死に目で捜しながら走り続けていた。 (……無事か) 霧の中に微かに見えたのは、呪文が発動する前と変わらない姿勢のリノとトラッド。 どうやら呪文の効果範囲にはかろうじて届かなかったようだ。 「ラザ、早く!」 ナギサの鋭い声で彼は我に返ると、正面ではヤマタノオロチの影が不気味に蠢いていた。 最初に彼女が言った通り、呪文だけでは倒せなかったのだ。 (この一撃で……終わらせる) 一度息を吸い込んでからラザが駆け出す。それを確認したナギサは道を開ける為にわずかに左へと跳んだ。 幸いにもヤマタノオロチは彼女の動きに気を取られ、自分に向かってくる彼が見えていない。 気がついた時には――――草薙の剣の切っ先が巨体に突き刺さろうとする瞬間だった。 「………!!」 深緑の鱗を青い輝きを放つ褐色の刃が貫いた。 手が痺れるほどの固さだったはずの鱗に、草薙の剣は容易く侵食していき、ヤマタノオロチの動きが止まる。 (やった……か?) 剣を中心に拡大していく、まるで青空のような色の光。 それが大きな身体全てに行き渡った時、強大なモンスターは再び咆哮を上げた。 「ぐ……おのれ……!」 ヤマタノオロチは16個の瞳を4人に向けると、怒りと苦しみの入り混じった声を吐き出し――――大きく後ろへ跳んだ。 後ろにあるのは溶岩の海。その行動に驚いたナギサとラザはその後を追って、その中に落ちていくヤマタノオロチの姿を見た。 (まさか自分から……?) 腑に落ちない、彼女がそんな表情を見せた時、赤々燃えるような海から大きな光の柱が生まれる。 それがヤマタノオロチを包み込むと、一瞬で姿が消失した。 「……逃げられたわね」 「ああ」 安堵したのも束の間、2人は顔を見合わせてからリノとトラッドの事を思い出して振り返る。 「リノちゃん!」 ナギサが名前を呼びながら駆け出し、ラザもそれに続く。 「………大丈夫、だと思う」 俯いたまま震える声で返事をする彼女の足元には、青白い顔をしたトラッドが横になっていた。 右肩には薬草が3枚押し当てられている。 「リノは大丈夫なのか?」 「……うん」 だが、彼女は一向に顔を上げようとせず、ただ彼の事をじっと見つめていた。 「皆さん、大丈夫ですか!?」 その時、今まで安全な場所に避難していたヤヨイとモミジが駆け寄ってきた。 「ああ……それより悪かった」 「え?」 ラザの謝罪に彼女は思わず問い返す。 「草薙の剣……返してやれそうにない」 「あ……」 「……すまない」 彼の気が緩んだ瞬間にヤマタノオロチが後ろへ跳んだ為、剣は刺さったままになってしまっていた。 あの剣がヤヨイにとってどれほど大切なものかが分かっていただけに、ラザの心は自責の念で一杯だった。 「……気にしないで下さい!」 「だが――――」 「それよりも皆さんが無事で、本当に……良かったです」 彼女の口調には震えも哀しみもなく、ただ安心した気持ちだけが滲み出ていた。 (………強いな、ヤヨイは) ラザはそんな彼女の頭を優しく撫でる。 「後は師匠だけ、ですね……」 そこでヤヨイは初めて彼の事を口にした。 駆けつけた時から気がついていたが、リノの様子に中々言葉にする事が出来なかったのだ。 「……死なないわよ」 「ナギサ?」 「このまま死んだら……許さないんだから」 彼女はそれっきり何も言おうとせず、後ろを向いてただ立ち尽くす。 重苦しい空気の中、5人に出来るのは――――トラッドの目覚めを待つ事だけであった。 次の話へ
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